ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

娘の視点

2010-01-28 22:24:44 | Weblog
スケートの全米選手権の女子ファイナルを観ていたときのこと。

ある選手が両手を上げて、高速スピンをし、フィニッシュした。

娘が、

「ママはこれできないよね」

と、当たり前のことを言うので、

(こんなスピンできるわけないじゃん)と思ったとき、

「だってここがぼーぼーだもんね」

と、片手を上げて、脇の下でもう一つの手で指を動かしながら、毛がぼーぼーのしぐさをした。

おまえ・・・・・そこかいっっっ!!!!!!

スケートを観なさい、スケートをっっっっ!!!!!!!
それにそんなぼーぼーではありませんっっっっぶあっかもおーん!!!!!!



医療保険

2010-01-18 15:56:23 | Weblog
日本もアメリカも医療システムが破綻を来している。

日本は医者が忙しすぎて疲労困憊している。アメリカに比べると、医療機関に支払われる額も少なすぎる。逆にアメリカは医療費が高額で、保険会社のコントロールもすごい。医療費が高騰し、患者が医者にかかれなくなっている。
オバマ政権に変わってから、保険制度改革に取り組んでいるが、そのしわ寄せが私たち前線で働くオフィスでも徐々に出始めた。

最近気づいたことは、月々の支払いが値上がりしたとか、支払わなかったら保険を一方的に打ち切る、などの問題だ。値上げをしても保険会社がその分、病院やクリニックに支払うかと言えばそうではなく、むしろ支払わない傾向にある。つまり、保険会社は出来るだけお金をプールし、医療費をすべて患者の責任にしようという傾向が出てきた。
おそらく、オバマが改革を進める上で、保険会社も戦々恐々として、保身に走り始めたのではないかと想像する。

アメリカの保険は国民皆保険ではないので、個人がそれぞれ加入しなければならない。車の保険と一緒だ。
ちなみに我が家の支払いは、私と娘で月$340。おまけにdeductible (免責)が$3500。つまり医療費が3500ドルに達しない限り、医療費は実費で払わなければならない。3500ドル以上かかったらやっと保険適用になる。手術を受けない限り、達することはない。だから万が一の保険である。
移民も多いし、ヒスパニック系は子だくさん。少子化の心配は無用なので、産まれた時から、子供の予防接種などお金がばんばんかかる。

会社も従業員がある一定人数以上だと、社員の保険料を負担しなければならない。日本だとその必要がないから、会社の負担はその分楽になる。でもアメリカの場合は、保険料まで会社が負担しなければならなくなるから、人件費がとても高くなる。
たとえば時給10ドルでも、実際一人雇うのに時給20ドル払っているのと同じ負担になってしまう。

この負担額を最低限に押さえようと、小さい会社だと形だけの保険を支給するところもある。形だけの保険というのは、使い物にならない保険という意味だ。たとえば医療機関に行っても保険会社がほとんど支払わず、結局はキャッシュで自分が払わなければならないといったようなパターンだ。

カリフォルニアはキャッシュディスカウントが合法な州なので、最初からキャッシュ扱いで医療サービスを受けるのなら、多少のディスカウントを提示してくれる。保険会社を通す手間やオフィスのペーパーワークの手間を避けることができるから、かなりのディスカウントになることもある。

血液検査などは、保険に通すと数百ドル請求されるが、その場で支払うと$100前後で済む。もちろん会社が負担分を支払ってくれるというお方なら別の話だが、多くの人は自腹だ。だから少しでも負担は低い方がいい。
インフルエンザやH1N1などの予防接種も同様だ。
医者にかかると一度に100ドル以上はかかるので、ドラッグストアなどで$25で注射を受けることが出来る。これも高額医療費の影響だ。

保険のカバーでややこしいのは、同じ会社でも地位によって保険内容が異なっていることだ。駐在員と現地社員、部長とヒラ、など。
だから同じ会社でも油断は出来ないのだ。それは本人も把握していないことが多い。会社の地位まで医療側は関与出来ない。
従って、事前に自分の保険はどこまでカバーしているかを調べておく必要がある。

90年代までは医療側は高額な請求をして、ある程度支払われてきたので、そのぬるま湯にどっぷり浸かってきた傾向は否めない。
私なんぞはその恩恵を受ける時代をすぎて医療の仕事についたので、最初からきついもんだと思っているのが幸いしてか、さほどつらくはないが、過去を体験している方々は、相当やる気がなくなっているのではないだろうか。

アメリカにはHMOとPPOという保険システムがあるが、HMOは受診出来る医療保険機関が限られている。指定された病院なりクリニックなりに行かねばならない。これは最低限のサービスを受けることができる保険である。必ず担当医を通してでないと専門医にかかれないため、受診に時間がかかる。大病をした場合、不利になる保険だ。そして、多くの治療サービスに制限がある。

一方、PPOはどの医療機関に行ってもいいが、負担が多少大きくなる。専門医も諸検査も、どの医者からの指示で自由に動くことが出来る。

うちのオフィスも開業以来HMOを受け入れてきたが、今年始めから受け入れを辞めることにした。
患者さんと接して治療することは楽しくてしようがないんだが、私の喜びと経営は別問題。オフィスという本体なしで治療は出来ないわけで、HMOの患者さんを治療し続けることが、逆にオフィスにとってはマイナスになってきた。

これは実に悩んだ。
特に、日本語を話せる医療機関が極端に少ないため、出来るだけ日系社会に貢献しようと思い加入していたのだが、この辺りではアメリカ人でもHMOに加入している医療者が減っていた。そうなるとアメリカ人の患者も増えるのだ。そしてなぜかHMOの患者は保険の割に要求度が高い。中には支払いもないし、自分も決して支払おうともしないのに、「ここが悪い、あそこも痛い」と際限なく要求する白人のおばあちゃんも多い。一方的に要求だけをするわけのわからんインド人のおっさんもいる。

しかし、残念ながら、HMOはほとんどの治療に対して支払いがないため、保険適用の治療法(それはたったの一つ)をそのまま実行しても治らないのが現実だ。

「受け入れた患者はどんな方法を使っても全部治す」ぐらいの気持ちでやってきたから採算度外視で治療を行ってきたが、その情熱も経営という視点から見ると、徐々に裏目に出てきた。そして、何より自分自身が疲れてきてしまった。

患者さんは普通のHMOの医療機関では受けられない治療をうちで受けられる訳だから早く治るし喜ばれる。でもそれは職人気質的自己満足であって、経営はなりたたない。私一人で働いているならそれでもいいが、うちには少ないもののスタッフだっている。彼らをこの流れに引きずり込むわけにはいかないのだ。

どこかで一線を引かなければ、自分が最初に潰れてしまう・・・・
一方で、私がHMOを受け入れなければ、今の患者さん(もちろん一部だけれど)はどこで治療を受ければいいのだろうか。
そんな良心とのジレンマがあった。

考えて考えたけれど、やっぱり辞めることにした。

まだまだやること、やらなければならないことはたくさんある。自分の出来る範囲でがんばらないと。







おしいっ

2010-01-16 21:29:23 | Weblog
今日は全米フィギア選手権大会で、オピンピックの選考会でもある。
米国のペアの枠は2。
テレビ放映があったので、録画してご飯を食べながら家族で見た。

下位の選手は地方大会レベルでテレビで放映するほどでもないようなレベル。
上位はやはりそれなりだ。

いよいよ期待のジョン&レナ組。
前組がショートも1位、フリーも1位というペアだったため、会場が相当盛り上がっている。
滑りにくかったと思うが、これが最後の公式戦かもしれない。
滑る前に精神統一をしていた。
まるで「天国のお父さん、日本のお母さん、応援してくれていた皆さん、がんばります」と心で唱えているようにさえ見えた。そして、二人は踊り始めた。

ペア歴が長いし、国際大会の経験も豊かだし、ショーで鍛えられたこともあって、表現力もとても豊か。

プログラムが進むうち、スロートリプルアクセルに挑んだ。

そして着地した!!!!

わぁっっっっ!!!!!!!!

観ていた私たちも拍手した。

まさか、まさか33歳と36歳の長老ペアが成し遂げるとは思わなかった。

思い残すことは何もない。
やるだけのことはやる。
そんな気持ちが伝わってきた。

そしてプログラムは終わった。

終了後、れなちゃんは号泣していた。

私たちも泣いた。

すごくすごくいいプログラムだった。

結果は0.6ポイント及ばず3位。

オリンピックには本当にあとちょっと、ほんのちょっとだけ届かなかった。

たら、れば、を言い始めるときりがないけれど、おしかったなあ・・・・・・。

だけど、渾身の滑りだった。

遅刻!

2010-01-13 22:14:39 | Weblog
昨日の朝、いやに今日は夢が長いなあ・・・・お父さんにも会ったり・・・と思っていて、はっっっっっっっと目が覚めたら8時半になっていた。

学校は9時から。
仕事も9時から。
ぎゃ~~~~~~~~~~~~

しかも、その日は、娘のフィールドトリップ。
フィールドトリップというのは、近所への遠足って感じ。近足か。松山で言えば、東雲小学校からお城山へ上っておりるようなイベントだ。
だからお弁当も捨てられるブラウンバッグ仕様にしなければならぬ。
しかし、そういう日に限ってごはんがない。
ど、どないしょ・・・・

考える時間すらなかったので、犬にも負けないぐらい大雑把なシャワーを浴び、出たらすぐフライパンでウインナーを炒め、冷凍していたご飯を解凍させ、ジュースやらスナックやらを袋につっこんだ。
袋に名前とクラス番号をマジックででかでかと書き殴った。

あわあわ言いながら、子供を車に乗せ、学校の前までぶっ飛ばして子供を降ろした。そのとき8時58分。

走れ、ぞな子!!!!!!

そっから車をぶわーんと飛ばしてオフィスについたのが、9時5分。
パーキングを全速力で走って、オフィスに入った。

髪が逆立ってたのではないかと思う。

午前中いっぱいは押せ押せスケジュールで、自分もいっぱいいっぱい。
午後になってやっとペースが戻った。

会社勤めなら代わりの人がいるが、自営業の自分は代理はいない。いや、自営業でも上手に経営なさっている方は違うであろう。寝坊は禁物である。
寝坊したら自分がつらくなるだけなので、二度としたくない。


ビーチでアイススケート

2010-01-11 20:14:40 | Weblog
平日はめちゃくちゃ忙しいぞな子だが、日曜日の午後はたいがい暇を持て余している娘。
午前中は日本語の宿題を済ませ、お昼ご飯を食べたら1時すぎた。
こっちは日本の子供たちのように自分でお友達の家を行き来して遊べないので、事前予約が必須だ。
この日も予約をしていなかったので、行き当たりばったりで友達に電話をかけまくった。

・・・・・・・・・・

やっとこさ、甥っ子がスケートをしているという情報を得たので、スケート場に向かうことにした。
いつものスケート場と思ったが、甥っ子が行っている所は、redondo beachに設置された臨時の屋外スケートリンクseaside iceだった。

そういえばそんなものもあったなあ・・・・
せっかくだから行ってみよう。

ビーチの一体どこにスケートリンクがあるのだろう。
だいたいの場所の見当はついていたので、そこに行ったらあったあった。
普通のスケートリンクの半分以下の小さなスペースだが、ちゃんとしたスケート場があった。

外から中を見ると、甥っ子が見えた。
早速入り口で入場料を払った。
スケート靴を含んで$12。
悪くない。

さっそくスケート靴を持ってぞな子と中に入った。
すると子供を5人引率していたランディーに出会った。彼は義妹の友達だ。彼が甥っ子二人も引率していた。

ぞな子はすぐスケート靴に履き替えて、スケートリンクに飛び出した。
すぐ目の前はビーチ。
そしてライブでとってもいい音楽が流れている。
これぞ南カリフォルニア!という極めつけ。なんて贅沢な空間なんだろう・・・・

ランディーとは数年ぶりに会ったので、子供たちがスケートをしている間、ずっとおしゃべりしていた。
仕事のこと、家族のこと、健康のこと。

しっかり伴亀のことも愚痴った。

するとビジネスコンサルタントである彼は、

「おー、伴亀は世界で一番ひどい銀行だ。はっはっは。送金が多いのなら、citiとか邦銀の海外支店なんかの方が行員が慣れてんじゃないの? 手数料とかはわからないから問い合わせる必要があるけど。」

あー、そうだそうだ。citibankがあるじゃん。
あとで調べてみなきゃ。
伴亀には一矢を報いなければならぬ。むき~

ところで、ランディーの長女は14歳で今年9月から高校生になる。だからどこの高校に通うのか聞いた。それから、外国人の私にはよくわからないアメリカの高校のシステムについて教えてもらった。
アメリカは高校まで義務教育なので、公立高校の場合は、住む地区によって学校が決まる。
学校区が良ければ、住む地区も良くなり、不動産価値も高い。
各学校の大学進学率や成績が公開され、それに応じてランク付けがされ、家の値段も変動するという徹底ぶりだ。
私が住む家は中学までは最良区だが、高校の評価がよろしくない。それは柄の悪い東部地区からの学生が入ってくるからだ。高校も全部が悪いという訳ではなく、平均的に良いのではなく、上と下の差が激しいために平均が下がっているというのが現実だ。
比較的裕福な家庭の子が多く通う高校には薬物問題がつきまとうし、どこがいいなんて実際のところわからないのも事実。
だからいろんな理由をつけて、越境したり転校する親子も少なくない。
要はその子のやる気次第なんだが、初めての外国での子育てだし、一人っ子だから正直な所、出来るだけ失敗はしたくないのである。
会話の間に結論は出なかったけれど、引っ越さなくてもいいように、高校のレベルがあがってもらうのを祈るばかりだ。

そうこうしているうちに、滑り疲れた子供たちが陸にあがって休憩していた。
氷が溶けるので、水たまりみたいになっている。わざと転ぶ子供たちも多い。特に男の子。
親はたまらんだろうなあ、このまま車に乗られちゃ。

それにしても、この暑さでスケートリンクを作ろうという発想自体がクレージーだ。
でも実現してしまうところがすごい。
来週で最後なそうなので、とってもいいタイミングで来ることが出来た。
ランディーたちも来週最後だから来るそうだから、うちも時間を合わせて来ることにした。

子供が疲れてきたので、私たちも3時間ぐらいたった午後5時には退散することにした。
久々にお日様の元で数時間いたので、えらい疲れてしまった。
そしてその晩はとっとと寝てしまったのであった




研究者格差

2010-01-10 01:12:55 | Weblog
もう帰国してしまったけれど、日本で薬学の博士号を持っていた駐妻の友達がいた。
彼女はボランティアとして大学の研究室で働いていた。
そのとき、ラットの心臓を取り除く作業を黙々としていたのだが、これはさんざん日本でやってきたことだったので、彼女にとってこの作業は昔取った杵柄、比較的慣れ親しんだ仕事であった。
おもしろいことに、こういう作業は日本人はとても上手なんだそうだ。
しかし、欧米の教授や研究者は手を汚したくないのか、あまりやらないらしい。

欧州から来ていた教授は、

「君の腕はすごい!」

と賞賛しつつも、決して作業には加わらなかった。
だから必然、日本人や他のアジア人が作業を請け負うことになる。が、論文の名前は白人だったりする。
要は、欧米人は自ら手を下して実験をすることをしない。しないから下手。下手だからやらない。これの繰り返し。
文字通り手が汚れる仕事は、手先の器用なアジア人に任せる。

これは実社会でも見られる傾向で、別に実験だけに限ったこっちゃない。
現場の第一線はマイノリティーに任せる。
マネジメントは欧米人。

アメリカにおけるこの構造は士農工商じゃないけど、人々の感覚に深く埋め込まれているので、改善にはまだまだ時間がかかりそうだ。
日本人は絶対力がある。
でも謙虚を美徳とするだけに、アピール力がないんだよなあ・・・

あの厚顔無恥なくらいの傲慢なアピール力。全部欲しいとは思わないが、仕事や生き方に有利になる程度でいいから私も欲しい。

日米銀行格差

2010-01-09 23:44:25 | Weblog
去年2度ほど、日本に送金することがあった。
6月に初めて送金したけど、スムーズにいった。
7月も同様、6月に記入したコピーを参考にしながら、全く同じ書式で記入を済まして、銀行窓口で送金した。
ちょっと不安だったのは、対応した行員が、アルバイトなのか、採用されたほやほやそうな若い青年だったことだ。責任者の行員らしきおじさんに指導されながら記入していたのがちょっと不安だった。

すると10日ほどして送金したはずのお金が戻ってきた。
送金した同じ額が戻ってきたのならあきらめもつくが、為替で激減した数百ドルが失われていた・・・・

すでに円高が始まっていたので、日本の口座に入金されていれば、数百ドルを失ったのはしょうがない。
送ったはいいが、日本にタッチダウンしてこっちに戻ってきた上、お金が減ってたら意味ないじゃん・・・・
こんなことが続いたら、怖くて銀行送金なんか出来ない。
預金して送金したら理由もなく大激減する銀行に誰が預けるか?
そんな馬鹿げたことが実際に起こった。

明細を受け取った直後に伴亀に聞きに行ったら、マネジャーという女性は、

「どうしてはわからない」

を連発するのみだった。

私も忙しかったので、原因追及しないまま、半年もたってしまった。

しかしずっとずっとわだかまりがあったので、おととい受け入れ先の日本の銀行に電話をしてみた。

「去年のことなんですが、送金したお金がそのまま日本でタッチダウンしてこちらに戻ってきたのですが、その際手数料とは別に、為替のレートのせいかお金が相当引かれて口座に戻ってきたのです。そのまま日本の口座に入金されていれば理解できるのですが、入金されることもなく間違ったからと言ってお金を失ってしまうと、今後送金するたびにお金を失うことになり、正直怖くて送金できません。なぜうまく送金できなかったかもし理由がそちらの方でわかればうかがいたいのですが。」

と事情を説明すると、外国為替部の方がそれはそれは丁寧に教えてくれた。

「それはおかしいですね。ちゃんと送り先の銀行に問い合わせて聞いた方が良いですよ。原因が原因なら銀行が返金しなければなりませんから。」

受け入れ側は受け入れるだけなので、原因はわからないから、送り先の銀行で調べなければならない。
送金の際、必要な情報は、5つ。
それを一つ一つ、丁寧かつしっかりしたご返答をいただいた。

さすが日本の銀行はしっかりしている。

翌日、仕事の合間に、伴亀の外国為替部に連絡して事情を説明したら、担当部署に転送するといわれ、ホールド。
やっとつながったかと思ったら、また転送で、またホールド。
転送ごとに1から事情を説明しなければならない。
そしてまた転送されてホールド。
しまいにはテープになってしまった。

「営業時間は8時から5時半までです。オフィスは閉店しました。ぶちっ。」

私がかけているのは午後2時。なんで閉店すんねや。
席を外しているにしても、留守番電話にさえならない。
もうこのテープは10回は聞いている。でも人にたどり着けない。

もう一回かけ直して、録音テープに従ってプッシュフォンを押す。
しかし、営業時間にもかかわらず「オフィスは閉店しました」の録音テープが鳴り響く。

それを3回くりかえして、やっとつかまったので、「録音テープが閉店を告げてるけど」と言うと、
「そんなはずはない。担当者につなげる」
と、つなげてくれたら、また「閉店しました」のテープ。

もう怒ってあきれて、電話を切ってしまった。
大丈夫か世界の伴亀?????
えーかげんなもんや。

そして仕事に戻り、1時間後、もう一度心を入れ替えて電話をしてみた。
すると、しっかりした感じの男性に通じた。
お、今度は仕事を理解している人と話せるだろうか。

また1から事情を話すと、
「それはおかしい。こちらで調べてみます。」
と、日本の行員よろしくてきぱきと応対してくれた。
最初っからこの人が出てくれれば問題なかったのに。

原因は記入フォームに日本の支店番号が書かれていなかったからのようだった。
でも1回目も書いてなかったけど、ちゃんと送金できたんだよ。記入フォームには支店番号なんて項目もなかったんだよ。
なんで?

その担当者は、支店番号の項目がないことに明言を避けた上で、
「日本の銀行はいつも迅速な対応をしていてすごいなと思っている。逆にアメリカの銀行の対応の遅さには僕も恥だと思うところがある。この件に関しても、日本の銀行は翌日こちらに連絡をくれているけれど、あなたの口座に返金されるのに10日かかっている。これは時間がかかりすぎています。直接銀行の支店に行って、返金してもらうように伝えた方がいいですよ。」

と、しっかり日本の銀行を持ち上げることも忘れなかった。
こう言われると悪い気はしない。
しかし、現場に行ってまた1から説明しなければならない。
が、調査部の人と話したからその点はちゃんと記録して(相手の名前と話した時間)おいた。

行員が返金の可能性を匂わせたので、たまたま奇跡的にあいていたその時間に、速攻で銀行に出向いた。
来週はオフィスから出る時間もないから、思い立ったが吉日、鉄は熱いうちに打て、だ。

ちょっぱやで銀行に出向いて事情を話すと、為替を取り扱う行員が出てきて、

「銀行に明らかなミスがない限り返金は出来ない。」

と言った。

当時のマネジャーはその場にいたが、私との話はもう終わっていると、会おうともしない。
クレーマーと思われたかな。
でも彼女はマネージャーのくせに、原因追求をするどころか、「なぜかわからないわ。」と言い切った張本人なのである。

なんだかな~。私の伴亀の信頼度はあんたの対応でかなり落ちたよ。

為替を取り扱うおじさんは2センチぐらいのつけまつげをつけた別の女性に用件をいいつけると、彼女がこのケースを扱い始めた。

彼女も為替部に電話をしたが、出る度に違う人が出てくるので、また1から説明していた。

結局、銀行が私に何度も連絡を入れたが、私が応答しなかったから10日後、口座に返金した、ということであった。

電話した~?!?!?!

全然記憶がない。銀行からのメッセージなんかあったっけ?????

記憶をたぐり寄せるが全く記憶がなかった。

もしかしてセールスコールと思って私が電話しなかったのかな。

半年前の話なので、全然覚えてなかった。これは痛い・・・・もしかしたらあったかもしれないし、なかったかもしれない。これでは相手に突っ込めない。なぜもっと速く自分は行動に移さなかったのか悔やまれる。

結局、銀行は私に連絡し続けたという行動はとったので、落ち度はないから返金は出来ないということであった。

ごっついまつげをつけた女性は、

「前の月とその月と同じフォーマットで記入したんでしょ。なんで送金できなかったのかしら・・・。個人的見解だけど、1回目は融通が利く人が機転を効かせて送金して、2度目はあんまりわからない人が取り扱ったんじゃないかしら・・・・」

・・・・・・ありうる・・・・・・・多いにありうる・・・・・・・

「原因を聞いてみますね。」

と言ったので、

「もう原因はわかってます。さっき電話で聞いて支店番号がないって言ってたから。」

同時にまつげの女性は為替担当者に聞いていたので、答えが合致していたのを確認した。私が確認せず、まつげ女性も追求しなかったら、伴亀サイドは「わからない」で済ませたのだろうか。多分そうだろ。
こんな初歩的なことを現場で解決できないなんて本当に情けない銀行。

「落ち込まないで。今度は絶対うまくいくから!」と、彼女は同情した目で私を見ながら言った。

って、お前プロの行員だろ~が。
送金に今度もくそもないんじゃ~!!!!!

という思いは心に抑えて、

「原因がわかったからもういいです。」

と言って、一応一生懸命対応してくれたまつげの行員に対しては、お礼を言って銀行を後にした。
原因はわかったものの、初期の対応のまずさはいかんかったな。それは相手に対しても自分に対しても。

しかし、高い授業料を払って学んだことがある。

・アメリカの銀行は、どんな大銀行だったとしても、心底からは信用してはならない。

・トラブルが起こったら、全部自分で調べなければならない。銀行を当てにしてはいけない。

・月々の明細が送られてきたら、細部を必ずチェックし、おかしいと思ったら即連絡し解決する。

・取り扱う行員に不安を感じたら、その場で書類や作業を再々確認する。

・送金をする場合は、アメリカの銀行と受け取り側の日本の銀行の為替部に電話をし(日本の場合は国際電話だ)、お金を送りましたからしっかり受け取って下さいという念を押す。大げさじゃなくてこうしろ、とアメリカ側も日本側の銀行も断言した。
そうすれば安心して送金が出来るということだ。

これなら帰国のときに現金を持って帰って銀行で換金する方が100倍簡単やんけ。
まあ不正を防ぐために数々の関門があるんだろうが、悔しいなあ~。
今は円高なので、送金は円安になるまで絶対やらん。








たかが土曜日、されど土曜日

2010-01-09 21:43:49 | Weblog
毎週土曜日は日本語学校に通っている娘。
どこの日本人の子供も同様だけど、最近子供を辞めさせたお母さん友達と話した。

「もういいやって思ってね。そしたら次の日から日本語をしゃべんなくなったんだ。たかだか土曜日1日じゃん。その土曜日、うちの息子は楽できるし、他のことも出来る。でも日本語能力を落とす代償を払っている。まだ続けている子供たちは、遊びや運動や課外活動を短縮したり我慢する代償で、日本語能力をどんどん高めてるんだよね。たかが土曜日、されど土曜日なんだよ。絶対中学まで辞めちゃだめだよ!」

と、力説した。

最近近い友達が辞めたこともあって、私の心は高層ビルが地震を受けたみたいにグラングラン揺れに揺れた。
彼女の家は彼女の家のポリシーもあるだろうし、考えもあって決めたことだと思う。

でも、決めた。
周りがどんどん辞めていったとしても、ただ参加していることになったとしても、中学卒業までは絶対通わせよう。
それだけは、やり遂げさせよう。
これは親子の根比べ。
結果がどう出るかは、ぞな子が大人になってもずっとずっとわからない。
自分を信じて突き進むのみだ。
そう決めた。

乞食になりたいんか

2010-01-07 23:31:06 | Weblog
毎晩、ぞな子の宿題を見ている。
食事の後、夫による英語、その後私による日本語。
冬休みがあったので、日本語学校からの宿題がすごいすごい。
でも仕上げないといかんので、鬼になる。

やってるうちに、

「ぞな子、お勉強嫌い!」

と愚図るが、これはいつものパターン。

以前はこっちもぶち切れて、大げんかになって、ぞな子が泣いて、宿題をおいおい泣きながらする、というパターンであった。が、それもぞな子も私も長続きしないよなあと思って、母は改心し、何を言われてもじっくり構えることにした。

「ぞな子、お勉強嫌い!」

と言った時は、真顔で、

「あんたは乞食になりたいんか?」

と、答えた。すると、

「乞食ってなに?」

と、言われた。

「外でチリンチリンって鐘ならしとるおっさんおるやろ。あとはゴミあさりしとるおっさんとか。人に物下さーいって言う人。」

普通の人でもリサイクルなんかでゴミあさりをしている人はいるけど、まあそれはさておき。

「そんな人この辺にいないもん。」

と、ぞな子は言った。

「そういう人がいっぱいおる所に行ったらいっぱいおるの。ぞな子ちゃんは子供やからそういう所は行ったらいかんの。お勉強しなかったら仕事ができん、仕事ができんかったら大好きなパンも食べられんのよ。だからお母さんも一生懸命働いてるやろ。」

と、ぞな子の目を見ながら言った。すると、

「ぞな子ちゃん乞食になりたくない・・・」

と、言って宿題に向かった。

これから、現実の社会を見合わせながら、真剣に語り続けてくしかない。いつかは今やっていることが役立つことがわかると思うから。
それまでは親子のバトルが毎日毎日続くんだろうな・・・・
がんばれよ、ぞな子。