ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

素早い処置

2008-01-31 23:15:30 | Weblog
健康にはとても気をつけている義父が、今日運動後いつもと違う息切れがすると言って自ら医師にかかった。そのままトレッドミルで検査を行い、すぐ心臓にステントを入れた。今日だけ病院に入院して翌日退院予定だ。

日本にいる私の母の時は、原因が何かわからなかったので、まず心臓が原因と絞るのに時間がかかった。原因がわかってステントを入れるのにも検査入院とかなんとかで1ヶ月以上かかった。

もちろん義父には莫大な請求書が送られてくると思うが、命の値段を思うと安くて手遅れになるよりは、高くても早い処置をしてくれる方が家族にとってはありがたい。

私は末っ子で、親の年齢が高いため、父母の病気を長男の夫よりも先に経験した。そして幸い父母はまだ生きていて、以前より弱いながらも元気にしてくれている。初めて実父の病気を体験した夫は、ちょっとへこんでいた。
やっと親が病気になるという気持ちを実感として理解したようだ。

長年のビジネスパートナーのマイクも、

「あれだけハードワークをしてきて、やっと楽しいリタイアメントライフが始まったのに、神様は拷問をしているのか・・・・」

と、ショックを隠せなかったようだ。

しかし、義父はガンになった訳ではない。

母もステントをしてから、ブンブン自転車をこぐほど元気になった。
だから大丈夫。

もともと元気な義父のことだから、術後大事にしていれば大丈夫なはずだ。

やっぱり親には元気で長生きして欲しい。

スケートデビュー

2008-01-29 23:14:35 | Weblog
去年の12月23日の日曜日だったか、本当にふと思いついて、近所のスケートリンクに娘と出かけた。
別に習いたいとか、フィギアの選手にさせたいとか、そう大層なことじゃなくて、ジョギング行くか、とか、自転車乗りに行くか、という感覚と全く同じ。
たまたま近所にあったので、パブリックに開放をしている時間を確認すると午後3時からだと言う。ちょうど30分後だ。
貸しスタジオ同様、スケートリンクは時間ごとに使用出来る時間が決まっているので、私たちのようなパンピーはパブリックの時間しか利用できない。
それで十分さ

娘にとってスケートはテレビで観た事はあっても実際滑った事はない。

生まれて初めての体験だ。

貸し靴と入場料で一人$11(1200円くらいかな)。
2時間滑り放題。

早速,靴を借りて装着し始めた。靴と荷物はそこらへんのベンチに置きっぱなしにしといた。取る人もおらんだろう。
私もスケートは高校生以来だ。25年ぶりか・・・・おそろしい

最初はリンクの壁掃除に徹したが、だんだん慣れてくるとちょっと滑れるようになって来た。大学時代スキー部に居たので、滑る感覚が同じだった。でも転ばないで滑るのが精一杯。
初めてにしてはぞな子も健闘している。
一緒に滑って転んだ。

「たくさん転んだら上手になるよ!」

と、転ぶ事を奨励して、たくさんたくさん滑った。

1時間半して、ぞな子が、

「足が痛い・・・・」

と、珍しく音をあげ、陸に上がった。

トイレも2-3回行っただろうか。

こんなに寒い環境でスポーツをしたことがなかったからしょうがない。
靴だって、硬い硬い貸し靴だ。

ぞな子はぶるぶる震えていた。
靴を脱いだら寒さのためにカチカチになっていた。
手でマッサージをしてあげたら、ちょっと楽になったみたい。
どうりで、選手っぽい女の子のお父さんがお子さんの足をマッサージしていたわけだ。
こういう訳だったのか・・・・

その日は二人して満足して帰宅した。

次の週の日曜日もその次の日曜日も3時から5時はスケートを滑りに行った。
たのしーなー

先週、全米を観た後、母子して盛り上がった私たちは、翌日の日曜日、

「スケートいこっか?!」

と盛りあがったついでに、甥っ子も誘って3人で出かけた。

甥っ子は初めてなので、私が出来ないなりに手を引いて滑った。

たくさんたくさん転んでいた。

子供の習得は速く、ぞな子は一人で滑りまくっていた。
たのしーなー

しかし体力はあっても芸術性に欠ける、うちの子および私は、フィギアというよりもスピードスケートって感じがしないでもない

氷上のプロポーズ

2008-01-28 23:27:59 | Weblog
全米フィギア選手権が先週あった。

ペアで出場する予定だった玲奈ちゃん&ジョンの試合は、水曜日から始まった。
今シーズンはショーに出場することが多く、公式試合はほとんど出場してなかった。
年末は日本でショーに出た後、クリスマスにヨーロッパに移動。
向こうでいくつかのショーに出る予定だったが、信じられないことにスケートリンクが出来ていなかった。
スケートリンクがなくてどうやってスケートショーが出来ようか。
練習も陸の上でやったそうだ。
いつから陸上部になったんか?

準備が遅れているのに、おっさんたちは休憩してタバコをふかしていた。
道具を貸してくれれば招待選手自ら整備するつもりだったが、その道具すらなかった。
どうやらスケートのことを全く知らない業者がこの仕事を請け負ったようなのだ。
日本の基準では絶対ありえない。

結局、スケートリンクそのものの準備ができていなくてショーは中止になり、彼らは飛行機に乗ってわざわざ疲れに行ったようなものだった。
可哀想なのはチケットを買ったお客さんたちだ。
当日券を求めて寒い中並んだお客さんだって大勢いた。
そういう人たちの気持ちを踏みにじった興行者。
一体、何を考えてるんだろうか。

無駄な体力を使い、ストレスだけが溜まり、時差ぼけに悩まされた。
ツアーから帰って来たときは、全米選手権の2週間前だった。
ぎりぎりまで出場を見合わせていた彼らだったが、出発しても本当に滑るのかこっちとしても半信半疑だった。

テレビに彼らの姿が映ったとき、ああ、やるんだ、と思った。

もしかしたらこれが最後の全米になるかもしれないな。

一方で、この試合が今シーズンの彼らの進路を決める,大切な試合でもある。

短い準備期間でこんな大きな試合に出場するなんて無謀でしかないし、競争相手は彼らの年の半分という、現実的な年齢差も大きくなって来た。
どう考えても体力的に不利である。

そんな条件下、ジョンがとても切れのあるスケートをしていた。
玲奈ちゃんは歩けるような状態ではないほど右足を痛めていた。
なのに、何度も何度も痛めた足でランディングを繰り返していた。

ショーの成果か、表現力が豊かになっていた。
短い期間でここまで調整したのはベテランの力としか言いようがない。
それよりも何よりも、思い残す事はない、といったような気合の入った滑りだった。
特にジョンが。

演技終了後、しつこいくらいジョンが何度も「玲奈に拍手を!」みたいなジェスチャーをしていた。
さっさとリンクを出たらいいのに、ちょっと挨拶が長いんじゃないの~? と思った瞬間、いきなり彼はひざまずいた。

玲奈ちゃんは「どうしたの? 何いってんの?」てな感じで彼にハグをして、今度は「へ?」という驚いた顔をした。
あれ? もしかしてプロボーズしてる????

テレビを観ている人も、テレビの向こうの人たちも何かが起こってると感じ取った。
そして、明らかにジョンがプロポーズをしていることがわかった。

わあっという歓声があがって、場内放送が、

She said, “YES.”

と、ご丁寧に放送してくれた。
ぎゃ~、全国放送でプロポーズしちゃった!!!!!

玲奈ちゃんは「まいったな~」という感じで,泣いていた。
私も夫もテレビを見て泣いた

もう、おじいちゃんとおばあちゃんみたいだ。

一気にスター街道まっしぐら、というペアではなく、でこぼこ道を軽四で歩んで来たペアだ。軽四どころかリヤカーって感もある。
金銭的に大変だった時期も長かった。
玲奈ちゃんは父親を肺がんで失ったし、自身も肺がんになった。
ジョンはロシアで強盗に襲われて、九死に一生を得た。

そんな二人がオリンピックに出場して、全米選手権では常連になり、アイスショーにも頻繁に出て、公に認められるペアになった。

本当に本当によかったね。
お二人に幸せの雨がたくさん降り注ぎますように








こんな偶然ってあるんだ(2)

2008-01-27 23:35:20 | Weblog
確か8-9年前だったか、最初で最後のビジネスクラスに乗って日本に出張に行った。ビジネスクラスなんだからゆったり乗りたかったのだが、原本が出来るのが締め切りギリギリだったので、その翻訳を任された私は,本当に本当にぎりぎりのぎりぎりまで原稿を訳さなければならなかった。よって、ゆったり過ごせるはずの飛行機内でも原稿を横にしながら、コンピューターを打ちまくっていた。
別の席では書き終えたことでゆったりした教授が談笑している。
お、おめ~ら~・・・・

と、怒りを表に出す時間すらもったいなかったので、とにかく集中。

お隣に座った女性がとても品の良い方で、私の翻訳が一段落ついた頃,話しかけて下さった。
話によると、彼女はANAのCAでアメリカ旅行の帰りとのことだった。

私よりも随分若いお方だったが、とても素敵な女性だった。
こういう人が一流会社のスチュワーデスになるんだな~、なんて素直に納得できた。

その後、彼女にお会いすることはなかったが、1年に1度 クリスマスカードを出して、近況を知るという関係が8-9年続いていた。

今回のクリスマスカードには、いつもの近況と、最後にいつも治療をしているフィギアスケーター(井上玲奈ちゃんとジョンボールドウィン)のことをおまけ程度に書いた。

すると、今度はまた年賀状が来た。
長年つきあっていた彼と結婚すること。
そして、なななんと彼女は玲奈ちゃんと幼い頃同じスケートリンクで練習をしていたというのだ。姉妹だったそうなので、「是非よろしくお伝え下さい」と書かれていた。
せっ、せまっっっ

翌日、治療にやってきた玲奈ちゃんに年賀状を見せると、

「知ってるよ~。懐かしい~。こんな偶然ってあるんだね~」

と、いかにその姉妹が美しかったかを切々と説明してくれた。

彼女たちは長身で足が長かったので、ジャンプスピンがちょっと大変そうだったこと。当時,スケートで食べて行くなんてことはありえなかったので、美女姉妹は二人ともスチュワーデスになったこと、などなど。
笑えたのは受け取った年賀状が、とっても不思議な内容で、婚約者のご主人が書いたのか、彼女が書いたのか、まるで小説の一部を切り取ったような、一度読んだだけでは掴みきれないことだった。要はデレデレののろけた文章がびっちり書かれていただけのことだったのだが。

「もう嬉しさがあふれているはがきだよね。幸せ絶頂って感じ
と、いうのが一致した感想であった。





こんな偶然ってあるんだ(その1)

2008-01-26 23:59:06 | Weblog
定期的に実家から本や雑貨や湿布が送られてくるが、今回の小包の中に、池田暁子著の「貯められない女のためのこんどこそ!貯める技術」というマンガ(というか、『キッパリ』みたいなイラストエッセイ的なマンガ)が入っていた。

片付けが出来ない筆者がいかに貯金をするかというお題なのだが、部屋の内情を見るにつけ、自分のことを題材に書かれているのだろうか、と錯覚するほど実にリアルだ。
片付けと貯金は似ているらしいのだが、中々耳の痛い事も多かったが、イラストがとても可愛いので、どぎつさはない。
改心させられる本であった。

と,同時に本の中にあった筆者と家族の会話がとても松山弁であったこと、回想部分の制服が東高の制服に似ていたことで、松山の人なのかな~と想像した。

本の巻末にHPがあったので、さっそく覗いてみた。
すると、神戸大卒で筑波中退じゃと~? 
おそらく東高卒であろう。
本の名前からいきなり神戸大学のHPにまで導かれた結果、おそらく池田さんは4つくらい下だろうな~という検討がついた。

カオリちゃん( 去年の11月6日のブログに書いたカオリちゃん。私の同級生の妹さん)と同じ年だったら面白いな~。

と、思いつつ、不躾にも池田さんにファンメールのようなものを書いて,最後にカオリちゃんのことを書いた。

すると返事が来た。

な、なななんんとカオリちゃんと池田さんは高校の同級生だったのだ!

すっごい偶然だな~。

ますます応援したくなっちゃう。
がんばれ、池田さん

へんな日本人

2008-01-24 21:32:06 | Weblog
在米30年になるSさんと話していた。
彼はビジネスコンサルタントとして過去5年間日米を行き来し、年の300日近くを日本で過ごしている。
ご家族はアメリカに住んでいる。
私も今年在米20年になった。

するとタイミングよく、姉がこんな情報を書いていた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

今年のお正月に東京から帰省した知人が、飼い犬をゲージに入れて飛行機に乗せて連れて帰った。ラブラドールリトリバー、大型犬だ。運賃も別料金を払ったとのこと。

ところが、珍しく暴れて鼻から血が出ていたらしい。

到着した空港で引渡しのとき、職員が平身低頭で謝った。

「大切な お犬様 をけがさせてしまい申し訳ありません。」

がはは、「お犬様」って、生類憐れみの令か。
。。。。。。。。。。。。。。。。

かなり笑ったじょ~

でも、絶対200%アメリカではありえない対応である。
相手に謝るということはほとんどない。
暴れた犬が悪い、となる。
いくらお客がお金を払っていてもだ。

この話をSさんと話していたら、彼が言った。

「俺たちがアメリカに来た頃は、在米20年30年の日本人を変な日本人だな~と思ったもんだけれど、今,自分たちがそう思われてるんだよ。絶対思われてるよ。」

と、言った。

私は、

「Sさんはそうかもしれないけど、私はまともな(より日本人に近い)日本人だと思いますよ」

と、言ったが、

「いや、自分がそう思ってるだけで、絶対他人からはそうは思われてない。おれは過去5年間で日本社会に随分戻った。」

と、言い切られた。

実は今年になって不安に思う事がある。
今日本に帰国して仮りに働けるようになったとしても、自分は日本社会では使い物にならないのではないか、ということだ。
いや、全然使い物にならないだろう。

確かちょっと前までは、ぐずぐずした対応やサービスのなさ、雨が降ればすぐ信号が壊れたり停電したり雨漏りしたり、洪水になったり地滑りがあったり、空港では係員の盗難が相次いだり、誠実じゃなかったり、平気で嘘をついたり、てなことに、いら立った。
でもあまりに日常的になりすぎて、またか、と安易に受け入れるようにもなった。
逆に、日本では雨漏りもないし、お風呂も沸くし、ゴミの分別もするし、一斉にみんなが出来るということがすごい。
住んでいた時には当たり前だったことが、今では、
「すごいな~」
と心底感心するようになった。

最近心配なのが、自分が軽蔑していたアメリカ人的態度を気がつかないうちに自分も相手に対してしているのではないか、ということだ。

自分が悪くなくても昔は謝ってたよな~。

これがアメリカでは誤解を招くために、徐々に「悪くない事は謝らない」という態度がすっかり身に付いてしまった。

やたら「すいません」を連発する日本人だった私が、だ。

仕事も、自分の会社だから必死になって時間に関係なく働くけれど、雇われだたらきっちり時間内に帰ってるだろうし、サービス残業なんて絶対いや。
アメリカだと不当労働で一発で訴訟だ。
まあ、これはアメリカだろうが日本だろうが、自分の会社を持ったらだれでも死ぬ気で働くのは一緒だろうが。

Sさんは、

「日本人は総じて勤勉であるということを改めて認識した。そういう国民性なんだと思う。時間過ぎても仕事をし終える、ということを当たり前にやる。お金を貰う貰わないは別にして、責任を全うしてやり終える。そういうのはアメリカにはない。自分が彼らの立場だったらやらないと思うもん。」

はい、そう思います。

そういうちっちゃなことが積み重なって、ずっと住んでれば身につけていた事をたくさん失ってしまった。
同時にアメリカ社会に同化しているとも言えるのだが。

でも、魂まではアメリカ人になっていないので、これまた中途半端なんだな。
まあ、これは外国人には皆共通していることかもしれないけれど。

現役で働ける間、生活基盤はここになるけれど、たくさん働こ。
帰ったとこで年齢制限で働ける所なんてないし。

それにしても、「お犬様」はないよな~

誕生日会のはしご

2008-01-19 23:07:44 | Weblog
今日明日の娘は大忙し。
土曜日は日本語学校に行き、11時に早引きして、キンダーのお友達のお誕生日会に参加。私は仕事だから夫に連れて行ってもらう。その誕生日はジムで開かれた。
その後、5時から別の友達のお誕生日会に参加。こっちはボーリング場。
明日はナッツベリーファームでお誕生日会。
お誕生日会のはしごだ。
親も体力ないとついていけないじょ

娘の誕生日会

2008-01-18 23:58:50 | Weblog
先週の日曜日、1ヶ月遅れで娘の誕生日会を開いた。
自宅で娘の友達およびその親を招いてのお誕生日会は初めて。
今まで家族だけのちっちゃなちっちゃな誕生日しか祝った事がなかったので、親も初めてなのだ。いつも招待ばかりされていて、娘も自分の誕生日をお友達に祝って欲しい年頃になってきた。
自宅で一度はやってみたかったので、先輩ママに情報を聞きながら6歳になってやっと開いた。

庭にはオーダーしておいたバウンサー(空気で膨らました大型トランポリンのようなもの)を設置した。滑り台付きだと庭に入り切らない恐れがあり、トランポリンだけのストロベリーハウス。
結構大きくて楽しそう! 
膨らまして自分だけでぴょんぴょん飛んだら,すぐ汗をかいた。

おっと、こんなところで体力を使ってはいかん。

皆のお昼は、友達が経営しているお米&お弁当工場で、お弁当&お惣菜をオーダーしてピックアップ。
これは幼稚園の謝恩会でも利用したので、味も量も十分。
スーパーでジュースやお茶を購入して、ばっちり。
お掃除やセッティングは夫が担当してくれた。
私はオーダーしてピックアップすればいいだけなので、手間はかかるけど楽ちんなのだ。
外の木と郵便受けに風船を付けて、家を見つけやすくした。
家の中にも風船をつけて、ちょっと盛り上げた。

午後1時にはお友達がどんどん来てくれて、結構な人数になった。
子供は10人くらいの予定だったが、兄弟もいっしょになったら19人になっていた。親もお母さんだけの人もいるし、ご夫婦で来て下さった方もいらっしゃる。嬉しいな~。
こんな家に来てくれて。

子供たちはバウンサーで飛び跳ねたり、それぞれが好き勝手に遊んでくれているので、親たちはおしゃべりに花が咲く。
私はしゃべったりサーブしたりで、落ち着いて話す事はできないけれど、サーブするのが楽しい。

頃合いをみて、ピニャータを木にくくり付けようとした。

先輩ママに聞きながら「この辺につければいいの?」と指示を仰いでいた。

すると友達が、

「ぞなさん、ピニャータの中に何かいれた?」
「え????? 何も入れてないよ。入ってないの????」
「入れなきゃだめだよ~!!!!!!!!」

私たちは急いでピニャータを家に持ち運び、穴をあけキャンディーを入れ始めた。

そう、私はピニャータの中にはもうキャンディーが入れられて売っているのだと思っていたのだ。

考えてみれば、そんなの重くて破れちゃう。

友達に、

「やっぱり裏切ってくれなかったね~。何かやらかしてくれると思ったんだよ」

と言われながら,キャンディーをつっこむ

昨日もらったたくさんのお餅もいれちゃえ!

そして、庭に出てキャンディーを詰めたピニャータを木にくくり付けた。
子供たちを並ばせて、順番にバットでピニャータ(今回は馬)を叩く。
3巡回したくらいで、ピニャータが割れた。
と、同時に餅やらキャンディーやらたくさんばらまいた。

袋を持った子供たちが我も我もとキャンディーと餅を拾い、軽いもちまき状態である。
これは日本人にしかわかるまい。

頂いた餅を有意義に使うことができて満足満足。

その後、ケーキを食べてお開き。

とーっても楽しかった。

夫は疲労のためぶっ倒れていた。

一方の私はこういうのが実は好きだというのがわかった。
皆でわいわいがやがや、楽しんでもらうことに喜びを感じる私であった。
またやりたいな~


夫と娘が消えた?!

2008-01-15 23:40:49 | Weblog
娘を学校から2時にピックアップした後、オフィスに連れて来て遊ばせていた。夕方夫が迎えに来て,義母の家に連れて行く予定だった。
オフィスで仕事をしていると、どうしても娘まで目が届かない。
夕方6時前、フロントに行くと、娘がいない。
荷物も置いたままだ。
通常、私に声をかけて出て行くので、超焦った。
外に出て、周りを探してもいない。
焦る。
隣近所のお店の中を見てもいない。
走って、空手教室の外で待っていた人に、子供を見なかったか尋ねると、「お父さんと出て行ってましたよ」と教えてくれた。

ほっっっっっっ

急いで夫の携帯に電話すると留守電だったので、義母宅に電話したら夫が出た。「心配するから黙って出るな!」と一喝した。
彼は否を認めて謝ってくれた。

誘拐があってもおかしくない街なので、用心には用心を重ねる。

8時過ぎに帰宅すると、義母宅に居るはずの夫の車と部屋からの明かりがこうこうとついていた。

「ただいま~」

し~ん・・・・・・・

電気もこうこうとついてるけど誰もいない・・・・・

不安がよぎる・・・・・・

襲われた?!?!?!?!?!?

不安が一気に押し寄せ、部屋中を探した。
血痕もないし、部屋が荒らされた様子もない。
でも誰もいない。

義父母の家に電話をいれると、随分前に帰ったよ、とのこと。
電話に出た義父も心配していた。

・ ・・・・・・・・

電話をしながらふと思いついてトイレに行った。
ドアが閉まってる。

トントンとノックすると、中から夫がすっとぼけた声で、

「なに~」

と言った。

電話を持ったままだったので、義父に

「すいません、トイレにいました」

と謝った。

ちなみに夫のうんこは長い。

「ぞな子は?」

とドア越しに聞くと、

「部屋にいるよ」

というので、部屋を探すと真っ暗闇の部屋でぐーぐー寝ていた。

どいつもこいつも心配させてっっっ!

というのも近所の日系スーパーで、立て続けに日本人が襲われた話を聞いていたので、普段平気の平太の私でも心配してしまったのだ。

あーよかった、何事もなくて。
ほっとしながら一人夕食を食べ、借りて来たビデオを見ていた。
10時くらいになっただろうか。
上に部屋から娘が泣く声がした。

しくしくしくしく・・・・・

恐い夢でも見たのかな。

部屋に言ってみると、何かを言いながら泣いていた。
寝ぼけているのかと思ってそばにいったら、「頭が痛い、頭が痛い・・・・」とうなっていた。
いつものぞな子と違う。

脈を計ると速く、熱もある感じ。
こういう時に体温計がばかになって正確な体温が測れない。

手を額に当てると熱かった。
水を与えると、ぐでっとして、「寝る」と言って寝た。

明日復活しないかもしれない。
大事にならなければいいけれど。
私の仕事休めればいいけど。
子供がつらい思いをしているのを見るのは本当につらい。
そばにずーっと居ることしかできない。

明けましておめでとうございま~す

2008-01-03 20:48:10 | Weblog
明けましておめでとうございます。

大晦日は紅白を観てとーっても楽しんだ。日本の歌はこれでしか見聞きしないので、とっても新鮮なのぢゃ。
思い返せば、紅白を観ていなかったのはテレビがなかった浪人時代の1回だけで、後は、自宅で必ず観ている。
幸せなこっちゃ。

お正月は夫の両親のうちで、おせち料理を食べた。
バカ嫁街道まっしぐらなので、私はもうおせち料理を作るのを2年前に辞めた。今年はスシボーイのパーティープレートすらオーダーしなかった。
店は元旦もあいているが、予約自体がすごくてピックアップにすら30-60分かかるので、中座をしてしらけさせた前科が2度あるからだ。
パーティープレートなしでも十分な食事をして、午後はお散歩。
都会の田舎なので、裏山に行くとかなりのアップダウンがある。
馬を買っている人が多いので、多くの馬に乗った人たちとすれ違った。
当然狭い道には馬糞がたっくさんある。
ベジタリアンの馬は緑のころころのうんこをする。
乾けば藁のようになり、地に還るのである。踏んだところで汚いというものでもない。でも踏んでしまったら臭かった。
私は動物が怖いので、バケーションで乗馬をすることはあっても、一生馬を買うことはないだろう。
いや、恐いだけじゃなくて金銭的に絶対無理な話です。

1日食べまくった。
今年は3日までお休みすることに決めていたが、どこかに旅行をすることもなく、ずっと家、およびその周辺にいた。
ちょこちょこオフィスにも行った。

2日水曜はもう平常営業開始である。
町も普通通りなので、気分も切り替わり、今日からでも仕事はできたな~と思ったりした。
甥っ子を自宅に預かり、娘と遊ばせている間、ちょこっとオフィスに行くと、見ていたかのように電話が鳴った。取らなきゃいいのに、本能的にもう取っていた。
診療はしていないことを伝え、雑用や事務を少々進めた。
X線のメンテをするおじさんも突然やってきた。
あー、いてよかった・・・

3日はもう本当にすっかり町は平常の動きだ。
午前中はプレスクールで一緒だったママ友にエクセルの使用を少々教わりに行った。以前彼女が作った書類がとってもプロフェッショナルだったので、教えを乞いに行ったのだ。こうでもしないとコンピューターの使い方は最低次元のものしか使えない。実際最低次元のことしか必要としてないんだが。
午前中2時間の予定だったが、1時間ちょっとで目的を果たし、20分くらいお茶した。

これって奥様みたい~。

奥様つきあいを全く出来ないでいる私には結構新鮮で嬉しい。
奥様ごっこまたしたいな~。

娘と甥っ子の昼食を作らなきゃ行けないので、飛ばして帰宅。これも奥様っぽい。
うふふ。

午後、義妹を治療するためにオフィスに行ったら、患者さんが飛び込みでやって来た。痛いという人を断ることも出来ず、結局診療した。でも、すごーく気分がいい。時間的にも非常に有効活用出来た感じだ。

明日からは本当の仕事始め。
おまけに今年は滞米20年を迎える。
いる割にはアメリカの事を知らず、日本のことも88年で止まったままという中途半端な日本人になってきた。古い価値を抱えたまま海外に住み、かといって新しい国に芯から馴染んでいない典型的な人間である。
ま、考えてもしょうがないか。
どっちにしても、がんばるぞ~。