デエタラボッチは第12惑星である

この惑星は木星より少し大きく、超楕円軌道を持ち、冥王星の公転軌道あたりまで近づいている筈、近づくと地軸大移動が起こる

嵐は縄文信仰である・・⑨・・・日本人の起源はアイヌ

2010-08-20 12:33:59 | 歴史
山を意味する言葉の探求において、私はアイヌ語においても日本語においても月神信仰と月神によってカタワにされしものと言う太古の信仰があることを確認した。ソレは、アイヌ語の山ヲ意味する諸語・・イワ、ヌプリ、キムにおいても、日本語の山、岩においても同じ事であった。
                     Rokunowa

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私は日本全国の馬鹿を意味する方言を研究したことがあるが、日本の馬鹿を意味する方言は
多様で100ヲ越えるであろうが、すべて三つの神から方言はできていたのだ。月神、フクロウ、牛
であった。そして山の枕詞があしびきの~であるのと同様に、馬鹿を意味する方言のすべてはカ
タワヲ示していたのだ。
 例えば、北陸では馬鹿はダラと言う。このダラは月神を意味する大陸の言葉で、スペイン銀貨も
月に似ていてダラである。このスペイン銀貨はアメリカ独立で米国通貨となりドルとなっている。

 ここで注目して欲しいのは、北陸の馬鹿方言のダラは原初は不具者の事を言い、ソレは月神の
呪いで不具になったと太古から信仰していたからである。だから不具者はダラ=月神と言われたの
だ。太古には、分離の神と分離された者は同等であったのだ。
  山=yar+mat=ヤマ・・・とは引き裂かれた女神であるが、同時に引き裂く月神でもあった。
 月神自身が引き裂く神であるが、同時に仲間のデエダラボッチヲ引き裂かれた者でもあるのだ。
 この信仰には、言語における受け身の者と能動的なものものとの混同がある。これは太古の言語に
おける被害者と加害者が未分化で合ったことを意味するのであろう。

 さてヌプリ=nupuri、の枕詞は『しらとほふ』だとされている。常陸風土記に新治国の枕詞は自遠だ
とあるが、これは白遠の書き間違いだとおおかたの学者が考えているのだ。『しらとおふ』の枕詞は
新田山にかかる事ははっきりしている。

  万葉3436に以下の歌がある。

    白遠 小新田山(をにひたやま)の 守る山の 
       末枯(うらが)れ為(せ)なな 常葉にもがも

  小新田山に何故、白とほふと言う枕詞がかかるのか?思うに、シン=新、とは大陸の言葉で月神
である。そして白=シラ、とはシン+ラ=シラ、でともに月神をいうのだ。ラはヨーロッパで月であり、エ
ジプトでも月、後に太陽である。これはアイヌ語でもchupが月で、太陽をも指す言葉なのと同じである。
ラーは出雲神話のスクナヒコナノミコトが乗ってきた舟がラーマの舟で三日月を意味するように月であ
る。をにいた山の山は引き裂かれた女神である。シン=新、も月神、シラとほふも月神であった。

さて、nipuri=新治の国は新=シン=月で、新治の国は月が治める国だから、シラとほふ・・が枕詞に
なったと考える。とほふ・・についてのアイヌ語での解明は次回です。

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