磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆歌人の手記 耳鳴り

2008年03月02日 | 読書日記など
『原爆歌人の手記 耳鳴り』
   正田篠枝・著/平凡社1962年

この本も有名な本ですね。記憶というものは何年もたてば、混濁していくものですし、忘れてもいくものですね……。そして記憶はつくられるという表現が現実だろうとボクは思います。



戦争というもの、そして原爆。著者の状況。下「」引用。

「戦争中年齢三十七歳で病死した、私の夫は六人兄姉の一番末っ子でありました。
 その妻の私は、肉親少なく、この世を心細く生きている者でありますから、特に、亡き夫の兄姉が元気で長生をして貰いたいと思えてなりません。
 それなのに、原爆を投下された、広島に生まれ、生活する者の、なんと悲しい運命でありましょう。
 昭和二十年八月六日午前八時十五分のあの時、爆心地空鞘町(そらざやちょう)の家におった、次兄の妻は四人の子供達とともに即死し、その時外出していて、ただ一人生き残った次兄は、一昨年肺臓ガンで原爆病院入院中死にました。それにしても、はっきりわかることは、爆心地に近いところで被爆した者、又被爆しなくても、爆心地に近いところへ早くバラックを建てて、住んだ者ほど早く発病し、年令には差別なく次々と早く死んで逝ってしまったことであります。」

ビラがたくさんまかれたという。撒かれてないという人もいるが……。下「」引用。

「六月の末には広島の空襲がいちだんとはげしくなり、夜もおちおち眠れなくなりました。敵の飛行機は私の家の側の川面が真白くなる程、宣伝ビラをまきました。庭に飛んで来たのを拾って見ると、「善良なる日本国民よ、早く疎開せよ、猛烈なる、爆弾が落ち、このような残酷なことになるよ」と、毛筆のような達筆の文字が印刷してあり、煉瓦がくずれ、怪我人が苦しんでいる絵が書いてありました。警察が小船に乗って、水面に浮ぶ宣伝ビラを拾い集めておりました。ビラを、持っている者は、罰せられるとのことでありました。
 私は警官に、爆弾が落ちるのですか凄いのが、と、問いました。警察は、「デマですよ」と言われました。」

とむらう気持ちで歌手『さんげ』を出版されたという。下「」引用。

「原子爆弾という名前を知らされました。このため即死され、またあとから亡くなられたひとを、とむらうつもり、生き残って歎き悲しみ、苦しんでいる人を、慰めつもりで歌集『さんげ』をつくりました。
 その当時のGHQは検閲が厳しく、見つかりましたなら、必ず死刑になるといわれました。死刑になってもよいという決心で、身内の者が止めるのに、やむにやまれぬ気持で、秘密出版をいたしました。
 無我夢中で、ひそかに泣いている人に、ひとりひとり差し上げさせていただきました。」

また別のところでも、このことを書かれています。下「」引用。

「昭和二十一年の春、広島の小さな月刊歌誌の一隅に、目をむれば「死屍累々(ししるいるい)」のしかばねがあった、この土手に、春がきて土筆(つくし)が芽を出して、いるよ、と、いう意味の短歌がのっていた。この雑誌が発売禁止になりました。「死屍累々」と、いう言葉が、マッカーサー司令部のお気に入らなかったのです。」

このこともあり、『さんげ』を出版したら、必ず死刑といわれていたという。

さんげ


原爆から15年たち、新安保条約。
反対デモに参加した人は、逮捕。
……「人間の善悪」という小タイトルで書かれている。

チャプリンの映画を思い出しました。












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