龍の声

龍の声は、天の声

「川面凡児とは、②」

2020-03-21 22:23:10 | 日本

「川面凡児─禊行を復興させた古神道の大家」


◎奈良朝以来衰退した禊行を復興

「むこう一週間はいかなる異状があっても別に心配に及ばない。禊中の境遇は、他の人からは想像もできないことが多いから」明治四十二年一月十八日夜、川面凡児は神奈川県片瀬海岸で第一回の修禊を開始するに当たり、宿泊していた旅館鈴木屋の主人を呼び、こう語った。川面が弟子の奈雪鉄信とともに片瀬海岸に到着したのは、同日朝のことだった。まず海岸で禊祭を執り行い、鈴木屋の客間の床の間に祭った祭壇の前で夜中まで拝神した。翌十九日早朝、二人は起床すると、白鉢巻に、越中ふんどし、筒袖の白衣、白足袋のいでたちで海岸に出て禊行を行った。砂は凍り、海は荒れていた。日の出を拝み、怒涛の中にわけ入った。岸辺に上がると、富士嵐がヒューヒューと吹き降ろしてきた。禊行開始から四日目の二十二日夜、拝神中の奈雪に異変が起こった。『川面凡児先生伝』を著した金谷眞によると、奈雪は拝神中に突然天狗の襲来を受け、「イーエッ」と雄詰をして追い払った。その日深夜、奈雪は再び天狗の襲来に遭い、はね起きるやドタンバタンと大立ち回りを始めた。「いったい何事だ」。鈴木屋の主人夫妻が障子の外から見ると、「奈雪負けるな、それそこだ」と、川面が頻りに叫んでいる。主人は訳がわからず、恐れ慄きつつ、川面に事情を聞くと「初日に断っておいた通り、別にご心配に及ばぬ。安心しておやすみなさい」と言われ、恐る恐る引き取った。奈雪は翌二十三日朝、まさに半狂乱で修行に励み、全日程を終えた。常識的には考えられないエピソードも含んでいるが、これが歴史に残る川面の第一回の禊行の様子である。禊の起源は、『古事記』にある通り、黄泉の国から生還を果たした伊邪那岐命が、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」の瀬で身を清めるために禊をした故事に由来する。神代以来、禊は脈々と継承されてきたとされるが、奈良朝以後、形骸化していった。それを川面は自ら復興させ、それは現在の神社神道の禊行の雛型となっている。川面が禊行を復興できた背景には、彼の神秘的体験があったと説明されているが、ある古書の存在から説明することもできる。平田篤胤の『玉襷』には、彼が京都で貴重な古書を発見したときのことが書かれている。篤胤が値を聞くと、五十金だという。高額だが是非とも手に入れたいと思った篤胤は、そのまま宿に帰り、懸命に金の工面をして店に引き返した。ところが、時すでに遅し。タッチの差で筑紫の人が買っていったという。この筑紫の人こそ、川面の祖父だったのである。その古書には、奈良朝以前の日本神道の秘事が書かれていたとされている。阪本健一が「千歳にして一人、否不世出の宝器であらう。恐らく弘法大師や伝教大師に役小角の神秘力を加え、眼を宇宙、世界に向けた偉才と云ふべきであらう」(『今泉定助先生研究全集 第一巻』日本大学今泉研究所、昭和四十四年、三百三十五頁)とまで書いた川面の神秘力は、その古書によるものでもあったのではなかろうか。いずれにせよ、川面は禊行の実践とその理論化に大きな功績を果たした。川面は、人間を直霊(宇宙の普遍的な根源の意識)、和魂(精神)、荒魂(肉体)の位階でとらえ、一切のものの中に直霊が存在し、すべてはこの直霊によって霊的に結ばれているとした。肉体は「八十万魂」と呼ばれる、無数の魂の集合体だが、それら無数の魂が主宰統一されていないと、分裂して自己我が現れてくる。禊行の主眼は、この「八十万魂」に侵入してきて、全身の統一を失わせる禍津毘を制御することにほかならない。
川面が確立した禊行を体験するため、筆者は六月六日早朝、東京都練馬区にある稜威会本部道場を訪れた。武蔵関公園に隣接する敷地は、豊かな自然に恵まれ、修行に相応しい場所だ。早速白装束に着替え、白鉢巻を締めて教典を準備、先導役の道彦から説明を受ける。水行に先立ち、道彦の先導により、祝詞をあげ、振魂、鳥船、雄健、雄詰、伊吹へと進む。

振魂は、瞑目して「大祓戸大神」と連唱しながら、玉を包むように右手を上にして掌を軽く組み合せ、連続して上下に振り動かす動作である。
鳥船とは、神代にあった船のことで、掛け声とともに船を漕ぐ運動をし、心身を鍛練する。川面と交流のあった蓮沼門三が明治三十九年に設立した社会教育団体「修養団」も、この鳥船運動を採用している。一方、海軍軍人で、慈恵医科大学の創始者として知られる高木兼寛は、川面の禊行に参加し、川面の説くところが医学的に効果のあることを確認、行事を簡素化した「艪漕ぎ運動」を案出している。
雄健は、足を開き、両手を腰に当て、道彦の発声に従って「生魂・足魂・玉留魂」と、一声ごとに気力を充実させながら唱える。言霊と呼吸法により心身と霊魂を浄化統一する所作だ。

続いて、雄詰。左足を斜前に踏み出し、左手は腰に当て、右手の親指、薬指、小指を曲げ、人差し指と中指を伸ばして天之沼矛に見立て、「イーエッ」の気合とともに斜左方に切り下ろす。この動作によって、全身の統一を失わせる禍津毘を制御する。右手を戻す際には、禍津毘を救いあげて、直霊に還元して天に返す。

伊吹は、息を吐きながら両手を拡げて差上げ、徐々に手を下げながら、大気を丹田に収めるイメージで息をゆっくり吸い込む。川面は伊吹について、「鼻より空気に通じて宇宙根本大本体神の稜威を吸ひ込み、腹内より全身の細胞内に吸ひ込みて、充満充実」させると書いている(『川面凡児全集 第六巻』二百六十一頁)。

ちなみに、川面は「日本神代心肉鍛錬法」において、仙法、道術、座禅などの呼吸法、臍下丹田の集気充足法が身体の健全や精神の安静を目指したものに過ぎないとし、日本神代の伊吹には、人類すべての「吉凶禍福盛衰興廃」を左右するものとして息気を解釈する視点があると強調している。
例えば、弱い呼吸の人の周囲には微弱な空気だけが充満し、その人は微弱な身体になってしまうといい、弱い呼吸を戒めている。また、声と気とは本来一体だと説いている。

振魂、鳥船、雄健、雄詰、伊吹を経て、私たちは道彦の先導で屋外に出て水行場に向かった。そして、貯められた井戸水を使って、掛け声とともに、数分間水を浴び続けた。少なくとも心身の穢れが一掃された気分だけは味わうことができた。川面によれば、全身全霊で浄化、調和、統一、神化という神事を厳修するうちに、やがて鎮魂の妙境に入る。その境地においては、直霊が覚醒し、前世、前々世、と過去へ螺旋的に遡り、創造神である天御中主太神に到達・還元する。また未来へと螺旋的に宇宙の根本本体である天御中主太神に達するという。川面は「主観客観全然一変し、有我無我を超絶したるの霊我、神我として、その和身魂の五魂五官が開き、……顕幽漸く感応道交し、初めて神と念ひ、神と語り、神と行ふことを得るの鳥居を窺ひ得たるものとなします」と書いている(『全集 第一巻』六百三十六、六百三十七頁)。

川面は禊行の復興者として名高いが、個人の救済のためだけに、行を普及させようとしたわけではない。彼には、祖神の真髄を会得せずに、個人の在り方、社会の在り方、世界の在り方を考えることはできないという信念があったのだろう。そうした川面の立場は、後に彼が設立した古典攻究会趣意書にある次の一節に明確に示されている。「祖神の真髄を会得せず、徒にこれを崇拝奉祀するはあやまれり。祖国の渕源を理解せず、徒に国家の経綸を叫ぶはあやまれり。天津日嗣の由来を解得せず、徒に忠君愛国を唱ふるはあやまりなり。……わが国神代の垂示たる古典は、宇内万邦、唯一無比の一大宝典として、世界にむかひ、大に誇りとするに足る」










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