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短歌至上創刊五十年記念複製『さんげ』限定500部

2007年06月21日 | 読書日記など
『短歌至上創刊五十年記念複製『さんげ』限定500部』
    正田篠枝・作/藤浪短歌会s58年

これも、「原爆小文庫」からお借りしました。そうでなければ、手にできなかったと思います。



正田篠枝さんは、このように原爆を伝えるこが困難な時から、危険をかえりみずに、表現されていたという。

--その点だけでも、尊敬できる方だとボクは思います。



ボクのように平和な時代といわれる時に書くのとは、条件がずいぶん違うと思います。


杉浦翠子さんという先生が前書きをかかれています。下「」引用。
「我が正田篠枝さんは短歌をもって彼の惨事を表現されたのです。短歌が卓上の作り物ではなく、体験から会得するところの感情生文学であることは、今更贅言するまでもないが、但しその表現の如何によるところの技能功拙の如何によって、それが歌になるかならぬかになるのです。」


俳句や短歌は花鳥風月をうたうものと書いておられる方もいましたが、この方たちは違う視点で描かれていると思います。

画家と絵描きという表現があるならば、花鳥風月は絵描き。

篠田さんたちは、画家ではないでしょうか……。

そもそも美人画などは芸術ではないという方もいますね。

--工芸品だそうです。


この本には、「さんげ」と「唉! 原子爆弾」の二編が掲載されています。

その違いを月尾管子さんが書かれています。下「」引用。
「杉浦翠子先生の疎開先、軽井沢の翡翠荘から発行した歌誌「不死鳥」に正田篠枝の「唉! 原子爆弾」が掲載されたのは『さんげ』が出る一年四ヶ月前の昭和二十一年八月号であった。今その不死鳥を観ると、翠子先生の紹介文も篠枝さんの作品も『さんげ』のとは大分違うのである。私は比べて見て、序文はともかく原爆歌としては『さんげ』に先行する不死鳥の作品の方に迫力を覚える。思うに篠枝さんは、『さんげ』を編むにあたって、不死鳥な粗削りな原作に技巧を加えて改作した。そのため、短歌的にはなったが生々しい必迫感が薄れている。」

原爆文学の歴史にのこる作品だと思います。



正田篠枝さんは児童文学作品もいくつか書かれています。

ちゃんちゃこばあちゃん


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