一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
環境
私を堕落させるのは簡単です。そのような環境、そのような場所、そのような相手とずーと居させればいいのです。そうすれば自然とそれに染められていき、どんなに意志を強固にしたとしてもなかなかそれは敵いません。
それを知っているからこそ、自分がずれやすくなる環境には近づきません。そうすると気持ちがつかれるし、自分ではなくなるのです。
遠くの親戚より、近くの他人。
もちろん血のつながりはとても大切です。家族は昨日も話したように理屈抜きなのです。
しかしその環境でなければわからないことがあります。どんなに血がつながっていてもいつもいる環境が違うとやはり考え方も違うのだと思うのです。
私は私が生活し、そして仕事をこなし、家族を養うのに最善な環境を自分で整えます。何よりも一番それが大切だからです。
人はそれほど強いものではないと思います。もし自分を変えるのなら環境を変えればいいのです。
弘法大師様は嵯峨天皇に京都にとどまることを促されても晩年は高野山に入りました。都から離れて標高の高い寒さ厳しいところです。丈夫でなければ生活するのに適していません。しかしそこにいかなければ自分の求めている境地に達しないという確信があるからこそ高野山での生活を選びました。そして最後は食を断ちながら入定されたのです。
どこにいても気持ち次第ともいいますが自分の欲する場所での生活を選ぶのも大切だと思います。
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