ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

大晦日は普通の日

2005-12-31 22:44:00 | Weblog
いろいろやるつもりだったが、しょっぱなから行ったスーパーで財布を忘れていたことに気がついた。

外は土砂降り。

はあ~。

急いで帰宅して、気を取り直して出直した。
自分一人じゃなくて、出かける時は娘と一緒なのでスムーズに事が運ぶとは限らない。今回は私のミスだが。

スシボーイで明日のパーティプレートをオーダーして、帰りにビデオ屋さんに寄った。
借りたのは、「電車男」「刑務所の中」(だったと思う)「血と骨」

其の店で知人に出会い、彼女は数時間前交通事故に遭い、要治療とのこと。
急いで帰宅して子供に昼ご飯を食べさせ、オフィスに出た。
掃除をするどころか、他にも仕事をしている方がいたので、掃除機はかけず。

周りを見渡せば、普段通り仕事をしている人が大勢いる。
あまり年末という気はなく、ただ気ぜわしいだけの週末という感じ。

結局昨日掲げたやりたいことは、食材購入以外達成不可能であった。

仕事を終え、家でゆっくりしようと思ったが、思いがけなく嫁ぎ先から電話。

義妹「いつくるの?」

私「え? 集まる事になってるの?」

義妹「毎年の事じゃない(何を今更)」

私「・・・・(やばい全然考えてなかった)・・・

結局、夫と娘だけお邪魔させてもらい、私は欠席することにした。

同居をしている方は冗談抜きで大変だと思う。

そして日本語放送の紅白を見ながら、一人ひじきを煮たのとたくわんをかじるのであった。

ずずずとお茶も一服。

この上ない幸せよ・・・・・

きんぴらを作り、適当にかたずけをしたころ夫達が帰宅した。

それにしてもSMAPってこんなに歌が下手なのになんで人気があるんだろうか。
よっぽど人柄がいいのかもしれない。

という分けで、1年が終わろうとしている。

来年もばりばりやります。
たくさん勉強して、仕事して、子育てと家事は手抜きということで。

マイナーではありますが、このサイトに来てくださった方々,本当にありがとうございました。
皆様に幸福の雨が降り注ぎますように。

。。。。。。

あと2、3分で年が明けるが、外は爆竹をならしてるのか爆音がすごい。
一体誰がやってんだ。
近所に公園があるから、若い子がそこで遊んでんのかもしれない。
それにしてもすごい音である。



予定は違ったけど

2005-12-30 23:17:01 | Weblog
今日は半ドンのつもりだったが、あれよあれよと言う間に予約が入り、結局オフィスを出たのが8時半だった。
結構忙しかったなあ。
オフィスの片付けもろくにしてないし、普通の週末と変わらないかもしれない。
あっという間の1年だった。
と、思い出に浸る暇もなく、雑用は山積み。

娘は夫のじじばば宅でお餅つきをしたようだった。
楽しんでくれたかな。
くれたらいいな。

さて、この雑用、どう片付ければ良いか(含仕事関係)。

明日やりたいことは、

韓国式垢擦りで1年の垢を落とす
ジョギング
娘と自転車乗り
オフィスの掃除
洗車
食材購入

さて、何件こなせることができるでしょうか?
私にもわかりません。

スローな週

2005-12-28 21:36:25 | Weblog
お正月は日本で過ごす方が多いので、今週帰国された方も多く、今週はいつもよりはスローであった。
こっちはクリスマスが終わると、もう一大イベント終了みたいな感じなので間の抜けた期間だ。
日系企業のマネジャークラスの方はおつきあいで連日お酒が入る。
今日であった方は目が充血していた。
大丈夫かな。
彼も言っていたが、
「この時期は平常時よりもきつい」
とのことであった。
ちょっとした祭り気分になっているので、しょうがないのかも。

たまっていたペーパーワークをちょこちょこ済ませられるくらいの適切な忙しさであった。
ちょうどいい、このペース。

珍しく6時過ぎには帰宅できたので、残り物で夕飯をとった。

しそごはん、ひじきの煮物、シャケ、マカロニサラダ。

残り物で十分なのだ。

15年かけてわかったこと

2005-12-27 23:20:41 | Weblog
私たちが結婚して約15年がたった。
結婚しても私がずっと学生をしていたこともあったので、あまり既婚者という自覚がなくて、同じ年ということもあり、夫とはいいルームメイトと言う感じだった。
娘が出来て初めて「家族」や「結婚」という重みを感じている。

それとは別に15年の月日を経てやっとわかり始めたことがある。

それは本当の意味での「フェアの精神」である。
今年初めて理解した、いやわかりかけてきた、っていうところか。

スポーツの世界や一般社会でもよく言われることだけど、本当の本当の本当にわかってきたのは、つい最近のことだ。

夫は、結婚してからも私が独身時代と変わりなく大学に通い続ける事に関しては一切反対しなかった。逆に励ましてくれたり、勝手にご飯を食べていてくれたりと理解は深かった。

しかし、仕事をするようになって自分も稼ぎ始めると、そういう協力的だった夫の姿を忘れるのに時間はかからなかった。

生活費やその他もろもろの出費は折半。
夫だけが払うということは我が家ではない。
出費が半々かどうかだってわからない。
だって彼がどれくらいの収入があるか私はさっぱり知らないからだ。
銀行口座も別。
出費も別。
外食をした時は、真剣勝負のじゃんけんで決めることもある。
負けた方が全額払う。
といっても洋食やとかラーメン屋程度の外食だけど。
だいたい誘った方が払っている。

お互い会社を持っているのに経費で落とすのは私の会社からだけ。
なんだか自分が身を粉にして働いているのに、いとも簡単に取られるようで「この人わかってんのかな?」っていう意識が抜けなかった。

実はずっとずっとずっっっとそういう経済的な面でどうして私がこんなに負担しなければならないんだろうという疑問を抱いていた。

私が育って来た一般的な日本の家庭では、父親が働き一家を養っていた。専業主婦のお母さんが子供や家庭の面倒を全部みていた。
途中から母も働き始めて収入を得ていたが、大黒柱はやっぱり父親だった。
多分それが一般的な日本の家庭だったと思う。

そういうごく当たり前の家庭で育って来た私としては、大の男が女に払わせるということが理解できなかった。
夫は甲斐性なしの男だとずっと思っていた。
根っこにその疑問があったので、じゅぶじゅぶの地面にコンクリートを無理矢理しいたような感じは否めなかった。

私が勝手に「男とはこういうものだ」とか「こうあるべき」という鋳型を作っていて、それに当てはまらない部分を理解出来ずにいた、ということがわかったのは今年になってからだ。

一方で彼にも彼なりの言い分はあるらしく、彼の考え方はアメリカでは普通であるという。

「誰それも誰それも皆これが普通だよって言うよ」

それは全部夫のアメリカ人の友達。

私の友達や知り合いでそんな人一人もいない。

つまり夫はアメリカ人の立場で物事を判断し実行する。
私は日本人の立場で行動し判断する。
彼は日本人だけどアメリカ育ち。
私は日本育ちの日本人だけどアメリカに住んでいる。

思想が食い違って当然である。

こんな些細な意識の違いが積み重なって、言い合いになることが何度もあった。

小さなトラブルがあるごとに友達に話して、少しずつわかってきたことがある。

それは、アメリカ育ちの人はフェアの精神が浸透しているということだ。
スポーツだけじゃなくて、家計や家族という点でも例外ではない。

つまり、アメリカ人の夫(アメリカ育ちの夫)の場合、

「君はなんでも好きな事をしてもいいよ。家にいてもいいし働いてもいい。その代わり、その分の責任は全部自分でとってね。」

こういう感じかな。

日本人の夫の場合、

「広い広い草原を好きに飛び回っていいよ。その代わり草原には柵があってそこは絶対乗り越えては行けないよ」

こういう優しさかな。

友達が最初にアメリカ人と結婚して、離婚後裕福な日本人と結婚して、私が思っていたことと似たような事を言ったときは、今までの謎がすべて解けたような気さえした。
私だけが思っていたことじゃないんだ。
そして、夫が変なんじゃなくて、それがアメリカ人として普通の感覚なんだ。

一方で、その態度というか考え方が男らしくないとずっと思っていたのも事実。

もうこうなってくると好みの問題で、広い草原を管理されながら放牧される生活と、自己責任で生きる生活のどっちを好むか、という話になる。

私は結果的に後者を選んだ訳だ。

だけど、長年染み付いた考え方や習慣をおいそれと変えることは出来ない。
やっとわかったのが結婚15年目の今年。
やっと周りが見えて来たからだろうか。

これを読んでくださる方は日本人だろうから、感覚とか考え方が私よりになると思う。そんでもってアメリカ人側の考えで書いてないから、ある意味フェアではないかもしれぬ。

しかし、私が「普通だ」「当たり前だ」と思っていたことを覆すのがどれだけ大変かわかってくださるだろうか。

私に取っては思想革命にも近い発見であった。

不思議なもので「フェア」であることを念頭に置くと、都合のいいとこだけ男尊女卑の考えがいかに甘かったか思い知らされる。

「私は女の子だから男の人が守ってくれなきゃいけないのよ」みたいな。

其の考えを一切捨てて生きて行くことに責任を負うというのは大変なことだ。

それを自覚し始めて(自分の中ではやけくそ、かつ、かなり開き直ったって感覚だったが)仕事が飛躍的に順調になり、今年は本当に忙しかった。

考え方を変えるのは本当に大変なことだ。

それに気がついて咀嚼し始めたのが今年だった。

アメリカって本当に自由な国だ。そして本当に厳しい国だ。






おしゃぶりの味

2005-12-26 23:06:15 | Weblog
夜、つまらないことで怒られると、娘は親指をしゃぶりながら寝る。

今晩も同じことがあった。

まだ起きていたので、

「ぞな子ちゃん、指しゃぶっておいしい?」

と聞くと、

うん、うんとうなずいた。

「どんな味がする? たくわん?」

と聞くと、

「うどん」

と、言われた。

2005年のクリスマス

2005-12-25 23:23:54 | Weblog
近年、だんだんクリスマスでも開ける店が増えて来たような気がする。
特に非アメリカ系の店は今が稼ぎ時とあって、てんてんこまいの忙しさだ。

例えばケーキ屋さんとお寿司屋さん。
日本やフランスで修行をして来た人がぼちぼち近所でお店を開いてくれて、大いに助かっている。
あるケーキ屋のオーナーの女性は、朝4時には店に出て、夜帰るのも11時過ぎ。
彼女が相当頑張っているのを知っているので、私も働くモーチベーションになっておる。
彼女の店も開店早々質の高い商品を提供しているので、大変評判が高い。
そしてクリスマスケーキを食べる日本人には無くてはならない存在になった。
(ちなみにアメリカ人にはクリスマスケーキを食べる習慣はありません。というかクリスマスケーキというものはありません)

もう一つはお寿司屋さん。
クリスマスやお正月はパーティプレートが飛ぶように売れる。
日本ではそういう習慣がなかったと思うんだけれど、LAではめでたい時や人が集まる時ににはパーティプレートをよくオーダーする。
出前はないからテイクアウト。
見かけが大分華やかになるし、場が盛り上がるのいうのもある。
その代わり、店は相当忙しいらしい。
これまたある店のオーナーと話していたら、ご飯を炊く量が半端じゃないし、午前2時から準備を初めてぶっ通しで翌日まで働くんだそうだ。

皆頑張ってんだなあ。

うちは大きな休みは取らず、カレンダー通りのお休みにすることにした。

今週は土日月がお休み。
それでもすごい贅沢である。
3日もお休みがあるんだよ!

まず小手始めに今朝は娘と散歩に出かけ、私は小走り、娘はプリンセスの自転車に乗って走った。
その後、自宅で食事をとり、今度は私が自転車にのって子供を後ろに乗せて走った。
ママチャリと違って、マウンテンバイクはお尻が痛い。
シートが固いからだ。
これで42kmこげるか心配になってきた。
座布団と言わないまでも,類似したクッションが必要かも。

夕方(もう眠いなあ)と思った頃、義父母の家に行く時間になってしまった。

サンクスギビングのような夕食をとり、ケーキを食べて、プレゼント交換。

今年は私は感謝したい気持ちも大きかったので奮発したけど、この習慣ってもしかして無意味かもしれない・・・・
しかし、giveの精神が発揮される今、人が歓ぶ姿を見るにつけ自分に幸福をもらたすのも事実である。
所詮は自己満足か。

心配の歌とピアノは、準備や皿洗いをしていた時に弾いてくれたので、助かった~。

つまらないことだけど、一つ確信したことがある。

どこのブランドか忘れたけど、クリスマス用のすばらしい食器皿を並べていた。
(私は料理の手伝いをすると却って邪魔になるので、こういう小学生でもできる手伝いに徹している)
毎年記念プレートとして販売されていた代物だ。
どの本か記事か覚えてないんだけれど、「安定した生活の先には物欲が来る」みたいなことが書いてあった
がむしゃらに生きている時は、買う暇もないし、興味もないのは実体験でわかる。

高価なお皿を並べながら、自分の性格は高価な食器や服飾を購入することに喜びを感じるタイプではなく、「修行」のような生活に喜びを感じる奴である、ということを確信した。

もちろん毎日厳しい生活をしている分けではないし、家事なんかずぼらそのものなんだけど、何かゴールを設定してそれに向かって走ることに関してこの上ない喜びを感じる。
それがスポーツであれ仕事であれ趣味であれ。
たまにはずみで買い物をしまくることもあるけれど、目標を達成した満足感に比べたら虚しさも同居する行動である。

だから生涯現役で仕事をし続けるだろう。
それが一番自分らしい。



クリスマスイブ

2005-12-24 22:27:36 | Weblog
やっとこさ美容院に行く時間を作る事が出来たので、今朝行って来た。
少し染めたら、なに人かわからない風貌になってしまった。

明日はクリスマスだが、嫁ぎ先では親戚が集まり一緒に夕食を食べプレゼント交換をする。
もうどうでもええやんけ、と思うこのごろである。
一族の長老が「もうやらん」と言わない限り永遠に続くのである。
そしてそれはない。
本当は小さな子供達だけで十分なんだけどなあ。
多分アメリカに住む人たちの大多数が義理を感じながらも行う恒例行事なんだろうな。

しかし、現実問題として、義理の親兄弟、その子供達にプレゼントを買うのはかなりの出費である。
日頃からお世話になっているので、それなりのギフトはせねばならんと思う。
そして今年はそれなりのギフトを買った。
私、えらい!(義両親はもっとえらいんだけど)

そんでもって今年は,義父が習いたてのピアノを弾き、義母が御得意の歌を披露するようなのだ
本気でやっているのか、演技なのか、わからない。
多分本気なんだと思う。
皇太子殿下んとこもやんてんのかな。
私が一緒に歌を歌う姿を想像してほしい。
爆笑もんであろう。
特に大学時代の友人たちは。

ある方の息子さんが就職2年目で言ったセリフを思い出した。

「世の中にはお母さんが接している人ばかりで成り立ってはいないんだよ。僕はつくづく恵まれた育ち方をしたんだと思う」

と名言を吐いた。

おそらく良家の子女として育ったであろう彼は、今、日本の会社で揉まれ、脱毛および10円ハゲが出来る程のストレスを抱えながら仕事をしている。
その彼が思わず発した言葉であった。

おそらく社会全体のほんの一部の恵まれた方は、一定の層の中の人と接していれば済むし、他の層の人たちと接する必要はない。
しかし、仕事をしていると「層」などと悠長なことを言っている場合ではないのである。
ターゲットを絞るという点では一定の層と接触することは十分ありうるし、提供する料金によって層が変わる事もある。
私も大きなフレームで見れば恵まれた方だと思う。
仕事をしている人としてない人、結婚している人としてない人、子供がいる人といない人、相容れないのは当たり前かもしれん。

1年の後半はサンクスギビング、クリスマス、正月と日本とアメリカの祝い事が続くが、夫の両親は近所に住んでいるので、すべてが一緒に夕食をとる。
私はともかく義妹のアメリカ人の夫はよく耐えているなあと思う。
日本語が飛び交い彼にはさっぱりわからない会話だってあるだろうに、気を使っててえらい。我慢強い。結構立場はマスオさんだし。

かといって嫌な訳じゃない。

最近ちょっと窮屈なだけ。

このアメリカにいて、クリスマスも正月も自宅以外で過ごした事が無い私は、たまにはどっかにすっ飛びたいなあ~という気にかられるが、まずそれはない。
やっぱり家族が集まることがわかっている時に出席しないのは気ぃ使うもんな。
多忙な時に有給使うのが顰蹙買うのと似てる。

多分疲れてるんかもしれん。

明日は走ろう。


IVFコンサルテーション

2005-12-20 23:25:58 | Weblog
たまたま雑誌の広告で見てずっと気になっていた病院に行った。
その病院はIVFを$5500で、という広告を出していた。
単なる偶然だとは思うが、私のとこの広告の隣だったのも好感度あり。
気にはなっていたけど、ずっと伸ばし伸ばしにしていて、12月31日まではフリーコンサルテーション+超音波診断という言葉に惹かれ、火曜日に行って来た。

どんな人なんだろう・・・・

と心配にながら待つ事1時間。
「ちょっと待たせ過ぎだよね」
と夫と顔を見合わせていたところ、やっと名前が呼ばれた。

DrKはコーリアン系アメリカ人だった(広告で確認済み)。

とても感じの良い先生で、前回いった病院の中近東系の先生のように高圧的っちゅうか威圧感がない。やっぱりお国柄なのかな。

いろいろ話した後、心の中で「この先生がいい」という気持ちが芽生えて来た。
正直でざっくばらん、私たちに対して決断のプレッシャーを全くかけず、
「色んな所で話を聞く事は良い事だ。最終的に決めるのはあなたたちだから、何でも聞いてください」
という内容の事を言われた。

夫は先生に学歴と経歴を聞いていた。

技術的に心配することはなさそうだし、全部ここの病院で出来るし、まず問題は無さそうだ。
そして、何よりも先生の人柄がいい。
同じアジア人だし(これは大きい)。

DrKが言うには、IVFをする場合、embryologist(発生学者とでもいおうか)の力量とラボの設備に頼る所が大きいんだそうだ。
一度採卵すると、卵子はドクターの手から離れ、技術者の手に渡される。
彼の技術いかんで成功も失敗もあるのだ。
そしてラボがきちんと管理されていなければならない。
溶けてまうような器具ではいかんのである。

彼は其の技術と設備に誇りを持っていた。
それもいばるというのではなく毅然とした誇り。

なるほど、道理で前の病院も誇らしげに中国人のembryologist(彼の場合それを専門にした獣医)をリクルートしていた訳だ。それだけラボの存在が大きいということだ。

そして、前の病院と今回の病院の話を聞いて思ったのは、不妊治療は普通の産婦人科でしない方が賢明である、ということだ。
アメリカの場合、産婦人科医の先に専門教育を受けた不妊専門医があるから、6ヶ月おきに新しい情報や技術が流れそれに追随していなければない。

「普通の産婦人科医を私たちが(ここではDrK)が教育していかなければならないんだ」
と言っていた。

一般の産婦人科医クリニックでは、婦人病も妊娠も不妊もいっしょくたにしている。個室とは言え、ドクターはばたばたしている。
クリニックによっては、IUI(人工授精)を終えた後、
「とっとと出て行ってください」的な雰囲気もあってゆっくり休めない。多分それがほとんどだと思う。
休めたらむしろラッキーである。
だから、できるなら不妊専門医で見てもらうほうがいい。

コンサルテーションの後、すぐ超音波検査に移った。
たまたま生理2日目だったのもなにかの思し召しかも。
というのは超音波検査は生理2日目がベストだからだ。

さっそくチェックしてもらうと、全部で9個の卵子が育っているとの事だった。
「思ったより全然いいコンディションで逆にびっくりした」
というお言葉を頂く。

俄然やる気になり、
「じゃあ、今月から始められますか?」
と聞くと、
「そうしてあげたいんだけど、生憎ホリデーシーズンでラボのメンテをしなければならないから、今日でおしまいなんだ。オフィスがお休みのときが唯一メンテができるときだから。」
ということであった。
あ、そうか。もう20日だもんね。
早いととこなら23日くらいからお休みするみたいだもんね。
来月からだ。

そして、本日のチャージはコンプリメンタリーでゼロ。ただだったのである。

前の病院で血液検査やヒステロスコピーも終わっていたので、ラボの結果さえこの病院に送れば戦闘開始なのである。
前の病院はラボの結果も送ってくれてない。

プロセスの料金も見たが、半額とはいかないまでも半額に近いほど安かった。
日本プライスとでも言おうか。
これならやっていける。
手応えを感じたのであった。

オフィスを出て夫に
「どう思う?」
と聞くと、
「こっちの方がいいような気がする」
と、私と同じ印象を持ったようであった。

来年が楽しみだ。

娘の誕生日

2005-12-18 23:18:41 | Weblog
土曜日は仕事がめっちゃ忙しく、1日なんも食べれなかった。
しかしクリスマスカードもなんも仕上げていなかったので、今日しかないだろう、と帰宅して雑用を済ませて夜中の3時くらいから取りかかり始めた。

そして・・・・

朝7時まで起きていた。

もうだめ、眠い・・・

横になった。

。。。。。。。。。。。。1時間後。。。。。。。。。。。

娘が、

「お母さん、お腹すいたよ~」

と、ばしばしたたいて起こしてくれた。

11時くらいかと思ったら8時過ぎ。

1時間も寝てないやんけ!

しかし、体内時計とは恐ろしい物で、そのまま起きてしまった。

今日はクリスマスプレゼントを絶対買って来なければならない。

んでもって今日は娘の4歳の誕生日なのだ。
お友達を呼んだ御誕生日会はしないけれど、夫のじじばば宅で家族だけの誕生日会をすることになっている。
場所はじじばば宅ではあるが、主催はうちなので、食べる物やギフトは用意しなければならない。

クリスマスギフトの購入もあるので、早朝から行動を始めなければ夕方に間に合わない。

遠いショッピングセンターに行って買い物を済ませて、予定より遅れた1時過ぎ、Costcoに行って6パウンド(2700g)の肉を買った。
すぐさまローストビーフを作る。
これはオーブンに2時間つっこんでおけばいいので簡単。

其の後、スシボーイに行ってパーティプレートを予約して、風船もparty cityでオーダーして帰宅した。

ローストビーフは味見する暇もなく,そのままでかいpanごと車に運び込む。
車の中は風船でいっぱい。

じじばば宅ではご飯を食べ、デザートを食べ、プレゼントを開け、終止娘中心に動いたが、さすがに疲れた。

帰宅後は爆睡したのでした。

お誕生日会なんか開いてたらえらいこっちゃや。

月曜日が数分後来たのではないかと思えるくらいあっという間の日曜日だった。




ママチャリゲット

2005-12-17 21:43:30 | Weblog
以前から欲しかった日本のママチャリ。

駐在員の知人に、

「ママチャリを持って来ている人がいたら是非買いたいから知らせてください」

と伝えていたが、ついについに今日手に入った。

今までの反応は、

「ママチャリ・・・・・さすがにいないなあ・・・」

であった。

そりゃそうでしょ。

駐在員がごまんといるこの地で、前任者に何が必要で何が不必要かという連絡網はあったに違いない。

それがである。
おらっしゃったのである。

運動目的以外に自転車に乗るのはメキシカンくらいで、ママチャリに乗って送迎をする日本人など皆無である。
だいたい歩いている人もいないし。
しかし、現在の私の行動範囲は大変狭い。
家ー職場ープレスクールの往復のみ。時々スーパーに行くくらい。
家からオフィスまでは歩くと30分。
幼稚園まで歩くと1時間はかかる。
でも自転車だと最高にいい距離なんである。
決してスポーティではないが、機能性抜群なママチャリ。
格好よりも実用性を重視する私としては最高の乗り物なのである。

たまたま会った方が某運送会社の支店長さん。

今まで気がつかなかった自分が不思議であるが、

「もしかしたら彼の会社の倉庫に不要品があるかもしれない。」

と思いたち、それを売っていただけるのなら是非購入したいことをお伝えした。

すると、

「ママチャリねえ・・・・さすがにないですねえ。倉庫にもなかったと思いますよ。でも我が家にあります」

というお言葉。

奥様が乗っていた子供も乗せられるスーパーママチャリは処分してきたそうだが、彼が愛用していたママチャリは持って来たそうだ。
しかし、全然使っていなかったらしい。

それはもったいない。

「私、買います。買わせてください。」

と言うと、執念に恐れおののいたのか、しばらく考えて、

「いや、買わなくていいですよ。差し上げます。」

と、もったいないお言葉を頂戴したのである。

ほ、ほんとですか!

嬉しさのあまり恐らく紅潮した顔になっていたかもしれない。

でも、本当に嬉しかった。

結局dealがまとまったのであった。
いや、私が頂くだけなので全然dealじゃないんだけど。

さっそく彼は手際よく配達日を今日に指定してくださった。

そして自宅からママチャリをこいで来て、帰りは徒歩で帰って行った。

彼は会社のお偉いさん。
そんなお方にママチャリをこがせ、直接配達させ、徒歩で帰らせるというずうずうしさ。

罰が当たるわ。

私は彼の後ろ姿から後光が差していたのをまぶしく見ていたのであった。

このご恩は一生忘れません。私がこの自転車を使い続ける限りFさんのお名前は私の心に刻み込まれるでしょう。

明日クリスマスギフト買うてこにゃ。