龍の声

龍の声は、天の声

「撃墜王 坂井三郎の心に残る名言」

2016-04-25 09:52:33 | 日本

◎「零戦の秘術」の本より抜粋

物事すべて、苦労は先にしろ。みんな、何とかの知恵はあとから出ると言って、そのときになってから行き当たりばったりでは駄目で、結局、真剣勝負というのは先手必勝なんです。先手を取るにはどうすればいいか。敵に先んじて敵を発見する。

それには、普段から目を大事にし、常に目を愛護し、目を鍛え、最後には昼間の星を見ましたから、そのくらい視力を鍛えていました。


相手にとっては奇襲で、こっちに言わせれば先手を取った。

急速に強くなるやつって、何か共通した雰囲気みたいのがある。戦闘パイロットの勝負師の世界では、不言実行は駄目。みんな有言実行型。それでなければ、実践場の体験場において部下がついていかない。

人間というものは、日頃鍛えたおのれの戦力を信じて、どんな苦しいことがあっても、投げずに、捨てずに、諦めずに、最後の最後まで粘って粘って、粘る者にのみ、神様は生き抜く力と勝利への道を開いてくださると、いまでも私は信じている。






◎「撃墜王 坂井三郎の心に残る名言」



何でも同じで、辛いと思った時、そこを踏み越えなければ勝てない。生理的にも精神的にもこうした訓練をやって、非常に辛い時にも、まだ余裕があるということを発見した。


もう駄目になったのかと、自信がなくなる時に出撃するとロクなことはない。こうなるのは、何か精神的に患いがあるとか、肉体的に何か故障がある時が多い。

・乱戦になったら敵の動きを見て、先の先を読め。目先有利で敵を仕留めても、次に自分がやられては何にもならない。

・相手が何機であろうと、ある瞬間に自分を攻撃できるのは一機だけ。その瞬間さえかわしていけば何とかなる。

・連続攻撃を受けて敵機の弾丸を一度かわし得たら、どんなに苦しくても方法は変えないこと。苦しくなると何か他の方法がよいのではないかと考え出す。他の方法に変えた時にやられる。それまで成功していることを繰り返せばいい。


格闘戦に入ったら、自分の得意の技に相手を引き込むごとく操縦する。今まで見えなかった相手の尾部が目に入ったら、われ勝てり。自分が苦しい時は、相手はもっと苦しんでいる。そこを乗り切った時に勝利がある。

・勝利をつかむのは、自分の空戦技術と負けじ魂。経験を積んでくると、相手がビビっているのが見えてくる。

・一か八かはヤクザ剣法、常に戦いは理にかなう。無謀は戦術以前の暴挙。命は一つしかない、死んだら次はないと心得よ。


戦争は死ぬことと考えるな。勝ちにきたことを忘れるな。たとえそこで敵機を撃墜できなくても、体験こそ真の学問。死を覚悟することと命を粗末にすることは全く違う」
「相手が変な行動をとったら何かある。気を配れ。

・やられた時、しまったと何度唱えても駄目。最少の被害で食い止め、最良の処置をするように考えよ。


冷静さを取り戻すには、息を吸うより息を吐け。この時、下腹に力を入れ、尻の穴を締めよ。なで肩になれたら満点だ。

・どういう働きをするか見て下さい。守ってくれなどと申しません。神というものがあれば、ご照覧あれ。最善を尽くして自己の任務を果たします。決して勝たしてくれとか敵の弾が当たらないようになどとは願いません。


空中戦闘中に怖いと思ったことは一度もなかった。ただ次の態勢を整える準備のために自分が敵を攻撃しない時、後ろから来る弾は正直怖かった。何回弾をくぐっても、あの怖さだけは乗り切れなかった。

・敵機に対した時、その中に乗っている人の顔を見れば、敵という感じよりも、彼もまた同じ飛行機乗りだという親愛感が強く出てきて、その人間に対する憎しみの出てこないのも不思議な心理。


出血多量になったとき、自分では意識しなくても生命が惜しい。その潜在している生命を守る本能が必死になって最後の力を出して闘ってくれた。

・撃の方法も研究に研究を重ねたが、逃げる方法にも研究を怠らなかった。

・軍隊の組織が持つ不条理さは、同じ人間であるはずの人間が、指揮官という立場に立つと、まるで将棋の駒を動かすように、他の人間の生命を無造作に死に投げ込む。


お互い搭乗員になった瞬間から生命は棄てている。飛行機乗りはその点諦めがいい。諦め切ってしまうと朗らかになる。まるで子供のように無邪気にふざけ合う。

・今の今までの硫黄島の激しい苦しい戦闘の中から、いきなり内地に放り出されて、その空気に馴染めなかった。同時に、命からがら戦場を脱出してきた我々に、人々は何らの興味も関心も持っていない。まことに不思議なギャップ。遠隔とはこういうものか。


『自爆なんぞ俺れが許さん!右手がやられたなら左手で戦え両手をやられたなら口で操縦桿をくわえて帰ってこい最後まで絶対に諦めるな!。


◎日本の撃墜王にまつわる感動のエピソード

坂井三郎と聞けば、少し戦記に詳しい人ならああ零戦のエースだなと思い出すはず。事実、坂井三郎の著書「大空のサムライ」は54年に出版され、100万部以上の世界的ベストセラーとなった。彼の名はサムライ・サカイとして世界の人々に知られることになり、海外で知られている最も有名な作家の一人でもある。またサムライという言葉をこれほど世界中に知らしめたのも彼の功績だと言えよう。

坂井はパイロットとして零戦に乗って200回以上も出撃し、敵機64機の撃墜スコアーを持つとされるが、戦時中には彼にまつわる興味深いエピソードも少なからず残されている。それらを二つほど紹介することにしよう。

・太平洋戦争が始まってすぐの頃、坂井はオランダ軍の輸送機が飛行しているのを偶然発見したことがあった。輸送機といえど、敵の重要人物が搭乗しているかもしれず、拿捕、もしくは撃墜せよという命令が出ていた。坂井はオランダ軍の輸送機に近づいていった。
「護衛はいないようだな・・・」坂井は周囲に目をくばりながらつぶやいた。 撃墜すべきか警告射撃をすべきか、思案しながら近寄ることにする。用心のため太陽の方角から接近した。近寄ると、機体は陽光にギラギラ輝いている。窓があって多くの顔が自分に向けられているようだ。

坂井はさらに零戦を接近させた。陽光がさしこみ暗い飛行機の内部を照らし出す。窓を通して飛行機の内部がすみずみまで見渡せたなんと機内は負傷者ばかりで、彼らは恐怖でひきつった表情でこちらを凝視しているではないか。

彼らは鬼のような日本軍の戦闘機に飛行機もろとも撃ち落とされるかもしれないと恐怖におののいていたのだ。

窓越しに看護婦らしき女性と5才ほどの少女が抱き合ったままおびえた表情で見つめているのも見えた。

このとき坂井は心の中で自問自答した。「坂井三郎。そうだ、お前は大日本帝国海軍の栄えある戦闘機乗りだ。相手が敵機なら存分に戦いもしよう。しかし負傷者と女子供の乗っている飛行機は敵ではない。お前は敵を見なかった」

坂井は自分のこの言葉に一人うなづくと、女の子と女性そして多くの負傷者たちに軽く手を振り、翼をひるがえして輸送機から離れ、大空の彼方に消えていった。

これは軍紀からすると命令違反であったが、坂井は基地に帰ってからも飛行中に何ら敵らしきものは発見せずと報告しただけであった。この出来事は誰にも知られることもなくこのまま過去の闇に忘れ去られるはずであった。

ところが戦後50年もたってから、この話は多くの人々に知られることとなる。当時その輸送機に乗っていた看護婦だった女性の一人が、偶然、坂井の著書を見て、零戦に描かれたマークから彼がそのときのパイロットだと探しあてたのである。

「私があのとき見た飛行機の胴体にもこれと同じマークがあったわ。私たちの輸送機に近づいたのはこのパイロットにまちがいない」彼女はそう確信すると、国際赤十字を通じて照会を依頼した。するとまもなく事実確認がなされ、坂井だったことが判明した。こうして運命的な出会いは実現することになった。女性は坂井に言ったそうだ。

「あのとき輸送機に乗っていた人々は、ほとんどが負傷者、病人、老人、女性や子供でした。みんなあなたの飛行機を見て悪魔が来たと思いました。でもあなたは笑って手を振って遠ざかっていきました。みんなは歓声をあげてそれこそ抱き合って喜びました。そして全員あなたに心から感謝したのです。あそこにいた人々は、その後、多くの家族を持ちました。あなたは多くの人々の命を救ってくれたんです。かけがえのない命の恩人なのです」

そう言って、女性はあらためて50年前のシーンを思い出すと涙を流して坂井の手をとったという。

死を恐れぬ不屈の戦闘員でありながら、常に命というものを大切にした坂井三郎。彼のとった行為こそ、まさにサムライの真意ではなかったろうか。


・坂井がニューギニアのラエという基地に配属された頃の話。戦局は次第に難しい局面をむかえつつあった。

このラエという基地は地獄といわれたラバウルよりもさらに南にある基地で、当時この場所は日米の最前線に位置していた。対峙するのはポートモレスビーにある連合軍の一大基地で、標高4000メートルのオーエンスタンレー山脈をはさんで向かい合っていた。

当時、連合軍は夜になると、定期便のように爆撃機をくり出し爆弾を落としにやって来た。日本側も夜明けとともに奇襲をかける。こんな必死のつばぜり合いが毎日のように行われていたのである。

いくら歴戦のパイロットぞろいとは言え、補充のきかない日本側は連日の出撃で、少しずつ確実に戦死して戦力が低下していく。今日亡くなったパイロットの御前で手を合わせて冥福を祈っても、ひょっとすれば明日は我が身かもしれないのだ。

坂井は死ぬまでにどうしてもやりたいことがあった。それは敵の上空で僚友たちとはなばなしく編隊宙返りをしてみせることだ。その気持ちはつのるばかりで、今度出撃した際、帰る途中でこっそり抜け出してやろうということになった。

その日は出撃しても敵はたいして出て来なかった。戦闘機隊は爆撃が終わると、護衛しながら帰途につく。これで任務は終わった。坂井はかねてからの計画を実行するために敵地上空にまで戻っていった。まもなく示し合わせたように仲間の機が2機飛んで来るのが見えた。

坂井は同僚の2機で編隊を組んだ。はるか眼下に敵の飛行場がかすかに見える。坂井は大きく息をついた。さあ、やるぞ!操縦桿を力の限り手前に引く。たちまち機体が急上昇していく。すごい荷重だ。目の前でニューギニアのジャングルが、オーエンスタンレーの山々が、紺碧の海が、コバルトブルーの空にとけ込んでグルグルと回転していく。頭の芯がしびれるようだ。振り返ると、2機の零戦も糸でひっぱったかのようにぴったりついてくる。まさにあうんの呼吸とはこのことだ。

坂井の頭の中は澄み切っていた。気持ちは充ち足りていた。ついに念願の敵地での宙返りをやってのけたのだから。

こうして、坂井は二人の僚友たちとともに、敵地上空4千メートルで大きく編隊宙返りをした。

もう一回、さらに一回。大空に大きな飛行機雲の輪が3度描かれた。しかしどうしたことかいつもなら猛烈に打ち上げて来る敵の対空砲火だが一発もない。

僚機が一機近づいて来た。見ると同じくエースとして知られた西沢の操縦する機だ。西沢の目が笑っている。西沢はコクピット越しに右手で大きく輪を描いて見せた。そして下を指さした。

「高度を下げて、今度は敵さんのすぐ上で宙返りをやろうというんだな。よし、やろう!」
茶目っ気のある坂井は西沢のデスチャーをすぐ理解した。こうして太田、西沢の三機でぴったり編隊を組むと今度は、敵のすぐ頭上で見事な宙返りを再び三度繰り返したのであった。

それは苛烈な戦闘の間に起こったさわやかな一コマであった。1942年5月27日、その日ポートモレスビー上空は一片の雲もなくどこまでも青く澄み切っていた。

いつ死ぬかわからない日々に青春を送った彼ら。それからまもなくして、坂井は負傷して内地に帰り、太田はソロモンの海に散り、西沢も終戦直前に惜しくも戦死してしまう運命にあった。何度も大空に描かれた大きな輪。これこそ彼らにとって生きている証でもあったのだ。

そして一方、連合軍もこの快挙に一発の砲火もあげずただただ地上から静観を守っていた。あっぱれ武士道、そして心にくきかな騎士道精神というところであろうか

















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