龍の声

龍の声は、天の声

「ヨハネの黙示録と最後の審判」

2015-11-23 09:54:02 | 日本

滝沢泰平さん、天下泰平のブログ「ヨハネの黙示録と最後の審判」について、考察する。
以下、要約し記す。



◎6.天の戦い、地における獣の増大、地の刈り入れ(12章-14章)

1.女を見た。太陽を着て、月を踏み、12の星をかぶる(12:1-6)
2.天で戦いが起こった。サタンが地に投げ落とされる(12:7-12)
3.赤い竜が神の民を迫害する(12:13-17)
4.獣が神の民と戦うために海の中から上ってくる。いのちの書に名が記されていないものはこれを拝む(13:1-10)
5.獣が地から上ってくる。獣の刻印を付ける (13:11-18)
6.エルサレムのシオンの山の子羊(14:1-5)
7.三人の天使が裁きを宣言する(14:6-13)
8.鎌が地に投げ入れられる(14:14-20)


◎ヨハネの黙示録(第12章)

【また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。

この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。
また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍(りゅう)がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。

その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。

女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座(みざ)のところに、引き上げられた。

女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。

さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使(みつかい)たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。

この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。

その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、

「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。
われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は投げ落された。

兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。

それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。

しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。

悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。

龍(りゅう)は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を生んだ女を追いかけた。
しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。

へびは女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。
しかし、地は女を助けた。すなわち、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。

龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。
そして、海の砂の上に立った。】


※泰平
ヨハネの黙示録の12章は、女性と太陽と月、それに赤い龍などが登場するが、これは2015年10月の天体の配置図を表現した内容であり、人間の女性の影を今月の天体図に貼り付け、太陽や月の位置、また火星や龍座の位置などを照らし合わせると12章の物語の謎が少し解けるようである。

そうすると、今は聖書の最終章であるヨハネの黙示録のちょうど中間地点までやって来ているわけであり、最後の審判の前に聞こえる有名な『天使のラッパ』が鳴り響く時期もすでに終わったことになる。

この天使のラッパは、ヨベルの年の「大贖罪日(9/23)」の聖なる日に吹かれるラッパであるとも考えられていたが、実はこの辺の時期には、イスラエルにいなくとも、不思議と“ラッパ”の音を聞いている人がいたようである。

それは現実的に楽器のラッパの音を聞いたわけではなく、別次元から聴こえてくるラッパの音であり、まるで耳鳴りのような音が一定時間消えずに聴こえてくるような現象が各地で起こっていたようである。

これは、目に見えない世界やエネルギーなどに敏感に反応する人々が同じ音を聞いていたことからも、単なる幻聴や耳鳴りではなく、どうやら“この世界の周波数が変化している音”である可能性があり、いわゆる次元上昇と言われる現象が実際に起こり始めているように思える。

つまり、黙示録における「天使のラッパ」とは、この世界を構成している周波数が変化する音であり、微細で高周波なエネルギー空間へと地球自体が変化していて、その中で人々の周波数も変化しているのだと思う。

この世界そのものが高次元へとシフトしていくと、その過程においては低次元の存在は淘汰されていく可能性があり、そういった意味で旧時代、旧世界の産物の中には崩壊するものが出てくるのかもしれない。

もちろん、聖書を含めたあらゆる予言の中には、その旧時代の産物の中に“人類”も入っており、人々も魂を磨いて周波数を変化させないと、変化の波についていけずに淘汰される「最後の審判」が警告されている。日月神示などは、その象徴的な予言書かもしれない。


◎「日月神示」(上つ巻第一帖)

「富士は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる。仏もキリストも何も彼もはっきり助けて、しち難しい御苦労のない代が来るから、みたまを不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。

いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ。日本はお土が上がる、外国はお土が下がる。都の大洗濯、鄙(田舎)の大洗濯、人のお洗濯。今度はどうもこらへてくれというところまで、後へひかぬから、そのつもりでかかって来い。神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。

嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る。神は神の国、神の力でないと何にも成就せん。人の力で何が出来たか、みな神がさしているのだ。いつでも神かかれるように、綺麗に洗濯しておりてくれよ。戦は今年中と言っているが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理がわからぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。

己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うているとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。神が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり。口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)というぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。六月の十日、ひつくのかみ。」


※泰平
ということで、この秋から来年以降にかけて黙示録も後半へと入るわけだが、次の7番目の物語は《7.最後の七つの災い 神の怒りが極みに達する(15章-16章)》という天災・人災などのオンパレードとなっている。

個人的には「4.第四の鉢:人間が太陽の火で焼かれる。それでも神を冒涜し、悔い改めない(16:8-9)」と出てくる“太陽の火”は、原発や原爆を象徴しているような気がしており、まだこの先にも原発事故や核戦争が起こりそうな予感を感じさせる。

その次の《8.大淫婦の裁きとバビロンの滅亡(17章-18章)》に出てくる“バビロン”とは、今の世界を支配する都(国)とも言われており、これはアメリカなのか、バチカンなのか、はたまたそれ以外の陰の都なのかわかりませんが、これまで世界を牛耳っていた中枢地域が滅亡することが予言されている。

とはいえ、これらは割とストレートに黙示録を解釈したものであり、黙示録に隠された暗号は何通りもあって奥が深いものだとは思うが、1つの参考としては興味深い見解だとは思う。

実際は、あと1年で最後の審判も起こって黙示録が終わり、救世主の到来と共に聖書の物語が完全に終了するとは思えませんが、これから2020年頃に向けての数年の間は新時代への切り替えのため、様々な面で大きな変化が生まれる時期が続いていくように思える。

その過程において、経済の仕組みが少しずつ変わったり、宗教が1つに統合されていく、また国境や人種というあり方も変化していくと思うが、その中で日本の役割というものが大事な時期に入ってくるとも思う。










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