『陸軍贋幣作戦-計画・実行者が明かす日中戦秘話-』
山本憲蔵・著/現代史出版会1984年
人道に反することも、お国のためとなると正義のように勘違いするようだ……。
--ノスタルジーとして楽しく書かれています。

「はじめに」で書かれてあります。下「」引用。
「経済戦、とりわけ敵国の通貨を大量に偽造流通せしめて、経済撹乱をまきおこすという謀略は、強大な敵国にたいする本格的な全面戦争を予想しての構想であって、すくなくとも日中衝突の初期の段階においては想像もできない、ありうべからざることであった。
“なァに、支那など鎧袖一触さ”という風潮が支配的であった武力戦一辺倒の日本陸軍には、このような思想の入り込む余地はまったくなかった。
ところが、このありうべからざることが現実となったのだ。
日本陸軍は、なりふりかまわず、武力戦以外にも、あらゆる手段を弄しなければならないほど、中国は手ごわい相手であることを思い知らされたのだ。
そこで、中国の通貨である「法幣」の大量偽造工作が、対敵経済謀略の重点目標として実施されることになったのである。
このことは、実は敗戦への不吉な兆候でもあったのであるが……。-略-」
経済戦……。下「」引用。
「ここにいう経済戦というのは、中国における占領地の経営、その開発を通じてわが国防資源の供給を豊富にし、よが国の戦時経済力の拡充強化に役立つ施策、つまりひらたくいえば中国における豊富な人口と資源を開発して、中国人の民心安心はもちろん日本の戦争経済のすべてをまかなうという壮大な計画のことである。
同時に他面このことは、中国の経済を壊滅に陥れて戦争の終結をはかるという工作でもある。
ところが、このような日本の構想はものの見事に失敗した。その期待はことごとく裏切られたのである。
その理由は一言にして要約すれば、中国のナショナリズム、抗日民族統一戦線の力量を過小に評価したということ、そして何よりも日本国家には、広大な占領地の経営開発とあわせて戦争を遂行するという実力がなかったということであった。
最初は生産を増強してその果実をとるという意図が、実は背に腹にかえらず、「鶏を殺して卵をとる」という収奪一本槍の手段に訴えるという結果となり、これがまた中国人民の怒りを買い、その抵抗力を激成する結果となったのである。-略-」
粗悪品で「第一次偽造工作の失敗」。
内閣印刷局の消極的協力……。下「」引用。
「内閣印刷局において最高の印刷の技術者といわれていた矢野道也氏から指導を受け、また抄紙部長は篠田所長と東京帝大の同窓の間柄であったので、比較的円満に援助をうけたのであるが、完璧を期するため、ますます無理な注文をする軍の要求を完全に受入れるにはほど遠い状況にあった。
しかし、何よりも大きな理由は、この種の偽造工作にかんする軍と内閣印刷局との認識の相違にあった。-略-“偽造紙幣ならば似ているだけで十分ではないか”という観念があったからである。紙幣そのものを発行するんだというわれわれの考え方とは、その意気込みも違っていたのである。-略-」
ナチス・ドイツからの積極的協力……。下「」引用。
「太平洋上を航行中の米国商船の一隻がドイツの潜水艦に拿捕された。
この商戦には中国の重慶政府がアメリカン・バンクノート・カンパニー(-略-)に発注していた交通銀行券の未完品-略-が積載されていたので、ドイツ潜水艦は上海において日本側に引き渡した。-略-結局、紙幣の未完成品は紙屑にひとしいものであると石光広明主計中佐(のち主計大佐)の断によって、現地軍より登戸研究所に送付されることになった。-略-
このときより、ニセ札づくりの登戸研究所第三科は、ほんものと同じ程度の精工さをもつニセ札と、ほんものの法幣づくりと相まって急転直下、その大量生産をきちとることができたのである。」
【映画】ヒトラーの贋札
中国もやっていた……。下「」引用。
「中国側においても、あきらかに日本軍の軍票を偽造してバラまいたという痕跡はある。
次にその事実をあきらかにする当時の文書を紹介する。-略-」
中国資料によれば……。下「」引用。
「戦後、中国で発行された『中央銀行鉢発行資料』のなかに宇平(本名党恩来)という署名の論文の一節に次のくだりがある。-略-
いずれにしても、中国側はこの工作にたいして消極的な取締り、あるいは黙認の形をとったと想像することができる。」
index
index
もくじ



山本憲蔵・著/現代史出版会1984年
人道に反することも、お国のためとなると正義のように勘違いするようだ……。
--ノスタルジーとして楽しく書かれています。

「はじめに」で書かれてあります。下「」引用。
「経済戦、とりわけ敵国の通貨を大量に偽造流通せしめて、経済撹乱をまきおこすという謀略は、強大な敵国にたいする本格的な全面戦争を予想しての構想であって、すくなくとも日中衝突の初期の段階においては想像もできない、ありうべからざることであった。
“なァに、支那など鎧袖一触さ”という風潮が支配的であった武力戦一辺倒の日本陸軍には、このような思想の入り込む余地はまったくなかった。
ところが、このありうべからざることが現実となったのだ。
日本陸軍は、なりふりかまわず、武力戦以外にも、あらゆる手段を弄しなければならないほど、中国は手ごわい相手であることを思い知らされたのだ。
そこで、中国の通貨である「法幣」の大量偽造工作が、対敵経済謀略の重点目標として実施されることになったのである。
このことは、実は敗戦への不吉な兆候でもあったのであるが……。-略-」
経済戦……。下「」引用。
「ここにいう経済戦というのは、中国における占領地の経営、その開発を通じてわが国防資源の供給を豊富にし、よが国の戦時経済力の拡充強化に役立つ施策、つまりひらたくいえば中国における豊富な人口と資源を開発して、中国人の民心安心はもちろん日本の戦争経済のすべてをまかなうという壮大な計画のことである。
同時に他面このことは、中国の経済を壊滅に陥れて戦争の終結をはかるという工作でもある。
ところが、このような日本の構想はものの見事に失敗した。その期待はことごとく裏切られたのである。
その理由は一言にして要約すれば、中国のナショナリズム、抗日民族統一戦線の力量を過小に評価したということ、そして何よりも日本国家には、広大な占領地の経営開発とあわせて戦争を遂行するという実力がなかったということであった。
最初は生産を増強してその果実をとるという意図が、実は背に腹にかえらず、「鶏を殺して卵をとる」という収奪一本槍の手段に訴えるという結果となり、これがまた中国人民の怒りを買い、その抵抗力を激成する結果となったのである。-略-」
粗悪品で「第一次偽造工作の失敗」。
内閣印刷局の消極的協力……。下「」引用。
「内閣印刷局において最高の印刷の技術者といわれていた矢野道也氏から指導を受け、また抄紙部長は篠田所長と東京帝大の同窓の間柄であったので、比較的円満に援助をうけたのであるが、完璧を期するため、ますます無理な注文をする軍の要求を完全に受入れるにはほど遠い状況にあった。
しかし、何よりも大きな理由は、この種の偽造工作にかんする軍と内閣印刷局との認識の相違にあった。-略-“偽造紙幣ならば似ているだけで十分ではないか”という観念があったからである。紙幣そのものを発行するんだというわれわれの考え方とは、その意気込みも違っていたのである。-略-」
ナチス・ドイツからの積極的協力……。下「」引用。
「太平洋上を航行中の米国商船の一隻がドイツの潜水艦に拿捕された。
この商戦には中国の重慶政府がアメリカン・バンクノート・カンパニー(-略-)に発注していた交通銀行券の未完品-略-が積載されていたので、ドイツ潜水艦は上海において日本側に引き渡した。-略-結局、紙幣の未完成品は紙屑にひとしいものであると石光広明主計中佐(のち主計大佐)の断によって、現地軍より登戸研究所に送付されることになった。-略-
このときより、ニセ札づくりの登戸研究所第三科は、ほんものと同じ程度の精工さをもつニセ札と、ほんものの法幣づくりと相まって急転直下、その大量生産をきちとることができたのである。」

中国もやっていた……。下「」引用。
「中国側においても、あきらかに日本軍の軍票を偽造してバラまいたという痕跡はある。
次にその事実をあきらかにする当時の文書を紹介する。-略-」
中国資料によれば……。下「」引用。
「戦後、中国で発行された『中央銀行鉢発行資料』のなかに宇平(本名党恩来)という署名の論文の一節に次のくだりがある。-略-
いずれにしても、中国側はこの工作にたいして消極的な取締り、あるいは黙認の形をとったと想像することができる。」





