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TIMES

2013-01-09 14:02:11 | 日記
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> 先人の言葉に
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> 人間が生まれてから逃れてられないものが二つあると言った
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> 「税金と死」
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>
> 何れにせよ
>
> 必ずやってくる死
>
>
> 誰しも必ず持っている
> 死の時計がある
>
> 寿命時計とも言う
>
>
> 日本人男性の平均寿命が
> 79.6歳だとして
>
> 時計の一時間が約3.3年
>
>
> 僕はその時計でいくと
> 既に12時間近くも過ごしていることになる
>
> ということは
>
> 残りは
>
>
> その半分
>
>
> まだまだあると捉えるか
>
>
>
> もうそれしかないと捉えるか
>
>
>
> というか
>
>
> その時計は
>
>
> 誰しも24時間持っているとは限らないのがミソなんだけど
>
>

でもって

夜に読むと眠れなくなる特集じゃないけれど


涙が止まらなくなったセレクション


失った時間は、もう戻らない・・・・


「沖縄に行かない?」
いきなり母が電話で聞いてきた。
当時、大学三年生で就活で大変な頃だった。
「忙しいから駄目」と言ったのだが母はなかなか諦めない。
「どうしても駄目?」「今大事な時期だから。就職決まったらね」
「そう・・・」母は残念そうに電話を切った。
急になんだろうと思ったが気にしないでおいた。
それから半年後に母が死んだ。癌だった。
医者からは余命半年と言われてたらしい。
医者や親戚には息子が今大事な時期で、心配するから連絡しないでくれと念を押していたらしい。
父母俺と三人家族で中学の頃、父が交通事故で死に、パートをして大学まで行かせてくれた母。
沖縄に行きたいというのは今まで俺のためだけに生きてきた母の最初で最後のワガママだった。
叔母から母が病院で最後まで持っていた小学生の頃の自分の絵日記を渡された。
パラパラとめくると写真が挟んであるページがあった。
絵日記には
「今日は沖縄に遊びにきた。海がきれいで雲がきれいですごく楽しい。
ずっと遊んでいたら旅館に帰ってから全身がやけてむちゃくちゃ痛かった。」
・・・というような事が書いてあった。すっかり忘れていた記憶を思い出す事が出来た。
自分は大きくなったらお金を貯めて父母を沖縄に連れていってあげる。
というようなことをこの旅行の後、言ったと思う。
母はそれをずっと覚えていたのだ。
そして挟んである写真には自分を真ん中に砂浜での三人が楽しそうに映っていた。
自分は母が電話をしてきた時、どうして母の唯一のワガママを聞いてやれなかったのか。
もう恩返しする事が出来ない・・・
涙がぶわっと溢れてきて止められなかった。





俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。




幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。







小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。




まだまだたくさんあるんだけど


涙が枯れてしまうのでまた次回


弁当ものや母親のストーリーは本当に泣けます


枕濡らすってのはこういうことなんだと思いながら



親孝行してないなぁなんて思っております
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life books

2013-01-06 16:20:11 | 日記
時間があったので、久々に本屋で物色


とりあえず


経済コーナーに向かうのは職業病か



ファッション雑誌もざっとチェック

ベッカムが好きなんで、海外のセレブが出てる雑誌は要チェック



サファリ、レオン、ゲイナーは目を通す


サーフィン雑誌もチラッと見るが、どうもピンと来ない

経済とファッション及び流行は循環するというが、サーフィン業界がここ数年元気がないなって思う


確かに、にわかと本物って意味では本物しか残らないのはどこの世界でも同じだけど、一般に楽しめるってことは大事だし、スタイリッシュなのは重要な魅力的要素かなと



全然関係ないけど

コンビニのマーケティング戦略の一つに、商品の陳列や配置、棚のセッティングなどがある


本屋も同様に各店舗で配列を考えている


例えば、共通するのは幼児向けの絵本なんかは店の奥に大抵ある


雑誌でも週刊誌などは、コンビニと違って探すのに苦労したり


時期もあるが、カレンダーや手帳をカウンターの近くにコーナーを作ったり


確かに
コンビニは、店内を一周するような仕組みが上手くできている


しかし、本屋やCD屋は一周する人はほとんどいない


なぜなら、単純に用がないのと興味がないのだから


コンビニや本屋では衝動買いはあるけど


CD屋は、同ジャンルでジャケ買いはあっても、基本的に衝動買いはない


そんな風に考えながら


客層を想像したり、力を入れている商品を探したり、コーナーにいるお客さんのファッションの傾向を観察したり


かなり本気で狂ってきてるなオレ…と思いながら


結局は、経済・ビジネス関連に足止めを食らう



迷ったら買うはモットーなんだけど


今回は、一応探しものもあった


知人がわざわざ電話してきて熱く語るもんだから


買わない手はないでしょ



内容や著者や値段なんかどうだっていい


それが心意気に応えるってもんだ


ちなみに
スターバックスの元ceo?のミッションという本だ




しかし、残念ながらなかった



手に取った本は


ジョージソロスの本、節税関連の本、スティーブシーボルトの本、孫子の本、経営や起業のHowto、、


本屋に住みたい



きっと

僕らが迷い悩み惑い

苦しみ悲しみ


切なく辛いことを乗り越えるための答えが


本屋にはある



人間の何千年という軌跡が活字に残ってる


凄くない!?





結局、

「たった2分で、決断できる」
千田琢哉 Gakken

を買った


今日はこれで勘弁してやろう(笑)


10分で完読…



一番心に残った言葉を一つ


「もしあなたが異性なら、どちらを選んだ自分とキスしたいか。」


深くも浅くも考えてくれ!
改めて

すべての根源は性欲にある
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ダージリン

2013-01-05 18:47:29 | 日記
インドの地名であるダージリン

実は、最高級の茶葉なのだ


紅茶の先生が、都内でも本当に美味しいダージリンティーが飲めるお店は少ないと言っていた


僕もある程度勉強して、美味しい飲み方や見分け方なんかを身につけようと思ったけど、最近は専らコーヒーばかり


一つだけ豆知識を披露するならば、ダージリンの香りはマスカットの匂いなのだ

それと、紅茶を入れた時にカップのふちにゴールデンリングができる


さて、最近めっきり本を読んでいないので、昔の本を引っ張りだしてきて目次読み

ホリエモンの「稼ぐが勝ち」
やら為替の本、数学の本…

今更ながら


ホリエモンは言っちゃいけないことを言ってしまって、やっちゃいけないことをやろうとしちゃって


大きな力に潰されてしまった

村上ファンドも同じ


僕の見解だ


でも、ホリエモンも村上さんも嫌いじゃない


マネーゲームにマネーゲームで勝負しても誰も文句言えない


それでも、世界には
建前が必要なんだと思う


それは、資本主義社会においては、言い方は悪いがいかに搾取する側に回るかがポイントになる

つまり、世の中のほとんどの人達が搾取されて成り立っている世界だということだ

ホリエモンはここを強く啓蒙していたように思う


でも、それを皆が知ったらどうなる?不満が生まれるだろう

そういうことだ


こういう本質的なことは、誰も知らないし知ろうとしないし、知ったところでどうするの?って話だけど


ただ一つ


ホリエモンに足りなかったように感じるのは、愛かなと思ったけど


稼ぐが勝ちだけど


何のためよってね


年末の流れで
資源国通貨を逆張りしたのが間違いだった


騰がり続けるなんてのは神話に過ぎないと


っていうか

ここまで円が売られたのは凄い

米国の茶番劇のせいでドル高になるのもわかるが


僕の心理は塩漬けの心理そのもの

確かに、買っては利益を確定を繰り返してはいたが


マイナスは膨れ上がるばかり(*_*)


最高、マイナス250pipまで行ったからね


恐ろしいことです


断腸の思いでマイナス確定の決済して

全力買いしました


↑いいこは絶対に真似しちゃダメです


しかも、ストップ無し


冷静沈着にコンサルティングし顧客の利益を追求するのがモットーなのだが


自分のことは…

その反動が出るんです


ことごとくタブーを犯しました


週明け


さらに円安になったら


美味しい肉を食べ行こう
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