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里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

孫達と一緒に毛無山登山

2011年09月26日 | 
連休を利用して東京から娘一家がやって来たので、皆で“県民の森”で1泊した後、毛無山登山を楽しんだ。 心配した台風15号の影響も無く快晴だった!

コースと参考タイム
公園センター、標高:800m→(2.2km、60分)→毛無山、標高:1144m→(1.2km、30分)→
出雲峠→(2.3km、30分)→公園センター

孫は、途中で木の実を拾ったり、虫を捕まえたり、倒木のベンチで休憩したりしながら山頂
に到着。 大きなおにぎりをほお張った後も、一人で歩ききって無事に帰って来た!
しかし、登山を楽しんだのもつかの間、“弾丸登山”を済ませた孫達は直ぐに東京へ帰って
しまい、爺婆はまるで台風が吹き荒れた後のようで呆然としている!
倒木のベンチで途中休憩山頂でおにぎり弁当

後は、撮って来た花の画像を一人で寂しく見るだけだ!



岩樋山、道後山

2010年09月11日 | 
少し涼しくなったので、昨日久し振りに山へ登って来た。

と言っても何しろ鈍った身体にはきついので、お馴染みの岩樋山→道後山の“楽々コース”
を選んだのだが、中腹にある月見ヶ丘駐車場には誰も居なくて、全くの貸切状態だった!
〔登山コース と 駐車場から見た岩樋山〕

岩樋山の山頂からは360°見渡せる眺望で、北東の方向には、先月末に孫達と遊んだ
大山が見え、

南から西の方角には良く行く山々が見える。

山野草はお馴染みの物ばかりだったが、久し振りに堪能した!





久し振りの“ササユリ山”

2010年01月30日 | 
久し振りに“ササユリ山”の偵察に行って来たが、はるか北の方角にまるで牛の背中のよ
うな姿の大山(だいせん)が雪に覆われているのが見えた。

この大山、標高1709mの中国地方最高峰で、西側から見ると富士山のような秀麗な姿を
している事から“伯耆富士”と呼ばれ、日本百名山のひとつに数えられている。
今年こそ登ってみたいと思っているのだが、スッカリ鈍った身体では …だ!

帰りに“道の駅”に寄ってみたら、キクイモうどんとキクイモの粉末を売っていた。
粉末の方はお湯を加えて飲むらしい。 効果は兎も角、商魂逞しいのには感心する!



伊吹山登山

2009年07月13日 | 
先週の土曜日に、伊吹山へ登ってきた。
木曜日の天気予報では雨だったのだが、前線が南下してくれたお陰で雨中行軍をせ
ずに済んだ。 これも日頃の行いが良かったせいだろう!


と思い上がったのも束の間、ゴンドラ乗り場まで行って見ると休止期間中で、ゴン
ドラ終点の3合目までの標高差500mを1.5時間かけて登る破目になってしまった。
マァ、日頃の行いもこの程度だったかと反省し、気を取り直していざ出発。

1合目(標高420m)到着。
“熊出没”の標識が立っていて、そばには“伊吹高原荘”や“ブルースカイ”とい
う建屋があった。 見上げると、(→)ハンググライダーが気持ち良さそうに飛ん
でいる。 地上を大汗掻いて這い回っている我々には羨ましい連中だ! 
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3合目(標高720m)到着。
麓の登山口(標高220m)から約2.4km 歩いただけだが早くもリタイアする連中が
出る有様だ。 それでも約6割の28名は山頂を目指して出発だ。

5合目(標高880m)到着。
山肌が削られている最上部辺りだが、この削られた部分は石灰岩を掘り出した跡ら
しい。 新幹線から見ると随分痛ましく見えて、せっかくの山が台無しだ。 

8合目(標高1220m)到着。
ここには小さな祠(→)があった。 サブリーダーが後続部隊を激励しているが、
直下には3合目、そのずっと先には琵琶湖も見えるロケーションの良い場所だ。
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山頂(標高1377m)到着。
山頂は広く、西側から便所、伊吹山寺(覚心堂)、山小屋などがあって、登山客や
花だけを見に来た観光客などがごった返している。
所用時間3時間20分。 途中で写真を撮りながら登ったので、それが小休止になっ
たものの、蒸し暑くてかなりキツかった!

ところが、例によって直ぐに下山だ。 
もっとノンビリすれば良いものを、風情を解さない連中には困ったものだ!
本来は登山口まで下りる予定だったが、ゴンドラの分だけロスしたので山頂直下の
駐車場まで下りてバスに乗る事になった。
後はバスに5時間揺られて帰るだけだ。 ヤレヤレ、ご苦労さん!


修験道の山 “吉野山”

2009年04月12日 | 
昨日は、登山講座で吉野山へ登ってきた。 桜で有名な山だが、修験道の山として
も有名な山だ。

登山コースは、花見客や参拝客が賑わう一般道を
①下千本駐車場→②黒門→③仁王門・蔵王堂→④喜蔵院・桜本坊・竹林院→
⑥水分神社→⑦高城山展望休憩所に向かうルートだ。

初夏を思わせるような暑さの中を人を掻き分けて進むと、直ぐに黒門が見えて来る。
嘗て、吉野山から大峯山に至る峰続きを金峯山といい、修験道関係の寺院塔頭が軒
を連ねていて、黒門はそれらの総門だったそうだ。 

次は、金峯山(きんぷせん)寺の仁王門と蔵王堂(本堂)。
金峯山修験本宗の総本山で、3体のご本尊は金剛蔵王大権現というそうだ。

権現というのは仮に現れるという意味で、
過去・現在・未来の三世に渡る衆生の救済を願った役の行者が、千日の修業の後に
釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の3仏に金剛蔵王大権現として仮に現れて貰ったも
のだそうだ。

(金峯山寺の仁王門→蔵王堂)
>

次は、喜蔵院・桜本坊・竹林院群芳園などの宿坊やホテル。
修験者の宿泊や一般の観光客の宿泊に利用されている。

更に登ると、水分(みくまり)神社というのがあった。 田畑に程よく水を配分す
る神を祀ってあるそうだ。

更に時間が許す限り登って見ようという事で挑戦したが、何しろ渋滞でバスが約1時
間遅れたのが崇り、目標の青根ヶ峰(857.9m)には到達できず高城山(698m)展
望所まで登った所で諦めた。
しかし、ここでの眺望は立ち木が邪魔をする為にイマイチで、急遽引き返しながら
改めて景色を楽しむ事になった。
>

それにしても登山講座の連中。
吉野・大峯の霊場は、和歌山県の高野山と熊野三山、及びこれら霊場同士を結ぶ巡
礼路と共に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されているというの
に余り興味が無いらしくひたすら歩いている。

私も迷子にならないようにひたすら歩きながら道路沿いのお寺や神社の写真を撮っ
たのだが、未だ“吉水神社”など見たかったものが多い。
嘗て吉水神社は、
京から逃れた後醍醐天皇が南朝方の皇居として用いたというし、源義経と静御前が
ここで最後に別れて弁慶と共に奥州へ落ちて行ったともいうのに、見る事が出来ず
残念だった!


緑陽竜王山

2009年03月19日 | 
里山講座一年間の取りを飾るのは“緑陽竜王山”。
JR山陽本線・松永駅の東にある標高 221.3m の“超里近山”だった!

先ず松永駅前からスタートだ。 
本来ならスタート前にストレッチ体操をするのだが、みっともないので山中へ入っ
てする事にして、取りあえずひたすら街中を歩く。

ようやく山麓に到着。 この急な石段を登った先にあるお寺の名は“承天寺”。
非常に語呂が良く、我々世代にピッタリの名前だ。

(石段→承天寺)
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このお寺は本荘家の菩提寺で、江戸時代初期に福山藩主水野家に仕えた本荘重政
のお墓があった。 新田の開発に努め、松永湾を干拓して塩田を造り製塩業の礎を
築いた人だという。

塩田の完成によって松永湾の東部に村が出来、当初は”本庄村”と呼ばれたが、
重政は
「功績を独り占めにした感じで良くない」「松寿永年という目出度い言葉があるの
 で松永村にしよう」
と幕府に届け出、その地名が現在まで使われているのだという。 奥ゆかしい話だ!

(本荘重政のお墓→眼下に見える松永市街)
<>

お寺の境内を通り抜けて登山道に入り、なだらかな山道を登って行くと直ぐに山頂
へ到着した。

山頂には高澪龍王神社という小さな祠があり、高澪龍王神を祀ってあった。
瀬戸内海は雨が少ない為に、どこの山にも水を司る龍王神が祀られていて、その神
の名やその地方の名前を頭につけて“○○竜王山”と名づけられた山が実に多い!

祠の後ろには“神村遥拝所”なる立て札も立っていた。
「高天原に降臨した神々が次にこの地に下り立ち、神村を納める為に夫々の地に
 向かった…」
と書かれていたが、さて真相はどうなのだろうか?

眼下には松永湾と松永市街が見える。
嘗て塩田だった場所は埋め立てられてしまい、下駄の産地として有名だった頃に
桐材運搬の船が行き交った松永湾も、今では建築用の貯木場として使われている。

(山頂の高澪(たかつゆ)龍王神社→眼下に見える松永湾)
<>

後は、福山市の園芸センターを目指して黙々と歩いた。
これで“里山講座”は卒業し、4月からは“登山講座”に替える積もりだが、今か
ら楽しみにしている!


書写山

2009年02月19日 | 
昨日は、里山講座で“書写山”へ行って来た。


場所は姫路駅の北々西。 標高の低い山だが、山頂には西の比叡山とも呼ばれる
円教寺という天台宗の有名なお寺がある。

何でも、その昔、この地に桜の木があり天人が舞い降りて礼拝していたのを見て、
性空上人がその生木に如意輪観世音を刻んで本尊とし、その上に本堂を築いたのが
始まり、という言い伝えがあるというので楽しみにしていた山だ。 
(バス下車)

日吉神社の石碑のそばで下車。
(いざ、出発)

石碑の脇の路地を北に進む。

前方に鳥居が見えるが、
その背後の山の更に後方に書写山があるらしい。
幸いお天気も良く、一同ご機嫌だ!
(日吉神社)

小さな神社があったが、歩くだけの講座なので例によって通過するのみ。

もっと周囲の色々なものを楽しむ事があっても良いと思うのだが、せっかちな講座だ!
>(書写山への道標→参道)

直ぐに書写山への登山口に到着。

「円教寺まで18丁」の道標が立っている。 約2kmだ。
ここから既に円教寺の寺域らしいが、やや急な参道をひたすら登る。
(十妙院)

参道をほぼ登りきった所へ十妙院があった。

円教寺第106世實祐(中興第1世)の住坊であったが、正親町帝より十妙院の勅号を賜ったそうだ。
この東側には同じつくりの壽量院もあるらしい。
>(摩尼殿の側面→正面)
暫く進むと、摩尼殿という立派な建物が石垣の上に建てられていた。
石段を上がって正面にまわってみると、一部が石垣からせり出していて、清水寺とまではいかないものの荘厳なつくりだった。
創建は天禄元年(970年)だそうで、その後、大正末期に失火で全焼したが昭和8年に再建されたという。
(山頂へ)

摩尼殿から更に山頂を目指す。
(白山権現)

登りきった所は平坦で小さな祠があった。
>(山頂→登頂万歳?)

祠のそばの立ち木に、山頂を示す標札が掲げられているが、実にあっけない。

周りは立ち木が多く下界を見下ろす事も出来ない。 早々に下山だ。
(山 門)

書写山ロープウェイ山上駅の脇を下って行くと仁王門があった。
通過して見上げると、
「康保3年、性空上人の創建にして花山天皇の勅願所なり、元弘3年後醍醐天皇船上山より還幸の途中本寺に行幸駐輩あらせられる處なり」
と書かれていた。 
(眼下の眺望)

黄砂の為か少し霞んでいるが、眼下には姫路の平野が一望できる。
>(下山路の岩盤→振り返っても)

下りは、岩また岩のかなり急勾配だ。
角礫凝灰岩といい、火山の爆発で吹き飛ばされた流紋岩などの破片が火山灰に閉じ込められて岩になったものだそうだ。
>(書写山→ロープウェイ拡大)

ようやく麓に到着。
山陽道の高架の先に書写山ロープウェイの山上駅が見える。

杵屋でお土産に“柿姿”を購入し、恒例の温泉に向かう。
(ウェルサンピア姫路ゆめさき)
今回は、夢前(ゆめさき)川沿いに北上した所にある、厚生年金事業団が経営する宿だ。
相変わらず広大な敷地に大きな建屋が建てられているが、未だ売られてはいなくて事業団が経営しているそうだ。
「大安売り」される事のないように念じながら汗を流した。
何はともあれ「極楽、極楽」の一日だった!

天台宗
6世紀末、中国浙江省の天台山において開かれた仏教の宗派で、平安時代に最澄が
比叡山に伝えた。

書寫山圓教寺の由来(円教寺のHPから引用)
・康保3年(966)性空上人によって開かれた。
・元徳3年(1331)雷火の為三之堂と周辺の諸堂焼失。
・天正6年(1578)秀吉乱入し本陣とする。帰途仏像その他多数持ち去る。
        この頃まで27000余石の寺領を有していたが、秀吉によりすべて
        没収。500石だけを施入される。
        後1000石になるが、江戸に入り833石となる。
・明治元年(1868)明治維新、833石と境内を含む山全体が国に没収される。
・昭和16年(1941~1945)太平洋戦争により荒廃。
・昭和25年(1950)年「文化財保護法」制定により、昭和26年より、大講堂解体
        修理、同31年完成。続いて金剛堂・食堂・常行堂・壽量院・護法
        堂修理。防災工事。その他県指定8棟、未指定塔頭寺院等5棟修理。
        近年ようやく、仏像の調査と一部の修理が始められるようになった。
・現在、史跡地に指定された境内は約18㌶と言われ、東西に1kmの細長い形で、
 山間を利用して建物が点在している。      



飯野山(讃岐富士)登山

2008年12月18日 | 
昨日は、今年最後の里山講座に参加した。
場所は丸亀市の飯野山(讃岐富士)で、今年の3月に山野草講座で“コクラン”を
見に行った山だ。

瀬戸大橋を渡り終える場所からは正面にお椀を伏せたような可愛い山が見えてくる。

登山口は前回と同じく南側で、お天気も快晴。 一同元気に登山開始!

ところが、暑かった! 
みんな厚着をしているところへ、日差しは強く風も無い為に暑いのなんの、てんで
に1枚脱ぎ2枚脱ぎしながらようやく頂上(標高:421.9m)に到着した!

頂上では先客のグループ(→)が、お互いに「300回記念」とか「200回記念」とか
讃えあいながら和やかに楽しんでいた。
>

残念ながら遠くは霞んでいる為に見晴らしはイマイチだったが、そんな事はものと
もしない我がグループは賑やかに昼食だ。

私は以前来た場所で珍しくも無く、しかも見るべき植物も無かったのでいささか退
屈したが、記念にこの飯野山を造ったという“おじょも”の足跡と、その後植えら
れた“おじょも桜”の写真を撮っておいた。



雪に消えた道後山!

2008年11月21日 | 
11/19 の“里山講座”は県北・道後山の予定だったのだが、積雪の為に急遽黒滝山、
白滝山に変更されてしまった。
 
道後山の雪景色が撮影できると期待していたのだがガッカリだ! 
しかし、弁当も作って貰った事だし、気を取り直して参加した。

今回は、一昨年の4月にゲンカイツツジを見に行った時とは逆に、先ず黒滝山側か
ら登った。 竹原市の忠海駅から見上げると、標高(270m)は低いが山頂にかけて
はかなり急だ。

麓の登山口で“黒滝山”の由来を読むと、今から1300年近くも前に立ち寄った行基
が、夢で「山上に菩薩像を祀り、衆生を救済せよ」とのお告げを受けて開山し、山
の名前を“黒滝山”と名づけたという。

以来、ミニ西国三十三ヶ所霊場などが設けられ“くろたきさん”の名で親しまれて
いるだけでなく、市民の格好のハイキングコースになっているそうだ。

という訳で至る所に観音像が建てられており、“乃木将軍腰掛岩”や“幸福の鳥居”
というのもあった。 
「この鳥居をくぐると幸せになれる!」「つまりメタボは不幸の元よ!」と、ワイ
ワイ騒ぎながらあっという間に頂上直下の観音堂に着いた。

次は白滝山(標高:350m)。
山頂直下には、龍泉寺という小泉氏(小早川氏の一族)の氏寺があった。
山門→本堂山頂の磨崖仏のある岩
>

山頂の巨大な花崗岩の壁面には、江戸時代初期の作と伝わる十数体の等身大仏像が
彫ってあったが、規模が大きくて有名なのだそうだ。

不遜にも、この磨崖仏が彫ってある大岩の上で眼下の景色を見ながらお弁当を食べ
たが、県北は雪だというのに流石は瀬戸内海、長閑なものだった!

帰りは、この龍泉寺から三原の小泉町に向かって車道を下り、竹原の“簡保の宿”
の温泉で一風呂浴びた。 ご機嫌な一日だった!



広島・阿武山、三葉の松

2008年11月19日 | 
昨日、所用で広島へ行ったが、その近くに形の良い山があったので登って来た。
可部線梅林(ばいりん)駅の近くの阿武(あぶ)山だ。

標高586mでさほど高くは無いが、殆ど標高ゼロ地点からの登りで、しかもか
りの急勾配だったので息があがってしまったが、面白いものがあった。

一つは、“三葉の松”だ。 
松の葉は普通二葉か五葉だが、北米原産の松の中にはリギダマツ・テーダマツ・ス
ラッシュマツ(カリビアマツ)・ダイオウショウなどの三葉の松があるそうだ。
日本でもまれに三葉の松があり、その姿から「夫婦和楽・家内安全」を象徴していて、
黄金色の落ち葉は身につけると「金運」のご利益があるといわれているという?

夫婦和楽は別にして金運は大歓迎なので、日本の固有種だと勝手に決め込んで落ち
葉を少し持ち帰ったが、ご利益を大いに期待している!

二つ目は、中腹から山頂まで点在する三つの小さな石造の祠だ。
何でも
阿武山中腹には昔、何千年も生きている大蛇が住んでいて人里に下りて来ては荒ら
しまわっていたといい、見かねた八木城主の香川光景が1532年に家臣の香川勝雄
(当時18歳)に大蛇退治を命じたところ、香川勝雄は見事退治して一躍勇名を馳せ
たという。
この時、頭・胴・尾に切断された大蛇を祀ったのが、この石造の祠だといわれている
そうだ。

山頂の祠には「貴船神社」と書かれており、そうすると祭神は水を司る高龗神とい
う事になるので、マア本当の所は雨乞いなどをする為に祀られたものであろう?
中腹の“尾の祠”その上の“胴の祠”山頂の“頭の祠”

ようやく頂上に着いたが、南には広島の市街と広島湾が一望でき爽快だった!