ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

頑張れ後輩!

2010-05-30 10:22:50 | Weblog
同じ大学専攻の後輩がいて、いくつ下かも知らないけれど、仲良くしてもらっている。
彼女の名前は高綱草子(たかつなかやこ)ちゃん。彼女はLAで女優さんをしながら、カリグラファーアーティストとしても書き続けている。女優さんとしては端役だが、しっかり地に足をつけた女の子だ。彼女が出演した映画に「White on Rice」という映画がある。
多分彼女の友達が書いたブログだと思うんだけど、参考までに貼っときます。
http://cows.air-nifty.com/seagal/2010/03/post-4dae.html
彼女のブログは
http://ameblo.jp/kayakotakatsuna/

彼女の書を少しでも応援しようと私のオフィスの待合室に彼女の書を飾っている。
それが売れれば嬉しいし、待っている間にそれを眺めてもらっているだけでもいい。不定期だけど、新作が発表されるたびに書を飾ってくれる。
字と絵を混ぜたような作品。
書くときに、その人のバックグラウンドを徹底的に聞き、そのイメージを膨らまして書くそうだ。
当然私の事もたくさん聞かれた。そして素晴らしい書を書いてくれた。

彼女の個展が5月29日から始まるので、初日の今日初めてオープニングに行った。
もう10回目の個展になるそうだ。
いついっても作品は飾ってあるけれど、初日は挨拶も兼ねてたくさんの人が訪れる。
仕事が6時半ぐらいまでかかったけれど、子供の食事の準備をして9時頃ダウンタウンのホテルへ行った。
結構たくさん来ていて、草子ちゃんにも挨拶することができた。

「あー、せんぱーい。さっきたくさん他の先輩たち来てたんですよ。会わなかったですか?」
と言われて、ちょうど別のホールで迷っていたこともあって、入れ違いになったみたいだ。
8時ぐらいがピークのようだったようで、そのときは歩けないぐらい人が多かったみたいだ。
こういうのって、作品も大事だけれど、そこに来る人達のサロンのようになって、顔がつながっていくんだね。知らなかった。

話を聞いていると、ブロードウエイの著名な作家だの、俳優だの、たくさん友達が友達を引き連れて来たらしく、本人曰く「誰の個展?!」っていうぐらい、集まったそうだ。
そこで誰々さんと誰々さんが繋がっていたことが判明して、横が一気に繋がった。
アメリカではよくあることだけど、縦のつながりは結構あっても、じつはその縦のつながりが横にも繋がっていた、ということが多々ある。草子ちゃんの場合も、個展で一気に繋がったのだ。

普段は大学の後輩という姿でしか彼女をとらえていなかったけれど、実はその他の姿がメインで、たくさんの彼女の世界の友達がいる訳で、その広さに「ああ、自分は本当に井の中の蛙だったなあ。視野が狭かったなあ。」と思い知らされたのであった。アメリカに住みながら日本社会にどっぷり漬かる自分とは違い、草子ちゃんは果敢にアメリカのエンターテイメントの社会に飛び込んでいる。そしてもがきながらも前進している。
えらいっっ!!!!

おまけに彼女は一人娘でありながら、4月にお母さんの癌が見つかった所だ。

「4月は地獄でしたよ。だけど、やるしかないもんね!!!」

と、たくましいことを言っていた。
ビザ申請のために、彼女の記事や個展、映画のことを一つ一つ資料として集める。それをオフィシャルの資料として提出する。
宝くじのように永住権を当てる人もいれば、こうやって一歩一歩努力してピザを得る人もいるんだよね。後者の方が圧倒的に多いけれど。

家族がいるとどうしても毎日の生活が大事で保守的かつ視野が狭い生活になりがちだけど、草子ちゃんのように頑張っている女性を見ると、嬉しいし自分も奮起できるのである。

頑張れ!草子ちゃん!!!!!!


ベアテ・シロタ・ゴードン講演会(1)

2010-05-28 07:30:46 | Weblog
5月15日(日)に、リトル東京にあるJapanese American National Museum(全米日系人博物館)でベアテ・シロタ・ゴードンの講演会を聞きに行って来た。
彼女は戦後の日本国憲法の一部(憲法24条 家族生活における個人の尊厳と両性の平等)を起草した女性だ。当時若干22歳。
親戚でもない一般人の私が、生の彼女を見ることができるのはおそらくこれが最初で最後だろう。
11時から4時までだが、もう娘や夫に文句を言われても良いから、とにかく行った。文句や怒りは数日で冷めるが、彼女のような歴史の生き証人にはチャンスを逃すと一生会えない。

11時から「シロタ家の20世紀」という映画を見た(秀逸!!!)
http://sirota-family.net/

これは彼女の父親であるレオ・シロタの歴史から始まる。
シロタという名字だったから、日系人かと思いきや、全く関係なくたまたま日本人のような発音をする名字だったようだ。
彼は1923年ウイーン生まれ。ユダヤ系ウクライナ人のでピアニスト。9歳からコンサートを始めた神童だった。弟のピエールもピアニストだったが、彼の方は舞台の緊張(あがり症)に耐えられず、辣腕プロデューサーとして興行の企画運営で活躍した。

シロタ家が住んでいた当時のウイーンは、音楽や文化のメッカで、世界中からいろいろな人が集まっていたらしい。よって周りにはたくさんの文化人がいた。ベアテ・シロタはそんな文化的にリッチな環境で育った。幼少の頃から数カ国後習得したのもそのおかげかもしれない。
ロシア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、果ては日本語。

レオ・シロタは弟のプロデュース力のおかげもあってピアニストとして欧州を回るうち、どんどん東へとコンサートの活動の場を広げ、ハルピンで山田耕筰に出会い、彼によって日本に招聘された。

東京には家族で移り住み、彼女も5歳から15歳まで滞在した。
東京乃木坂に家を構え、そこにも数々の音楽家が立ち寄ったそうだ。
お手伝いの美代さんが沼津の漁師の家の出身で、ベアテのお母さんがユダヤ料理やヨーロッパで食べられる料理をすべて教え込んだから、シロタ家には人の出入りが絶えなかった。だから有名な音楽家の間では、「日本に行ったらシロタの家に行け」という評判がたった。

ベアテは東京でドイツ学校に通っていたけれど、遊びは近所の日本人の子供たちと遊んでいたそうだ。教科書日本語ではなく、実地で言葉を学んで行った。

15歳をすぎる頃、第二次世界大戦が始まり、ユダヤ人である彼女の家族にもナチの脅威が迫って来た。パスポートにも赤い大きな字で「J」と大きな烙印が押された。
多くのユダヤ人が日本へ来たり、日本を経由してアメリカへと渡って行ったが、日本に居づらくなったベアテの家族もアメリカへ渡った。

当時、東京音楽学校(現:芸大)で教鞭をとりながら、コンサート活動をしていたレオ・シロタは、家族と共に渡米したものの、「芸大との契約がまだ残っているし、私にはたくさんの教え子がいるから」という理由で、周りの反対を押し切って、日本への最後の船便で妻と帰国してしまった。妻は何が起こってもレオ・シロタと一緒にいる方針だったから夫とともに日本へ旅立って行った。
娘であるベアテはアメリカに残り、カリフォルニア州オークランドにあるMills College
http://www.mills.edu/
に進学した。



この生活に感謝

2010-05-27 07:54:27 | Weblog
たった4日家から出ただけなのに、日頃の生活に感謝して帰って来た。
10分運転すれば3つも日系スーパーに梯子できる便利な生活。
輸入品だから多少高いけれど、そこそこの値段で購入できる。
日本語が普通に通じる生活。
車でひょいひょいどこでも行ける生活。
娘の明るい声。
普段はうっとうしいと思っていた夫の存在。

どれもこれもここに住んでいると当たり前に思っていたけれど、実はコミュニティーが一生懸命その便利さを気づき上げる努力をしてきらからこそ、成り立っているんだな~とつくづく思った。

日本人相手に仕事もできる幸せ。
それも当たり前に思いがちだけれど、ちょっとでも離れればそれも不可能になってくる。
こてこてに日本人に自分には、やっぱりこういう行き方しか出来ないなあ。

武市さんが、「俺は龍馬や弥太郎のような生き方はできん。俺はこういう行き方しか出来ん。」と言っていたが、それもわかる。
筋は通ってるが不器用なんだよなあ。

月曜日から普段通りの生活に戻り、とっても安心した。

このセミナーはLAで開催されてないから、認定されるにはどこぞの町に行かなければならないけれど、行くか行かないかは私次第。
いろんな意味で学ぶ事の多かった4日間であった。


意識しなかった普段の生活

2010-05-20 21:25:44 | Weblog
セミナーのためラスベガスに来ている。
一人の参加だし、飛行機を使ったので、レンタカーもしてない。
よって当地で自由に動くとしたらタクシーしかないんだが、連日の睡眠不足がたたったのと、猛暑でとてもとても外を出歩く気になれない。それに内容が濃いので、復習しないと日曜日のテストにさしさわるのである。もうセミナーが終わったら、バタンキューで寝た。

普段は日系社会に住み、日本人相手に仕事をしている私であるが、このセミナーはほとんどがアメリカ人だ(アメリカだから当たり前か・・・・)
こういうとき、ああ、私は本当に恵まれた所に住んで仕事をさせてもらっていたんだなあ・・・と思う。
住んでいる所なら、日系スーパーもある。
日本食もある。
日本語もしゃべれる。
日本人も多い。
なんて楽なんだろうか・・・
それに、日本人であることに引け目を感じることがない・・・・
こういう思いを普段意識しなくていいっていうのは、本当に恵まれた事だっただよなあ・・・

単身赴任の方のご苦労もちょっとは感じることができた。
一人で異国で寂しいだろうなあ・・・
たかだか4日の出張なのに、寂しさを感じる情けない私。
娘はちゃんと朝起きたかな~、とか、ちゃんとお風呂に入って歯磨いて寝たかな~とか、考えちゃうもんね。
(電話で話したらちゃんとしていた)
出張の多い人の疲労もわかるし、異人(といってもここでは日本人が外人なんだが)相手の仕事をしている日本人たちの大変さも相当なもんである。
皆えらいよな~。
血祭りにあげられたトヨタの社長も、黙々と働いて偉いよな~。

そして、アメリカ人ばかりの池のようなこの地に来たら、女性としては大柄で力があると思っていた私が、か弱き乙女、もとい、ただの小柄な中年女になる。
私が小柄?!?!
ひえーなのだが、全米から180cm以上100kg以上猛者たちががざらのこの環境にいると、本当にそう感じるのだ。ウエイトトレーニングをしている輩が多いので、フレームがでかいでかい。アメフト部にいると思ったらいいだろうか。
いつもと同じ力でやっても、それが全然通用しない。

「もうちょっと腕の力を付けるために体に筋肉を付けた方が良い」
と、指摘された。
その人は170cmちょいぐらいだが、とんでもない体をしていた。多分しゃべり方からするとゲイっぽいが、
(お前は一体その鋼のような体を作るためにどれだけの時間をついやしておるのだ!?)
と問いたいぐらい、きれいな体をしていた。

ディープアメリカ・・・・・

明日から8時-5時でみっちり講義と実習がある。
大学に戻ったようだ。
がんばらねば。

でも来てびっくりしたのが、マックのコンピューターを持って来たのはいいが、コードを忘れて来てしまった。
意味ないじゃん!!!!
チャージできないからバッテリーが残ってる分しか使えない。
復習のためのDVDも持って来たのに、見れないじゃん!!!
自分の馬鹿!!!!!!!

トイレにウオシュレットもないし!(アメリカでは当たり前だが、許せぬ・・・)

復習して寝よ・・・



ビバ!佐藤優!!!

2010-05-18 23:14:40 | Weblog
youtubeで佐藤優をよーく見てる。

彼は現場で叩き上げた豊富な経験と膨大な読書量がかけ算で出来たような人なので、本来なら正座をしてお話を聞かなければならないんだが、一般勤労主婦にわざわざそれだけのために時間はとれないので、ちょっとした作業中にコンピューターを前に見る。
餃子を包みながら、裁縫をしながら、チェックにはんこを押しながら、皿洗いをしながら。

こんな道具が多感な学生時代にあったらどんな人生になっていただろうか。

いや、いかなる道具があったとしても遊びほうけていたか。

人種差別?

2010-05-15 02:39:14 | Weblog
今、メキシコ湾で海底油田の油が流出され続けている。
どえらいことなのに、トヨタのリコールみたいにヒステリックに報道されていない。抑え気味なのだ。
採掘施設の爆発で救出されなくて11人死亡したのに、だ。
会社がイギリスのBP社だからだろうか。それとも石油がからんでいるから、へたにたたかない方が賢明なのだろうか。
関係ないよ、って言われそうだけど、会社がイギリスだから心理的に違うのではないだろうか?
だってこれが中国か日本の会社所有だったら報道の仕方が相当変わってくると思うんだ。
お前らアジア人の分際でオイル垂れ流すなよ!みたいな態度でがんがん突っ込んでくると思うが、相手がイギリスだと妙に下手に出る、みたいな。

アメリカ人のヨーロッパに対するコンプレックスは相当なものがある。
イギリスなんてアメリカにとっちゃ昔の親みたいなもんだ。
エリザベス女王がアメリカに来たときのブッシュのスピーチたるや、お母さん(か、おばあちゃん)の前で発表をする子供のような仕草をしていたのが強烈に残っている。ちゃんと見ててね、みたいな。この国の未熟さ、卑屈さを垣間みた瞬間である。

日本人としては、トヨタにこれでもか、これでもか、という攻撃をしたメディアに対して、イギリスのBPに同じレベルの攻撃をしてもらうか、トヨタに対してもっと冷静な報道をして欲しい、と願うばかりである。



フォスターペアレンツ

2010-05-13 21:52:09 | Weblog
月曜日だったかCBSニュースで放映されていたアメリカならではのお話(そのうち消去されるかもしれません)。

http://www.huffingtonpost.com/2010/05/12/safe-families-takes-in-ch_n_572609.html

要は、生活能力がない親を持つ子供を一定期間預かるというシステム。
教会が少しずつ広めて行っているらしいが、アメリカならではのいいシステムだなあと思った。
善意によってなりたっている訳だ。

テレビでは路上生活を余儀なくされていた若い両親が、職業訓練校で自活できる期間、子供と離れて生活する。訓練期間中、子供はフォスターペアレンツの元で生活する。里子に出されるという感じか。
でも預けられる先は親戚でもなく、善意の固まりの赤の他人なのだ。
こういうことがいきなりできるのがアメリカのすごいところだ。
あまり他人のことをとやかく言わない国だから可能なんだろうか。
親がどうしていようが、その子自身が評価されるから、関係ないんだ。
いずれは元の場所に戻らなければならないけれど、もしかしたら自分の家より預かってもらった家の方が居心地いい子供だっているかもしれない。
親が戻って来たら、フォスターペアレンツも引っ越しの手伝いをしたり、家計簿のつけ方を教えたり、基本的な生活を運営できるような手伝いもする。
生活にある程度余裕のある人しかできない行為だが、善意が集まるととんでもない力を発揮できるのも事実だ。
そういうパワーがある国であることは悔しいが認める。
日本も頑張って欲しいなあ・・・・

市民ランナー

2010-05-12 11:52:44 | Weblog
周りに市民ランナーが本当に多くなった。
LAマラソン前にはもっと増えた。
最近、会った方は、坂道を走るトレーニングのために、坂のある所にある家を購入した。

65歳の世界記録保持者は日本人男性で2時間半で完走できるそうだ。
65歳で2時間半。
ありえない。
人を介して得た情報では、そのお方は毎日山を走っているそうだ。上りや下りに同じ練習パートナーがいないので、日替わりで変わるそうだ。
早朝2時間程走り、(多分5時起き?)残りの時間は好きに過ごせば良いのだ。なんという年金生活よ・・・
おまけにLAマラソンには招待選手としてくる。
そんな65歳どこにいる?!

知人は、「僕ならいい練習パートナーになるのになあ」と、つぶやいていた。

彼も一体どこに向かっているのだ・・・

奥さんは、
「その情熱を仕事に向けてくれればいいんだけど」
と言っていた。
嫁の立場からすると同感である。
しかし、他人なので話は面白い。

母の日

2010-05-11 07:00:41 | Weblog
日曜日は母の日だった。
一年で一番レストランが込み合う日で、レストラン側は稼ぎ時だ。通常朝から晩までノンストップなので、朝からレストランは人がはみ出すぐらい込み合っている。
この混雑に巻き込まれるのはごめんなので、オープン時の10時に行ってさっさとブランチを済ませた。
夫はこの手のイベント(誕生日とか母の日とかバレンタインデー)ではちゃんと花をくれる。今年はガレージのバケツにどこぞのスーパーで買った花束を指差して、「あ、これ」といって花束をくれた。くれたというか、見たというか。あとはバケツから花を取り出して自分で花瓶にいれなければならない。既成事実として「自分はちゃんと買った、あげた、渡した」という感じが否めないが、素直にありがとうと言わねば。身内だとどうしてもいじわるになってしまう傾向がある。いかんいかん。

ブランチはゴルフ場の食堂、もとい、レストランで済ませたが、バフェ形式。来ている人達もおばあちゃん、おかあさん、孫と5人から12人ぐらいの大きなグループが多い。ちょっとおめかしして家族が集まる日だ。手には花束やギフトを抱えている人も多い。
場所は自宅でも外でもどこでもいいが、これが一般なアメリカの母の日の過ごし方だ。

一方で、日本人に母の日はただの日曜日と変わらないので、対応が変わってくる。
アメリカ人だと母の日に予定は絶対入れない。というのが家族優先の日だからだが、日本人には関係ないのでばんばん予定が入る。子供のチアの練習なんかも入っているので、私たちはブランチを食べた後、遅れて参加した。もちろん付き添いにお母さんか来て、その場で衣装の裁縫などをしている。母の日?なんやほれ状態である。

お昼にチアの練習が終わると今度は義母のための母の日に変わる。
夕食は義妹宅で義母を読んでごはんを食べるというので、そのごはんの支度をしなければならない。
ケーキとしゃけおにぎりと餃子を持って行くことにした。
その間に我が家の食材も買わなければならないし、雑用も済ませなければならない。
あっちゃこっちゃ飛び回り、夕方全部作り終えた。
餃子を焼き終えたとき、夫が、
「あれー作っちゃったの~。なんか作ろうと思ったのに」
と、とんまな事を言った。
いつもこうなんだ。行動が遅い!!!!!
あなたの行動を待っとったら一生何もできません!!!!!!

6時に義妹宅に行き、娘は従兄弟たちと遊べるから大はしゃぎ。
ぺちゃくちゃしゃべりながらごはんを食べて9時ぐらいに退散した。

忙しかったけど、充実した母の日でした。
Happy Mother's Day!

寄付の嵐

2010-05-07 05:10:46 | Weblog
私たちが住む市の学校もご多分に漏れず予算カットのため、先生のレイオフや学校そのものの経営が難航している。残るべき先生がレイオフされ、辞めなければならない先生が残るという矛盾。アメリカも年功序列があるので、組合が強ければ強い程この傾向も強い。アメリカの自動車産業や航空業界と一緒。

お金がないからどうするかというと寄付の依頼とfundraisingのイベントの嵐。店じまいセールをする所は、「売上金を学校に寄付します」と言うし、週によっては、「○Xレストランに何月何日何時から来てくれたら、その売上金何%を学校に寄付します」というイベントを行い、学校の生徒家族が大挙して押し寄せる。学校ではマラソン大会で、子供が1周走るごとに掛け金をし、(例えば1周1ドルとか)10周走れば10ドル寄付。フラットレートなら$12ドルでいいよ、みたいに要求される。ただしあくまでボランティア寄付なので、強制はない。しかし半強制。今月は遊園地ゲームみたいなのも来る。そこでIn-out-burgerのハンバーガーを売り、売上金が学校に寄付される。
今の時期こんなんばっかり。
学校の学力レベルをあげることと、資金集めが学校長の評価に繋がるのか、躍起になってガリ勉させ金を集める。
ある意味すごいわ。これってアメリカの大学と同じじゃん。今や小学校レベルから始まっているのだ。

夫や友人夫などは、学校のシステムが末期症状で流血状態だから、輸血ばっかりしても意味がない。システム自体を変えなければいくら寄付ばっかりしてもしょうがない。と、呆れ嘆いている。
学校に参加する人はどうしても女性優位になってしまうので、女子供が考えることには限界もある。寄付イベントもいいけど、確かにシステムを変えないと補填ばっかりで本当に意味がないんだよなあ。
カリフォルニアの財政なんて常に赤字だし、学校に回される予算なんてないに等しい。しかし、勉強熱心なアジア系が多く通う学校はとてもレベルが高いし、寄付も一生懸命だ。
私がシステムを変えることは出来ないから、ちょっとでも寄付をするけれど(5-20ドル)、高校卒業までこのスタイルが続くのかと思うと、父兄の好意に甘えるのもいい加減にせえよ!と訴えたくなるのである。