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磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ルソン島敗残実記

2009年09月02日 | 読書日記など
『ルソン島敗残実記』
   矢野正美・著/三樹書房1993年

「あとがき」に書かれてあります。下「」引用。

「戦争中、私は下級兵士だったので、軍の戦術も戦略も何も解らなかった。しかし、私の周辺で起こった出来事だけは正直に書き残した。それは、私の子や孫に戦争の悲惨さを伝え、絶体に戦ってはならないと申し送りたかったからである。たしかに、私のような下級兵士も、高級士官も、亡き戦友に対する思いは同じであろう。高級士官の生存率は高いので、戦友会や慰霊行事についても大変世話をしてくれている。ただ違うと思うことは、彼らには本隊に棄てられ飢餓街道を幽鬼となって敗走した傷病兵の苦しみをいまだ理解せず、恥ずかしい行為と考えているようにみえることだ。終戦の受け止め方にも違いがあるだろう。」



「戦争体験を語る意味」吉見義明・著。下「」引用。

「矢野正美さんの克明な戦争体験記、『ルソン島敗残実記』は、一九八六年に初版が、三樹書房から出版されている。日本の敗戦から四十一年後のことである。-略-
 しかも、その体験が、深い悔恨・反省の下で回想されているところが注目される。たとえば、著者は、帰国直前に、フィリピン人のあるおばあさんから罵倒された時の感慨を次のように記している。
 「私達もあのサンフェルナンド上陸以来、比島の住民達にして来た事を考えてみると、その罪の大きさを思わずにはいられない。殺人、放火、強姦、ありとあらゆる罪を重ねて来ている。彼等との戦争でもないのに、何で彼等に大きい被害を与えたのであろう。何でこの遠い他国まで来て戦ったのであろうか。あの老婆の憎しみが分かる。私達は本当に罪人であろう。」(一九四五年一二月一○日の頃)
 この姿勢が、本書をとくに意味のあるものにしている。本文中では、ほとんどあらゆる事柄が、つつみかくさずに記されている。-略-」

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「共産党ゲリラ討伐」 下「」引用。

「11月8日
 ガパン、サンミゲル間の街道で、公用外出中の日本兵二名が、ゲリラに襲われた事で、非常呼集あり。中隊は直ちに討伐に出る事になった。兵隊達は上陸以来初めて実戦ができると大ハリキリである。ブドクアラヤットには共産党ゲリラがいて、何回の討伐にも実効は上がらないとの話である。彼等は重装備をした、相当の勢力と聞いていた。昼間は村で農業をしているのかも知れない。-略-」

空襲。下「」引用。

「1月17日
 朝から敵の空襲が物凄い。サンフランシスコの町を重点にたたいているようだ。ロッキードが上昇すると、ちょうど我々の真上まで来る。薄気味悪いものである。八機の編隊で間断なく攻撃を終えると、続いてグラマンが来る。切れ目なく攻撃が続く。我が戦車が炎上させられているのか真黒な煙が立ちのぼる。竹やぶや民家等、戦車や車のかくされそうなものは目標にされていのであろう。激しい爆撃にも友軍になす術はない。
 夜だけしか私達は動けない。中隊は二、三小隊が全員タコツボに入り、指揮班、整備班は全車輌をこの椰子林の中に分散してかくし、敵機から目標にならないようにした。私は中隊主力の炊出しを続ける。-略-」

翌日、軍票で……。下「」引用。

「私達はぶた鶏を必要なだけ買上げる。彼等には通用しない軍票だが、それでも仕方なく受け取る。東根がマカンダンダラガと云うので見ると、姉妹らしい娘が二人顔を並べてこちらを見ている。西川軍曹にどうですかとけしかけるが、軍曹は軍紀の問題だと云って笑った。七面鳥を見付けたので嫌がる子供から買取る。敵機は愛変わらず頭上を舞い砲声のやまない中でのことである。夕食にあの七面鳥二羽を前線の勇士のために料理して運ばせる。」







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