ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

恐るべし、田中泯

2010-03-28 19:16:55 | Weblog
龍馬伝の岩崎弥太郎と吉田東洋と武市半平太はすごい。
というより香川照之と田中泯と大森南朋がすごくいい!
もうどんな演技してくれるんじゃいというインパクトのあるお方たちである。

「たそがれきんのすけ」というサイトに「うまい!」と膝を打つような表現があった。
http://ameblo.jp/tasogarekinnosuke/entry-10465208454.html

この人は独特の雰囲気を持っていて、何と言いますか…人を殺めた経験を持ち、心の底に無感情を宿す重暗い人物の役をやらせると右に出る人がいないのではないかと思う様な演技をする人なのです。

そうそう。怪演というか、もうなみなみならぬ雰囲気がただようのである。

いい役者さんを揃えられたから、本当におもしろい。NHKえらいぞっっ!
次が待ちきれないっ。

そう来るか?!

2010-03-24 19:59:19 | Weblog
「龍馬伝」が面白い。
youtubeで見ているけれど、姉が録画してくれたDVDを送ってくれてるので、非常に助かる。
私はばんばん見るけど、夫や娘は全然大河ドラマを見ないので、これは教育上見せねばならぬと第一話を洗濯物を畳みながらみた。
子供時代からなので子供にも導入しやすい。
あるシーンで、龍馬のお父さんとお兄さんが山内家の墓を守る門番のシーンが出た。雨の日も風の日も酷暑の日もひたすら黙って立ち続ける。

すると夫が言った。

「this is so lame!!!(くだらないっっっ)」

おまえ、そう言うか?!
元も子もないやんけ!!!!!
時代背景を考えなさいっっっっ

そして、侍も戦闘という仕事がなくなると、こういう仕事しかなくなるんだ、と妙に納得し、娘に説明していた。まあ、ここも平和になったら防衛企業関連と基地が閉鎖されたもんな。強ち現在とそう変わらないかもしれないよな。

しかしだ。このシーンを見たら、私としては、子供にいかなる仕事も黙って根気よくこなしなさい、といことを教えたかったんだが、アメリカ育ちの人間が見ると、無駄は無駄と解釈するか。

そして上士が下士を無下に扱う姿を見て、

「オッオー、このままでは済まんぞー、何かが起こるぞー」

と言う。
お前、黙っとけ!!!!!!!

上士と下士の争いが起こる前に私たちの争いが起こりそうであった。

幸せな時間

2010-03-24 19:43:20 | Weblog
日曜日の夜、テレビを見るのをちょっと止めて、たまりにたまった食器を洗うことにした。
まんがみたいに流し台に食器がてんこ盛りになっている。ちょっと壮観な図だ。
娘にもそろそろ食器洗いのお手伝いをさせたいなあと思っていたので、

「ぞな子~、ちょっとお手伝いしてくれる?」

と聞くと、
「いいよ~

と快い返事が返って来た。

まだ背が届かないので、椅子をえっちらおっちら運んできた。

スポンジに洗剤をつけて、

「こうやって洗うんだよ。ちゃんと洗ってね。」

「じゃあ、ママが洗う人ね」

と、おままごとと水遊びが混じったような感じですすめた。

おしゃべりをしながら、山のような食器を洗う洗う。
娘は、私がしていることが楽しそうに見えたのか、

「こんどはぞな子ちゃんが洗う人ね。」

と交代した。
私が今度はスポンジを持って洗う。
洗った食器がどんどんたまるので、今度は布巾で拭いて戸棚にしまう。
それを見ていた娘が今度はこの仕事をやりたがったので、交代。
いいぞいいぞ~

1時間ぐらい食器洗いと片付けをしただろうか。山のようにあった食器があっという間にきれいに片付いた。久しぶりにシンクの底が見えたぜ。

「これでママが明日の朝、洗わなくて良いね!」

と、涙が出るようなことを言ってくれた。
ディズニーランドに行くよりも、お出かけするよりも、最高に贅沢な時間だった

アメリカで生き残る術

2010-03-09 17:53:04 | Weblog
日本の文房具はクールなのでアメリカ人にも人気がある。
中1の娘さんを持つ方が、娘さんのエピソードを教えてくれた。

彼女の日本製シャーペンがクラスメートの男の子に盗まれた。
彼が取ったことがわかっていた彼女は、「返して」と言った。
彼は、「なくしたから知らない、持ってない」と言い切った。
そこで瞬時に彼女は考えた。
このまま彼をぶったたいたり、罵詈雑言を吐いても喧嘩両成敗で非のない彼女にもマイナスになる。
そこで、彼女は周りに聞こえるように大きな声で泣いた。
すると、焦った彼はすぐ返してくれたそうだ。

彼女はシャーペンを取り返してもらうことが目的だったので、しっかり目的を果たしたという訳だ。
たとえそれがどんな手段であっても。

それを聞いたお父さんも本当にびっくりしていたが、大人になるとちゃんとした会社に勤めていれば、外国人に対して多少お客さん扱いをされたり、相手が日本語英語に慣れたりして、リスペクトを持って接してくれることが増える。しかし、子供の世界は容赦ない。こうやって子供は子供の世界でサバイバルをしているんだと痛感したそうだ。

この話を聞いて、アメリカ育ちの夫と日本育ちの私たち夫婦の出来事を思いだした。

13、4年前、私たちは大きな交通事故に巻き込まれた。
相手は私たちから見て左から赤信号を無視して交差点をぶっ飛ばして来た、無免許、無登録のストリッパー。彼女の車は炎上し、私たちの車はスピンして90度方向に飛ばされた。運転席を猛スピードで直撃され、運転席に座っていた夫はもろに衝撃を受けたので、気を失っていた。助手席に乗っていた私は先に正気に戻り、たまたまファーストエイドのクラスを取ったばっかりだったこともあって、比較的落ち着いて夫の生死を確かめて車外に引きずり降ろした。

私は日本育ちの日本人だから、痛いとか苦しいとか自己犠牲とか、とにかく我慢するように教育され、それが体にしみ込んでいる。だから事故後も、同乗していたものの、痛みを抑えて救急隊の人を手伝うぐらいの勢いで手伝った。あたかもそれが美徳かのように。
夫は脳震盪もあって、ぼーっとしていた。もちろん外傷もあったし、直撃された分だけ打撃はひどかった。
でも命に別状はないと自分の中で理解していたので、
(今は大変だけど、時間が経てば大丈夫だろう)
と、だんだん私は冷静になっていった。

しかし、救急車が救急病院に着くや否や夫が大声を出して暴れ始めた。
そのままハサミで洋服を切り裂かれ、ベッドに移された。
頭に出血でもあったのか!?
症状が急変したのだろうか?!?!?!

私は待合室でずっとずっと待った。
しんどくてしょうがないけど、私は何にも言わなかったがために、ずっとずっと待合室で待つはめになったのだ。

事故の衝撃が自分にもあって本当にきつかったので、

「私も事故にあったんですけど・・・」と受付に言うと、

「そこで座ってて」

と言われて数時間・・・・。

ようやく中に入れてもらってベッドで横になって小一時間。

最後には、

「ドクターはもう見ないから」

と言ってほっぽり出された。

(それはないやろ・・・・)と思いながらも、やっぱ血ぃ出してないとだめなんかな~。相当きついけど、血を垂れ流してないと野戦病院では優先順位がかなり遅くなる。というか、処置ない。

一方の夫はとりあえず処置されてガラスまみれでベッドに寝かされていた。
うーんうーんうなっていた。
私はベッドサイドに座ったまま付き添い。きつい・・・・

(あ、義理の両親に連絡しなきゃ。もう明け方だ。)

と思って、連絡したら急いで病院に駆けつけてくれた。

そして、

「どうしてもっと早く連絡してくれなかったの!!!!」

と義母に怒られた。

私も事故車に同乗してたから、そんな余裕がなかった。それと、不思議なことに、「大丈夫だ」と確信したとたん、夜中に電話をして起こすほどのことでもないなあ、睡眠をとってもらって起きるぐらいの時間に連絡すれば迷惑にならなくていいか、というへんな気を回してしまったのだ。

そんな長ったらしいコメントはうっとうしいだけなので
「申し訳ありません」
と謝った。

その朝、義理の両親に私だけ自宅に送ってもらったけど、とても気まずい同乗だった。すぐに連絡しなかった私への恨みが痛い程感じられた。自分の判断で「彼は大丈夫だ。死にゃーせんわい」と思ったのは状況を把握していた私だけで、大丈夫だろうが大丈夫じゃなかろうが、親だったら事故なんて聞いたら全速力で駆けつけたいよなあ。それは親になってわかったこと。

送ってもらって、強打した足でよたよたしながら家に入ったけど、私が事故車に同乗していたことは全く同情されなかった。雰囲気で。
嫁って本当に糞以下だよなあ。

自宅に戻って別の車に乗り直して、夫を迎えに行った。
ガラスぐらいとってくれても良いのに、相変わらずガラスまみれで寝ていた。
野戦病院と変わらない。
よたよたしながら帰宅し、二人して寝込んだ。

数週間後、夫が立って歩けるようになって、事故状況を話す余裕も出た頃、

「あのときすごい叫んでたねえ~。」

というと、

「あれぐらいやらないといけないんだよ」

という返答があった。

こ、この男は・・・・・一体・・・・・

もちろん多少冗談も含まれていただろうが、お前一体どういう神経しとんじゃ!?!?!?!

しかし、この時の彼のとったとっさの行動が決して間違っていたかというと間違ってはいない。私の行動の方が間違っていたかもしれないのだ。
ちゃんと処置をしてもらいたければ、演技でもいいから大声で叫ばなければならないというのは、当然のことなのだ。それは彼から学んだ。事故が起こった場合は日本風ではいかんのだ。
結果が彼の叫びと相反するものだったとしても、先に治療をしてもらうという目的を彼は果たした。後で、「大げさなやっちゃなー」と思われても、それは検査と治療の後だから、どう思われたっていいのだ。その点、彼は正しかった。人間的にと言えば?であるが。

これがアメリカ育ちの日本人と日本育ちの日本人の大きな違いである。
いや、もしかしてアメリカ育ちという以前に、これって夫個人の性質かもしれぬ。
20年経ってもこの考え方には馴染めないが、そんなこと言ってると、この社会ではサバイバルできないのである。やっぱ、自分は日系社会でぬくぬく生きるだけの器量しかないかもしれないなあ・・・・




お菓子の本

2010-03-02 21:26:43 | Weblog
私のコンピューターの横にお菓子の本が置いてあった。
見たことのない本だったので、どうしたのかなあと思っていた所、ちょうど良く娘が通りがかった。

「ねー、ままー、この本見て~」

というので、

「どうしたの? これ。」

と聞くと、

「借りて来たの」

と言った。

どうやら塾の本箱から借りて来たらしい。この塾には良書が揃っていて、私も中條高徳氏の「おじいちゃん戦争のこと教えて」を借りて多いに感銘を受けた一人だった。

「まま、何が食べたいか選んで。」

お菓子を作ってほしいのかな。結構大変なお願いされちゃうなあ・・・・

と、思っていたら、

「まま、マザーズデーに作ってあげる。」

と、涙が出るようなことを言ってくれた。
作ってくれなくてもいいよ。その言葉が最高のプレゼントだよ