デエタラボッチは第12惑星である

この惑星は木星より少し大きく、超楕円軌道を持ち、冥王星の公転軌道あたりまで近づいている筈、近づくと地軸大移動が起こる

ストーンヘンジ ⑤...デエタラボッチと地軸大移動....日本人の起源

2004-09-16 12:16:12 | 歴史
          Rokunowa

ストーンヘンジの円形台地にはステーションストーンの他に目印
がまだあります。ノースバロウ、サウスバロウと名付けられる小さ
な小山があります。
 小山の中心を掘ってみると、古い時代に棒杭が埋めたような跡があった
と言う人もいます。小さな山を土で作り、その頂上に棒杭が立っていたのか
もしれません。

この南北のバロウは南北と言うだけあって、ほぼ現在の南北に位置しますが
正確に南北ではなく、北北西と南南東にあります。
 こう書くと、BC1500年以上前は地軸大移動前で、現在の北より反時計回り
に8度ずれた方向に過去の南があったとの私の説を読んだ読者は、
ノースバロウは過去の南を指していたのではないかと思うでしょう。
8度西にずれていたら、そのとうりですが、15度ほど西にずれているので、
その推定は否定されます。サウスバロウも15度ほど現在の南から東に
ずれているのです。

 ではバロウは何の目的でつくられているのか?

 これは、もっと先で解明されます。まず南北バロウは現在の太陽観測では
いかなる目印でもありません。
 では、BC1500年以上前の時代、南北がほぼ逆転していた時代には、何ら
かの太陽観測上の目印であったのでしょうか?
 南のバロウは何の目印でもなかったのですが、ノースバロウは、一つの機能
を持っていました。

 ノースバロウの頂上に立ち、BC1500年以上前に、ヒールストーンの尖頭を
見ると、ソレは、かっての東西線を見通し、かっての春秋分の日没の方向で
あったのです。

人々は言うでしょう『ストーンヘンジを作った人たちは、何故、ストーンヘンジの
中心、丸い台地の中心から春秋分の日没を観測しなかったのか?』
またこういう人もいると思います『ストーンヘンジを作った人たちは、何故、日没
を観測し、朝日を観測しなかったのか?』
 確かに台地の中心からヒールストーンを観測したのも夏至の日没でした。

 酒匂石は今の西方に開けた場所にあり、西から昇る太陽、朝日の観測を
したのだと主張している私が、日没の観測では、オカシイというのは正しい
意見だと思います。

これは、BC5000年から、BC1500年までの時期に、ストーンヘンジが建てられた
わけではないからなのです。
 ではストーンヘンジは何時、建造されたのでしょう?

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