デエタラボッチは第12惑星である

この惑星は木星より少し大きく、超楕円軌道を持ち、冥王星の公転軌道あたりまで近づいている筈、近づくと地軸大移動が起こる

シナ照の解明・⑪ ・日本語の起源・アイヌ語

2005-02-11 21:53:10 | Weblog

 月に関する世界共通語の『ダラ』はその原初の意味をコレまで誰も解明する事ができなかった。
しかし、デエダラボッチが第二の月で朋月の片割れであり、第12惑星だと言う事を解明し、しかも
日本昔話から、デエダラボッチのダラが月を意味するダラで、昔話にあるように荷物縄を意味する
アイヌ語のタラ=tar、であることが判明した今、世界共通語の月を意味するダラの真の意味が惑星
を取り巻く荷物縄のごとき輪であることが判明したのである。

Rokunowa

地軸大移動の謎・・・クリックよろしくお願いします

 では、世界共通語でもある月を意味するシナは、いかなる意味を持つ言葉なのであろうか?
 シナとは月を意味していることはコレまでわかっていた。南島祖語でもティナーなどの言葉は
光を意味し、月から太陽へと意味が転化していく傾向にある。
 アイヌ語ではシナは「結ぶ」と言う意味であり、結合すると言う意味なのだ。結合の反対はほどく
ことを意味し、分離する事を意味する。
 月は元々、分離と破壊の神であった。この分離は太古の人にとって、朋月の相手であるデエダラ
ボッチ(大黒、マルドック、第12惑星)が月の元から去り、日々小さくなって、ついに消えてしまった
天体の運行と関係があった。この事実から、月は分離の神となった。しかも、デエダラボッチとの
分離の後に、地軸大移動と電離層の破壊によるカタワの出現があったのだ。月が分離の神だと
言うのは、手足を分離するカタワの神であり、人々を故郷から根こそぎ分離させる地軸大移動の
神でもあった。月の分身の神フクロウも分離し、人々を放浪の旅、宿ナシに導く神であった。しか
し月もフクロウも性愛の神として結合の神でもあったのだ。
 この結合の現象も、月にデエダラボッチがだんだんと近づき、ついには同じ程の大きさになり
夜空に朋月として見ることができた現象を見て、太古の人々は月が遠くの星を引っ張り自分の
大きさまで近づけた結合の偉大さに恐怖したからである。コレは夜空でおこなわれた結びの神
のドラマであった。そこで月は結合の神、結びの神、糸で引っ張る神となった。
 性愛、性交の神は結合させる神でもある。アイヌ語でアフンラーと言われるフクロウ神は日本では
アフことの神であった。逢う、遭う、合う、会うことの神こそフクロウ神であり、結合の神でもある。

 結合を意味する、会うと言うことは、互いに否定しあう二つの者が結ばれることである。ソレを縄文語
ではシナと言ったのである。では、この結合であるシナは、月神とデエダラボッチとの偉大な結合の他
にどんな意味をもっていたのであろうか?

 月と人々は結合されていたのか?・・・・現在、縄文時代の人々は、それぞれが月と結合していたこ
とがわかっている。ソレは道祖神に残っている信仰であった。
 道祖神のことを関西では賽の神と言うのだ。この賽の神は私によって解明された。

 sayeの神である。
              saye+ne+kamuy=賽の神、である。

 アイヌ語でsaye、とは「糸を繰る」と言う意味の言葉である。ne、は~である、と言う意味・・・
 kamuy、は神ヲ意味する。

道祖神は今に残る縄文の神である。しかも月神であることがわかっている・・・ソレは、山梨の
道祖神が、丸い石の道祖神であるからわかったのである。枕詞の玉鉾こそがこの道祖神なの
である。この道祖神が関西で「糸を操る神」を意味する賽の神である以上、月神は糸で人々を
支配し、糸を操り、人の運命をあやつっている神なのであった。

 こういう訳で、月の神はシナの神であったのだ。結び・・・結合の神である。万葉集にはシナガ
鳥=フクロウ・・以外にもシナの言葉が残っているのは、太古からの最高神であった月神にまつ
わるシナと言う言葉が、縄文からの最高神の神力を示しているからである。

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