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江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた-サムライと庶民365日の真実-

2010年03月21日 | 読書日記など
『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた-サムライと庶民365日の真実- 講談社+α新書381-1C』
   名古川愛哲・著/講談社2008年

この分野も事実かどうか?
--本を読めば読むほど、知らないことばかりだと思ってしまう……。



「チャンバラ」 下「」引用。

「-略-そのさい子どもらは口三味線で「ちんちんとちちり」と伴奏をつけたのですが、なにせ子どもなので、「チンチリトチチリ チチチ チリトチチンリン」と正確に口三味線ができるはずもなく、「チャンチャンバラバラ」になり、剣術場面を「チャンバラ」と呼ぶようになりました。
 これは明治末年から大正まで大人気だった、「目玉の松ちゃん」こと尾上松野助主演の剣戟活動写真の監督だった牧野省三の証言として残っています。
 大正時代から「チャンバラ」ははじまったことになります。」

「時代小説」と「チャンバラ映画」は、江戸時代を知らない人によってつくられたという。

西洋の活劇から生れた「チャンバラ」映画。下「」引用。

「時代劇の溜飲の下がるカタルシスは、江戸時代にもありそうで、いや、あって欲しいと思うのですが、ほとんど西洋の活劇の流用から発展して今日に至ったものばかりです。それゆえ現実の江戸時代の姿からは、ほど遠いといわざるを得ません。」

最初の「チャンバラ」映画。下「」引用。

「最初のチャンバラ映画『雄呂血(おろち)』(大正十四年=一九二五)は、本来の題名は『無頼漢(ならずもの)』でした。これが内務省の検閲で「公序良俗に反する」とされて『雄呂血』と改題されたあげく、十数分のカットを命じられました。-略-」




江戸時代を一掃、「散髪脱刀令」「廃刀令」……。下「」引用。

「四民平等、旧弊打破、文明開化のもとに、旧弊に類する江戸時代を一掃しよとしたのですが、それは国民教化政策として、芸能の世界にも及び、歌舞伎や文芸から落語まで、江戸時代とは異なるものを強要しました。」

細かな規定……。下「」引用。

「おまけに紙は格式によわって使う種類が決められていた。侍以下庶民は杉原紙を使うが、官位五位以上の人は奉書紙を用い、幕府の公用紙は檀紙である。
 月代の髪を伸ばした浪人が懐紙などを入れて歩いていれば、たちまち町方同心の「御用」となる-略-
 とにかく江戸時代は外見が重要で、頭のてっぺんから足の先まで、細かな身なりの規定があった。
 武家の場合は、羽織袴の平常の姿でも、懐に手拭いを入れているときは、道をゆずるしかない。懐に手拭いを入れるのは、公用で仕事をしにいく印で、うっかり声もかけられない。」

方言。下「」引用。

「もともと関東、坂東では、「参り申すべえ」「上(あ)ぐべい」「読むべい」「習(な)ろーべい」と盛んに「べーべー言葉」を使っていた。これは常陸、下総(しもうさ)の「だっぺ」、東北の「だっちゃ」、駿河の「だら」、三河の「けろ」、尾張「みゃーみゃー」、それに近江、大阪、京都の「ニャケた言葉」の商人もいた。」

「追放されたキリシタンはどこへ」下「」引用。

「-略-江戸時代の初期、関東郡代伊奈備前守はキリシタンの理解者で、彼らは河川整備と開墾に呼び寄せたという。-略-「備前堀」と呼ばれる用水も各地にあるが、これは伊奈備前守の掘削技術を指した呼び名とはかぎらない。備前岡山城主だった宇喜田秀家の家臣のキリシタンが、関係した地名かもしれない。」


「幕末の慰安婦外交とハーフの運命」下「」引用。

「「日本の役人は猥談が好きだ。何かというと女をすすめてくれる」
 と初代駐日公使のタウンゼント・ハリスが呆れた。諸外国の外交官は、これを「女ご馳走」と記録している。-略-
 現在の横浜スタジアムの地に異人相手の遊廓が完成したのが、安政六年(一八五九)十一月のことである。
 当時、横浜の人口三万人余、うち異人約三千人といわれるから十人に一人が異人である。その異人相手の遊廓は二十数軒。そこで働く遊女は「洋妾」と書いて「ラシャメン」と呼ばれた。しかしこの「洋妾」、幕府の公認だから規則がある。」








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