磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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080 唯一の神

2008年01月27日 | ライト小説
あかねさんシリーズ002
男が女de女が男


三、なんて! すてきな世界




080 唯一の神


「唯一の神についてはまだ話していなかったでありんすね?」

「ええ、たぶん……」

茜はわたしの世界ではない茜のこともそうだろうと思う……。
でも、それはたぶん、カンでしかない。

「ユダヤ教も最初は唯一の神ではなかったのでありんす」

「えっ、本当なの?」

でも、こんなことでカオネスキーは冗談をいわない。
--存在そのものが冗談だけど……。

「モーセは異教の神も非難しないでありんす。モーセの妻の父は異教徒だったのでありゃしゃんせ。それに宗教発生学でいうと、どこの国のどの地方も同じようなものであったというでありゃしゃんせ……」

「えっ? どういうことなの」

「はじめはどこの地方でも、どの国でも多神教だったのよ。自然の恵みに感謝し、祈りをささげるのでありんす」

「それがどうして多神教から一神教になったの?」

「それは、一神教の方が戦争に有利と考えたからなのでありんす。しかし、それもどうやら、嘘だったのでありんす。ローマの多神教の方がユダヤ教の一神教よりも強かったのでありんす。ユダヤ教というのは比較的歴史も浅く、モーセのころにはユダヤ教などというのもなかったのでありんす」

「えっ、モーセはユダヤ教ではなかったの?」

「そうでありんす。ちなみに、イエス・キリストもキリスト教ではなかったでありんす。彼はユダヤ教徒といわれているのでありゃしゃせんせ」

「ややこしいのね」

「キリスト教などというのは、キリストの奴らといわれて、はじまったのでありんす」

「そうなの……。知らなかったわ。キリスト教ってずっと変わらずあると思っていたわ」

「そんなことはないでありゃしゃんせ。キリスト教は神社みたいに、会員制度ではなかったでありんす。キリストの生きていた時代はそうであったそうでありんす。教会ではなく教団だったのでありゃしゃんせ。キリスト教の本質は、農地にあって都会のエルサレムにはないというでありんす。キリストが意味ある教えを説くのはいつも都会でないところ……。イエスは多神教の教えを同時に愛していたという人もいるくらいでありんす。自然に帰れ! という復古主義でもあったという人もいるくらいでありんす。裸足で歩くのも、またそれを意味しているのでありゃしゃんせ」

「へぇー、ややこしいのね」

「ところで、祗園祭のタペストリーにユダヤ教が関係しているの知っているでありんすか?」








閑話休題

八百万の神、

多神教……。

また、一神教。

まあ、何でもいいんです、

ボク、個人は……。

神は人のお世話を願うようじゃ、

神ではないとも思うのですが……。

でも、神の名がつけば、

何でもできると、人を扇動して

ひどいことをやってきた人たち

それも、また神の名をつかう人たち。

いい人ばかりではないのです。

平和を考えるのなら、

自由、平等、博愛の

民主主義をとるなら、

そんなことも、ぜひ

考えていただきたいと思います。










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