ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

シティパンクの変わりよう

2007-09-29 23:59:28 | Weblog
姉が滞在していたとき、シティバンクで何度かお金を出していた。
なんでも日本のシティバンクで口座を作ると訪れた国のお金で引き出し可能らしい。
もちろん口座には一定金額の預金が必要である。

素晴らしいシステムではないか!
しかし、88年に渡米しようとしたときは、こんな便利な口座はなかった。
こういうシステムが当然ある、と思い込んでいた私は、銀行口座を作るべく、当時銀座かどっかにしかなかったシティバンクに出向いた事があった。
当時アホ学生であった私に、外資銀行の敷居はめちゃくちゃ高かった。
しかし、意を決して向かったのであった。

そして、アメリカに行く予定だがシティバンクで口座を作ったら、アメリカでお金をおろすときドルでおりるのか、という内容を聞いたところ、優しいお姉さんが、こいつアホちゃうか?と内心思ったのであろうが、とても素敵な笑顔で

「今はそういうシステムがないんですよ。アメリカで口座を作ってそこからドルをおろさなくてはならないんです。」

と、教えてくれた。

ちょっと恥ずかしいな~と思いながら、シティバンクを出たのを思い出す。

しかし、だ。

時は経て、20年後にはこのシステムが構築されているではないか!

今なら堂々とシティバンクに行って口座を作れる立場になったが、皮肉にもその必要は無くなった。

時代の流れを感じる・・・・



寂しいなあ~

2007-09-26 21:33:46 | Weblog
歯のインプラント手術のために3週間滞在していた姉が昨日帰国した。
一人いなくなっただけで、とっても寂しくなった。
何しろ姉は几帳面で、洗濯物もちゃっちゃとたたむし、食器もためずにどんどん洗ってさっさとしまう。
すべてをほったらかしにしている私とは雲泥の差である。
姉が未婚で私が既婚なのが、世界の七不思議である。

娘のドロップとピックアップ。
帰宅したら料理も出来てるし、こんな有能な人はいない。

帰国後の夕食は夫が買って来てくれた吉野家の牛丼だった。

また、この殺伐とした生活が始まる。

娘がよくこの環境で育ってるなあ~と逆に感心する毎日である。

しりとり

2007-09-25 21:18:25 | Weblog
夏休みにいとこたちと過ごした1週間で娘の日本語が飛躍的に伸びたが、その要因の一つにしりとりがあった。

どういうきっかけで始まったか全く覚えてないが、車に乗ったら即しりとりが始まった。

以来、車に乗るとしりとりばかりやっていた。

全然期待もしてなかったことだけど、結果的に娘の日本語の語彙が伸びていた。

今回、姉と私たち家族でラスベガスに行った時と帰り、片道5時間だが、やっぱりしりとりをした。

それがキョーレツにおもしろくて、笑いに笑ったさ。

夫は米国ではアイビーリーグの大学院卒だが、日本語学校は中卒だ。
自分の都合のいいときだけ、アメリカ人になったり日本人になったりする奴だが、しりとりの時も、「自分は中卒だから」と、言い訳をしていた。

おっしゃ、潰してやる・・・・

と、心に誓い分けもなくしりとりに執念を燃やす私であった。

最初は、「ねこ」「こぶた」「たぬき」「きつね」などとオーソドックスな単語が並ぶが、出尽くした感があると、

「胃酸過多」とか、

「四面楚歌」とか、

「利幅」とか、

「ルキミア」(白血病)とか、

「ソビエト」とか、

「リトアニア」とか、

だんだん大人のしりとりになってきた。

もちろん夫の日本語力は限られている。

娘もこのぐらいになると寝ていた。

そして、しりとりは1時間半も続くのである。

結構驚いたのは、娘の語彙が私が思っていたよりもあったことだ。

「こんぶ」とか、

「みつわ」(近所の日系スーパー)とか、

などは、わざわざ教えた訳ではなく、普段の会話で得た知識であろう。

期待してなかった言葉が発せられると、

「お~」

と、私たちは感嘆の声を出していた。

しりとりって結構くだらないけれど、はまります。

今度から国語辞典入れとこっと。

また新しい週が始まる

2007-09-16 07:05:19 | Weblog
先週は娘のキンダーが始まった1週間だったということもあり、親子共々疲れていた。

うちなんてとってもスムーズに学校に行ってくれてからいいものの、泣いている子供だっている。

そんなうちの親御さんは辛かろうなあ~。

日曜日は比較的ゆっくりして過ごしたが、また今日から怒濤の1週間が始まる。

はちまき締めてがんばるぞっっていう感じです。

転職の季節

2007-09-15 23:06:47 | Weblog
今の季節だから、という訳じゃなかろうが、立て続けに同業者が転職したという話を聞いた。

一人は、化学の先生に。
一人は,警察官に。
数年前だが、プロゴルファーになりたいと言って、ラスベガスに飛んだ輩もいたし、映画セットの大道具さん?というのか、大工さんのようなものに転職した人もいた。

雑誌では内科医が患者や病院に拘束されるのが嫌で、ブティックのオーナーに転身した、というのも読んだ。

アメリカって本当に一生一職じゃない国だなあ・・・・

何をやっても自分の責任においては、何をやっても許される国であるということであろうか。
転職が多い国とはいえ、プロフェッショナルも気軽に転職するという珍しい国でもある。

それだけ国がフレキシブルと言えば良いのか、尻が軽いと言えば良いのだろうか。

最初の宿題

2007-09-10 22:51:36 | Weblog
娘のキンダーが先週の木曜日から始まった。
アメリカには入学式という儀式はなく、なんとなーく始まる。
一応初日は慣れということもあり、木金は9時半から12時半まで。
月曜日から本格的に9時2時という時間で授業が始まる。

幸い娘は泣く事もなく,スムーズに入って行ってくれた。

そして月曜日、さっそく宿題を持って帰った。

それがabcでもあいうえおでもなく、なななんと、アメリカ忠誠の台詞なのである。
そう、胸に当てて言うあの台詞である。

先生が作ったと思われる簡単な絵本に1ページずつこの文が書かれて,その上を子供がなぞる。

そして、この忠誠文が完成した。

I Pledge Allegiance to the flag
of the United States of America
and to the Republic
for which it stands,
one Nation under God,
Indivisible,
with Liberty
and Justice
for All.

でもって、娘はもうすらすら暗唱しているのである。

5歳のキンダーから高校を卒業するまでの18歳まで、雨の日も風の日も毎朝毎朝この忠誠文を唱えるのである。

この子はもうアメリカ人になってしまう・・・・

こうやってアメリカ人は作られていくのだ。

そうしないと移民が多い国では統率がとれないんだろうな。

ちょっとショックを受けながら、子供の宿題を見た。
いや、私が見たのではなく、夫が担当してくれた。

正直なところ、へとへとになって帰宅して、好きでもない英語の宿題を見るなんて、苦痛でしかない。
慣れた調子で夫がご丁寧にどこから持って来たのかアメリカの国旗を見せながら、宿題の説明をしていた。

これで英語の宿題は夫、日本語の宿題は私という区分けがはっきりできた。

5歳でこの宿題だったら高学年の宿題なんてお手上げだ~。

レイバーデー

2007-09-03 23:44:30 | Weblog
今日はレイバーデー。
久しぶりの日月の休み。夏休み最後の連休でどこもにぎわっている。
いつも通り土曜も仕事な私にはこの日月の休みがとてつもなく贅沢に感じる。

にもかかわらず、この数日の暑さはなんだんだ?! 
連日100°F近く、髪がねっとり体にまとわりつく、あの日本の夏のようではないか。

この辺一体は海風が吹くので、朝晩が涼しく、家に冷房が付いてないところが多い。
うちも例外ではなく家に冷房装置がない。
よって小さな安っぽい扇風機が家の中にごろごろしている。
もう暑いったら何の・・・・

月曜日の今日、お出かけの予定もなかったが、やはり家でごろごろするには暑すぎる。
家の中の方が外よりも暑いんだからっ!

テーマパークに行く体力もなく、午後から娘と二人で海に行く事にした。
私の方は車に自転車を積んで向こうで自転車に乗ったりビーチで遊んだりのつもりだったが、娘は海まで自転車で行く!と張り切っている。

片道ゆうに10kmはあるんですけど・・・・・

それを知ってか知らぬか、娘は断固として自転車で行くと決意を固めている。
それもハンドルにひらひらが付いてる車輪の小さい自転車である。
何千回こぐかわかってんのかな~。

お前がその気なら母ちゃんもいくぞなもし!!!!

このクソ暑い中、娘はヘルメットをかぶり、私はバックパックを背負い中に4本の水(ジューズ含む)を入れて、万が一のお迎えを頼むための携帯も入れて出発した。
去年海までランニングをしていた時期があったので、裏道というか近道はわかっている。
それでもアップダウンの片道10キロ。
走って1時間だったから、多分幼児の自転車でも1時間くらいだろうなあ~。

すぐ諦めるかな~と思って遠回りしたら、それがなんその。

全然調子いいじゃないのよ。

上りがあれば下りがあるということを教えながら、1時間後には海に着いた。

我が子ながらすごいぞ、ぞな子・・・・・

そしてたくさんの人出に触発されたのか、海で遊ぶ!と言い始めた。
水着も持って来てないんだよ・・・・(本人がいらんと言った)

案の定、波で靴をぐちゃぐちゃにして、小一時間波打ち際で遊んでいた。

帰りの体力が心配だったので、

「もうそろそろ帰ろうよ」

というと,意外に素直に諦めて帰る支度をし始めた。
多分,私が声をかけた時,小さな男の子が悪気はなしに娘の作った砂の山をぶち壊したのが潮時だったんだろう。

それから娘は砂の付いた裸足で靴を履き、まるで田舎の港町の子のように自転車をこぎはじめた。
私は後ろを付いて行く。

帰りは道を覚えたのか、すいすいすーいである。
疲れ知らずの5歳児・・・・・

坂道もぐいぐいこいで行く。
来る時は何度も降りて自転車をおしたのに、帰りはあんまり降りてないなあ・・・・

下り坂では股をおおっぴらに広げて、

「ひえ~いい~っっっっ!!!!」

と奇声をあげながら、本当に気持ちよく自転車に乗っていた。

そして最後の最後まで、ぐずぐず言わず家までちゃんと乗って帰ったのだ。

こっちの方がふらふらです・・・・

なんだかすっごい贅沢な時間を過ごした気分です

教育ママ

2007-09-03 09:38:12 | Weblog
姉から電話があって、欲しい雑誌を頼んでいたら、

「いつから教育ママになったん?」

と驚かれてしまった。

教育ママになったつもりはないけれど、親になれば教育ママには当然なりますっっ!

だって、日本人なら、いや、外国人として海外に住むのなら、日本語教育はまず考える事だし、マイノリティーということで、世の中をサバイバルすることを考えるのだ。

日本でも在日の方々にプロフェッショナルが多いのは同じ理由だと思う。

ここには在日や華僑が多いけれど、日本育ちなので日本語は出来るし、アメリカでプロフェッショナルライセンスをお持ちなので、この地でちゃんと根をおろして生活されているのである。
こういう現実はここに住むまでわからなかったことだ。

学は生きて行く上で絶対必要なものだ。

アメリカは学歴社会でもあるし、それってもしかしたらユニバーサルなものなのかもしれない。
だってある程度の学があれば、不必要な差別を受けなくていいもの。
職もプロフェッショナルなら、相手がすぐわかってくれるし、いちいち自分を説明しなくてもいい。

そんな苦労をさせたくないから、今,娘には投資をするのである。

本人に自覚が出る年が10歳になるか20歳になるか、はたまたずっと出ないかはわからないけれど、いずれはいなくなる親の私が出来る事はやっておきたいと思うのである。