ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

くまちゃん

2012-02-27 18:28:12 | Weblog
日曜日に二人のお友達の合同誕生日会がボーリング場であった。
招待された子供たちが合同で希望のプレゼントを買ったが、ぞな子は個人的に手製のくまちゃんをあげたかったそうなので、誕生日の前日いきなり「くまを作る」と言い始めた。9時頃だっただろうか。
もう私はばてていたので、1つは手伝って、「もう一個は自分でやって」と放っておいた。
以前は目は糊で付けていたけれども、縫う事を覚えた。
翌朝仕上がったくまちゃんを見てみたら、結構ちゃんと出来ていてびっくりした。


去年の歴代のくまを披露するとこういう感じ。
右の大きなエンゼルスベアはお父さんへのクリスマスプレゼント。


受験生のはとこへの「がんばれ受験生くまちゃん」


なかなかかわいいです。

再会

2012-02-25 05:30:04 | Weblog
1月20日の日系ビジネス社会の賀詞交歓会があり、立食パーティなのでたくさんの方と会った。その中にS生命のHさんと会った。彼はある会合で「とても良い事を言う方だなあ」という好印象は持っており、当然私より年上だと思い込んでた。(駐在の方々は皆年上に見えるが、実はもう年下が多い現実。年くっちまった)
話をしていると「当社のアメリカ社長にNという者がおりまして・・・」と話を始められ、「N?誰のこっちゃ???え?どういうこと??」と軽い錯乱状態。
話を聞いているうちに道後中学の同級生のN君と判明して驚愕! 絶句・・・・・
あわわわわ、どこでどう繋がっているか本当にわからん。
心底びっくりした。

そして昨日金曜日、NYからLAに出張に来ていたN君と10分程再会! 
道後中学に通っていたとき誰がアメリカで仕事をして再会すると思っただろうか。
本当に人生というのはわからない。
お互い今年は年男年女。
そんな年になったんだなあ。
良い皺も出来たし働き盛り。
N君は現地社長としてNYで頑張ってて、私もLAで奮闘している。
会えて本当に嬉しかった。
よし、頑張るぞ

アメリカの郵便事情

2012-02-23 06:16:39 | Weblog
郵便物や銀行の書類等を整理していると、先月アメックスにちゃんと支払いをしたのに、今月2ヶ月分の請求+利子が来ていてびっくりした。
おかしい・・・・。
朝6時過ぎにアメックスに電話したら、私のチェック(小切手)は届いてないとの事。
一体どこに行っちゃったの? 
チェック#やら日付やら全部話しても受け取ってないと。
いかなる額でも債務は負いたくないので「今すぐ全額払うから」と言うと、過去のクレジットレコードも良好なのでpast due amountの$35もwaiveしてくれた。
あー良かった。
しかし、私のチェックは何処を彷徨っているのだろうか。
アメリカの郵便、本当に信用出来なくなって来た。
私だけじゃなくて紛失が良く起こる。
盗難もある。つまり他人様の家の郵便箱からクレジットカード系や支払いなどの封筒を盗み、チェックの宛名を消して自分の名前に書き換え銀行で換金するという犯罪だ。だから郵便受けに封書を挟んだり、鍵の付いていない郵便箱、あるいは自宅と離れた場所に郵便箱を設置するのは危険極まりない。盗んで下さいと言っているようなものだ。
書類はすべてコピーして取っておかねば、この国では何が起こるかわからぬ。だから自宅にも立派なコピー機があるし、すべての書類はコピーを取っている。これは保身のためアメリカ生活では必須アイテムだ。

そして昨日はチェックをキャンセルするために銀行に出向いた。
キャンセル手数料$25。
なんで郵便局の尻拭いを私たち一般消費者がしなければならないのだろう。ますます郵便利用を避けようと思うではないか。
これからはクレジットカード決済はオンラインですることにした。
コンピューターのセキュリティーもしっかりしてもらわないと、何を信用していいかわからなくなる。

眼科検診

2012-02-23 06:05:31 | Weblog
一昨日眼科に行って来た。術後の検診である。
視野を検査するとかなり見えていた。以前は船の中の曇った丸い窓から外を見ていた感じで、今は液晶テレビ、それもパノラマみたいな感じ。
こんなに(以前は)見えてなかったんだ・・・と改めてびっくり。
データも手術前は外側が半分近く黒かったが、術後は多少黒い部分はあるものの比較にならない程の回復でほぼ正常だった。
どんだけ視神経押しつぶしてたんだろ
嬉しくて勝手ににこにこしていたのもあって、ドクターも私の喜びが伝わったのか、3回も4回も握手した
彼の同僚も頭痛がひどくて検査したら同じ腫瘍があったとのことで、「1ヶ月後にはぴんぴんしてたよって。」
会う人会う人が「義母が」「義妹が」「友達の友達が」この病気になったけど今は元気だよという事を聞くようになった。腫瘍の大きさは小さいのから大きいのまで。出る症状は不妊、無月経、頭痛、視野狭窄などで、人種年齢に関わらず本当に多いんだなあっというのを体験して初めて知った。

折しも、川島直美の旦那さんが眼底出血を放置して難治性の緑内障になって失明していたことがニュースになっている。眼科医の夫側のいとこ曰く、「今日は心配になって受診された患者さんが結構こられました。お一人5年前から見えにくかったんだけどと云ってこられた方は視神経委縮が生じていて精査のため大学病院に紹介になりました。やはりおかしいと思ったら早く受診して頂くことが大事ですよね。眼科だけの話じゃないですけど」
というメールをいただいた。

日本語放送でこのニュースを見て「脳大丈夫かなあ」と思ったけれど、多忙で放置して失明したんだ。いくら忙しくても失明しては意味がない。病院に行く時間は罵倒されてでも作らないと命がいくつあっても足らない。そして「おかしい」という感覚は自分が一番わかっていることだから、勘は信じるべし。
でもこのニュースがきっかけになって病院を訪れた人は多いと思うし、救われた患者さんも全国レベルで多いんじゃないのかな。やっぱおかしいという感覚は大事だ。私、どの臓器を失うのが怖いかと尋ねられたら、目が見えなくなくなることが一番怖い。

耳鼻咽喉科

2012-02-19 14:45:12 | Weblog
退院明けの月曜日(2月13日)耳鼻咽喉科に行った。
鼻の穴から見ると小指の爪程度の大きさの何かが光っていたけど、大きさまではわからず。
ICUでの詰め物を出す時の痛さと恐怖がよみがえって、退院後ずっとこの予約日のことを考えると憂鬱でした。行く前から怖くて怖くてオフィスに入って先生を見ると(恐怖の為に)涙が出て来て「まだ触ってないじゃないか~」と言われた。
一応作戦として、バレンタインのチョコレートを施術前に先生に渡す、という懐柔策に出たが、たとえ金塊を渡してもやることは一緒なので、関係なかったか。

オフィスにいる間自分でも止められない程涙が出た。
スブレーやら薬やら涙が顔をぐちゃぐちゃにして、おそらく見るも無惨であろう。
ぶちっ、と縫い目をはさみで切って1つずつブツを出す。
2つプラスティックを出した後ほっとして力が抜けた。するとワイヤー付き木製の洗濯バサミ位の大きさの物が2つ。
ぎゃー、こんなでかい物をどうやって鼻の中に入れていたんだ?!?!?!?!?!
どおりで鼻が東南アジア人になっていた訳だ。
よっしゃ!! これで山は越したぞ!(いきなり強気)
初めて鼻呼吸が出来て脳に酸素が行く感じ・・・・・・幸せ

バレンタインデー

2012-02-19 05:32:30 | Weblog
バレンタインデーにぞな子は自分でクラスの人数分のギフトを用意した。
正確には前日忘れていたようなので、当日の朝、早起きして20数人分、♡の袋にキャンディーを詰めていた。
私は無理して用意する必要はないと思っていたし、もう自分で出来る年なので、忘れたらそれはそれでいいと思っていたが、ええかっこしいの所があるぞな子は必死で作る。
紙袋いっぱいにキャンディーを詰め込んでいざ出陣。


クラスに好きな子がいるらしくて、アイスホッケーをしている白人の男の子だ。
ある日、迎えに行ったら、学校に併設している公園で「ちょっとだけ遊んで良い?」というので「いいよ」というと、好きな男の子と追っかけっこをしていた。鬼ごっこをしてタッチするだけがとても嬉しいようだ。
かわいいなあ~

たまたま後からピックアップに来た夫と合流したが、微妙に複雑な心境なようである。
「もしあいつが勉強ができないとか、とんでもないやつだったら許さん」
と言う。

「あのね、君は私と結婚する時に『ぞなさんと結婚させて下さい』というオフィシャルな挨拶を私の両親にしてないんだよ。『してくれ』って言っても『いいよ、いいよ』って流したんだよ。だからあんたにはちゃんと娘にボーイフレンドを挨拶させろ、なんて言う資格はないの!!!!」
と、言った。

これから娘の反逆があってもおいら知らねーよ。
もちろん、へんな輩とひっつきそうだったら私も阻止するが、そこそこであればいいかと思う。あとは自分たちの努力で乗り越えることだから。
と、10歳の娘を見ながら思ったのであった。

お花畑

2012-02-18 18:19:18 | Weblog
一般病棟に移ったらお花が届いた。
ボランティがのおばちゃんがよたよたしながら大きな花瓶に入ったお花を運んでくれたり。
嬉しい限り。
退院後も、自宅にお花が届いた
嬉しいなあ・・・・・
生まれてこのかたこんなにいっぺんにお花をいただいた事はない。病気になって良かったかもしれない。
気分は正岡子規、病床六尺(笑)


ご飯の差し入れもいただいた。
これは切実なので、本当に助かった。
私はどっちにしても豆腐とかスープ類しか食べられないので、家族が本当に喜んだ。
差し入れして下さった方々、本当に本当にありがとうございました。
今度、友達が病気になったらちゃんとお返ししよう。

病院のシステム

2012-02-18 13:13:48 | Weblog
他州は知らないけれど、私が住む市の病院のシステムは日本と全然違う。
すべての装置が備わっている大病院は、楽器が揃っている貸しスタジオだと思えば良い。
医師はそれぞれの病院と契約を結び使用する。それがいくらは知らないけれど。
だから病院の近辺に自分のクリニックを持ち、必要に応じて契約した病院で手術を行うのである。
だから医師が病院を設立しなくてもいいし、抱え込まなくても良い。
クリニック内でさえ、オーバーヘッドを減らす為に、二人以上でシェアするのは普通だ。
受付、看護師などをシェアするのだ。こうやって経済的負担を出来るだけ少なくする。

自分の出産の時は別の病院だったので、この病院は今回初めて利用した。
でもとてもいい病院だった。
受付は善意の塊のようなボランティアのおじさん、おばさんで成り立っている。

今回、私は朝5時にチェックインしたけれど、すでに受付に待機していたおじさんの胸には氏名と「ボランティア」の名札が。この時間にここにいるということは朝4時起きなのかななんて想像した。
「ボランティアなのに朝早くから働いているんですね」と言うと、「好きだし楽しいよ」ととても明るい声で対応してくれた。
車いすを押す人もそう。スタッフの邪魔にならず、ヘルプになるように一生懸命ボランティアをされている姿は見ていて気持ちがいいし、頭が下がる。
彼らは徳の貯金をしているんだね。

受付では、遺言とまではいかないにしても、自分が万が一不具になった際どうするか、という書式もあった。
遺言に関しては、子どもが小さい場合は書いておくにこしたことはない。
今回、私は(絶対大丈夫)という自信があったので、書かなかったけれど、交通事故に遭うとか自分さえ予測しないことだってありうる。書いておいて無駄なことはない。まあ、こういう年になったからやろうという気にもなったが、まだまだという気もする。

退院日

2012-02-18 04:26:17 | Weblog
丸々五日病院にいると、だいだい誰が働いているかとか、病院のサイクルがわかってくる。
看護師は7am-7pmの12時間シフトで三日働く。
シフトにも寄るが連日会う人もいるし、一回会って終わり、という人もいる。
このシステムに慣れてないと、毎回毎回違う人に当たって面倒と思うかもしれないけれど、きっちり区切るので働く側からすると合理的だし、スタッフが疲労しないので長期間働くことができる。
朝の7時と夜の7時は引き継ぎの時間なのでとても賑やかだ。
部屋に「ハーイ、今日あなたを担当する◯Xです。」と挨拶してくれ、「何かあったらナースコール押してね」と言われる。日本人みたいに痒い所に手が届くことはないが、必要ならあなたから要求しなさい、というスタンスなのはここがアメリカだからだ。だから自分で言わんといかん。

スタッフは概してプロ意識も高く心地よかった。
「この病院が好きだからICUで8年目なのよ」というナースもいた。
こんだけの複雑な器具を使いこなせるあなたたちはすごいよ。素直に尊敬するのであった。

入院五日目の金曜日の朝、内分泌の先生が往診してくれて、「今日退院してもいいよ。処方箋を書いておくから自宅でこれをちゃんと飲みなさい。2週間後にフォローアップのアポを取るように」という指示を受けた。
どの先生にたしてもそうだけど、会った時は必ず握手をして謝意を心から示すようにしている。
Drリンゴールドにも「ほんとにありがとう」と両手で握手した。
すると、「君はとってもいい患者だったよ。全然文句も言わないし」
と、言うではないか。
文句言う患者おんの?!

仕事とは言え、色んな患者と接する機会が先生方も多いであろうが、決して「良い患者」だけではなく偏屈者も多いだろうし、病気だけじゃなくてその人のキャラとも合わせなきゃいけないから大変やな~。
心中御察しします。

金曜日に退院出来る事は夫に伝えていたので、仕事が一段落つきそうな2時頃にピックアップに来てくれることになった。
病棟内に置いた荷物や自分自身を身ぎれいにして、お迎えを待った。

前日のディナーはここまで食べられるようになっていたし(食べられたのは3分の1だけど)、


この部屋ともおさらばか~。お世話になりました。四方に向かって「ありがと」を言ってお辞儀した。