“真備美しい森”登山道入り口で、登山道へ入らずに直進した所へ“伊藤家の墓”
があるというので見に行った。
すると、かなり広い墓地の中に“伊藤長とし”という人の四男と五男の小さな墓が
2基建てられていた。
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案内標識 | 途中の竹藪の中 |
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墓地と2基の墓 |
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伊藤家の四男の墓 | 伊藤家の五男の墓 |
説明を読むと、
“伊藤長とし”という人は岡田藩最後(第10代)の藩主で、1869年(明治2年)の
版籍奉還に伴い岡田藩知事となり、1871年(明治4年)の廃藩置県で知事を免ぜら
れ、後に子爵となって華族に列したそうだ。
明治維新の混乱期に“藩知事”なるポストがあった事は知らなかったが、それより
名前の方が面白い。
九、十、百、千の4文字を組み合わせて“とし”と読ませるが“寿”の異体字だそ
うで、90はおろか、100、1000まで長生きするように願ってつけたものか?

岡田には、嘗て戦時中に横溝正史が疎開していて、岡山の各地を舞台にした数々の
推理小説を書き、それが映画化されていて有名だ。
色々と興味が尽きない! 折を見て是非訪ねてみたい!
備中岡田藩
初代藩主は伊藤長実で1615年に備中国下道郡・美濃国池田郡・摂津国豊島郡・河内
国高安郡の各郡内に10,343石を与えられ、以降明治4年の廃藩置県まで伊藤氏の所
領となった。
備中国下道郡内の領地は、
現在の真備町の内の旧矢田村を除く全て( 川辺村・園村・八田村・二万村・妹村
・尾崎村)と、玉島の旧陶村・服部村、総社市の旧新本村・水内村で合計十ヶ村。
岡田藩邸は、現在の倉敷市真備町岡田(岡田小学校校庭)に置かれた。
明治4年の廃藩置県で岡田県となり、その後、深津県(後に小田県に改称)に編入
されたが、その時の範囲は備中全体と備後東部の、沼隈・深津・安那・品治・芦田・
神石の6郡。
最終的には、備中全域は岡山県に編入された。
私も福山の住民なのですが、真備町・・・?
総社に行くまでのところでしょうか?
(マップで検索すればすぐなんでしょうが)
最近になって、草花に少し興味が沸いてきて・・・。
この年になってもほとんど知らないことが多いので、恥ずかしいのですが・・・。
私も機会を作って真備をも尋ねたいと思います。
また、いろいろな情報教えてください。
更に東進すると高梁川に行き着きます。
“真備美しい森”へ行くには、この真備の町へ入った所で、左折して県道54号線(倉敷・美袋線)を北上すると
やがて“森”への標識がありますから、そこを左折して後は標識に従って進みます。
この真備町一帯には、嘗ての吉備王国の遺跡が沢山あるのでおもしろいのですけど、草花はイマイチだと思います。
生まれは福岡県ですが祖母が真備町の生まれだと聞いています。
良くお墓を見つけられましたね。
知りませんでした。
真備町の“美しい森”なるものを見に行った時、
案内標識があったのでお墓参りをさせていただきました。
一度、かつての主君、伊東家の方にお会いして、先祖がお世話になったお礼を申し上げたいと思っています。
お話のような出会いも楽しいでしょうね。
久実のその後や没年も不明のため、現在も続いているかは不明です。岡田藩主の墓所は東京都文京区の高林寺にあり、墓誌がなく被葬者は不明ですが、久実は分家したとあるので葬られていないと思われます。