トドメノフミ(辛酉)

※「トドメノフミ」の辛酉(かのととり)記載の部分
http://hifumi22.blog.jp/archives/9999645.html

午(うま)年、青菜跳ね上がり未(ひつじ)に米は当りだす、それが合図の時なりと明(あ)けの烏(からす)が鳴いたれば辛酉(かのととり)まであとわずか、飛んで火に入る夏虫とミロクの民は真っ二つ、きっちり、すっきり立分れ、彼岸の岸ぞ舟が行く。

これよりは電光石火で参るぞよ、神の裁きに待った無し、目にも止らぬ早技で、善、悪、正、邪ぞ別けに出る。

一目瞭然、千里眼、見抜き見透し、まるわかり。

邪心(よこしまごころ)の人間は唯(ただ)の一目で判(わか)るぞよ。』


※普通に考えると「辛酉」は2041年ですが、2024年と解釈することも出来るようです。


※確かに「午の年」を2021年とするのは合っているように思えます。
http://hifumi22.blog.jp/archives/9999588.html

改心いたすは午の秋、ここまでなりぞと申すぞよ。

午の秋ぞと申すぞよ。

未が出たなら皮を剥むき敷しき物もの変えると申すぞよ。

http://hifumi22.blog.jp/archives/9999592.html
喰い物の怨みは恐いと、あれこれと重ねて申し来たる事、いよよ形と現われん。

来たりし秋の恐さかな、あきませんとはこの事ぞ。

午(うま)が天空舞うなれば、喰い物の値も跳ね上がり、青菜、根菜、米までが天空高々舞い上がる。
(中略)
秋にはあちらとこちらでは隔(へだ)ての併(へい)ぞ現われて、隔ての線ぞ現われて、目には見えねど現われて、ヘイ、あきまセンとはこの事ぞ。

ギリギリ午の秋までと申して来たるその日まで、改心いたしてくだしゃんせ。』
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