次に行ったのは、宮崎駿監督が“崖の上のポニョ”の構想を練ったと言われる場所だ。
大可島城跡の南半分の敷地に建てられている“崖の上の民家”で、2005年に2ヶ月にわ
たり構想を練ったのだそうだ。
この場所を西側の山の中腹にある“太子堂”から見ると、大可島城跡の南半分に民家が
見え、北半分には円福寺が見え、更にその北側の丘の裾に5階建て白壁の“新対山館”
が見える。
逆に東側の仙酔島の御膳山展望台から見ると、
弁天島の向こう側の城跡南端(画像左端)が民家だ。
主役のポニョのモデルは、“いろは丸展示館”の少し北側の、店の暖簾を潜った奥まっ
た場所に住んでいた。 画像(→)の一番デカイのがそれで、水槽を掃除中なので金た
らいの中で他の仲間と泳いでいたが、別の水槽にはもっとチビがたくさん泳いでいた。
聞いてみるとこのランチュウ達は実にデリケートで、年中屋内に居て、冬はヒーター
で温め、夏は氷で冷やしてやるのだそうだ!
こんな話を、我が家の土佐金には聞かせる訳にはいかない。我が家のポニョ達は年中
屋外のスイレン鉢で放りっぱなしだ!
ところで、この鞆の町、今年の2月5日にもTVで“崖の上のポニョ”を放映していた
と言うのに、町中どこを見ても“ポ”の字もない!
普通ならここを先途と宣伝しまくるところだが、鞆町主出身の市長が鞆の再開発を公約
に掲げているだけに、自然を擁護するような思想は受け入れたくないのだろう?
この狭い町の中に実にたくさんの歴史や遺跡や豊かな自然が残されていて、国が今迄
そういったものを開発の名前の元に破壊してきた事を反省して「残す」ように要求してい
るにもかかわらずだ! かといって、鞆の道路はいかにも狭い。 どうしたものか…!?
大可島城跡の南半分の敷地に建てられている“崖の上の民家”で、2005年に2ヶ月にわ
たり構想を練ったのだそうだ。
この場所を西側の山の中腹にある“太子堂”から見ると、大可島城跡の南半分に民家が
見え、北半分には円福寺が見え、更にその北側の丘の裾に5階建て白壁の“新対山館”
が見える。
逆に東側の仙酔島の御膳山展望台から見ると、
弁天島の向こう側の城跡南端(画像左端)が民家だ。
主役のポニョのモデルは、“いろは丸展示館”の少し北側の、店の暖簾を潜った奥まっ
た場所に住んでいた。 画像(→)の一番デカイのがそれで、水槽を掃除中なので金た
らいの中で他の仲間と泳いでいたが、別の水槽にはもっとチビがたくさん泳いでいた。
聞いてみるとこのランチュウ達は実にデリケートで、年中屋内に居て、冬はヒーター
で温め、夏は氷で冷やしてやるのだそうだ!
こんな話を、我が家の土佐金には聞かせる訳にはいかない。我が家のポニョ達は年中
屋外のスイレン鉢で放りっぱなしだ!
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ところで、この鞆の町、今年の2月5日にもTVで“崖の上のポニョ”を放映していた
と言うのに、町中どこを見ても“ポ”の字もない!
普通ならここを先途と宣伝しまくるところだが、鞆町主出身の市長が鞆の再開発を公約
に掲げているだけに、自然を擁護するような思想は受け入れたくないのだろう?
この狭い町の中に実にたくさんの歴史や遺跡や豊かな自然が残されていて、国が今迄
そういったものを開発の名前の元に破壊してきた事を反省して「残す」ように要求してい
るにもかかわらずだ! かといって、鞆の道路はいかにも狭い。 どうしたものか…!?