磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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生きている20年の傷痕 ヒロシマ・愛と死

2008年03月07日 | 読書日記など
『生きている20年の傷痕 ヒロシマ・愛と死』
   竹内達・著/芸文社1965年

いろいろなことが書かれあります。それは社会問題といっていいものだとボクは思います。映画のモデルとなった人たちのことも書かれてありました。著者は雑誌記者。



本文のはじめ。下「」引用。

「プロローグ--戦争はまだ終っていない
ひとりの少女の死
 瀬戸内海は、すでに黄昏れていた。赤い夕陽に映える、その瀬戸の海を見おろしながら、ぼくはくしゃくしゃになった一枚の新聞の切り抜きをとりだしていた。東京をでるとき、ぼくの関係する雑誌社のデスクが渡してくれたものだ。
「胎内被爆を苦に自殺--戦後二十年目をむかえた広島の悲劇……」
 --成人式を前に、胎内被爆を苦にして自殺した一人の少女の死を報じる短い記事である。ぼくは、そのニュースを追って、生まれてはじめて“原爆の町ヒロシマ”に向かっていたのだ。」

原爆病院の重藤院長の言葉。下「」引用。

「「白血病だけが原爆症と思ったらとんだまちがいだ。最近は癌が多い。もちろん、被爆者の死因だ。正しくいえば、白血病も原爆症のひとつで、これだけが厚生省で原爆病と認めているやつ、ということだろう。そして、これにかかったらもうおしまいなのだ。自殺した彼女の場合は、白血病でも癌でもない。だが、原爆病にまちがいない。原爆病院の重藤院長の言葉をかりれば、“精神的原爆症”という名の原爆病なのだ--」」

「広島祭」と『折鶴の会』
--ふたつのことが対比して表現されていた。下「」引用。

「広島祭と二つの柩
 一九六五年四月四日--この日、広島市は、恒例の『広島祭り』でにぎわっていた。広島市の銀座通りともいわれる高橋商店街や、流川の繁華街は、くりだした見物客でごったがえし、その中をねり歩く、山県郡豊平町婦人田楽団の田倉踊りを、外人観光客はめずらしそうにカメラにおさめていた。
 しかし、そこに集っていた人たちの中で“銀座通り”のすぐ裏の寺で、小さな供養が営まれいたのに気づいた人はいなかったにちがいない、その寺で五カ月前に原爆病で死んだ二十四歳の青年と、その青年の後を追って自殺した彼の婚約者松尾勝江さん(20)の供養が営まれ、その二人の遺骨が埋められた墓の前で、『広島折鶴の会』の少年少女たちかが『原爆許すまじ』の歌を歌っていたこと、その歌をききながら、故人の姉にあたる二人の若い女性--青年の姉K子さん(30)と松尾さんの姉池本弘子さん(31)が狂おしく動哭していたことを。」

ここでも、『折り鶴の会』はヒューマンな行動をとっている……。

もくじ

そして美談といわれた後追い自殺。
しかし、それは美談というよりも、不条理といっていいのではないか?

この二人がモデルとなって、映画がつくられた。

【映画】愛と死の記録

幸せだった時の日記。下「」引用。

「昭和三十九年五月五日-婚約の約束
 何から書こうか、書くことがいっぱいあって、迷ってしまう。
 今、私ほど幸福な女がいるかしら。嬉しくて、うきうきして、自然とはしゃいでしまう。」




「1 奇病と闘う盲目の娘の生きる道」
--その人は、小雑誌『ひろしまの河』第九号に詩を書いた。

--キリンビール勤務の被爆者は、バーバラの平和巡礼に参加。

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会社は参加を好意的に就業規則まで変えてくれたという。

原爆のことも書かれてありました。

原爆孤児を収容した似島学園は、陸軍あかつき部隊の兵器庫の跡に建てられたという。








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