磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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戦争と動物たち クマさんの消えた日

2009年05月24日 | 読書日記など
『戦争と動物たち クマさんの消えた日』
   こむらさとる・作/まつばらきみひろ・絵/あらき書店1984年

上野動物園だけでなく、北九州の動物園でも……。
--動物らしくないマンガチックなイラストです。



北九州に「動物園ができた」……。下「」引用。

「北九州の人たちにとって、いこいの場所として親しまれている到津遊園は、昭和七年に、九軌(きゅうき)という会社(今の西鉄のむかしの名まえ)が作ったものです。
 この到津遊園の中に、動物園が開園したのは、そのあくる年の昭和八年十月のことでした。-略-」

クマキチは人気者だったという。下「」引用。

「動物園にはたくさんの動物がいましたが、その中でゾウとならんで、いちばんみんなの人気を集めていたのはクマでした。
 それはニホングマ(ツキノワグマ)の子どもで、後足で立ちあがっても、小学校一年生くらいの背たけしかありませんでした。ちょうど、ぬいぐるみのおもちゃそっくりで、首の下に三日月の形をした白いもようがはっきりと見えて、とてもかわいいすがたをしていました。
 このクマには、さっそくクマキチという名まえがつけられて、クマキチ、クマキチと、みんなにかわいがられていました。-略-」

軍馬などのために、動物まつりをしたという。下「」引用。

「昭和十五年に、動物園では、秋の動物まつりをしました。これは、戦争につかれていかれて死んだ軍馬、軍用犬、それに軍用バトなどの、れいをなぐさめるおまつりでした。
 昭和十六年にはいるころから、戦争に行っているたくさんの兵隊さんたちに、たくさんの食べものを送るため、国中の食べものがだんだん少なくなりはじめました。-略-」

毒入りの食べ物をクマキチに与えるが、毒が入っていると顔をそむけたという。

だが、わからないように工夫した別の食べ物を食べてしまった。下「」引用。

「やがて、オリの中から、クマキチの苦しそうなうめき声が聞こえてきました。二人は、オリの方に向かって両手をあわせると、
「クマキチ、すまん、お国のためだ。」
と泣きながら、早く楽になるよう心の中でいのっていました。-略-」

「クマキチの眠る丘」下「」引用。

「-略-動物園とプレイランドにかこまたれ小高い丘の上に、動物慰霊碑が建っています。
 あのクマキチをはじめ、動物園で死んだ動物たちが、その中におまつりされているのです。-略-」

「あとがき」に書かれてあります。下「」引用。

「到津遊園の動物園は、元園長をされておられた阿南哲朗氏が、お書きになった童話集の「よるの動物園」で、数々のお話の舞台となったところですが、この動物園で、戦争という人間たちの勝手な争いこどのため動物たちまでが、どんなに悲惨な目にあったか、というできごとを、戦争を知らない子供たちに、ぜひ知ってもらいたいと思います。」







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