南緯15度にあったエジプト
rokunowa
7千年前から3千5百年前まで、エジプトは現在より10度ほど熱帯地方にあり、今より暑かったのです。
その証拠は現存する昔の水時計、河馬の生存の他にもあります。パピルスは人類最初のペーパーとして使われましたが、今は殆どエジプトにはなく過去には繁茂していました。
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また、エジプトの主食は昔はキビで(オリュラ)今は麦にかわってしまっている。(現在、このオリュラと言うキビの一種はスーダンでリュラと言う名で栽培されているが、スーダンは昔のエジプトが位置していた緯度15度に現在位置しているのだ)
前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスは『歴史』という本を残しており、エジプトで僧侶から、かって西から陽が昇ったと聞かされている。
エジプトの首都のテーベが南緯15度であったこの時代には陽は今の西から昇っていたのだ。その証拠は僧侶の話だけではなく、テーベ(ルクソール)のカルナック寺院が西向きに建築されている事実にもある。この寺院は夏至の朝日が入り口から奥の院まで射すよう精密に設計されていることを私は計算で示すことが出来たのである。この計算ではやはり、この時代にはテーベは南緯15度にあった事実がはっきりしたのである。
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注、このように河馬の生存が、その土地が熱帯である事実を示す指標になる事実は、英仏の河馬の骨の発掘にも示されている。
私の説ではBC5000年以前は英仏は緯度15度以内の熱帯であった。テームズ河から河馬、ライオンの骨が出土し、6000年前のモノだとされていることは有名である。
英仏の河馬の骨の出土は、BC5000年頃もうひとつの地軸大移動があったことをしめしている。
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エジプトの首都のテーベが南緯15度であったこの時代には陽は今の西から昇っていたのだ。その証拠は僧侶の話だけではなく、テーベ(ルクソール)のカルナック寺院が西向きに建築されている事実にもある。この寺院は夏至の朝日が入り口から奥の院まで射すよう精密に設計されていることを私は計算で示すことが出来たのである。この計算ではやはり、この時代にはテーベは南緯15度にあった事実がはっきりしたのである。
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注、このように河馬の生存が、その土地が熱帯である事実を示す指標になる事実は、英仏の河馬の骨の発掘にも示されている。
私の説ではBC5000年以前は英仏は緯度15度以内の熱帯であった。テームズ河から河馬、ライオンの骨が出土し、6000年前のモノだとされていることは有名である。
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