◎自己本来内省の悟
そもや人の生命の本来は、純一無雑なる「霊」という気体である。
然も その霊なる気体こそは 尊厳なるかな、宇宙創造の根本主体たる宇宙霊という先天の一気の直接分派である。多くいうまでもなく宇宙霊なるものは絶対の実在である。
従ってその分派を直接収受せし人間の生命の本来は、また必然絶対であるべきである。
されば その絶対なる人間の生命に、理由なくして何すれぞ、悲しみ苦しみ或は怖れというが如き忌(い)まわしきものが、妄(みだ)りに襲いかかって来る筈がない。
何故なればそうしたものは真理の上より厳格に論断すれば、何れも人間の心の中に生じる相対的仮相現象であるからである。
そもそも相対的なるものは、絶対的のものに断然敵することの出来ないのが厳粛なる宇宙真理である。
今や吾はいみじくもこの真理を悟り、同時にこの悟りを厳そかに信念する。
従って私の心は如何なる場合にも、恒にその霊を思いその霊を考え、ひたすらに「霊」を本位として人生に活き、絶対的なる宇宙霊と同化する尊さを心がける。
かるが故に私の心の中には、最早一切の邪悪や 弱さや卑(いや)しさを 思考するというが如き消極的なるものは、何としても燃え上がることを許さない。
そしてただ積極的の思考のみを、暗夜を照らす炬火(きょか)の如く、繚乱(りょうらん)として吾が心の中に輝かそう。
◎正しき活き方の自覚
吾は今正に 宇宙霊の叡智と確実に同化し得る秘訣を知り得た。
それは先ず自己の人生を 正しく完成するに必要とする、最善にして最上のものを選び出すことに、日々十二分に注意を深くすることを 吾が心に命ずることである。
そして同時に私は その選び出した事柄の現実の成就に対して、勇敢に努力する信念をもつことである。
私はもう境遇や人を怖れない。
私は立派な自己の運命の主人(あるじ)である。
従って私の心は、私の環境からの何ものにも脅(おびや)かされない。
否 私の心は常に、私の人生のためによりよい環境を作る事のみを正しく思考する。
それは絶対の力を有(も)つ宇宙霊が、私の心をして何事をも積極的に考え得るようにと、頼もしい意思の力なるものを、私の生命の中に与えて居て下されて居るからである。
そもや意思の力なるものは、宛然(えんぜん)鉄を引きつける磁石の如く人の活きるのに必要なる一切を、勉めて吾に引きよせてくれるのである。
今や この真理を自覚せる吾は、最早(もはや)昨日までの自分でない。
吾はまさに一息毎に、わが生命の中に躍動する微妙なる宇宙霊の力を感じる。
従って私は、この最高真理の啓示を受けた幸福の実行者としての正しい資格を発揮するために、吾が心をして如何なる時にも敢然と勇み立たせて活きて行こう。
◎境遇改善の誦句
そも人の境遇は人それ自身これを作る。
されば日日の自己の人生はまた吾自身の作るところに従う。
かるが故に今日一日、どんな場合にも私は、先ず私の人生の一切を祝福し、その栄光と吉祥とに感謝する心持を確実にもとう。
今 私の活きつつ在る処、そは私の人生の在る処である。
そして私の活きつつ在る処の環境を包む雰囲気は、その一切を私の積極的思考の反映を以て、悉(ことごと)く勢いのよい溌剌たるものにしよう。
私の心の中には、かりそめにも 煩悶とか 恐怖とかまたは悲しみ怒りという様な、価値なき思考は 漣(さざなみ)すらも立たせまい。
私は信念する、私の人生は常に成功と繁栄の雰囲気で包まれて居るということを。
私は私の思考並に私の言語が、私に近づく者のすべての悉くに、欣びとたのしみえを与えるよう心がけよう。
◎安心立命への誦句
およそ現象の世界にその生命を生かしつつあるものは、何れもすべてが「見えざる実在の力」に依って、その命を保たれて居るのである。
しかもこの「見えざる実在の力」こそは、世の人々のいう「神」又は「仏」にして、またわが天風哲学の称する「宇宙霊」なり。
直ちに堅固なる礎(いしずえ)の上に屹然(きつぜん)として立てる古城の如き、豪壮なる強さをもつに至らん。
何とならばかかる自覚こそは、人の命の本体である尊い「霊魂」を、万物一切の根元をなす宇宙霊と、確実に結びつけることになるがためである。
宇宙霊なるものは、誠と愛の満ち満ちたる絶対調和の精気である。
従ってこの信念が確固不抜のものとなり得なば、わが命は求めずとても、愛と誠と調和という 霊妙なる雰囲気の中に活きることとなり、期せずして愛と誠と調和という聖なる精気は、わが命の隅々までに漲(みなぎ)り溢れ来らん。
かくして一切の不純一切の邪悪一切の弱さと卑しさは、この聖なる気の流れで洗い清められる。
今 私の心は尊く強く正しく清らかにして、即ち絶対に積極である。
従って人の世に対する「不安」「恐怖」などという、人世を価値なくするが如き心持はわが心の中に微塵(みじん)だにない。
更にまた人の運命を毀(こぼ)ち、人の命を傷ける「怒り」又は「憎(にく)みや悪口(あっこう)」というが如き悪魔の息吹(いぶき)は、堅く閉されしわが心の黒鉄(くろがね)の扉を開く能(あた)わず。
そして わが人生は、事あるも事無き日と同じく、洋々として和やかなることさながら春の海の如くあらん。
◎神人冥合への誦句
およそ人としての真の価値は、ただ偏(ひと)えにその心の力の程度に従う。
しかもこの心の力なるものは、永遠に創造的に万象を化成する 宇宙霊を、その源泉とせるものである。
従って吾等かりそめにもより優れより尊からんことを希(こいねが)わば、須(すべか)らく常にこの絶大無限の宇宙霊の力を能(あた)う限りわが生命の中へ量(はか)多く受入れることを、ひたすら心がけざるべからず。
まことやこの力たるものこそは、宇宙本体たる宇宙霊より湧き出づるヴリルの噴泉にして、また人の命の価値の本源である。
そしてその中にあらゆる芸術 一切の創作並(なら)びに発見の動機と端緒(たんしょ)とが、秘め隠されて居るのである。
吾は今吾が心の我執(がしゅう)の解脱(げだつ)が居ながらにして宇宙本体と合流することであり、またこの霊妙なるヴリルを分量多く わが生命に享け入れ得る秘訣であることを知った。
そして恒にこの秘訣を行えば、宇宙霊の力は即座直ちにわが生命に注ぎ入れられることそは必然の真理である。
されば吾は常に心してわが心の我執を払拭(ふっしき)し、わが心の一切を優れし形に於て積極化し、その積極化されし心を以て一切を又積極化せば、茲(ここ)に期せずして 溌剌颯爽たる至幸至福の人生を顕現することを得ん。
而(しこう)して、人にして若しこの真理に正しく目醒めなばその人生は、刹那
◎入聖開悟の誦句
吾は今 わが心の中に、この世のすべてのものを正しく理解し得る、偉大なる「光り」あるものが宿り居ることを厳かに信ずる。
この「光り」こそは この世に在る唯(ただ)一つの絶対たる宇宙霊が、わが霊魂の中に与え給いし慈悲の雫(しづく)である。
又この「光り」こそは わが命と宇宙霊とを、確実に結びつくるくろがねの鎖である。と同時に 更に真理の扉を開く秘密の符牒を知る金鍵(きんけん)である。
そもやこの「光り」が、わが心の中に燦然(さんぜん)として輝かば、尊しや宇宙霊は 世の人々のいう「神の啓示」なるものを、量多くわれに与えたまう。
そして その能(あた)わざるなきの力を以て、迷いに眩(くら)むわれ等の心の眼(まなこ)を正しく開かせたもう。
さらば 吾は今この厳そかなる法則を、虔(つつま)しやかに行わんがために、心の歩みを宇宙霊に従わせて、ひたすらに真と善と美のみの上に運ばせよう。常に入聖指南の「弁別(べんべつ)」の苔(しもと)を手にして・・・・
そしてひたむきにこの「光り」の発現に努めよう。
さすればこの妙なる「光り」は、やがてわが心の中に美しき悟りの花を咲かせ、その稔(みの)りを豊かにして、わが命は常におののく如き歓びに満たされん。
◎幸福への誦句
それ人としてこの世に活きる時、その最も賢明なる考え方は、すべて人間の身の上に起った事柄は、皆自己自身が 知らず識らずの間にその原因を作ったものであると考えて、これを正しく処理して活きる事である。
現実の人の世は決して夢の如くに、何の準備も将(はた)又理想をももつ事なしに活きるべきものではない。
要するに常に輝かしい向上への希望を心に抱きて、愛と誠と平和という 気(け)高い聖なる感情で活きるべしである。
今や私は そうした人生への最も階級の高い悟りを、わが心に得た。
従って私は今後 自己の人生に対する真の責務を果さんには、須(すべか)らく自己の生命の中の最高のもの・・・・
即ち霊性の許諾(きょだく)するもののみを実行することに、ひたむきに心がけよう。
そしてこの崇高なる理解を深く尊敬し、同時に 現実の実行を徹底せしめることを自己の努力の中心としよう。
否 そうすることが、人生の一切を最も正しく向上せしむることであり、また進歩を確実にすることになるということを、明瞭に合点するからである。
そもや 無限と相結ぼって、絶対に亡(ほろ)ぶることなき唯一(ゆいいつ)のものは人の霊魂である。
誠!!永遠の実在である宇宙霊の分派であるところの人の霊魂は、吾等の努力の行修に拠って研(と)ぎ上げたる積極的の心を通じて、宇宙霊の力を より多く享受(きょうじゅ)する毎に赫(かが)やかしくその光りを増す。
ましてやその心に更に愛と誠という、至純至聖のものを満たす時、妙なるかなその生命の全体は、期せずして立ち所に神格化し、求めずとても至幸至福の人生を顕現するを得る。
さればこの真理に則(のっと)って活きる私は、より一層 わが心の中に、何ものをも憎まざる愛の情を豊かにすることに専念しよう。特に特に昼の光りが 濃紫(こむらさき)の几帳(とばり)のかげに、その姿を隠す「夜」ともならば、一(ひと)しおにこの心がけの徹底にひたぶる精進を為そう。そは夜の世界こそはわが生命が、宇宙霊の絶大なる「力」と結び合おうとする尊い時であると同時に、心なく生くる人を向下へと堕(お)とす悪魔の跳梁(ちょうりょう)する心許すまじき時なれば・・・・・。
◎信念と奇跡
吾は今わが心の奥深くに奇跡を行い得る神秘の力の潜在することを悟り得た。そして人はこの力をより良く活用することにより、人の値打が決定されることをも悟り得た。
そして今私はこの尊い現実を悟って、わがいのちの中に輝く尊い光りを自覚する。
同時に過去の一切の無価値より解脱(げだつ)して、格調高き人生へと、今まさによみがえる感激とよろこびにわが心は炎(ほのお)と燃えたつ。
そもや自己を作るものは自己である。そして自己を正しく作るには、何をおいても自己を正しく律することである。
しかも自己を正しく律せんと欲せば、ただ偏に信念を基盤とする連想の観念を、常住わが心の中に厳そかに確保せざるべからず。
かるが故に今日からは、如何なる時にもこの心的態度を不断のものとして、わがいのちを正しく作る自律基盤の力を、かりそめにも緩(ゆる)めざらんことを虔(つつま)しやかに己れの心としよう。
◎値いある活き方への悟
それ慮(おもんばか)るに吾等人間とは、宇宙進化を助成するため、この現象世界に生れ出でし貴重なる存在なり。
まことや!!この理解を正しくもち、この消息を正しく信じて人生を活き行くものには、蓋(けだ)しその生命は 洵(まこと)に尽くることなく、又点滅することなき永遠不断の実在を続くることを得ん。
吾は今この尊い真理を悟り得た。従って如何なる場合 如何なる事にも、私は私の人生の尊厳を断じて汚(けが)すまいまた泥ぬるまい。
そして わが日々の生活を常に光明あらしめよう。
そも人生とは人それ自身が作るものである。されば自分はこの世に在る人の中でも、ほんとうに善良で ほんとうに積極的で、ほんとうに完成された人間になることに努力しよう。
そして自分が自分の人生生活の中で行う事柄は、出来るだけ自己を本位としない様、常に大(おおい)なる勇気と大なる決心とで努力しよう。同時にいつも軽率でなくいつも慎重で、正しい事以外には心を振り向けまい。
そうだ!!どんな場合にも自分の現在の生活を心から感謝して楽しむのだ。
否それを現実化するために、常に自分の生活の中から、「活きることへの情味」を見出すことに努めよう。
かくして見出されたる情味こそは、生活に疲れた命へのオアシスである。と同時に生活に悩む心への醍醐味(だいごみ)である。
私は須(すべか)らくこの言葉を愛しこの行いを讃美する。
さすれば宇宙霊はこのよろこびに勇む心とこの真理に活きる行為に、絶えずよりよき向上という値い高きものを与え、限りなく恵み惜しみ給わざらん。
さらばひたすらに努めんかな行わんかなを厳そかにわが心に、勇み躍りつ鞭(むち)うち命ずる。
<了>