龍の声

龍の声は、天の声

「勝海舟とは、」

2018-10-07 07:23:10 | 日本

勝 海舟(かつ かいしゅう)文政6年1月30日〈1823年3月12日〉~明治32年〈1899年〉1月19日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の武士(幕臣)、政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。 山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。
江戸時代末期から明治維新に至る時代を語る時、必ず登場するのが勝海舟である。海舟は、次の世代を担う若者を育てただけでなく、日本の将来を正確に把握して徳川幕府から明治政府への橋渡しの役を果たし、徳川幕府と明治政府で日本の近代化のために努力した。
 
海舟は1823年江戸の下町で貧乏な旗本の家に生まれた。12才の時から剣術の修行を、19才の時から禅の修行をして体と精神を鍛えた。その後オランダの兵学を勉強するため蘭学を学び、日本と比較して西洋の文化、文明が如何に進歩しているかよく認識していた。
   
1853年ペリーが4隻の黒船で江戸湾に来て、開国を求めた時、徳川幕府はどうしていいか分からずに、諸藩や幕臣に意見を求めた。その時、鎖国や当時の身分制度はナンセンスと考えていた海舟は、人材を登用すべきだ、西洋諸国と貿易をしてその利益を国防の費用にすべきだ、など進歩的な意見を述べて注目されるようになった。海舟の人材を登用すべきだという意見が幕府に採用されて、ペリ-来航の2年後に「長崎海軍伝習所」という海軍の士官を養成する洋式海軍兵学校が作られ、海舟はそこでオランダ人教師から訓練を受けて、後にいろいろな学科を教える士官になり、他の日本人に航海術や兵学を教え始めた。海舟の働きによって、その後海軍が作られ、幕府の軍事力が強化された。海舟は日本海軍の創始者と言ってもいい。
   
1860年幕府は、2年前に結ばれた日米通商条約を批准するために代表をアメリカに送ったが、その時アメリカのポ-ハタン号という軍艦と一緒に日本の咸臨丸という船も行った。その船には、福沢諭吉やジョン・万次郎なども乗っていたが、海舟は艦長として同行した。日本の船が自力で外国に行ったのはこの時が最初であった。
   
海舟は幕府に仕えたが、幕府関係者以外の人物にもきさくに応対した。1862年坂本竜馬が海舟を切ろうと思って海舟の家を訪ねた。海舟は、開国して貿易を始め日本の国力を強める必要がある、西洋諸国と対等に接するために海軍力を強化すべきだ、幕府や藩という小さい世界から日本全体を一つの国として見る広い視野を持つ必要がある、ということを強調した。その時以来竜馬は海舟に弟子入りして、海舟の右腕となって海舟が幕臣のためにできないことをするようになった。
   
また、1864年海舟は薩摩藩の西郷隆盛と会見したが、隆盛が大物であることを即座に見抜いて、幕府が日本国中を統一する力がないこと、これからは幕府と諸藩が協力して新しい日本を作って行かなくてはいけないことを強調した。この2人が明治維新の際江戸が焦土と化すのを防いだのは有名な話である。海舟が坂本竜馬、西郷隆盛という明治維新の立て役者を発掘し、育てたと言っても言い過ぎではない。
   
明治維新までの海舟の偉大なところは幕臣でありながら、広い視野を持って日本の近代化のために努力したことであろう。普通幕臣は徳川幕府の力を温存、強化することだけを考えたが、海舟は西洋諸国と比較して日本の国力がないことを認識していて、徳川幕府には日本を一つの国家として統一させる力がない、幕府と諸藩が一つになって日本という国家を作る必要がある、ということをよく認識していた。そのために犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩を一緒にさせる薩長連合の秘策を竜馬に授けたり、第二次長州征伐の後幕府の使者として長州へ行ったり、徳川幕府最後の将軍の徳川慶喜に将来の日本をどうすべきか意見を述べたりした。

1967年10月14日徳川慶喜が大政奉還をして政権を天皇に返上したが、薩摩藩と長州藩を中心とした勢力は徳川幕府を徹底的に破壊しようとした。幕府の海軍を利用して新しく出来た天皇中心の政権を破ることは可能だったが、そのようなことになれば欧米諸国が中国でしたように日本を武力で略奪する恐れがあったので、海舟は徳川慶喜に新しい政府に逆らわずに天皇に従う意志を明らかにすべきだと進言し受け入れられた。西郷隆盛が京都から武力を持って江戸に近付いて、江戸が焦土と化す直前に海舟は西郷隆盛と会見して、大戦争が起こるのを未然に防いだ。
   
1868年明治政府が出来た後政府は海舟が如何に重要な人物であるか理解していたので、彼に何度も政府の一員になって日本のために活躍してくれるように要請した。海舟は、日本を西欧諸国と同じレベルまで引き上げるために海軍関係の重要な仕事をして、日本の近代化に大いに貢献した。日本の近代化のために活躍した人物は数多く存在するが、世界の中の日本という広い視野を持って日本の将来を考えたという点から言うと、勝海舟は日本政治史で坂本竜馬と共に傑出した人物だと言えるだろう。








最新の画像もっと見る