『南京の真実 The diary of John Rabe』
ジョン・ラーベ(著)/エルヴィン・ヴィッケルト(編)/
平野卿子(訳)/講談社1997年
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「ジョン・H・ラーベ
1882年ハンブルク生まれ。1911年にドイツの世界的コンツェルン、ジーメンス社に入社。ナチ党員。日中戦争が深刻化し、首都南京が陥落したとき統治の支社長だった。日本軍占領下の南京で、国際安全委員会の代表となって中国人を救おうと奔走する。また、その時の状況を詳細な日記に記していた。1950年、ベルリンにて死去。」
第一次大戦中も残ったという……。下「」引用。
「第一次世界大戦中の一九一七年(英仏を中心とした)協商国家の圧力により、中国はドイツに宣戦を布告したが、彼はそのままとどまった。たとえ戦争中であっても、ジーメンスが中国の役に立つことを中国側に納得させることができたのである。中国ではこういうことが可能だったのだ。」
気高い人間性だったという……。
ナチに入党。下「」引用。
「娘はとうに学業を終えていたし、息子は南ドイツの寄宿学校へやっていた。この学校の理事長として教師や運営資金をドイツ当局や党に仰がなければならなかったため、彼はこの年ナチ党(国家社会主義ドイツ労働党)に入党した。」
日本人からも尊敬されていたという。下「」引用。
「ラーベは友人たちに高く評価され、中国人からは聖人のように崇められた。また、その不当な侵害に対して抵抗し続けたにもかかわらず、日本人からも尊敬されていた。それでいてなお、謙虚さを失わなかった。だが、ひとたび不正な行為に接するや、たちまち日頃の柔和さ、謙虚さを忘れた。女性を暴行しようとしている兵士を見ると、激しい怒りにとらえられ、ドイツ語でどなりつけ、ハーケンクロイツ(鉤十字。ナチ党の印)を相手の鼻先につきつけ、首根っこを押さえて外にほうりだした。-略-」
毒ガス攻撃。下「」引用。
「日本人が毒ガスを使っているとの噂しきり。地元の新聞が伝えるところによると、すでにここの病院にガス中毒の中国人兵士たちが運ばれてきているという。
みな毒ガスをひどくこわがっている。南京の一般市民はガスマスクを持っていなかったからだ。マスクに酢などの液体を染みこませるよう支持されたが、これはしょせん一時しのぎにすぎず、いざというときにまったく役に立たない。」
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ユダヤ人差別。下「」引用。
「この会社の運転手たちは、ドイツ人だといっているが、本当は失業中のユダヤ人だ。やつらは運転はまずいぶん、金儲けはうまいときている。運賃は一人七十五ドル。とくに態度が悪かった運転手から、大使館はドイツのハーケンクロイツ旗をとりあげる考えだ。ユダヤ人にはこれを持ち歩く資格はない。」
命乞い……。下「」引用。
「ほっとして本部にもどると、恐ろしい知らせが待っていた。さっきの部隊が戻ってきて、今度は千三百人も捕まえたというのだ。スマイスとミルズと私の三人でなんとかして助けようしたが聞き入れられなかった。およそ百人の武装した日本兵に取り囲まれ、とうとう連れていかれてしまった。射殺されたにちがいない。-略-人々が獣のように追い立てられていくのを見るのは身を切られるようにつらい。だが、中国軍のほうも、済南で日本人捕虜を二千人射殺したという話だ。」
銃殺。 下「」引用。
「たったいま聞いたところによると、武装解除した中国人兵士がまた数百人、安全区から連れ出され、銃殺されたという。そのうち、五十人は安全区の警察官だった。兵士を安全区に入れたというかどで処刑されたという。」
ミニー・ヴォートリン……。下「」引用。
「ミス・ミニ・ヴォートリン。実はこの人について個人的にはありよく知らないのだが、アメリカ人で、金陵女子文理学院の教授らしい。大変きまじめな女性で、自分の大学に男性の難民を収容するときいて、びっくり仰天して反対したそうだ。最終的には、男女別々のフロアにするからという条件で承諾した。
ところで、この人に恐ろしい事件が起こった! 彼女は自分を庇護する娘たちを信じて、めんどりがひなを抱くようにして大切に守っていた。日本兵の横暴がとくにひどかったころ、私はミニをじかに見たことがある。四百人近くの女性難民の先頭に立って収容所となっている大学につれていくところだった。」
売春宿。 下「」引用。
「さて、日本当局は、兵隊用の売春宿を作ろうというとんでもないことを思いついた。何百人もの娘でいいっぱいのホールになだれこんでくる男たちを、恐怖のあまり、ミニは両手を組み合わせて見ていた。一人だって引き渡すもんですか。それくらいならこの場で死んだほうがましだわ。ところが、そこへ唖然とするようなことが起きた。我々がよく知っている、上品な紅卍字会のメンバーが(彼がそんな社会の暗部に通じているとは思いも寄らなかったが)、なみいる娘たちに二言三言やさしく話しかけた。すると、驚いたことに、かなりの数の娘たちが進み出たのだ。売春婦だったらしく、新しい売春宿で働かされるのをちっとも苦にしていないようだった。ミニは言葉を失った。」
労働をひどい条件で強いる日本。
一万人を救ったラーベ。下「」引用。
「ラーベ氏の率いる委員会はアメリカ人と力を合わせてめざましい成果を上げた。一万人の命を救ったといっても、過言ではない。」
敬意をミニ・ヴォートリンに。下「」引用。
「食べものが乏しいなかで、アメリカ人の友人が次々と送別会を開いてくれるのに感激している。いまミニ・ヴォートリンさんが来て、別れの茶会に招待してくれた。南京が最悪の状態だつた昨年十二月、女性の難民を四百人ひきつれて、金陵女子文理学院に避難させた女性だ。あれをみて以来、私はこの人に深い敬意を抱いている。」
ヒトラーは平和の使者。そう思っていたラーベ。
ナチ党員が人を助けたと、驚いた『ニューヨーク・タイムズ』。
ウィルソン、ラーべの感想。下「」引用。
「この数週間、彼と親しくつきあってみて、いかに素晴らしい人かがよくわかった。これほどの人物はなかなかいないだろう。それを思うにつけ、彼の人柄とヒトラー讃美がどうしても結びつかない」
インテリではないラーベ。下「」引用。
「立派な人間でありながらナチだった人間は、インテリではない。なぜなら、ヒトラーを見ぬけなかったからだ。
ジョン・ラーベはこの第三のグループに属していた。」
その論理が正しいのなら、日本では、大学教授などもインテリじゃないのでは?
日本民族について、ラーベ。下「」引用。
「すべての国民に善良な要素と悪質な要素があり、立派な人間と犯罪者がいる。戦争になると、残念ながら犯罪性が表面に現れてくるものなのだ」(『忘れないために』という題の、子孫のために書かれた短い原稿より)」
なぜ惨事が発生したのか。下「」引用。
「一つは、日本軍の体質に求めるものである。もともと日本軍は、天皇の統帥権の独立による自己絶対化の傾向が強く、国際法や人権を無視する体質があるという。捕虜は殺害するように上層部からの指令されており、また兵士を監視する憲兵がほとんど配置されておらず、性的暴行を押しとどめることは不可能であった、と主張する。
もう一つは、上海戦から南京戦への特殊性を強調するものがある。日本兵は簡単に陥落するとタカをくくって上海に上陸したが、上海での中国軍の抵抗は予想に反して強力であり、三ヵ月の長期戦に日本兵は消耗していた。加えて、上海戦の終結で帰国できると思っていた兵士は、さらに南京進軍を命令され、肉体的にも精神的にも異常な状態であったというものである。
最後は、どんな戦争にもつきものの、激戦の結果生じる極限状態のもとで発生する兵士の暴走というものである。-略-」
南京大虐殺を描いた『ジョン・ラーベ』、日本で上映禁止
公式ホームページ
ドイツ映画「ジョン・ラーベ」を日本で上映すべきだ
日本は戦後も変わってませんね……。
【2010年8月22日】
しかし、ネットはありますね……。
【YouTube】
【映画】拉貝日記 ジョン・ラーベの日記
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ジョン・ラーベ(著)/エルヴィン・ヴィッケルト(編)/
平野卿子(訳)/講談社1997年
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「ジョン・H・ラーベ
1882年ハンブルク生まれ。1911年にドイツの世界的コンツェルン、ジーメンス社に入社。ナチ党員。日中戦争が深刻化し、首都南京が陥落したとき統治の支社長だった。日本軍占領下の南京で、国際安全委員会の代表となって中国人を救おうと奔走する。また、その時の状況を詳細な日記に記していた。1950年、ベルリンにて死去。」
第一次大戦中も残ったという……。下「」引用。
「第一次世界大戦中の一九一七年(英仏を中心とした)協商国家の圧力により、中国はドイツに宣戦を布告したが、彼はそのままとどまった。たとえ戦争中であっても、ジーメンスが中国の役に立つことを中国側に納得させることができたのである。中国ではこういうことが可能だったのだ。」
気高い人間性だったという……。
ナチに入党。下「」引用。
「娘はとうに学業を終えていたし、息子は南ドイツの寄宿学校へやっていた。この学校の理事長として教師や運営資金をドイツ当局や党に仰がなければならなかったため、彼はこの年ナチ党(国家社会主義ドイツ労働党)に入党した。」
日本人からも尊敬されていたという。下「」引用。
「ラーベは友人たちに高く評価され、中国人からは聖人のように崇められた。また、その不当な侵害に対して抵抗し続けたにもかかわらず、日本人からも尊敬されていた。それでいてなお、謙虚さを失わなかった。だが、ひとたび不正な行為に接するや、たちまち日頃の柔和さ、謙虚さを忘れた。女性を暴行しようとしている兵士を見ると、激しい怒りにとらえられ、ドイツ語でどなりつけ、ハーケンクロイツ(鉤十字。ナチ党の印)を相手の鼻先につきつけ、首根っこを押さえて外にほうりだした。-略-」
毒ガス攻撃。下「」引用。
「日本人が毒ガスを使っているとの噂しきり。地元の新聞が伝えるところによると、すでにここの病院にガス中毒の中国人兵士たちが運ばれてきているという。
みな毒ガスをひどくこわがっている。南京の一般市民はガスマスクを持っていなかったからだ。マスクに酢などの液体を染みこませるよう支持されたが、これはしょせん一時しのぎにすぎず、いざというときにまったく役に立たない。」
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ユダヤ人差別。下「」引用。
「この会社の運転手たちは、ドイツ人だといっているが、本当は失業中のユダヤ人だ。やつらは運転はまずいぶん、金儲けはうまいときている。運賃は一人七十五ドル。とくに態度が悪かった運転手から、大使館はドイツのハーケンクロイツ旗をとりあげる考えだ。ユダヤ人にはこれを持ち歩く資格はない。」
命乞い……。下「」引用。
「ほっとして本部にもどると、恐ろしい知らせが待っていた。さっきの部隊が戻ってきて、今度は千三百人も捕まえたというのだ。スマイスとミルズと私の三人でなんとかして助けようしたが聞き入れられなかった。およそ百人の武装した日本兵に取り囲まれ、とうとう連れていかれてしまった。射殺されたにちがいない。-略-人々が獣のように追い立てられていくのを見るのは身を切られるようにつらい。だが、中国軍のほうも、済南で日本人捕虜を二千人射殺したという話だ。」
銃殺。 下「」引用。
「たったいま聞いたところによると、武装解除した中国人兵士がまた数百人、安全区から連れ出され、銃殺されたという。そのうち、五十人は安全区の警察官だった。兵士を安全区に入れたというかどで処刑されたという。」
ミニー・ヴォートリン……。下「」引用。
「ミス・ミニ・ヴォートリン。実はこの人について個人的にはありよく知らないのだが、アメリカ人で、金陵女子文理学院の教授らしい。大変きまじめな女性で、自分の大学に男性の難民を収容するときいて、びっくり仰天して反対したそうだ。最終的には、男女別々のフロアにするからという条件で承諾した。
ところで、この人に恐ろしい事件が起こった! 彼女は自分を庇護する娘たちを信じて、めんどりがひなを抱くようにして大切に守っていた。日本兵の横暴がとくにひどかったころ、私はミニをじかに見たことがある。四百人近くの女性難民の先頭に立って収容所となっている大学につれていくところだった。」
売春宿。 下「」引用。
「さて、日本当局は、兵隊用の売春宿を作ろうというとんでもないことを思いついた。何百人もの娘でいいっぱいのホールになだれこんでくる男たちを、恐怖のあまり、ミニは両手を組み合わせて見ていた。一人だって引き渡すもんですか。それくらいならこの場で死んだほうがましだわ。ところが、そこへ唖然とするようなことが起きた。我々がよく知っている、上品な紅卍字会のメンバーが(彼がそんな社会の暗部に通じているとは思いも寄らなかったが)、なみいる娘たちに二言三言やさしく話しかけた。すると、驚いたことに、かなりの数の娘たちが進み出たのだ。売春婦だったらしく、新しい売春宿で働かされるのをちっとも苦にしていないようだった。ミニは言葉を失った。」
労働をひどい条件で強いる日本。
一万人を救ったラーベ。下「」引用。
「ラーベ氏の率いる委員会はアメリカ人と力を合わせてめざましい成果を上げた。一万人の命を救ったといっても、過言ではない。」
敬意をミニ・ヴォートリンに。下「」引用。
「食べものが乏しいなかで、アメリカ人の友人が次々と送別会を開いてくれるのに感激している。いまミニ・ヴォートリンさんが来て、別れの茶会に招待してくれた。南京が最悪の状態だつた昨年十二月、女性の難民を四百人ひきつれて、金陵女子文理学院に避難させた女性だ。あれをみて以来、私はこの人に深い敬意を抱いている。」
ヒトラーは平和の使者。そう思っていたラーベ。
ナチ党員が人を助けたと、驚いた『ニューヨーク・タイムズ』。
ウィルソン、ラーべの感想。下「」引用。
「この数週間、彼と親しくつきあってみて、いかに素晴らしい人かがよくわかった。これほどの人物はなかなかいないだろう。それを思うにつけ、彼の人柄とヒトラー讃美がどうしても結びつかない」
インテリではないラーベ。下「」引用。
「立派な人間でありながらナチだった人間は、インテリではない。なぜなら、ヒトラーを見ぬけなかったからだ。
ジョン・ラーベはこの第三のグループに属していた。」
その論理が正しいのなら、日本では、大学教授などもインテリじゃないのでは?
日本民族について、ラーベ。下「」引用。
「すべての国民に善良な要素と悪質な要素があり、立派な人間と犯罪者がいる。戦争になると、残念ながら犯罪性が表面に現れてくるものなのだ」(『忘れないために』という題の、子孫のために書かれた短い原稿より)」
なぜ惨事が発生したのか。下「」引用。
「一つは、日本軍の体質に求めるものである。もともと日本軍は、天皇の統帥権の独立による自己絶対化の傾向が強く、国際法や人権を無視する体質があるという。捕虜は殺害するように上層部からの指令されており、また兵士を監視する憲兵がほとんど配置されておらず、性的暴行を押しとどめることは不可能であった、と主張する。
もう一つは、上海戦から南京戦への特殊性を強調するものがある。日本兵は簡単に陥落するとタカをくくって上海に上陸したが、上海での中国軍の抵抗は予想に反して強力であり、三ヵ月の長期戦に日本兵は消耗していた。加えて、上海戦の終結で帰国できると思っていた兵士は、さらに南京進軍を命令され、肉体的にも精神的にも異常な状態であったというものである。
最後は、どんな戦争にもつきものの、激戦の結果生じる極限状態のもとで発生する兵士の暴走というものである。-略-」
南京大虐殺を描いた『ジョン・ラーベ』、日本で上映禁止
公式ホームページ
ドイツ映画「ジョン・ラーベ」を日本で上映すべきだ
日本は戦後も変わってませんね……。
【2010年8月22日】
しかし、ネットはありますね……。
【YouTube】
【映画】拉貝日記 ジョン・ラーベの日記
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