ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

ホエールウオッチング

2010-02-28 23:09:16 | Weblog
今朝は朝9時前に自宅を出発し、ホエールウオッチングへと出かけた。
今までそんなの行ったことがなかったので、積極的に参加しよう!と夫と娘の3人で申し込んでおいたのだ。

娘はチリ地震による津波のニュースを聞いて、相当びびっていた。

「ぞな子ちゃん、行きたくなーい」

と前日から言っていた。
それをなだめておだてて連れて来た。この時は私も波は全くないと信じきっていた。

10時出発で、大きな船に乗って行くのかと思いきや、目にしたのは松山ー広島を往復する水中翼船ぐらいの大きさ。いや、水中翼船よりもう2周りぐらい小さい。横幅も4-5歩で歩ける。
だ、大丈夫か・・・これで・・・・
娘をなだめた私の方が不安になってきた。
そういえばクジラは大きい。
浅瀬でちょろちょろ泳いでいる小魚ではないのだ。

最初はわけがわからないので、意気揚々として乗船した。
全員がすわれないので、私たちは狭い甲板に陣取った。

そして10時に出航し、徐々に沖に出て行った。

後で知ったが、その日はやはり津波の影響で波が高くて、海岸によっては封鎖されていたところもあったそうだが、後の祭りである。

予定は9時半から12時半。3時間も海にいるんだ・・・結構長い。

遠くにいくんだ・・・・こわいっっ!

ウオーターブレークがある間は波もなくていいけれど、離れるとだんだん波が大きくなっている。
結構うねってないか?
小舟が笹舟のように感じられるほど、かなり揺れる。
波もでかい。

一体どこまで行くの~。

10時半か11時頃になって、クジラが見えるあたりで、ちょっと停泊。

もう停泊しなくてもいいよ~・・・・

だれかが、

「ホエール!!!!」

と叫ぶと、その方向にクジラが見えた。

イルカもペリカンも見えた。アザラシもいたらしいが、どうでもいい。

そのあたりで、うっときたかと思ったら、げーーーー。
横にあったドラム缶にげーげー吐いた。3回ぐらい吐いて、胃はすっきり。

今度は唇真っ青のぞな子。
やばい、こいつもそろそろかもしれない。

ぞな子は乗船してから、嗚咽にちかいうなり声をずっとあげ続けている。
「う~う~う~」
「もう帰ろうよ~
これを果てしなく繰り返していた。

でも、帰れないんだよ。この大海原。お母さんも帰りたいよ。くじらもペリカンももうどうでもいい。勝手に泳いでてくれ。お前らが偉大なのは、よーくわかった。

そして、
「気持ち悪いっっっ」
と、言い終わらないうちに、その場にゲーを吐いた。
夫のバックバックもげろまみれである。
横のドラム缶に顔をつっこませ、しばらく静止。
他の乗船者の方々はくじらやイルカを見ていた。
一方でげろを吐きまくる私たち・・・・

吐いたらちょっとはすっきりしたのか、唇の色がピンクに戻って来た。

でもまだ12時半にはならない。
長い長い航海(じゃないんだけど)。
つくづく寛平ちゃんを尊敬するし、なんでこんなしんどいことやんの?
海で働く人も大尊敬。陸が見えない所で、海賊だって出るだろうに、どうしてそんなこと出来るの?
私らはたったの3時間のホエールウオッチングなのに、あの人は太平洋を渡ったんだもんなあ・・・
水中翼船だったら広島に行って帰ってるよ・・・

もうクジラどうでもいいです。

一応全部見れたので、船は港に戻り始めた。

やっと戻れる・・・嬉しい。

横にいた赤ちゃん連れのお母さんもぼろぼろになっていた。
赤ちゃんはずっとずっと泣いたまま。お母さんも吐く所までは行かないけど、結構きつそうだった。
「早く帰りたいですねぇ」 
とお互い言った。

港に着いたら本当にほっとした。
ぞな子も急に元気になった。
降りたら係員が、
「次は釣りツアーがあります」
と、笑顔でちらしを配っていた。
行けるかいっっっ、この状態で

予定ではスムーズに帰宅し、アメリカvsカナダのアイスホッケー決勝線をライブで見る予定であった。
しかし、ぼろぼろの私たちは帰宅して、そのままぶっつぶれて寝た。
夕方起きて、食材を購入し夕食を食べながらホッケーの決勝戦を見た。
それはそれは盛り上がった。

就寝時、娘は海のイメージが残っているのか、
「ばかばかばかばか」
と、頭をたたいた。
それを3回繰り返した。
忘れるために、こうするんだそうだ。

今日は本当にえらい日だったよね。ぞな子もよく頑張った。お母さんもよく頑張った。
最初で最後でもいいと思える日でした。

















人件費削減

2010-02-17 20:24:50 | Weblog
保険会社から自宅にメッセージが入っていたので、コールバックするように夫が言った。
何だろうと思いながら、午後かけなおした。

すると、録音の音声で、「メッセージを聞いた電話番号を入れてください。」
と言った。
自宅の電話番号をプッシュホンすると、
「ぞなさんですね」
と、コンピューターの声が言った。
「yes」と答える。
次に、延々とテープが流れた。
「昨今の厳しい経済のため、月々のプレミアムフィーを当社も値上げを考慮しなければなりません。あなたも大変だと思いますが、ご協力お願いします。すぐあげるのではなく、徐々にあげます。」

要約すればこんな内容だったが、それを言い訳がましくうだうだテープが説明していた。

最後に、「値上げをしたら、この保険に加入しつづけますか? 辞めますか?」

と、言われたので、

「辞めます」

コンピューターの声に向かって言った。

保険会社も人件費削減がすごい。
テープに言われれば文句も言われないし、雇用者のストレスもたまらない。
でもこういうのすごく嫌。
アメリカの負の部分。

年を取ってからの過ごし方

2010-02-15 09:12:19 | Weblog
知人のHさんのお母さんと妹さんがアメリカに遊びに来ていた。
お父さんは早くに亡くなられていた。
なんでも妹さんが離婚なさったそうで、傷心旅行も兼ねてらしい。

しかし、娘さんを放っといて、お母さんは一人で東部へ旅行へ行ったり、とにかく一人で歩き回っていたらしい。

「すごい活動的なお母さんですね~」

と、話していたら、とっても面白いことを教えてくれた。

お母さんはある時、「子供たちも大きくなったし、お父さんも見送ったから、これからは私は好きなように生きる」と宣言した。
そして、日本語教師として中国へ渡ったのだ。
今年で6年目になるそうだが、中国で一人暮らしをして日本語を教えて暮らしている。
今回東部旅行へ行ったけれど、彼女は英語がしゃべれない。
どうやって乗り切ったかというと、6人に一人は中国人という世界人口を考慮し、質問はすべて中国語で乗り切ったというのだ。

そして、お母さんは楽しんでHさんの家に戻って来た。

「だからあの人は一人でほおっておいても大丈夫なんですよ。」

とのことであった。

恐るべし・・・日本の母。

また、新たな選択が広がったのであった。

ピュアなスポーツマン?

2010-02-14 23:45:00 | Weblog
アスリートがメディアに出るのは、スポンサーを得ることだったり、有名人になりたいとか、収入の糧のため、あるいは収入に対する義務だったりする。
でも、まったくメディアにも出ず、本気の本気でスポーツを楽しみたいという男がいる。
その名はDale Begg-Smith.
バンクーバー出身のカナダ人だが、オーストラリアに移住してそこの国籍を持つ二重国籍人だ。

今年のオリンピックもオーストラリア代表として出場している。
トリノオリンピックではモーグルで金。今回のバンクーバーオリンピックでは銀。でも記者会見に出ようとはしないし、メディアの露出を極力避ける男だ。
日本代表だったら「けしからん!」と言われるんじゃないのかな。

彼は10代のとき、カナダのナショナルチームで活躍していたが、同時期、兄弟でコンピューターソフトウエアのビジネスを立ち上げ、すでに成功していた(10代でありえるか?!)。
そして、「仕事に費やす時間が多すぎてトレーニングに費やせない」とカナダスキー連盟から苦言を受けていた。カナダ代表としてスキーをすると、仕事に時間を費やせないどころか、仕事ばかりしていると「好ましくない」レッテルを貼られ中傷ばかりされるので、16歳のとき兄弟揃って規制の緩いオーストラリアに移住してしまった。

彼は仕事で潤沢な資金を得ているので、スキーは究極の道楽として楽しんでいるように見える。それもオリンピックレベルで。メディアに出る必要がないのは、自分の名を売る必要もないためかもしれないし、有名になりすぎて不用意に税金のことをつっこまれるのを避けるためかどうかは全く持って不明である。彼の会社のソフトがコンピューターユーザーに不利益をももたらすということもあるようだが真相はわからぬ。

ゴルファーにはそういう人がいるのは知っているが、スキーでもいるんだな。ゴルフの全米女子オープンは、予選を勝ち進めば素人でも出場できるので、プロではないがゴルフの上手い裕福な年配の女性がその昔常連のように出場していた。造詣の深い人に聞いたら、
「彼女はプロになる必要がないんだよ。お金持ちだから他の選手のように稼ぐためにゴルフをする必要がないんだ。」
と、教えてもらった。
そういう人がこの世の中にいるんだなあと思ったのを覚えている。

ともかく、彼は資金をたっぷり持っているけれど、オリンピックや遠征などで、アメリカのNBAの選手のように特別なホテルに泊まるという訳でなく、チームが宿泊する宿舎に一緒に泊まるし、ともかく目立たないように行動をしている。隠れるという意味ではなく、自分を際立たせないというか、目立つ行動を好まないというか。日本のスノボーの兄ちゃんとはレベルが違う。インターナショナルな記者会見にも出ないけれど、日本ほど協会のしめつけがないから、「でなさい!」ということもないだろうし、それでキーキー言うメディアもない(オーストラリア国内の反響はわからないけど)。

英語言語圏内だと国さえ許せばこういうことが可能だ。
日本語は話されるのが日本しかないので、このような発想は生まれない。
大陸を渡り歩く生き方の善悪はないけれど、自分が生きたいように生きるという「自分軸」がある人にとっては最高の選択ではないだろうか。



10km

2010-02-11 15:27:57 | Weblog
日曜日はレドンドビーチで10kmランがあった。
毎年スーパーボールのある早朝に行われるレースだ。
近所のMさんがいつも誘ってくださるので、無茶を承知で出場した。
先週は強行バスツアー。
休みなしに仕事して、日曜日10km。
一体私は何をしているのだろうか・・・

しかし、スキーで知り合ったKRちゃんなんて、同日ハンティントンビーチでフルマラソンを走る予定だ。
私は彼女の4分の1の距離でいいのだ。頑張らねば。

ゼッケンは前日の土曜日からピックアップ可能であったが、7時過ぎまで仕事だったので、日曜日の朝6時半ごろピックアップにいった。心なしか緊張していたので、4時頃から目が覚めてしまった。
まだ夜も明けるか明けないかってごろに、一人家を出た。
家族はもちろん爆睡中である。

この時期、朝はとても寒い。
厚着をして、ビーチ近辺に車を停め、会場に向かった。
すでに人が集まっていた。
自分の名字の頭文字のところに行って、自分のゼッケンをもらった。
この手のイベントはあちらこちらで開催されているので、主催者も要領がとてもいい。スタッフはほとんどがボランティアなので、人件費もかからない。このようにして地域スポーツが気軽に楽しめる。
スポーツフェアも開催されていたので、ちょろちょろお店をのぞいた。

去年は6時半ごろ、(いけない、いけない)と思いつつ、どうしても食べたかったコーヒーとドーナツを食べて、8時半に出走したら、気持ち悪くて何度も吐きそうになった。今年はその二の舞は踏むまい。だから朝食は軽めにして、水だけ飲んでいた。知り合いにも数人あった。

7時に仮装部門の表彰式がある。
早朝7時から、ものすごい仮装をしている。一体彼らは何時に起きているのだろうか・・・
そして、5kmか10kmを仮装して走るのである。
アメリカ人の馬鹿っぶりは、ある意味見習うところが多い。

7時半に5kmがスタート。
最初のランナーなんて15分ちょいで戻って来た。一体あなたは何者なの・・・

8時過ぎにbaby baggyがスタートした。
8時半には私も出る10kmのスタートだ。
ろくに練習してないけど、まあしゃーないわ。出るしかない。

スタートともにゆっくり走り始めた。
エリートランナーは出走前にウオーミングアップするけれど、私のように遅いランナーは、10kmの中がすべてウオーミングアップである。無駄はできぬ。かといってそれからスピードが上がるかと言えば、上がらないのが不思議な所だ。安全第一。

最初の1マイルが遠く、次の2マイルも遠かった。
練習してないと本当に1マイルが長い。
週末コンスタントに20km走っていたときは、10kmがとても短かった。
練習してない罰である。これもしょーがない。
先週、マンモスで高地トレーニング?をしたのも、大して役に立っていない。高地トレーニングというのはある一定期間続けなければ意味がないようだ。1日半スキーをしたからといって、赤血球は増えないのだ。

途中、水分補給ステーションがあったが、遠慮なくちびちび飲んだ。
そしてとことこ走った。

長い・・・・・・

やっと折り返すと、大海原が見えた。
きれいだ。しかし、きつい。

とことことことこ・・・

あとちょっとだ。と、思うとスピードを出した。
でも、それは勘違いで、まだまだだった。
するとまたスピードが落ちた。
こんなことを繰り返して、最後は全然スピードが上がらなかった。

でも無事完走した。
約60分。

レース後、へろへろになりながら荷物を取りに行った。
ソーセージとかハンバーグを食べている人がいたけれど、水を飲んだだけで吐きそうなのに、こんなものを食う人達の気が知れぬ。もう、ぜーぜーである。
この後、1時間後仕事に行かねばならなかった。
ゆっくりおしゃべりでもしながら、ランチをとりたかったが、そんな時間も食欲もなく、早々に会場を引き上げた。

帰宅後シャワーを浴び、すぐオフィスに行った。
大分弱ったなあ、私・・・・

2時過ぎ、帰宅して、ご飯を食べると急に疲れが出た。
夕方、結構寒かったが、娘とお友達を公園に連れて行った。冷たい風がぴゅーぴゅー吹いているというのに、子供たちはバケツとシャベルを持って、水たまりで遊んでいた。
私は厚着をしてマフラーを巻いて、ベンチに座っていた。強烈な睡魔が襲いかかり、お地蔵さんのように不動で寝ていた。石像状態である。
そうこうするうちに、お友達のお母さんが公園にピックアップに来られた。
やっと家に帰れる・・・・
今日は早く寝ます




嬉しい再会

2010-02-04 07:15:15 | Weblog
今日は夕方からダイヤモンドバーに行った。ダイヤモンドバーというのは、ロスの北東部に位置する韓国人が多く住む町だ。
なんでそんなところに行ったかというと、韓国人プロゴルファーの友達が、トレーニングとバケーションを兼ねて来ているからだ。
彼女から先週いきなり電話があり、

「ぞなちゃーん、Kです~。今、ロスに来ています~。また電話するね~」

という独特のアクセントでメッセージを残しておいてくれた。
さっそく電話をしたら、あっちゃこっちゃでゴルフをし、ギャンブルをし、毎日楽しくすごしているようだった。
お互い都合がつく日が、今日水曜日の夜だけだったので、急遽会うことになった。

Kさんは私と1つしか変わらないのに、100倍大人だ。
社会的地位と財産があるのと、一家を常に支えていた貫禄があるので、振る舞いが大人なのだ。
女とか、性別は超越している豪快で竹を割ったような性格のお方だ。
私がどんなにもがいても、絶対追いつけないスケールのお方である。
世話好きで人懐っこいので、誰からも好かれるし、私も大大大大好きな人だ。

ちょっと遠かったけど、会えない距離じゃなかったので、車を飛ばして会って来た。
どうやら電話だと、彼女とBFだけじゃなくてお友達も一緒とのことだった。もう誰と一緒でもいいのだ。

韓国焼き肉屋さんで待ち合わせしたら、ちょうど一緒に着いた。
Kさん全然変わってないよ~
ハグハグハグ。
二人のお友達は韓国のプロだそうだ。
おそらくKさんとは同世代のプロではないかと思う。きっと彼女たちは韓国ゴルフのパイオニアとして、引っ張っていったんじゃないだろうか。彼女たちがいて、今の韓国選手の活躍があるんだと思います。
そしてKさんの横には、優しい笑顔をしたボーイフレンドが立っていた。うんと年上だけど、とても優しそうな方であった。

私は一般日本人の中では、比較的大きい方だけど、この人たちの中にいると小さく見えるから不思議だ。

焼き肉屋さんで、Kさんは鬼のようにオーダーし、周りから、
「全部来てからにしよ。とりあえず待て」
と、止められる程ぶっとばしてオーダーしていた。
そして、ものすごい勢いで食べた。
すごいわ~、ほれぼれとするぐらいの食べっぷりじゃ

仕事のこと、ゴルフのこと、プライベートなこと。たくさん話した。

私は韓国語を話せないので、kさんや同行のプロ(一人はこっちに住んでレッスンプロをしている)に通訳してもらってコミュニケーションをはかった。
Kさんの彼は仕事で韓国を行き来していたので、韓国語を相当勉強したそうだ。
これは韓国語を練習した方が会話が100倍楽しくなるなあ・・・

がっつり食べたら、もうお腹がいっぱいになった。
みんないい笑顔

国も言葉も性別も年も超えて、こういう付き合いができるのは、最高に嬉しい。
Kさんは一緒にいて本当に楽しい人だ。娘もこんな人になって欲しいなあ・・・

Kさんはうちの家族へのお持ち帰りまで持たせてくれた。
私が持って来たパンの倍はあるくらいの量であった。こんなことなら店中のパンを買って来ていれば良かった・・・
Kさんの配慮には本当に頭が下がる。それも自然に振る舞えるのだ。
エリエール(秋、香川と松山と交互に開催される女子ゴルフトーナメント)の時は、私の家族とも会ってくれている。
亡くなった父とも一緒に話をしてくれていた。

竹を割ったような男らしい性格、人懐っこい人柄、こんな人いないぞ~。

「今度、帰国したときに連絡するね~!」

と、でかい女同士がはぐはぐをして帰路についたのであった。
あー、頑張って行って良かった。
明日からまた頑張れる。



娘の日本語

2010-02-03 22:02:04 | Weblog
私が帰宅した日曜日、娘の宿題をチェックしたら、なななんと日本語の宿題を終わらせていた。

「どうしたの~?!」

と、驚いて聞くと、夫が、

「テレビばっかり見るから、『宿題を全部終わらせないと見ちゃだめ』って言ったら本当に全部やったんだ。」

と、驚きの返答があった。

絵日記を読み返していたら、この子は英語人なのかなあと感じることがあった。ちなみにぞな子は、「アメリカ人」とか「外人」とか言わず、「英語人」「日本語人」という言い方をする。日本語をしゃべらない日系人は「英語人」となる。日本からの日本人は「日本語人」になる。なかなかわかりやすい分類の仕方だ。

絵日記にはお泊まりのお誕生日会のことが書かれてあった。

お友達の名前をカタカナで表記してあったが、「ダニエル」と書くところを「ダニイャル」と書いてあった。
「ピザ」と書く所を、「ピッズァ」と書いてあった。

そして、「ひらがなをかたかなに直しましょう」という課題では、

しいる  シイル
くりいむ クリイム
せえふ  セエフ
すとおぶ ストオブ

と、ひらがなと一語一句同じに書き換えていた。

合ってるけど違ってるんだよなあ・・・・

でも、ぞな子はがんばってるよ。私が2年生のとき、英語の「え」も知らなかったんだから。
ゆっくり、でも確実にやっていこうね


マンモスバスツアー

2010-02-01 23:43:40 | Weblog
土曜日は久しぶりにお休みをとり、マンモスへスキーに行ってきた。
スキーは去年近場に1回行ったけど、娘にスキーをさせるのが目的だった。その目的を達成できたのは嬉しかったけど、私は本当にひどかった。娘をスクールに入れている間バンバン滑るつもりが、予想を裏切り、たった1本で滑るのを辞めてしまった。辞めたのは、あまりにも体力がなくなっていたからだ。天気が悪かったのもあったけど、もう息切れがひどい。
滑るのがしんどくてしょうがなくて、情けなかった。

だから今回真面目なスキーをするのは、実質20年ぶりぐらいになる。
果たして大丈夫だろうか・・・
怪我だけは避けなくっちゃ。

マンモスは行くのに車で5-6時間かかるので、行こうとも思わなかったスキー場だ。それこそ20年前に1度だけ行ったスキー場だ。でも全米でもトップクラスに入るスキー場だと思う。こんなスケールのでかいスキー場はない。ここに毎週末行く強者もいる。社会人でだ。
遠いのと面倒くさいので行かなかったけれど、今回はバスツアーを企画してくれる人がいた。
彼が「キャンセルが出たから行かない?」と誘ってくれた。

土曜日は娘の日本語学校もあるので、申し込みもしなかったけれど、偶然お泊まりの誕生日会に招待されていた。娘がお泊まりなら私、家にいなくてもいいじゃん・・・・
そう思うと、一人でも参加できないか考え始めた。
誘われてから、俄然家事に力を入れ始め、急に良い奥さんになった。

夫に、「私一人で行っていいかなあ、どうせぞな子はお泊まりだし」と話すと、「いいよ」と言ってくれた。
やったぜ
ちなみに夫はスキーは出来ない。だからはなから頭に入ってない。ははは・・・。 
こういうとき仕事を持って対等な立場になっていると助かる。なーんも引け目感じることないもんね。

ツアーには私のようなお一人様も何人もいるそうだ。だから全然気にならない。

金曜日の夜11時半に近所のホテルに集合し、12時前には出発した。
夜出発して、土曜の朝スキー場に到着し、土日滑って、日曜日の夜戻るという、強行スケジュールだ。
こんなスキーツアー今時ないぞ。
しかし、参加者はいたのだ。それも良い年した人ばっかり・・・・すごいぞ!

その日、9時前まで仕事をしていたので、バスの中で眠らないと絶対怪我する、と思い込んでいた私は、寝袋と枕を持参し、バスの中で寝る努力をした。うとうとしながらも、多少なりとも寝ることができた。もちろん完璧にはほど遠いけれど、91歳の参加者もいたのだ。このくらいで文句を言っちゃ罰が当たる。
明け方5時にはマンモスに着いた。運転手さんぶいぶい飛ばしたようだ。

持ってきたパンを食べ、着替えて、レンタルスキーをした。
これらのコーディネートはK隊長がすべて引き受けてくれた。
K隊長は長野県出身のスキーヤー。ちゃんとした仕事はあるが、山とスキーが大好きで、毎週と言っていいほど、スキーをしてるマニアだ。マンモスの山を知り尽くしている男とも言える。
彼の熱意にみんなが付いていっているという感じだ。

マンモスに着くと、あまり天気がよくない。吹雪いている。
こわいなあ・・・
まだ参加者全員のことがわかってないので、慎ましくついていった。

K隊長の友達が合流してきた。彼は元カナダのナショナルチームのコーチだ。そんな人と滑るんかい・・・
参加者のKRちゃんはスキーの先生をしていたこともあるし、60歳の元国体選手もいる。彼女はスキーの特待生でその昔大学に入った人だ。年はとっていても筋肉が記憶しているのか、素晴らしい滑りをしていた。
午前中は私は途中ではぐれてしまった。
足ががくがくする。息もすぐあがる。
大きいスキー場なので、集合場所に戻って待っていた。

みんなでランチを食べながら、休んでいると、両すねがつりはじめた。
ぎゃ~痛い!!!
しかし、迷惑をかけてはならん。
靴を脱いで、丹念にストレッチ。おばちゃんなんだからここのとこじっくりしとかないと。

そうこうするうちに、みんなの食事も終わり、午後の部開始。
完全に合宿モードだ。
K隊長を先頭に、がんがん滑り始めた。
しかし、みんなよくついていくよなあ・・・・
私は、かなり息が荒かった。
標高差がかなりあるというのもあった。頭痛もした。でも滑る度にだんだん体が慣れてきた。
25年前とスキーがすっかり変わっているので、滑り方も先生をしていたKRちゃんも快く教えてくれた。
カービングスキーってすごいなあ・・・・・本当に昔とは違うんだねえ・・・・。

バスの集合時間ぎりぎりまで滑った。
トレーニングを欠かさないKRちゃんとK隊長以外は全員へろへろである。

後に同郷の人だとわかったHさんは、
「これは完全に合宿ですね・・・・想像していたスキートリップとはかなり違いました・・・・」
と言っていた。
同感です・・・・

帰ったらすぐお風呂に入ったが、半分眠っていた。

夜は、用意の良いK隊長が鍋とコンロと材料を持参していて、部屋で鍋をすることになった。何故かお酒もたくさんあった。
これ全部もってきたの?・・・・すごい・・・・・。
みんな準備良すぎる。見習わないと。

お鍋をつつきながらいろんな話をした。
皆さん駐在だったり、現地で仕事をしたり、いろいろなバックグラウンドがある。
中でもHさんは東高出身だということがわかり、エミフルから2-3分の距離にご実家があるとわかった。もう驚愕である。
なんで雪なし県出身の彼がスキーがうまいかというと、社会人になって函館に転勤になった3年間で友達に教えてもらったそうだ。やっぱり住む所で遊びが変わるんだなあ・・・・
そして、もっとびっくりしたのは、私よりずっと年上だと思っていたHさんが、4つ年下だと判明したことだ。
彼は、
「僕は老け顔なんです・・・・」
と何度もおっしゃっていた。
それより、私も45だし、駐在で来る人たちが自分より若いのが当たり前だ。そこを錯覚しておった。いかん、いかん。
全員、その日の練習メニューが相当きつかったと言っていた。でも付いていってたよね。
私も気合いだけはいれにゃーと思い、
「行くぞ~!」と大声だけは出していた。もう後半はやけくそである。
気合いを入れないと怪我をしそうになる。だから空元気でがんばった。
それぞれの会社に帰れば、それなりの立場におられる方達だが、そのときばかりは一人の人間としてスキーを全力で楽しんでいた。
最高!!!!

8時になると私はもう睡魔につぶされそうになった。前日のこの時間、私はまだオフィスで働いていたはずなのに、もうスキー場にいる。やればできるじゃん、自分。
そして、もう限界だったので、

「お先に寝ます」

と、先に自分の部屋に戻った。

ホテルの部屋を一人で泊まるのなんて、父の葬儀で帰国して以来だ。
寂しいかな・・・・なんて思う間もなく、疲労で爆睡した
そして夜中1時頃、足がつって起きた以外、朝まで爆睡。

気がついたら窓の外が明るい・・・・

びっくりして飛び起きたら、7時になっていた。
やばい。今日の出発は8時だ。
急いで準備をして、下で簡単な朝ご飯を食べて準備した。
ちなみに朝食はスーパー8にあったようなワッフル焼き機とジュース、コーヒーがフリーで置いてあったので、それを各々で焼いて食べた。こういう簡易な朝食は本当に助かる。日本もsit down形式じゃなくて、こういう簡単ならいいのにね。

朝食をがっついていると、徐々にロビーに参加者が集まって来た。
えらいことに、前日のK隊長の部隊というか部員は全員起きて準備していた。
みんなすごいぞ~!
体が痛いとか、今日もえらい、とか言いながらだったけど。

日曜日も午前中びっちり滑った。
その日はいろんなバーンでレースが行われていた。
回転、大回転、X系のジャンプなどなど。
未来のオリンピック選手の卵たちがばんばん滑っていた。

セレブ系のベイル(コロラド州)スキー場にいったことのあるKRちゃんは、
「あそこはミンクとか毛皮とかを着て喜ぶリゾート。スキー場自体は大したことがないから行かなくていいですよ。滑る人を対象にしたスキー場はここ。マンモスが一番いい。」
と教えてくれた。

K隊長は山を知り尽くしているので、「どこに何時に行けば良い」とか、「このリフトがすいているから今行こう」とか、「ランチは早めにとって、午後たくさん滑ろう」とか、「ここからトラバースしてあっちのコースに行ってそこに集合」などと、的確な指示を与えてくれる。私たちは彼に付いていけばいいだけだ。隅から隅まで滑りまくった。

最後のランのときは、足が弱って踏ん張りが効かなくなるのがわかった。

飛ばして降りていたとき、スピードに負けてバランスを崩して、自分の板を踏んでしまった。と思ったら2-3回転してゴーグルも帽子も板も吹っ飛んで、頭を強打して転倒してしまった。

(うわっっっ、足が・・・・)

と、思うと同時にごろごろ体が回転して、最後に頭をバーンに打ち付けた。

いってー!!!!!

後ろから「大丈夫~!?」と助けに来てくれた。
心配をかけてはならないから、転んだときはサッと立つ。
でもふらふらした。
無茶はいかん。トレーニングをちゃんとしてないからこうなったんだ。自業自得。

「すみません。ありがとうございます。」とお礼をいって、滑り始めた。
気をつけなきゃ。

そしてあとロングをあと1本で終わり。
全員で滑った。

そして集合の時間。

全員が疲れたけど、本当に満足した濃厚な二日間をすごした。

91歳のお母さんを連れて来ていた方、80歳のお母さんを連れて来ていた方もいた。この強行スケジュールに来ようと思うお母様方に脱帽だ。すごいよ。

現役ばりばりにスキーを滑るK隊長にも脱帽である。まいった。

こんな壮快な体験を出来るなんて夢にも思わなかった。
がんがん滑ったからよかったんだよね。
なんだか絆のようなものが出来て、帰ってからも良い意味で元気が維持できた。

夜になって私は転倒で怪我した首がむち打ちのようになって、寝るとき支えないと寝れなくなった。これは想定外。

翌日月曜は参加者全員がそれぞれの仕事に出社しているはずだ。
私も朝から終日ゴンドラ20本分ぐらいのハイペースで仕事をした。
くったくた。でも壮快。

やれば出来るんだなあ。
本当に素晴らしい人たちと出会えて、こんな学生みたいなことを出来ることを幸せに思った。
また行こーっと。