日本の文房具はクールなのでアメリカ人にも人気がある。
中1の娘さんを持つ方が、娘さんのエピソードを教えてくれた。
彼女の日本製シャーペンがクラスメートの男の子に盗まれた。
彼が取ったことがわかっていた彼女は、「返して」と言った。
彼は、「なくしたから知らない、持ってない」と言い切った。
そこで瞬時に彼女は考えた。
このまま彼をぶったたいたり、罵詈雑言を吐いても喧嘩両成敗で非のない彼女にもマイナスになる。
そこで、彼女は周りに聞こえるように大きな声で泣いた。
すると、焦った彼はすぐ返してくれたそうだ。
彼女はシャーペンを取り返してもらうことが目的だったので、しっかり目的を果たしたという訳だ。
たとえそれがどんな手段であっても。
それを聞いたお父さんも本当にびっくりしていたが、大人になるとちゃんとした会社に勤めていれば、外国人に対して多少お客さん扱いをされたり、相手が日本語英語に慣れたりして、リスペクトを持って接してくれることが増える。しかし、子供の世界は容赦ない。こうやって子供は子供の世界でサバイバルをしているんだと痛感したそうだ。
この話を聞いて、アメリカ育ちの夫と日本育ちの私たち夫婦の出来事を思いだした。
13、4年前、私たちは大きな交通事故に巻き込まれた。
相手は私たちから見て左から赤信号を無視して交差点をぶっ飛ばして来た、無免許、無登録のストリッパー。彼女の車は炎上し、私たちの車はスピンして90度方向に飛ばされた。運転席を猛スピードで直撃され、運転席に座っていた夫はもろに衝撃を受けたので、気を失っていた。助手席に乗っていた私は先に正気に戻り、たまたまファーストエイドのクラスを取ったばっかりだったこともあって、比較的落ち着いて夫の生死を確かめて車外に引きずり降ろした。
私は日本育ちの日本人だから、痛いとか苦しいとか自己犠牲とか、とにかく我慢するように教育され、それが体にしみ込んでいる。だから事故後も、同乗していたものの、痛みを抑えて救急隊の人を手伝うぐらいの勢いで手伝った。あたかもそれが美徳かのように。
夫は脳震盪もあって、ぼーっとしていた。もちろん外傷もあったし、直撃された分だけ打撃はひどかった。
でも命に別状はないと自分の中で理解していたので、
(今は大変だけど、時間が経てば大丈夫だろう)
と、だんだん私は冷静になっていった。
しかし、救急車が救急病院に着くや否や夫が大声を出して暴れ始めた。
そのままハサミで洋服を切り裂かれ、ベッドに移された。
頭に出血でもあったのか!?
症状が急変したのだろうか?!?!?!
私は待合室でずっとずっと待った。
しんどくてしょうがないけど、私は何にも言わなかったがために、ずっとずっと待合室で待つはめになったのだ。
事故の衝撃が自分にもあって本当にきつかったので、
「私も事故にあったんですけど・・・」と受付に言うと、
「そこで座ってて」
と言われて数時間・・・・。
ようやく中に入れてもらってベッドで横になって小一時間。
最後には、
「ドクターはもう見ないから」
と言ってほっぽり出された。
(それはないやろ・・・・)と思いながらも、やっぱ血ぃ出してないとだめなんかな~。相当きついけど、血を垂れ流してないと野戦病院では優先順位がかなり遅くなる。というか、処置ない。
一方の夫はとりあえず処置されてガラスまみれでベッドに寝かされていた。
うーんうーんうなっていた。
私はベッドサイドに座ったまま付き添い。きつい・・・・
(あ、義理の両親に連絡しなきゃ。もう明け方だ。)
と思って、連絡したら急いで病院に駆けつけてくれた。
そして、
「どうしてもっと早く連絡してくれなかったの!!!!」
と義母に怒られた。
私も事故車に同乗してたから、そんな余裕がなかった。それと、不思議なことに、「大丈夫だ」と確信したとたん、夜中に電話をして起こすほどのことでもないなあ、睡眠をとってもらって起きるぐらいの時間に連絡すれば迷惑にならなくていいか、というへんな気を回してしまったのだ。
そんな長ったらしいコメントはうっとうしいだけなので
「申し訳ありません」
と謝った。
その朝、義理の両親に私だけ自宅に送ってもらったけど、とても気まずい同乗だった。すぐに連絡しなかった私への恨みが痛い程感じられた。自分の判断で「彼は大丈夫だ。死にゃーせんわい」と思ったのは状況を把握していた私だけで、大丈夫だろうが大丈夫じゃなかろうが、親だったら事故なんて聞いたら全速力で駆けつけたいよなあ。それは親になってわかったこと。
送ってもらって、強打した足でよたよたしながら家に入ったけど、私が事故車に同乗していたことは全く同情されなかった。雰囲気で。
嫁って本当に糞以下だよなあ。
自宅に戻って別の車に乗り直して、夫を迎えに行った。
ガラスぐらいとってくれても良いのに、相変わらずガラスまみれで寝ていた。
野戦病院と変わらない。
よたよたしながら帰宅し、二人して寝込んだ。
数週間後、夫が立って歩けるようになって、事故状況を話す余裕も出た頃、
「あのときすごい叫んでたねえ~。」
というと、
「あれぐらいやらないといけないんだよ」
という返答があった。
へ
?
こ、この男は・・・・・一体・・・・・
もちろん多少冗談も含まれていただろうが、お前一体どういう神経しとんじゃ!?!?!?!
しかし、この時の彼のとったとっさの行動が決して間違っていたかというと間違ってはいない。私の行動の方が間違っていたかもしれないのだ。
ちゃんと処置をしてもらいたければ、演技でもいいから大声で叫ばなければならないというのは、当然のことなのだ。それは彼から学んだ。事故が起こった場合は日本風ではいかんのだ。
結果が彼の叫びと相反するものだったとしても、先に治療をしてもらうという目的を彼は果たした。後で、「大げさなやっちゃなー」と思われても、それは検査と治療の後だから、どう思われたっていいのだ。その点、彼は正しかった。人間的にと言えば?であるが。
これがアメリカ育ちの日本人と日本育ちの日本人の大きな違いである。
いや、もしかしてアメリカ育ちという以前に、これって夫個人の性質かもしれぬ。
20年経ってもこの考え方には馴染めないが、そんなこと言ってると、この社会ではサバイバルできないのである。やっぱ、自分は日系社会でぬくぬく生きるだけの器量しかないかもしれないなあ・・・・