磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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平和への願いをこめて13 終わりはいつですか 被爆二世(長崎)・編

2008年01月04日 | 読書日記など
『平和への願いをこめて13
   終わりはいつですか 被爆二世(長崎)・編』
      創価学会婦人平和委員会・編/第三文明社1985年

表紙に書いてあります。下「」引用。

「閃光の瞬間を知らずに生まれながら
肉体的にも、精神的にも
“原爆”との永い闘いを続けてきた
長崎の二世達が綴る
終わらざる平和への祈り--」



予想以上のことが書かれてありました。下「」引用。

「しかし現実には、被爆二世や三世達までが、血液障害、内臓障害に苦しんでいる実態があるのです。それが、たとえ医学的、科学的に証明ができなくとも、原爆投下によって生じたと思われる肉体や家庭的な問題をはじめとして、人間としての苦しみを負わされていることを、私達は見過ごすことはできません。母が、そして子が、原爆の影をひきずり、後障害への恐怖におびえながら暮らしてきた戦後四十年の生きざまをたんねんに追って、本書『終わりはいつですか』は誕生しました。そして、シリーズ「平和への願いをこめて」第十三巻は、長崎の被爆二世による初めての証言集となったのです。
 当初、私達は、なせせか長崎の地で被爆二世を捜すことに苦労しました。編纂にあたった長崎平和委員会のメンバーの中にも、被爆二世であるにもかかわらず、全く知らなかった人も数人おりました。両親が被爆者だった。また、幼い日に母を亡くし、それが原爆によるものだった、と初めて知る。あまりにも重い事実に、たいへんな衝撃をうけたことでしょう。」

長崎市でクラブ活動中に、黙祷をした。
クラブ顧問は長崎県外の人で、そのクラブだけが黙祷をしなかった。

会社でもそんなことがあったという。下「」引用。

「最初に就職した会社で、私は、八月九日のサイレンと共に黙祷を始めた。すると課長から、ひどく感心された。気づいてみると、黙祷をしていたのは私1人であった。課長は長崎県外の人であった。」

母を見ていて……という文章がありました。下「」引用。

「私は、自分では直接の経験はしていないが、母が被爆したということで、戦争というものを多少は身近に感じてきた。と同時に、今だに原爆症で苦しんでいる母を見て、再び戦争などという事態は絶対に許されるべきではないと思う。」

同級生の死、葬式に……。
「白血病だったとよ」と同級生の母は涙にくれている……。
Mさんと同様に被爆者を父にもつ被爆二世。

--「被爆していますか」と医師に訊かれたという。
1 血液検査を受けたさい、注射の跡がいつまでも赤い斑点に残っている。
2 白血球の数。
--平凡な主婦というが、二度貧血で倒れたという。
原爆は生まれる8年前のことであった……。

むしろ誇りを感じておられる人もおられます。
……反戦フォークグループのメンバー。
--被爆二世としての使命に目醒め、被爆二世はむしろ誇りにして平和を叫び歌い続けてきた……。
被爆三世の子供たちに受継いでほしいと……。

近所の子から、「原子の子」と差別を受けてきたという。

第三者の証言がないため、原爆手帳なし。
また、被曝二世の子供たちに不安を抱いている母がいる……。


被爆者であろうと、チェルノブイリ事故でも問題なしとした学者が正しいという記者がいます。
--記者といっても、ジャーナリストとしての基本を守っていない人でもあるとボクは思いますが……。

原爆と差別

いつものことは忘れないでくださいね。










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