仁和地震(887年)

東日本大震災のあと、広く知られるようになった仁和地震ですが、
869年7月13日 貞観三陸地震
878年11月1日 相模・武蔵地震(元慶地震)
887年8月26日 仁和地震


※南海トラフ地震ではなく、中央構造線の地震であった可能性があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%92%8C

特に摂津(大阪)において津波の被害が甚大であったとされ、京都では長い地震動があったなど近畿地方の震害が著しい。

はるか後世に編纂された史料であるが、淡路島の洲本藩士が編纂した郷土史である『味地草』には仁和三年七月の地震により海に突出していた砂嘴が津波で失われたことが記される。

一方で、土佐における津波や大地の沈降・隆起など記録が確認されておらず、高知県には白鳳地震についての口碑に残る言い伝えはいくつか存在するが、仁和地震によるものが確認されていない。
(中略)

津波があることは外帯における地震を示唆するものであるが土佐における記録が確認されておらず、中央構造線沿いの地震であるとする説もある。』


三陸地震は、南海トラフではなく中央構造線を刺激するのかもしれません。

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