『岩波新書563 ヒロシマ・ノート』
大江健三郎・著/岩波書店1965年6刷
この本を入門書のようにいう人もいますが、その当時の総論ではないでしょうか?
あまりにもいろいろなことが書かれてあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/fb/6bc1c12e74c9b88f1e82da4760648e56.jpg)
挿絵のキャプションに「爆心地の話しをつたえてくれる人は、いません」と書かれてありました。
--当時も伝える人はおられたかとボクは思いますが……。ネットを見てもたくさんあります。
ただ、もっとYouTubeにあってもいいのではないかとは思います。
『ひろしまの河』という小雑誌について書かれあります。下「」引用。
「『ひろしまの河』にそのような眼のふたりの老婦人の証言がある。《あの病気は、はたで見ているのが辛い酷い病気です。殊に娘は、生まれて間もない真美子のために、どうしても生きたいと一所懸命でした。しかし助かりませんでした。それだけではありません。奈々子が死んだあとに私は二十六歳になるヒロミという息子が残っておりますが、手と頭にケロイドがあって、そのため結婚もできず、何度か自殺をはかりました》。」
ほかのところでも書かれてありました。下「」引用。
「広島のモラリストたちのことを考えるたびに僕はまず、すばらしい小雑誌『ひろしまの河』を発行している広島母の会の中心メンバーのひとりである、なんとも豪胆(ごうたん)な語り口の老婦人のことを思いだす。広島で実力を発揮している保守派の地方政治家の戦中・戦後の生活と意見を描写する彼女の言葉の、いきいきした辛辣(しんらつ)さの魅力ときたら!」
市民と共産党の国会議員との差も書かれてありました。下「」引用。
「《森滝のところへ警察の人がたずねてきて、いま署長に、共産党の国会議員たちが、平和公園にいる代表バッジなしの連中をひっぱりだしてくれるように要請している、とつたえました。すべて統一を達成するための努力なのかもれしませんが、警察がきた、といって道をあけ拍手する代表たちを見て市民はぞっとしたんです。学生たちのやり方には、のみこめぬところもあるけれども、おたがいにそれほど憎しみを感じるということがやりきれない気がします。」
苦しみのなかにいる老人のことが書かれてありました。
--生活保護をうけ、古ぼけたバラックに「日本聖潔教団広島韓国人基督会」という表札をかかげている老婆のことが書かれてありました。
さらに、小雑誌に書かれてあったことも取り上げられています。下「」引用。
「『ひろしまの河』十号は、自殺もせず発狂もしないで忍耐しながらかれら独自の日常生活をつくりあげている、もっと平均的な三人の原爆孤老にの聞き書きを掲載している。いうまでもなくかれらのもの静かな語り口を支えている異常な忍耐心は、人間一般についてみれば、およそ平均的などとはいえないが。」
--1964年、オリンピックの聖火の最終ランナーが広島の青年に決定。
~平和への聖火・アジア横断リレー~
アメリカ人のジャーナリストが、原爆を思い出させ不愉快だという意見を発表したという。
原爆を思い出させ不愉快になるのは、被爆者なら考えられるが、投下側のアメリカ人がどうして?
ボクは、いくら『原爆神話』などで取り繕ってみても、やはり良心に恥じ入ることだから、そんな愚かな言動をしたのだと思う。
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ライフ誌のことも書かれてありました。下「」引用。
「ライフ誌の記者が、明るい広島という記事を書くべく広島をおとずれたとき、重藤博士はこの青年を紹介し、記者は満足した。青年はそれこそ、明るいヒロシマそのものであったのだろう。」
この青年と恋人のことがモデルとなって映画にもなりました。
【映画】愛と死の記録
青年の恋人が病院の遺址看護婦たちにお礼にやってきたという。
……陶製の一対のシカをお土産にしたという。
この本の良さがサイトに書かれてありました。下「」引用。
『『ヒロシマ・ノート』に一貫するのは、原爆や被爆者をいわゆる狭義の政治目的に従属させようとする平和運動に対する失望と、そうした華やかな舞台の周縁に追いやられている被爆者や原爆医療従事者の声や姿を記述しようとする姿勢であり、そこでなされた多くの人々や記録・証言集などとの真摯な対話こそが、読者に与えた衝撃力であろう。』「朝鮮人被爆者を巡る言説の諸相―一九七〇年前後の光景―」川口隆行より。
9. 大江健三郎金井利博
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大江健三郎・著/岩波書店1965年6刷
この本を入門書のようにいう人もいますが、その当時の総論ではないでしょうか?
あまりにもいろいろなことが書かれてあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/fb/6bc1c12e74c9b88f1e82da4760648e56.jpg)
挿絵のキャプションに「爆心地の話しをつたえてくれる人は、いません」と書かれてありました。
--当時も伝える人はおられたかとボクは思いますが……。ネットを見てもたくさんあります。
ただ、もっとYouTubeにあってもいいのではないかとは思います。
『ひろしまの河』という小雑誌について書かれあります。下「」引用。
「『ひろしまの河』にそのような眼のふたりの老婦人の証言がある。《あの病気は、はたで見ているのが辛い酷い病気です。殊に娘は、生まれて間もない真美子のために、どうしても生きたいと一所懸命でした。しかし助かりませんでした。それだけではありません。奈々子が死んだあとに私は二十六歳になるヒロミという息子が残っておりますが、手と頭にケロイドがあって、そのため結婚もできず、何度か自殺をはかりました》。」
ほかのところでも書かれてありました。下「」引用。
「広島のモラリストたちのことを考えるたびに僕はまず、すばらしい小雑誌『ひろしまの河』を発行している広島母の会の中心メンバーのひとりである、なんとも豪胆(ごうたん)な語り口の老婦人のことを思いだす。広島で実力を発揮している保守派の地方政治家の戦中・戦後の生活と意見を描写する彼女の言葉の、いきいきした辛辣(しんらつ)さの魅力ときたら!」
市民と共産党の国会議員との差も書かれてありました。下「」引用。
「《森滝のところへ警察の人がたずねてきて、いま署長に、共産党の国会議員たちが、平和公園にいる代表バッジなしの連中をひっぱりだしてくれるように要請している、とつたえました。すべて統一を達成するための努力なのかもれしませんが、警察がきた、といって道をあけ拍手する代表たちを見て市民はぞっとしたんです。学生たちのやり方には、のみこめぬところもあるけれども、おたがいにそれほど憎しみを感じるということがやりきれない気がします。」
苦しみのなかにいる老人のことが書かれてありました。
--生活保護をうけ、古ぼけたバラックに「日本聖潔教団広島韓国人基督会」という表札をかかげている老婆のことが書かれてありました。
さらに、小雑誌に書かれてあったことも取り上げられています。下「」引用。
「『ひろしまの河』十号は、自殺もせず発狂もしないで忍耐しながらかれら独自の日常生活をつくりあげている、もっと平均的な三人の原爆孤老にの聞き書きを掲載している。いうまでもなくかれらのもの静かな語り口を支えている異常な忍耐心は、人間一般についてみれば、およそ平均的などとはいえないが。」
--1964年、オリンピックの聖火の最終ランナーが広島の青年に決定。
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アメリカ人のジャーナリストが、原爆を思い出させ不愉快だという意見を発表したという。
原爆を思い出させ不愉快になるのは、被爆者なら考えられるが、投下側のアメリカ人がどうして?
ボクは、いくら『原爆神話』などで取り繕ってみても、やはり良心に恥じ入ることだから、そんな愚かな言動をしたのだと思う。
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ライフ誌のことも書かれてありました。下「」引用。
「ライフ誌の記者が、明るい広島という記事を書くべく広島をおとずれたとき、重藤博士はこの青年を紹介し、記者は満足した。青年はそれこそ、明るいヒロシマそのものであったのだろう。」
この青年と恋人のことがモデルとなって映画にもなりました。
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青年の恋人が病院の遺址看護婦たちにお礼にやってきたという。
……陶製の一対のシカをお土産にしたという。
この本の良さがサイトに書かれてありました。下「」引用。
『『ヒロシマ・ノート』に一貫するのは、原爆や被爆者をいわゆる狭義の政治目的に従属させようとする平和運動に対する失望と、そうした華やかな舞台の周縁に追いやられている被爆者や原爆医療従事者の声や姿を記述しようとする姿勢であり、そこでなされた多くの人々や記録・証言集などとの真摯な対話こそが、読者に与えた衝撃力であろう。』「朝鮮人被爆者を巡る言説の諸相―一九七〇年前後の光景―」川口隆行より。
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