前回の仮説にしたがって、ストーンヘンジを測量図から分析計算すると、以下の
結果が出ました。
①...中心からステーションストーンとバロウとを見通す角度は約25度である。
これはストーンヘンジの所在するソールスベリーの緯度が緯度約14度であった
ことを示す。
②...その時代の北極は、現在の緯度経度で以下だと推定される。
北緯36度
東経113度
これは現代の黄河の支流をさかのぼった長治市近辺である。
①の角度25度は概算でブレは大きい、しかも熱帯地方は赤道直下でも
この角度は24度ほどであるから、ソールスベリーの当時の位置は赤道
直下であったとも言い得る(赤道近くでは、この角度の変化は小さいから
計算は精度を高めなくてはならないが、バロウが小山である事実などから
高い精度は期待できない、だから、下記の北緯14度は例えば北緯8度か
もしれない。これぐらいの誤差は認めなくてはならない)
ソールスベリーは熱帯で北緯14度であり、次の地軸大移動で緯度42度
となり、その次の地軸大移動で51度と変化したのである。
以上の蓋然性を高める証拠はストーンヘンジ以外にないかというと、実は
あるのだ。
すでに指摘したとうり、英国のテームズ河からは、河馬とライオンの骨が出て
おり、フランスでも河馬の骨が出ているのだ。これは6000年前のものとされてい
るが、7000年前の地軸大移動による河馬の大量死だと私は考えている。
河馬は、緯度15度以内には生息出来るが、それ以外では、暖房の利く室内に
入れないと冬は越せないのである。
これにより、証拠は少ないものの、ストーンヘンジが7000年以上前に建造された
太陽観測巨石遺構である、と言う説を私はとっている。
ストーンヘンジは、2度の地軸大移動をくぐり抜けた遺跡で、その奇跡的な継続
は、ヒールストーンが夏至の日没方位を地軸大移動後も示し、次の地軸大移動後
にも大体ではあるが夏至の朝日の方位を示していた事実にあると考える。
地軸大移動にも負けない建造物として、ストーンヘンジは信仰の対象になってい
たのだ。
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①...中心からステーションストーンとバロウとを見通す角度は約25度である。
これはストーンヘンジの所在するソールスベリーの緯度が緯度約14度であった
ことを示す。
②...その時代の北極は、現在の緯度経度で以下だと推定される。
北緯36度
東経113度
これは現代の黄河の支流をさかのぼった長治市近辺である。
①の角度25度は概算でブレは大きい、しかも熱帯地方は赤道直下でも
この角度は24度ほどであるから、ソールスベリーの当時の位置は赤道
直下であったとも言い得る(赤道近くでは、この角度の変化は小さいから
計算は精度を高めなくてはならないが、バロウが小山である事実などから
高い精度は期待できない、だから、下記の北緯14度は例えば北緯8度か
もしれない。これぐらいの誤差は認めなくてはならない)
ソールスベリーは熱帯で北緯14度であり、次の地軸大移動で緯度42度
となり、その次の地軸大移動で51度と変化したのである。
以上の蓋然性を高める証拠はストーンヘンジ以外にないかというと、実は
あるのだ。
すでに指摘したとうり、英国のテームズ河からは、河馬とライオンの骨が出て
おり、フランスでも河馬の骨が出ているのだ。これは6000年前のものとされてい
るが、7000年前の地軸大移動による河馬の大量死だと私は考えている。
河馬は、緯度15度以内には生息出来るが、それ以外では、暖房の利く室内に
入れないと冬は越せないのである。
これにより、証拠は少ないものの、ストーンヘンジが7000年以上前に建造された
太陽観測巨石遺構である、と言う説を私はとっている。
ストーンヘンジは、2度の地軸大移動をくぐり抜けた遺跡で、その奇跡的な継続
は、ヒールストーンが夏至の日没方位を地軸大移動後も示し、次の地軸大移動後
にも大体ではあるが夏至の朝日の方位を示していた事実にあると考える。
地軸大移動にも負けない建造物として、ストーンヘンジは信仰の対象になってい
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