里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

タケニグサの反射板

2008年01月31日 | 山野草
昨日の日経に「暗闇に葉ピカリ」の記事が載っていた。
読んでみると、夜間の交通事故を減らす為にタケニグサを反射板として利用するの
だと言う。

何でも、82歳の植物研究家から提案されたのを受け、兵庫県がプロジェクトを組み
3月末に道幅が狭くてカーブのある洲本市から南あわじ市にまたがる県道へ植栽し
て、反射板としての効果があるかどうか実験するのだそうだ。

タケニグサの葉の裏側には細かい白い毛がビッシリ生えており、毛先が外側に向い
ているので、夜間に車のヘッドライトを浴びると白く輝くのだそうで、アイデアは非常
にユニークで面白い!

だがこのタケニグサ、デカく育つ上にお世辞にも綺麗な植物とは言えない。
勝手な事を言って済みませんが、もう少し可愛い植物の反射板をお願いします!

(タケ二グサの先端、昨年6月30日撮影)


タケニグサ(ケシ科、タケニグサ属)別名:チャンパギクなど
本州以西で山野の草地や都市の荒地に自生する多年草。
草丈は2mを超えるものもあり、茎や葉の裏は白粉を帯び葉の裏には細毛がある。
7~8月、茎の先端に、花弁のない白い小さな花をたくさん円錐状につける。
欧米では観賞用として栽培されているそうだ。

茎葉を折ると橙黄色の汁が出るが、アルカロイドを含むので有毒。 この汁を塗る
とたむしや水虫に効く。

(名前の由来)
茎が竹に似て中空なので“竹似草”と名づけたと言う説や、竹と一緒に煮ると柔ら
かくなると言う事から“竹煮草”と名づけたと言う説がある。


福山城

2008年01月30日 | 歴 史
少し晴れ間が覗いたが、生憎足元が残雪でグチャグチャ。 今日も歴史の勉強だ。

新幹線“福山駅”から見ると、直ぐ北に福山城が見える。 
水野勝成(1564~1651年)が、元和8年(1622年)に後ろの山並みから続く常興寺
山(別名:蝙蝠山)へ建てたもので、福山の地名も蝙蝠山の“蝠”が“福”に通じる事
から名づけられたそうだ。

福山城の南は今でこそ町並みが続いている平野だが、福山城が築城され城下町が
造られた当時は殆どが芦田川下流の干潟で、辺りは沖に小さな島があるほかは全て
海であったらしい。
ところが、この干潟を“鬼日向”の異名を持つ水野勝成が、ガンガン埋め立てて現在
の福山南部の平野の大部分を造成し、農地を造り産業を興したと言う。

現代でも、昭和30年代の高度成長時代に引野町沖を埋め立てて日本鋼管を誘致し
たり、昭和40年代には箕島沖を埋め立てて工業団地を造成したりして、福山市を
発展させたのだが、今から約350年も前にこれだけの大事業をやったと言うのだから
驚きだ!

翻って最近の動向を見ると、経済のグローバル化とかで企業はこぞって海外へ進出
してしまい、国内はスッカリ閑古鳥の鳴く有様で情けない限りだ!
水野勝成も子孫がこの体たらくでは、さぞやあの世で嘆いている事だろう!
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伏見櫓、筋鉄御門天守閣、月見櫓(→天守閣)

福山藩
関ヶ原の戦いの後、安芸の国と備後地方を領有していた福島正則が広島城無断修築
の咎を受け改易され、備後地方には徳川家康の従弟の水野勝成が入封。
領地は、現在の地名で、
神石高原町、福山市全域、尾道市の東部、府中市全域、三次市・庄原市の南部、笠
岡市・井原市の西部に及び、石高は10万石。

初代の水野勝成は、西国有力大名を抑える為に当初神辺城主として赴任したが、内
陸にある神辺は山陽道の抑えには適するが、一方瀬戸内海の抑えには鞆城では不十
分であると考え、二つの城の機能を併せ持つ福山城を築いた。

水野氏は、5代目の勝岑が元禄11年(1698年)に2歳で無くなった為に断絶した
が、水野氏治世下で松永湾の干拓、福山城南部から笠岡湾に至る干潟の大規模な干
拓により産業を起こしたと言う。  昭和30年代の高度経済成長期以後に干拓された
場所を除いた平野部の殆どがこの時に造成されたと言うから驚きだ。


水野氏断絶に伴い一時天領となり岡山藩が担当して検地をしたところ15万石と査
定され、その後領地を減らされ、松平忠雅が10万石で元禄13年(1699年)に入封
したが宝永7年(1710年)には転封。

その後は、阿部氏が幕末まで10代161年間続いた。
歴代の藩主は石高が少ない上に、幕閣の中枢に加わる事が多く経費がかさみ、内政
に手が回らない為に財政が厳しくて度々一揆を招く事となった。
やがて、重税や飢饉で没落する農民も多く、幕末には福山南部(現在の新涯町一帯)
に広大な新田開発が始まったが完成前に明治を迎えてしまい、それまでに寡占化が
進んで豪農も出現したと言う。


天當さん

2008年01月29日 | 神 仏
昨日に続き今日も雪、10cm余りも積もってしまった。
お陰で外にも出られず、暇なので先日行った験潮場の傍にあった天當神社について
調べてみた。
この神社、入り江の出口の丘の上に建っていて、昔から“天當さん”と呼ばれて親
しまれ、私などは昔ここから遊漁船を仕立てていたので懐かしい名前だ。

この神社の建っている丘は天当山(手城山)と言い、昔は海に浮かぶ小島だったそ
うで、福山藩水野氏の時代に海沿いの干潟を埋め立てて農地を造成する事業が頻繁
に行われ、この一帯でも
 ・正保4年(1647年) :王子端から梶島山にかけて(現在の国道2号に)千間
               土手が築かれ、北に深津沖新田が造成されたのに続き
 ・寛文6年(1666年)~:沖潮止堤(東西1318間)を築き、手城新開を造成した
               結果、ほぼ現在の地形になったと言われているそうだ。
    


神社の由来を読むと、
「元禄7年(1694年)福山藩の発起により、沖浦(天当山の東)から勧請し、手城
 山天当大明神(祭神:大巳貴神=大国主神)を建立した」
「この潮止堤が自然災害により度々決壊するので、山の上から荒神社を移転」
「その後、消失した通安寺より天神社(祭神:菅原道真)を移設」
「以来、併せて3社をお祀りしている」
と書かれていた。

神社が建立された時代には、この南(現在の入江より南の新浜町以南)は一面の海
で、台風がやって来た時など潮止堤は一溜まりもなく破壊され、その修復に莫大な
費用と人夫がかかったらしく、神頼みの気持ちが良く伝わって来る。

福山藩は、潮止堤の修復に努めると共に、人心を鎮める為に神社を建立したらしい
が、同時に神社に、当時福山城の外堀まで続いていた瀬戸内海を守る要塞としての
役目も負わせていたらしい。
いずれにしても、重機の無い300年以上も前に大工事をやったものだと感心させ
られる!
天當さんの遠景天当大明神
荒神社と天神社恵比寿神社



日本の標高

2008年01月27日 | 地 学
日本の標高は、東京湾の平均海面を基準(つまり0m)とし、測量をする基準点と
しては、千代田区永田町1-1(国会前庭、標高:24.414m)を基準水準点とする
事が定められているそうだ。

日本水準原点(国土地理院HPから引用)


面白そうだがまさか東京まで行くわけには行かないので、ネットで調べて見ると、
福山にも潮位を測定する“験潮場”や、水準点が載っていたので、早速行って見て
来た。

先ず、験潮場。
引野町沖浦の岸壁にあり、径が1尋位の円柱状の井戸の上に、四角の建屋が乗っか
っている小じんまりとしたものだった。
験潮の仕組みは、井戸の底の方が海中と導水管で繋がっていて、波の影響を受けず
に井戸の中で潮位を測れるようになっているらしい。

測定値は、東京湾平均海面からの高さで表され、無線で送られ常に監視されていて、
基準値を超えると注意報や警報が発令される仕組みになっているらしい。
こんなちゃちな設備だが、これで日夜安全を監視していてくれているとは心強い!
験潮場西の天當神社験潮場東のJFEの工場
験潮場(正面)験潮場(側面)

次は、水準点。
験潮場の直ぐ前にも水準点の金属標があり、国道2号線沿いには手城町に1等水準
点の金属標があったが、そこから2km東の引野町の水準点は見つからなかった。
こんな、径が10cmにも満たないものが標高の基準とされ役立っているのを知っ
て、その傷だらけの姿を改めて見直した。 ご苦労さん!
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験潮場の水準点手城町の1等水準点(→拡大)

水準点
通常は、国道や主要街道沿いに約2km間隔で、柱石や金属標が埋設されている。
その数は、1等水準点、2等水準点を合わせると約2万点に及ぶ。
1等水準点の中でも特に重要な水準点は“基準水準点”と呼ばれ、全国に86箇所
あるが、これらについては1等水準点網から少し離れた山中に設置されている。


シャコバサボテン

2008年01月26日 | 園芸種
Rohman さんが昨日のブログにシャコバサボテンを載せて居られた。

我が家でも、出入りの植木屋から貰ったサボテンの花が満開で、甘い蜜が床に滴り
落ちている。 しかし、もう2年目を迎えるのだが今もって“シャコバサボテン”
か“カニバサボテン”か分からないままなので、この際決着をつけてやる事にした。

調べて見ると、茎葉に突起があるのはシャコバサボテンで、しかも流通しているの
はシャコバサボテンの方が多いと言う。
どうやら我が家のは“シャコバサボテン”で間違いなさそうだ。 これで来年から
は安心して咲いてくれる事だろう!

シャコバサボテン(サボテン科、シュルンベルギア属)
ブラジル原産の“シャコバサボテン”と“カニバサボテン”の自然交配種を元に改
良された多肉性の常緑多年草。 本来は 木や岩に根を張る着生植物。

葉に見える小さな茎が節状に連なっていて、11~2月にその先端に花を付けるが、
花の色は赤、ピンク、白、黄など豊富。


(名前の由来)
茎節の周囲には突起がありシャコのように見える事から“シャコバサボテン”と名
づけられた。 (カニバサボテンは突起は無く葉が滑らか)
12月に咲くのでクリスマスカクタスとも呼ばれ、デンマークで改良されたもの
デンマークカクタスとも呼ばれる。


金毘羅さん

2008年01月25日 | 神 仏
先日、服部大池へ歩いて行く途中の道路脇に“金毘羅大権現”と彫られた大きな石
燈籠があった。 自宅の近くにも“金毘羅宮”と彫られた大きな石灯籠がある。

どちらも四国の金刀比羅宮の事らしいが、燈籠の近くには神社らしき物は何も無い
のに不思議な事だと思って調べてみた。 
すると、金刀比羅宮に詣でる旅路の安全を祈って献灯したものとか、祭神の大物主
神が農業殖産の神でもある事から、それを願って献灯したなどと書かれていた。

今や燈籠としての役目は無く、まして信仰の対象など思いも寄らない時代で、全く
無用の長物になってしまった感があるが、町を彩るオブジェだと思えば結構サマに
なっている。

金刀比羅宮
古くは、大物主神を祀り“琴平神社”と称した。
その後、仏教の影響を受け、大物主神はインドで仏法を守る宮毘羅(くびら)大将が
姿を変えて現れた神だとして“金毘羅大権現”と改称され、相殿に崇徳天皇を合祀。
明治元年に神仏混淆が廃止されて元の神社にかえり、“金刀比羅宮”と改称。
全国の金毘羅神社(金刀比羅神社・琴平神社)の総本社で、香川県仲多度郡琴平町
の象頭山中腹に鎮座する。
江戸時代後期には、伊勢参りと共に金毘羅参りが盛んになった。

大物主神
天照大御神の弟、建速素盞嗚命の子、大国主神の和魂神で漁業航海、農業殖産、
医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神様。

金毘羅大権現
権現とは、仏様が日本の神様として姿を変えて現れたものを言い、金毘羅大権現は、
薬師如来を守護する“十二神将”の内の筆頭の仏である宮毘羅(くびら)大将が姿を変
えて現れたと言われている。
元は、ヒンドゥー教のガンジス川の神クンビーラが仏教に取り入れられて宮毘羅大将
となったとされており、元来がインドのガンジス川に住む鰐が神格化され水神だけに水
運の神とされている。
 
(道路脇の燈籠)
金毘羅大権現金毘羅宮

余談だが、自宅近くの燈籠には子供の頃の強烈な記憶がある。
その後ろに、燈籠の名前に因んで名づけた“金毘羅屋”と言う駄菓子屋があり、そ
このお婆さんが凄かった。

何しろ、タバコは吸うやら、関西弁でまくし立てるやらで、お爺さん連中より怖い
くらいだった。
おまけにこのお婆さん、店を出て道路端に足を開いて立ち、石垣下の田に背を向け
ておもむろに着物の腰の辺りを少し手繰りあげたかと思いきや、腰を90度前に屈
めて放尿するのだ。 誰が見ていてもだ!

最初にそれを見た時には、女性にも立ち○○○がある事を知り、あっけにとられて
思わず見とれてしまったが、ひょっとしてこれはセクハラだったのだろうか?  
長閑な時代の話だが、今やこんな豪傑は居ないだろう!


鯛釣りの極意

2008年01月24日 | 釣 り
大久野島周辺は、岩礁の起伏も複雑で、潮通しも良く格好の鯛の漁場であった。
ところが、この鯛釣り、その上に潮がよく流れる大潮を狙ってやるものだから、潮
が轟々流れたり、底から湧き上がったりするので至って釣り難い。
これは、昔、その大久野島周辺へ仲間と一緒に鯛の船釣りに行った時の話だ。

その日も第一投は、そんな海底から湧き上がる場所で始まった。
ところが、素人の悲しさ40号の錘をつけているのに海底がさっぱり分からない。
どんどん釣り糸を繰り出し根掛かりさせる者が続出し、ついにスクリューに釣り糸
を絡ませる者も出て、船頭から「全員あげろ!」の指示が出される始末だった。

ところがだ! 30分くらいも掛かって、ようやくスクリューに絡んだ糸をほぐし
て巻き上げると、何と35cmくらいの鯛が釣れていた!
周りに居る数隻の釣り船を見ると、船頭も客も「フン! 素人の下手糞!」と軽蔑
した笑いを浮かべている。

悔しいので、「あっ、しまった!」 「鯛釣りの極意を見られてしまった!」 と
言ってやった。
それ以来、その下手糞は“秘儀スクリュー返し”の免許を持っているが、その後
大久野島周辺ではスッカリ鯛が少なくなってしまい、しかも行きつけの船頭も廃業
してしまったので、その技を遣う機会が無くなってしまった。


塩昆布のお婆さん

2008年01月23日 | 四方山話
昔、夏の夕方になると隣のご夫婦と一緒に、裏の橋の上でよく夕涼みをしたものだ。
人通りの少ない橋の上に涼み台を持ち出し世間話をするのだが、隣の奥さんの話の
旨い事、旨い事! 毎晩面白い話を聞くのが楽しみであった!

ある夜、例によって2夫婦で賑やかに話していると、例によって近所のお婆さんが
話の輪に加わる為に、家からこちらに向かっている。

それを見た隣の奥さん、
「あのお婆さんネ! 最近ボケが酷くなって、泥棒が入った! 着物を盗られた!
 と駐在所にしょっちゅう駆け込んで警察官を困らせているんですって!」
「それに、近所の店へ毎日何回も塩昆布や線香、ローソクを買いに来るので困って
 いるんですって!」
と面白おかしく教えてくれる。 

しかし、
お婆さんには、着物を仕舞う所を忘れた事や、煤けた着物を盗る者などいない事は
理解できず、毎日のおかずの塩昆布や、亡くなった亭主や息子の為の線香、ローソ
クをひたすら買いに走っていて、近所に住むお婆さんの親戚の人は、その度に頭を
下げて回っているのだ。
他人の我々から見るとまるで笑い話で不謹慎にもつい大笑いしてしまうが、警察官
や親戚の人には大迷惑な話で大変気の毒な事だ。

その後、
お婆さんは「ここは自分の家ではない!」 「実家に帰る!」 と言っては徘徊す
るようになり、やがて亡くなってしまった。
お婆さんの事を笑っていた、あの愉快な隣の奥さんも病気で若死にしてしまい、私
も最近息子によく言われる。
「病気にならないように運動をしろ!」 
「最近ボケ始めた。 ボケないように何かやれ! ブログでもやって見ろ!」

昔、亡くなった母親によく言われた事を思い出す。
「赤子笑うな我が来た道じゃ!、年寄り笑うな我が行く道じゃ!」
何だか世代を巡って同じような事をしている! ヤレヤレだ!


メバル釣りの極意

2008年01月22日 | 釣 り
メバルは、12~1月頃産卵の為に岸近くの藻場に集まって来る。
若い頃には、それを狙って寒い夜釣りによく行ったものだが、これは師匠に聞いた
その頃の話だ。

師匠が釣りを始めた頃、職場の先輩に連れられて夜釣りに行った時の事、先輩がど
んどん釣るのに近くで釣っていても師匠にはサッパリ釣れなかったという。
どうも変なのでじっと観察してみたら、右手に竿を持ち左手で餌のついた針をつま
んだ状態で竿だけを振り回し、その後でおもむろに左手をそっと離して足元近くの
ポイントへ落としていたのだそうだ。

「松茸と釣りのポイントは誰にも教えない」のが当たり前だそうで、中にはこんな
手合いも居たらしいが、それにしても少しえげつない。 そんな極意があるとは思
いもよらなかった!

師匠曰く、「人間付き合ってみなければ分からん!」のだそうだ。
以後、私も師匠の教えを守って人を見て付き合うようにしている。


初 雪

2008年01月21日 | その他
この冬、初めて雪らしい雪が降り、庭にも僅か数センチだが積もった。

しかし、気温が高いせいか道路はシャーベット状で凍結はしていない。
それなのに、今日は何故か交通量が少ない。 
何時もなら、家の横を時速100kmを超える速度で、まるでレースをやっている
ように何百台もが通り過ぎるのだが妙に静かだ。

さては横着を決め込んで、俄かに風邪を引いたり、親戚に不幸が起きてしまったら
しい? 私も現役時代にはよく使った手だ。

ところで、最近は殆ど雪が積もるような事は少なくなってしまったが、私達が子供
の頃には雪が何日も降り続き、よく積もったものだ。
そうすると子供達が集まって、お決まりの雪だるま作りや雪合戦が始まり、それに
飽きると皆でたも網を持って、田んぼへ小鳥を捕まえに行ったものだ。
何しろ、雪の為に充分餌を食べられないものだから、暫く追っかけまわすと弱って
しまって簡単に網で捕まえられた。

中には、追っかけまわしていた奴が野壺(糞尿を溜めておく井戸の様な物)に落っ
こちてしまうハプニングもあったが、今から思うとお腹を空かせた小鳥に悪い事を
した罰が当たったのかもしれない!

でも、今でもそいつを見ると、つい○○○まみれの姿を思い出して可笑しくなって
しまう!  友よ許せ!