磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原発-1973年~1995年 フォトドキュメンタリー 樋口健二写真集-

2008年07月17日 | 読書日記など
『原発-1973年~1995年 フォトドキュメンタリー 樋口健二写真集-』
   樋口健二・撮影/三一書房1996年

先見のない政治家たちが原発などというものを建ててしまって、その地区はひどいものなったとボクは思う……。



■目 次■
【写真】
原発内部  1
崩れゆく風景  10
原発被曝者  42
原発下請け労働者  76
反原発のたたかい  91
恐怖の核燃料輸送  109
世界の原発は……  120
【本文】
原発の「正体」鮮やかに示す 西尾漠  155
原発被曝者が結びつけた二三年間 樋口健二  158
  レイアウト・装丁 樋口知弘


漁場が荒らされていく……。下「」引用。

「佐田岬半島のつけ根部分に四国電力伊方原発がある。1980年初め、原発周辺の海に多量の魚が浮き問題となった。このような漁業も徐々に姿を消してゆく。(1977年7月24日)」

うやむや……。いつものことですね。下「」引用。

「太平洋に面した海岸線に10基の原発が建ち並んでいる。かつてここの海で獲れたホッキ貝からコバルト、マンガン等の放射性物質が検出されて物議をかもしたが、うやむやのうちに立ち消えとなった。(1979根5月.東電福島原発)」

こんな姿勢だから、風評被害がひどくなる……。
--風評被害などというが、原因は彼らだろう……。

札束は電気代や、税金である……。下「」引用。

「札束ぜめによる漁業権放棄によって、地元住民の激しい反対運動を収束させた。(1982年11月21日川内原発建設中)」

漁場をとられて、民宿経営……。下「」引用。

「沿岸漁業の不信も手伝って原発予定地周辺の漁民は漁業権を放棄して700~1000万位の漁業補償金を手にし、生活の安定を考えて漁協からも借金をして民宿経営をはじめるのだったが。(1977年5月.敦賀半島白木)」

原発労働者……。下「」引用。

「大久保 智光さん(農業/当時六三)の証言
 -略-わしゃ一度、仕事が終わって放射能を調べるハンド・フットモニターに近づいただけで赤ランプが点きっぱなしでな、監視員がすっ飛んで来て、おらの体を計ったら六万カウントも出ただ。
 係員が白い粉をすりつけて、たわしで何回も体中を洗わされ、一時間近くもかかって、やっと外に出ただ。そりゃ被曝も多かったさ、服装みただけでも普通じゃねえからな。」

白血病死した人の母の証言がありました……。

東芝に入社した人も……。下「」引用。

「地元の工業高校を卒業して東芝さ入ったんです。-略-脳腫瘍という診断でした。とても驚きしたし、切なくて、可哀想でしたね。それから悶え苦しみながら死んだんです。」

GEからも被曝労働者がやってきたという……。下「」引用。

「人海戦術要員はほとんどが未組織労働者。この黒人労働者は米国GE社から送られて来た下請け労働者で技術者でない。(1977年7月.敦賀原発)」

台湾の原発被害者の写真も掲載されていました。










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