総理がコジキでコジキがソーリィー 070 シージャック 少年はだれも「お帰り」といってくれない家に帰ってきた。 ……だからこそ、一番最初にすることは、テレビをつけること。 --それは自然なことだろう。 テレビの弊害はあったとしても、孤独感は薄れる。 テレビ画面がいつもと違うような気がした。いつもなら、いろいろと画面は動いているのに、ずっと船を映しているのである。 どうしたのだろうと思い、テレビ画面に近づく。 「シー・ジャックされました」 またか! 少年はこんなニュースを聞いても楽しくないと思って消そうと思った。 スタジオにいるアナウンサーにかわった。 「シー・ジャックの犯人がわかりました。またもや、十七歳の凶行です」 と、アナウンサーは真剣な目つきで原稿を読み上げていた。 十七歳の凶行。ぼくも来年は十七歳だ。 まったく、バカなことをやったものであると少年は思う。 「さきほどより、伝えておりました。船から落とされた老人はさきほど、病院で息をひきとりました」 殺人か、でもテレビの人は毎日、そんなことは伝えているから、感情もそう変化させていない。 ……まるで、お祭りの中心にいるように、目がきらきら輝いている。 同じ十代が犯人だと知り、三沢少年は事件が急に身近なものに感じられた。 「これで、三時間、同じところに停泊して、食事などを要求しています」 三時間か、そのころ、ぼくはソーリィーの所へ行ったのである。そこでは、高橋青年や熊谷老人がぼくを迎えてくれた。ソーリィーはコンビニで弁当をもらってきていた。 「そうかー、ぼくも食事しないといけないなあー。近ごろのぼくって、食欲がないから、困るよなあー。元気でないはずだよなあー」 また船が映っている。 電子レンジでチン! した食事をする。
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