日記を読み返して見た。
まぁ、ひどいもんだ(笑)誤字脱字に無茶苦茶だなと。
それもその時の僕だと訂正もしないし、そのままでいいやと。
今日は、住宅ローン相談の仕事。
頭の中はビックマックでいっぱいだ。腹ペコキッチンです。
で、今読んでる本がこれがまた分厚い本で、モチベーション系の本で友人曰く世界が変わるので是非読んでみろというので借りてみた。
まだまだ長い道のりだが、面白そうだ。
その触りを
例えば、サーフィンやっているんだけど、なんでサーフィンやっているの?って聞かれたらなんて答える?
サーフィンやっていて、どうなりたい?
大会に出て勝ちたいとか、オフザリップ決めたいとか、チューブライディングしたいとか
それぞれ目標や夢や願望はあるだろう。
今のスタイル(サーフィン頻度、仲間、姿勢、レベル)は、それらを達成させるものであるのかどうか?
ただ海行って飯食ってだべって帰ってくる。そりゃ楽しいよね。
仲良しクラブ。それも結構。
以前、海で知り合った女の子二人がいた。毎週一緒するようになり、頑張れ!って感じだったけど、いつの間にか一緒に行かなくなったし、遥かに上手くなっていった。
確実にわかったのは、自分らといたら上手くなるのが相当時間がかかっただろうということ。自分らとのサーフィンじゃ物足りなくなってきたんだろうということ。
だから、彼女達の判断は間違っていないと思うし、正解だったろう。寂しさもあるけれど、僕らのサーフィンスタイルでは楽しめなくなった。というのがストレートのような気がする。
それをシェークスピアはこう書いた
『良いものも悪いものもない、人の考えでそれが決まる』
学生のころもそうじゃない?
友達って入れ替わり立ち替わり、属するグループも変化するよね。
なんとなく遊ばなくなったり、いつの間にか離れていったり。
そいう違和感って、実は、成長なんだと思うんだよね。
僕が何かを求めている限り、友人が何かを求めている限り・・・。
不変ってないんだろうなと思う。
それこそ、仕事もそうだし、彼氏彼女、夫婦間もそう。そうならないために必要だと思うのは、同じベクトルを持ち合わせることなんじゃないだろうか?
それもこれも
Have to しなければならない
じゃなくて
Want to したい
それが大事だということだ。
収拾つかなくなった所で〆