「天地正大の気」の意義 田中忠雄老師講義
「天地正大の気」は、弘化2年(1845年)11月、水戸藩の藤田東湖が隅田川河畔の陋屋に幽閉され言語に絶する苦難に身を置きながらも、我が日本という国の美しさと歴史上の現れた生気とを深い感動をもって詠い上げたものである。
藤田東湖の「天地正大の気」を勉強し、共に眉をあげ胸を張って、朗々と吟じたい。
これはこれ、維新への志気を鼓舞してやまない古今の絶唱である。
銘記せよ、本当の日本人となるには、日本人の祖先が歴代の天皇を中心として、次々に尊い生命を積み重ねて、わが大和島根を護ってきた事実を。
歴史は血湧き肉おどる魂の慟哭を以って学ばねばならないものだ。
必ず、声に出して、ゆっくりと読みすすみ給え。
しからずんば、言霊のひびきが魂に浸透しないであろう。
「天地正大の気」
てんちせいだい き すいぜん あつ
天地正大の 気 粋然として神州に鐘まる。
ひい ふじ がく ぎぎ せんしゅう そび
秀でては不二の獄となり、 巍々として千秋に 聳ゆ。
そそ たいえい めぐ
注いでは大瀛の 水となり、 洋々として八州を環る。
は ばんだ しゅうほうとも ちゅうしがた
発しては万朶の桜となり、 衆芳与に 儔難し。
こ ひやく てつ な えいりかぶと た
凝っては百錬の 鐵と 為り、 鋭利鍪を 断つべし。
<中略>
じんせんにしゅうせい ひと こ したが
荏苒 二周星、 独り 斯の気の随うあり。
ああわればんし いえど あになんじ はな
嗟予万死すと 雖も、 豈汝と 離るるに忍びんや。
くっしん ふ なん うたが
屈伸 天地に付す、 生死また何ぞ 疑わん。
まさ くんえん すす また こうい は
生きては当に 君冤を 雪ぐべく、 復 綱維を 張るを見ん。
ちゅうぎ おに きょくてんこうき まも
死しては忠義の 鬼となり、 極天皇基を 護らん。
「天地正大の気」は、弘化2年(1845年)11月、水戸藩の藤田東湖が隅田川河畔の陋屋に幽閉され言語に絶する苦難に身を置きながらも、我が日本という国の美しさと歴史上の現れた生気とを深い感動をもって詠い上げたものである。
藤田東湖の「天地正大の気」を勉強し、共に眉をあげ胸を張って、朗々と吟じたい。
これはこれ、維新への志気を鼓舞してやまない古今の絶唱である。
銘記せよ、本当の日本人となるには、日本人の祖先が歴代の天皇を中心として、次々に尊い生命を積み重ねて、わが大和島根を護ってきた事実を。
歴史は血湧き肉おどる魂の慟哭を以って学ばねばならないものだ。
必ず、声に出して、ゆっくりと読みすすみ給え。
しからずんば、言霊のひびきが魂に浸透しないであろう。
「天地正大の気」
てんちせいだい き すいぜん あつ
天地正大の 気 粋然として神州に鐘まる。
ひい ふじ がく ぎぎ せんしゅう そび
秀でては不二の獄となり、 巍々として千秋に 聳ゆ。
そそ たいえい めぐ
注いでは大瀛の 水となり、 洋々として八州を環る。
は ばんだ しゅうほうとも ちゅうしがた
発しては万朶の桜となり、 衆芳与に 儔難し。
こ ひやく てつ な えいりかぶと た
凝っては百錬の 鐵と 為り、 鋭利鍪を 断つべし。
<中略>
じんせんにしゅうせい ひと こ したが
荏苒 二周星、 独り 斯の気の随うあり。
ああわればんし いえど あになんじ はな
嗟予万死すと 雖も、 豈汝と 離るるに忍びんや。
くっしん ふ なん うたが
屈伸 天地に付す、 生死また何ぞ 疑わん。
まさ くんえん すす また こうい は
生きては当に 君冤を 雪ぐべく、 復 綱維を 張るを見ん。
ちゅうぎ おに きょくてんこうき まも
死しては忠義の 鬼となり、 極天皇基を 護らん。