ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

まだまだ

2008-03-29 20:41:52 | Weblog
今週はとてもとても人生の勉強になることがたくさんあった。
私の周りには素晴らしい人がたくさんいる。
自分をもっともっと高めなきゃ、と熱くなる思いだった。

親と子の年齢

2008-03-25 06:11:32 | Weblog
先日、私と娘の年をグラフにしてみた。
娘が私の年になったら、私は80歳になっていた。
それまで生きてればいいな~と思った。
後になって気がついたけど、それって今、まさに父親と私の年齢なのだ。
娘は今、私が感じているこんな気持ちになっているのだろうか。

エキサイティングLA

2008-03-01 23:47:26 | Weblog
歯の治療のため約2週間LAに滞在していた姉。
平日仕事で忙しい私は、休みを取ってまで観光案内をする余裕がない。したがって手術等、歯の治療がない平日、姉は家の片付けや料理をたくさんしてくれた。日曜日しか出かける日がないが、治療とは言え、せっかくここまで来ていた姉が最初の1週間に行ったのは、CostcoとVonsなどのスーパーマッケットだけだ。これじゃ、地元の人間と変わりゃしない。
それではあまりにも可哀想なので、先週の日曜日はポールゲッティミュージアムに行った。
20年もここに住んでいるくせに、ここへは初めて訪れた。
11時頃着いたが、あまりの広大な敷地に圧倒された。
とてもじゃないけど数時間で見切れる広さではない。
何度も何度も通ってもわかり得ない広さであった。

詳しい情報は姉のブログに譲るとして、一週間後の昨日の土曜日は仕事を半日にして、午後はグリフィス天文台に出向いた。
ここも実は初めて行く場所である。
午後2時頃家を出て,フリーウエイに向かうため、大通りに出た。自宅から5分出た所だ。

ちょうど最初の交差点で、ウーウーとパトカーがサイレンを鳴らして、3台くらい前の車の後ろにぴったりついた。そのまま赤信号で私たちは停まっていたので、3台前の車はスピード違反をしてここで捕まえられたんだろうな~、あほやな~、と思っていた。 今考えると、信号は操作されていたため、しばらく赤信号を長く保っていたのであろうが、その車は瞬く間にパトカーにサンドイッチされた形になっていた。

交差点の手前では車が多くて、レーンの横に車を寄せられないので、 信号が青になり交差点を渡ったら横付けさせるつもりだったのか、、案の定、信号が変わったらすぐ道路の右側に寄って行った。
よく見るスピード違反の光景同様、そのまま私たちは左にレーンを変えて直進するつもりだったが、ポリスは車を横に停車させ、道路を完全にブロックしてしまった。

と同時に、10台は優にあるバトカーがけたたましいサイレンをならしながらどこからともなく次々到着した。
反対車線からも来た。
そんでもってドアを開けるないなや、ライフルや拳銃を構え始めるではないか!!!

数台前で起こり始めたアクション映画!

じゃなくて、本物の捕物帳である。

発砲や乱射でも始まったら車内でふせるか、そのまま外に飛び出して建物の陰にでも入らなければならないので、シートベルトをはずして、いつでも動けるように固唾をのんで見守っていた。

すると横に座っていた娘が、

「ママッッ! シートベルトっっっっ! ポリスに捕まっちゃうよ!!!!!」

と、すごい顔でどなった。

目の前にたくさんいるポリスに捕まると心配したんだろう。

でも、彼らはそれどころじゃないと思うぜ。

じわっと脇の下に汗をかいて来た。

夫も姉も娘も私も,普通におしゃべりはしていたが、めったに起こる事のない事件に戸惑いを隠せない。

包囲された車から男が2人降ろされ、両手を頭の上にあげたままの姿でこっちを向いて歩いてくると、すぐパトカーの前に両手をつけさされ、所持品をすべてポリスが出していた。
男の足はポリスが足で肩幅に広げていた。

どうなるんだろう・・・・

発砲の音もしない。
でも、こわい・・・・

現状を見続けて15分か20分程するとポリスに笑顔が戻った。

乱射劇にはならなかった。
よかった~

そして、ポリスの指示があるまで全く気がつかなかったんだが、私らの後ろの車はえらいことになっていた。
すんごい行列と見物でえらいこっちゃ。
これじゃあ,後ろの方は一体何が起こっているか全く把握できなかったであろう。

真横がガソリンスタンドなので、そこを迂回して道路に出て、やっと動く事が出来た。

「えらい騒動やったね~」

と、私たちは緊張感からか妙に疲労感を感じつつも、普段は絶対お目にかかれない大勢の警察の出動に感動もしていた。

思いもよらぬイベントで時間を取られたが、そのままグリフィス天文台に行くしかないので、勢いで出かけた。
今にも雨が降りそうな天気だったが、姉は滞在が最後なので、強行した。

幸いにもこの天気で駐車もあり、天文台と同じレベルのパーキングに停めることができた。
超ラッキー
でも、山をあがる途中たくさん車をみたので、これが快晴だったら、えらいこっちゃ。
1時間くらいしかいられなかったけれど、その前のことで十分興奮していたので、私でさえ盛りだくさんに感じていた。

6時に義父母たちとお食事をする予定だったので、5時には出なければならなかったが、15分くらい遅れてしまった。
おまけに映画の撮影でフリーウエイが一部封鎖されているために、道が相当混んでいるという。
という訳で、フリーウエイには乗らず、全部下の道で目的地に向かうことにした。

途中、暴動が起きた柄の悪い区域も通らねばならぬ。

コリアタウンやサウスセントラルLAなど、私が駐妻であったなら「決して行かぬように」とお達しが出る区域である。

姉はコリアタウンの規模の大きさに驚いていた。

そうなのよ~。韓国人人口の増加は凄まじいものがあるのよ~。
渡米したての人たちは,コリアタウン住んだり、買物のために行き来をするが、生活が落ち着き始めると郊外に住み始める。
これは日本人だって一緒だ。
日本人の方がアメリカでは韓国人移民よりちょっと歴史が長いけど、やってることは、何人だって一緒だ。いまやリトル東京やチャイナタウンは観光地として存在するだけで、実際の生活には全く必要のない区域だ。コリアタウンも50年後にはそうなっているかもしれない。

緊張しながら、安全な目的地に到着する頃になると、街も小奇麗になってきて、とても安心した。

今日はLAのディープな所を観た感があるなあ。

でもすっごい充実してた。

もっともっと外に出て街を楽しもう。
でも恐いのは嫌