里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

イヌホオズキ(ナス科、ナス属)東西対決

2006年10月29日 | 山野草
今、庭や畑、道端など至る所でイヌホオズキの花が咲いており、早い物は実が緑色か
ら既に黒色に変わっている物も多い。
所が、良く見るとこれが全部アメリカイヌホウズキで、古来のイヌホオズキは全く無
く、アメリカの圧勝であった。
写真のイヌホオズキは、近くの池の傍で偶然見つけたもので、孤軍奮闘していたつわ
ものだ。
イヌホオズキ(実)イヌホオズキ(花)
アメリカイヌホオズキ(実)アメリカイヌホオズキ(花)


イヌホオズキ
全国で日当たりの良い道端や山野に自生する一年草。
名前の由来は、姿がホオズキに似ていながら花も実も異なり、
 ・“否酸漿=イナホオズキ”と呼んでいたのが訛ったと言う説や、
 ・価値が無いと言う意味で“犬酸漿”と名付けたと言う説がある。
花の色は白色。

アメリカイヌホオズキ
北米原産の帰化植物で、全国の道端や山野に自生する一年草。
名前の由来は、北米原産でイヌホオズキに似ている事から名付けられた。
花の色は、淡紫色が多いが白色もある。

(両者の相違点)

名   称葉幅花(果)柄の位置
イヌホオズキ太い広い少しずつずれて伸びる
アメリカイヌホオズキ細い狭い同じ所から伸びる

タデ科、イヌタデ属の仲間(2)

2006年10月28日 | 山野草
イヌタデ属で、花が金平糖の形をした物や、お盆に小さなお団子を載せたような形を
した物があるが、いずれも花が綺麗な反面、葉や茎に鋭い棘があるので厄介物だ。
子供の頃、川で遊んでいて何度も引っ掻かれて痛い思いをさせられたせいで、今でも綺
麗な花を素直に喜べない。
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ミゾソバ→(アップ)ミゾソバ、白花
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イシミカワ→(アップ)ママコノシリヌグイ→(花)

ミゾソバ
全国で小川や沼沢地、湖岸などに自生する一年草。
名前の由来は、溝に生え葉が蕎麦に似ている事から“溝蕎麦”と名付けられ、別名の
“牛の額=ウシノヒタイ”は、葉の形が牛の顔に似ている事から名付けられた。
茎や葉には棘があり触ると痛いが、イシミカワ、ママコノシリヌグイほどではない。
花の花弁に見えるのはガクで、先端が淡い紅色から殆ど白色の白花に見える物まであ
り変化が多い。

イシミカワ
全国で道端、河原などのやや湿り気のある場所に自生するツル性の一年草。
名前の由来には、次のような説がある。
・薬草として、大阪の石見川村の物が良質だったので“石見川”と名付けられた。
・秋に、石のような黒い実を皮で包んだ形になるので“石実皮”と名付けられた。
葉や茎に鋭い棘があり触ると非常に痛い。
花には花弁が無く、ガク片が淡緑色から青黒色に変化し、皿のような苞葉の上に
小さな団子をたくさん載せたような面白い形になる。

ママコノシリヌグイ
全国で林縁や湿地に自生するツル性の一年草。
名前の由来は、この葉で継子の尻を拭くと言う意味で名付けられた。
昔、落し紙が無く代わりに葉を使っていた時代、この鋭い棘のある葉を使って尻を拭
きたいと思うほど継子は憎らしいと言う事らしいが、これで継子のお尻を拭く継母の
姿を想像すると鬼気迫る感じがする。
しかし、花はミゾソバに良く似た可憐な姿をしている。

タデ科、イヌタデ属の仲間(1)

2006年10月27日 | 山野草
イヌタデ属の仲間には、花が穂のような形をした物と金平糖の形をした物があるが、
どちらも花弁に見える部分はガクだそうで、小さいながらも良く見ると可愛い形をし
ている。

私の地方で今、穂状に咲いているのは次の4種だが、特にヤナギタデは子供の頃これ
を使ってウナギを獲ったもので懐かしい。
ヤナギタデは口にすると非常に辛いし、汁が目に入ると目を開けていられないほど痛
いが、これを叩き潰して水にほぐしウナギの住んでいそうな石垣の穴に注ぐものだか
ら、さぞやウナギは苦しい思いをした事だろう。
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イヌタデヤナギタデ→(アップ)
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シロバナサクラタデ→(アップ)オオケタデ→(アップ)

イヌタデ
全国で道端、原野、放棄耕作地などに自生する一年草。
名前の由来は、辛味が無くて役に立たない事から“イヌタデ”と名付けられ、別名の
“アカマンマ”は、花を赤飯に見立てて遊んだ事から名付けられたそうだ。

ヤナギタデ
全国で河原などに自生する一年草で、全草が辛い為に川魚などの香辛料として使われ
て来た。
名前の由来は、葉が柳に似た蓼と言う事から“柳蓼”と名付けられた。“蓼”につい
ては、中国名の“蓼=タデ”からと言う説や辛味で口の中が“ただれる”からと言う
説があるらしい。
別名をマタデ、ホンタデとも言い、単にタデと言えばこのヤナギタデを指す。

シロバナサクラタデ
全国で池岸などの湿った場所に自生する多年草。
名前の由来は、
花の形が桜に似ている事から“桜蓼”と名付けられ、その白花種を“白花桜蓼”と名
付けたのだそうだ。
雌雄異株と書かれているが、雄しべ・雌しべ共に備わっていると書かれた物もあり、
はっきりしない。

オオケタデ
アジア原産の帰化植物で、全国の川原や荒地に自生する一年草。
名前の由来は、大きくて毛が多い事から“大毛蓼”と名付けられ、別名を
“オオベニタデ”とも言うたそうだ。
元は、観賞用に導入された物が野生化したらしいが、化膿性の腫れ物や毒虫刺されに薬
効がある事が分かり、民間薬として利用されていたらしい。
その後、マムシの毒消し用にポルトガルから導入された“ハブテコブラ”と同じ成分を
含有する事が分かり、その名前でも呼ばれたとも言う。


マツムシソウ、ウメバチソウ

2006年10月22日 | 山野草
どちらの花も初秋の吾妻山を代表する花で、盛期には一面に咲き乱れているのだが、
残念ながらもう終りに近い為に散ってしまっていた。
しかし、残り少ない花が出迎えてくれ、楽しませてくれた。
マツムシソウ(吾妻山、10/9)ウメバチソウ(吾妻山、10/9)

マツムシソウ(マツムシソウ科、マツムシソウ属)
全国で日当たりの良い山地や草原に自生する越年草。
名前の由来は、マツムシが鳴く頃に花が咲く事から名付けられた。

ウメバチソウ(ユキノシタ科、ウメバチソウ属)
全国で山地の日当たりの良い湿地や湿原で自生する多年草。
名前の由来は、花の形が菅原道真の梅鉢紋に似ている事から名付けられた。

ビッチュウフウロ(フウロソウ科、フウロソウ属)

2006年10月21日 | 山野草
ゲンノショウコの仲間で、地方によって様々に分化しており、地方の名前を冠して呼ば
れる。
このビッチュウフウロは、備中を中心とした地域の湿原に自生する多年草で、広島県
東部や島根県、岐阜県などでも点々と自生している事が確認されているそうだ。
名前の由来は、備中に生育しているフウロと言う意味で“備中風露”と名付けられた
そうだが、風露の由来については、
「茎の羽毛のような刺に露が付着し、風で揺れる様をあらわしている」
という説があるとの事だがハッキリしないらしい。

ゲンノショウコは実が熟してくると神輿の形に変わるので、別名を“神輿草”とも呼
ばれるが、フウロの仲間も同じような神輿が出来る。 ピッタリの名前をつけたもので
感心する。
ビッチュウフウロ(吾妻山、10/9)ミコシグサ(弥高山、10/12)


世界最強の有毒植物、トリカブト

2006年10月20日 | 山野草
吾妻山には、未だトリカブトの花が沢山咲いていた。
我が家にも香川県の友人に貰ったトリカブトが咲いているが、トリカブトは地域的に
変異が多く交雑も起こり易いので識別が難しいとの事で、私などは困ってしまう。

このトリカブトは、フグにつぐ植物界きっての猛毒を持っており、昔は毒矢の先に塗
って猟に使ったそうで、熊なども殺せるほどであったと言う。
私の家内でも 「逆らうと一服盛られる」 とふざけて言うほど有名だ。
中国では、母根を“烏頭=ウズ”、子根を“附子=ブス”と言い、薬用に用いたそう
だ。
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タンナトリカブト?(吾妻山、10/9)我が家のトリカブト→(アップ)

ヤマトリカブト(キンポウゲ科、トリカブト属)
東北地方~中部地方で、山のやや湿った草地や林縁で自生する多年草。
名前の由来は、
山に育ち、花の形が舞楽で樂人や舞手のかぶる鳥兜に似ている事から“山鳥兜”と名
付けられた。

タンナトリカブト(キンポウゲ科、トリカブト属)
ヤマトリカブトの一種で、近畿以西の草原や疎林に自生する多年草。
名前の由来は、耽羅(=タンナ、済州島の古い名前)が基準産地のトリカブトだから、
“耽羅鳥兜”と名付けられた。

リンドウ(リンドウ科、リンドウ属)

2006年10月19日 | 山野草
先日娘夫婦と私達夫婦で一緒に吾妻山(標高 1240 m)へ行って来た。
薄情にも身重の娘だけ麓に残して3人で登ったが、空は抜けるように青く気持ちの良
い1日を過ごした(娘よゴメン!)。

期待した花達はもう盛りが過ぎているようだったが、未だリンドウが沢山咲いており、
ヤマトリカブト、ビッチュウフウロ、センブリ、マツムシソウ、ウメバチソウも見る事
が出来た。
吾妻山のリンドウ(10/12)(我が家のササリンドウ)

リンドウ(リンドウ科、リンドウ属)
本州以南で日の当たる山道や丘陵などに自生する多年草。
根は、漢名で竜胆(リュウタン)と言い生薬として用いられ、苦味健胃作用があると
言う。
和名の由来は、このリュウタンが訛ったものらしいが、
漢名の由来は、竜の胆の様に苦い草と言う意味で名付けられたと言う説や、
葉が竜葵(イヌホウズキ)に似て、根が胆の様に苦い事から“竜胆”と名付けられた
と言う説もあるらしい。

所で、我が家には園芸店で買ったササリンドウがあるが、調べて見ると
 ・リンドウの葉が笹に似ているので、別名を“ササリンドウ”とも呼ぶ。
 ・葉がやや細いリンドウを“ササリンドウ”と呼ぶ。
 ・リンドウの白花や白に近い青の品種を“ササリンドウ”と呼ぶ。 
と書いてあった。
色々説があって分かり難いが、我が家の“ササリンドウ”は、茎は緑色で葉はやや
細め、花もやや白味がかった青色に見える事から、やはり“ササリンドウ”か…?


和製ホップ、カナムグラ

2006年10月18日 | 山野草
日本にもホップ(セイヨウカラハナソウ)と同属の植物がある事を始めて知った。
ひとつはこのカナムグラでこれには香りや苦味はないらしいが、もうひとつの北海道
中部以北に自生するカラハナソウには本物のホップ程ではないが苦味があるらしい。
この植物が北海道に自生している事から、北海道でホップの栽培が始まったと聞く。

(穴門山神社周辺、10月12日撮影)

カナムグラ(クワ科、カラハナソウ属)
全国で日の当たる道路脇や空き地、山野に自生する雌雄異株のツル生1年草。
名前の由来は、茎が強靭である事を“鉄=カネ”に例え、ツルが生い茂った状態を、
ムグラ(葎)と言う一株で草むらのように生い茂った状態を指す言葉であらわし、
“カナムグラ=鉄葎”と名付けたのだそうだ。
茎や葉柄に短い刺があり、不用意に触ると非常に痛く、雌花は最初は緑色だがやがて
紫色を帯びる。

ウスゲタマブキ(キク科、コウモリソウ属)

2006年10月15日 | 山野草
今月のNHK野外講座の目玉はウスゲタマブキ。
モミジハグマと良く似た極めて地味な花をつける植物だが、広島県内では珍しいのだ
そうだ。
私などは、モミジガサなども皆同じに見えて、サッパリ判別できない。

(穴門山神社周辺、10月12日撮影)
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ウスゲタマブキと(ムカゴ)モミジガサ(キク科、コウモリソウ属)

ウスゲタマブキ(キク科、コウモリソウ属)
関東以西で山地のやや湿った木陰に自生する多年草。
名前の由来は、蕗に似た葉の裏にうっすら毛があり、上部の葉のつけ根にムカゴをつけ
る事から、ムカゴを珠に見立てて“薄毛珠蕗”と名付けられた。

モミジハグマ(キク科、モミジハグマ属)
近畿以西で山地の林内の日陰に自生する多年草。
名前の由来は、葉がモミジに似て花が白熊(ハグマ)に似ている事から、“紅葉白熊”
と名付けられた。
 ※ ハグマは、ヤク(動物)の尻尾で作られた物で、旗竿や矛先につけて飾りにした
   り、仏具の払子(ほっす)に使われ、“白熊”の漢字が当てられる。

モミジガサ(キク科、コウモリソウ属)
全国の山地のやや湿った木陰で自生する多年草。
名前の由来は、葉がモミジに似て周囲が傘の様に垂れ下がる事から“紅葉傘”と名付
けられた。
県北では、“ソブナ”、“クロナ”と呼び、若菜を食用にすると言う。

金の蟹

2006年10月14日 | 歴 史
今月のNHK野外講座は、高梁市川上町の穴門山(アナトヤマ)神社周辺であった。

このあたりの吉備高原は、数百万年前には海面に近い土地であったが段々隆起して
海抜約600mの台地になったのだそうで、この神社はその台地にある鳥居を潜り緩
やかな坂を約2kmも下った谷の下にある珍しい形で、通常は山へ登った所に神社が
あるのが普通なだけにいささかビックリした。

神社は、谷の中にあるだけに少し痛みがあったが、前には大きなカツラの木、石段を
登ると古びた山門に続いてこれ又古びてはいるが立派な拝殿があり、その横には小
さな鍾乳洞があった。
鍾乳洞拝 殿
山 門樹齢700年のカツラ

神社の由来を見ると、

カツラの木は、神功皇后のお手植えの木とか船を繋いだ木とか言い伝えられている御
神木と書かれていたが、これについては、神功皇后は(推定樹齢より遥か昔の)今か
ら約 1800 年前の人物であり、船を木に繋いだと言うのも三韓征伐の時の話だろうが
これにしても僅か 1800 年で陸地が600 mも隆起するとは考えられず、どちらの言い
伝えも“?”としか思えなかった。
しかし、お話はともかく、目通り周囲 7.3 m、樹高 30 m、推定樹齢 700 年の大き
な古木は立派であった。

又、山門や拝殿は今から約 370 年前に焼失した物を松山城主が再建したと言うが、
今や40戸の氏子で維持する程の、神社周辺に民家が全く無いような地方でこれほど
立派な神社があるのは驚きであった。

もうひとつ、金の蟹の話が書かれていたがこれが一番楽しかった。
言い伝えによれば、昔神社で終夜おこもりをしていた人が、夢の中に現れた白衣の神人
から 「お前は信心深い働き者だから、洞窟の中の一甲を与える」 と言われ、見ると
金の蟹がたくさん蠢いていたと言う。
目を覚まして見ると、無数の金塊があり、ご神託の通りその一塊を貰って帰り、その後も
益々運が開けて大金持ちになったのだそうだ。

この説明文を見た我がグループのオジサン、オバサンの面々が早速鍾乳洞へ駆けつけ
たのは言うまでもない。 まだまだ欲があり、お元気な人達であった。