姉が送ってくれたDVDの中に「風のガーデン」があったので、年末の時間を利用して観ることにした。
ドラマは全シリーズ見終わるのに時間がかかるので、最後に通しで観たのは「東京ラブストーリー」だ。
それっていつの話よ
多忙を理由に、テレビは1時間とか2時間で完結するドキュメンタリーとかバラエティーがほとんどだ。
じっくり韓国ドラマも観てみたいが、未だ実現せず。(でも絶対時間を作ってみるわよっ)
「大奥」やNHKの大河ドラマは、チャンバラシーンが出ると娘が異常に怖がって、ちょんまげ=残酷という方程式が出来上がった娘がいると、1回目を全部観れればラッキー。ということで、ほとんど観れてない。最近娘が一人でテレビを観るようになったので、今後私も少しは観れるんじゃなかろうか。
それに今はyoutubeだってあるもんね。
途切れ途切れでもコンピューターがあれば、雑用をしながらでも見れるようになった。
なんて便利な世の中になったんだいっ。
で、「風のガーデン」観始めたら止まらない、止まらない。
中井貴一大好きだし。
父が亡くなったのが膵臓がんというのも一緒だったし、内容がタイムリーだったので、ぼろぼろ泣いてしまった。
ぼろぼろっていうより嗚咽に近い泣き方。
これは一人でしか観れない。
随分前の事のように思えるが、父が亡くなったのはまだ半年前なんだなあ。
緒形拳の遺作と言うこともあって、いろんな人がいろいろな感情を持って観たんだろうな・・・。
ドラマの中で、家族に見守られて亡くなるシーンがあった。
それは本当に理想だけど、見守る体力のある家族がいることが絶対条件だ。
だまっていてもお金は出て行くので、経済的な基盤がないと家で看護も出来ない。
会社勤めだときびしいし、地元に住んでいなければならない。
地元にいたって難しい。
自分の生活をまず守らなければ、他の人の看護なんて不可能だからだ。
今の時代では本当に不可能に近い光景になってしまった。
亡くなったとき家族が小さく拍手をしていたけど、ああいう風に出来たらどれだけ良かったか。
3年前、父がくも膜下出血で倒れて、ずっと頭がおかしい時期が続いた。でもかなり回復して普通の字もかけるようになったし、元の父に戻って、のろのろだが自転車にも乗れるようになった。
一方でずっと父の世話をしていた母がどんどん痩せていった。
そして母も倒れた。
母がステントを入れて、やっと両親がおちついたかな、と思ったところで、父が入院して癌が見つかった。
私は海外にいたから、看病するのはかなり頑張って1ヶ月に1週間。
仕事がなければ子供を連れて長期帰省したかもしれないけど、それも実現したかどうか。
仕事を休める調節が出来るだけラッキーだ。そうできない人の方が圧倒的に多い。
精一杯やってももうちょっと出来たんじゃないか、という思いはいつまでもある。
でも、たった1週間でもずっと病院に寝泊まりするのがきつかったのも事実だ。
妙な緊張感がずっと続いたこともきつかった。
それをずっとずっと文句も言わず、交代でやり遂げた姉と母は偉い。
父がおかしくなって、変な事を言う頻度が増えると、やるせない気持ちにもなった。
それが夜中だったら、もういい加減にしてくれ、と思うこともあった。
でも私は期間限定の看病だし、それだと頑張りがきく。きかないともっと長期間看病している姉たちの罰が当たる。
大変な所は看護婦さんに助けてもらった。
入院する随分前から「腰が痛い、腰が痛い」と言っていたけれど、今思えばあの時からもう膵臓がんは始まっていたんだと思う。だけどあのとき判明していたとしても、処置は同じにしたんじゃなかろうか。
だからこそ、父はあそこまで生きられたのではないか。
抗がん剤でつらい思いをしていたら、もうちょっと長生きしたかもしれないけれど、父自身がもっともっとつらい思いをして、つらそうにする姿を見る時間が多かっただろう。父も含めて家族全員にとってはあれでよかったんじゃなかろうか。
3ヶ月という入院期間は、私たちが心の準備をする期間にはちょうど良かったし。
事故死や他殺、遭難、誘拐や失踪なんかだったら、心の準備なんてする余裕すら与えられない。
私たちなんて比較的幸せな方だった。
それでも、看病する期間としては限界が近づいていた。いっぱいいっぱいだった。あれ以上になっていたら、周りがばたばたと倒れて、家族が崩壊していたかもしれない。
本人は痛みでつらかっただろうが、そんな状況、父はわかっていたのだろうか。
やっぱり苦しむ父をずっと見ていたくなかった。
痛がりだったから、楽になって良かったんじゃなかろうか。
父が亡くなってこっちに戻って、亡くなった事実を払拭するように働いて働きまくった。
そしたら11月くらいから体がしんどくなって来た。
実家にいれば、少しずつ行事をこなして、生きている側の心の整理をしていくものだが、私にはそれがすとーんと抜けている。感情をうまく処理する時間を持ててないのかもしれない。かといって、ゆっくりしていたら鬱になったかもしれない。だから元の状況に戻る仕事を持っていて本当に良かった。
故郷の親の世話について悩むのは、海外に住む人,全員に共通していることだ。
患者さんの何人かが、「お葬式に帰っていた」とか「父が危篤で」ということをおっしゃっていた。
それは、今も今後もいつまでも続く。
私だけが例外じゃなくて、同じ人がたくさんいる。
そうやって人の痛みがわかるようになっただけでも、有り難い事なんだよな。
未だ父が2階の部屋でテレビを見ていて、帰ったらいるような感じ。
亡くなった事実を消化していくにはまだまだ時間がかかりそうだ。