磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

結成30周年記念誌 被爆体験記~くずれえぬ平和を~

2008年01月04日 | 読書日記など
『結成30周年記念誌
   被爆体験記~くずれえぬ平和を~』
     福岡市原爆被害者の会・編/
       福岡市原爆被害者の会1985年

それにしても、水筒が竹製だったという……。もはや、戦争ではないと、「特攻」のことを書く人たちがいます。このような愚かな行為をさせた人たち……。集団自決だけが問題はありません。そして、彼らが戦争責任をきちんと背負うどころか、またも昔のような社会にしようとしているようです。

この平和といわれる(だけ)の時代でも、彼らの影響は受けている……。
いつものことは忘れないでくださいね。




今、ボクが住んでいるところのことも書かれてありました。下「」引用。

「私は三月末頃まで東京西部線田無近くの、中島航空発動機工場に隣接した。技術兵教育隊に勤務中で、二月中旬以降の関東地区空襲は昼間の別なく熾烈を極め、大は一トンより小は数キログラムの爆弾又は油脂及びテルミット焼夷弾、照明弾、時限爆弾、機銃掃射など、凡そ空中攻撃なるものは殆ど受けました。」

index

そして、その人も再度召集を受けて、広島陸軍兵器補給廠勤務。
--そして被爆。

「原爆ハサミ」について書かれてありました。下「」引用。

「雑多な破損物の散乱する地上で一本の床屋バサミを拾った。焼けて変色しているが使えそうだった。収容中の女の子たちの乱れた髪を整えてやりたいとの思いがあって、目に入ると同時に拾い上げていた。だが、実際には使う機会がなく長崎を引き揚げる際、記念に持ち帰り、敗戦後二十五年身近に置いて、野外調査時にはトレス紙を切るために持ち歩いた。私の大切な思い出の品であったが、今このハサミは長崎国際文化会館の資料室に「原爆ハサミ」の名で展示されている。その経緯は別に書く予定である。」

長崎医大生と押しかけ女房のことも書かれてありました。

戦後、疎開した人のことも書かれてありました。長崎で被爆。下「」引用。

「原爆より二週間ほどして、予科練の兄が帰って来て、久し振りに家族七人が揃いました。「市内にいては、よくない(放射能のこと)」という噂で、体調の悪い私の為に疎開することになりました。」








目 次






エンタメ@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。