ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

ばかも才能のうち

2009-01-28 23:49:21 | Weblog
特別な幼児教育も特別な才能も持たずに生まれて来た平凡な私だが、最近馬鹿も才能のうちだと思うようになった。
帰国子女でもない、超国産地方特産品。
英語も中学生から皆と一緒にthere is a deskから開始。

たくさんつまづいたし、頭だって良くない。

こんなんでも、人一倍努力するようになったのは、持つ物がないからだ。
あったら努力する必要もなかったろう。
特に怠慢っ気の自分には、なくて良かったんだと思うようになった。
しんどいけど、そのしんどさは、努力をする人、歩み続ける人には必ず影のようにつきまとう、連れ添いだ。
しんどい思いをすれば思いやりも生まれる。
だからばかも才能のうちなのだ。

だけど、もうちょっと賢かったらスマートに生きられただろうに・・・・

ラグビー談義

2009-01-22 22:26:19 | Weblog
最近ラグビー関係の話で盛り上がった。
といっても人と会う時間がないので、同窓会のネット上でだけだけど。
ラグビーが最高に盛り上がった80年代に大学生活を送った人たちの思い出話だけれど、結構マニアがいて、誰それのプレーがどうちゃらこうちゃら書いていたのを読んだ。

懐かしいなあ・・・・。

と思っていたら、スクールウォーズの原作者のB先輩がコメントを残した。

熱いぜ・・・・・

気分は80年代にぶっ飛んだ。
ユーミンのNo SideのLPも買ったし、国立競技場の早明戦も行った。
BGMはヒーロー(ただし、頭の中で音楽が鳴り響くのみ)。
ラグビーの中継はほとんどテレビで観た。
今では考えられない。

そんな事があった翌日、たまたま会った女性が、W大出身でT社に入社。大学、社会人とラグビー部のマネジャーをしていたことが判明した。
私の頭の中はすでにラグビー環境が整っていたので、あまりの偶然にこけそうになった。

国定選手とか、当時有名だった選手の話をしていたら、退職前まで同じ職場で勤めていたらしい。
向こうもそんな名前が出てくるとは思わなかったらしく、かなりびっくりしていた。

彼女は、

「こんなところでラグビーの話が出来るとは思わなかった。」

と、言いながらも、

「普通のおじさんですよ~」

と、雑誌でしか見聞き出来ないような有名選手の名前がごろごろ彼女の口から発せられた。
感動である

そして,その時まで知らなかったことだが、有名選手が実業団に入るのは当然としても、マネージャーであった彼女も就職にかなり有利となったそうだ。
そんな事20数年前知ってたら、私もマネージャーになったのに・・・・(いや、なれまい)。

当時、本城選手が「プリンス」と呼ばれていたが、そう聞いていた彼女(私より一回り下の世代)が実際W大のグラウンドで彼を見て、かなりショックを受けたそうだ。

短い時間だったが濃厚な時間を過ごす事が出来た。

その夜、またメールを見ていたら、ラグビーの話が続いていた。

それを読みながら、ラグビーとは関係ないあることをふと思い出した。

たしか83年、私が広島で浪人生活を送っていた頃、ナンバーを読んで、ある記事に感動しまくったことがあった。
詳しい内容は忘れてしまったけれど、東京オリンビックでオランダのヘーシングが柔道で勝ち、日本代表の神永選手がその階級では勝てないことを承知で出場して、潔かった、彼はサムライだった、というような、当時の状況を克明に書いたものだった。
文章が臨場感に溢れていて心理状況が手に取るように伝わって来た。
とても感動して感動して、ナンバー宛に手紙を送った記憶がある。
そして、それを書いた人の名前が上記の原作者だったような気がしたので、それを彼に伝えてみた。
そういう記事を過去に書かれましたか?って。

すると、熱いメールが返って来た。

彼が、まさにその記事を書いた人だったのだ。

当時、記事を書いた後、300通の手紙が全国から来たそうだ。
その中に私の手紙も入っていた訳だ。
26年後に判明した事実に、ちょっと感動してしまった。




大統領のミドルネーム

2009-01-20 23:26:23 | Weblog
今日はオバマが大統領に就任した記念すべき日であった。
誰もが歴史の証人になった日。
私は腰痛でえらかったので、今朝はたまたま午前中を休んでいたこともあって、就任式をテレビで観る事が出来た。
ヒデキ感激である。

アメリカ人はこういう演出が抜群に上手い。

ヘリコプターで公邸を去るブッシュは、ちょっとニクソンの最後を彷彿させた。

ところで、オバマ大統領のミドルネームを御存知だろうか?

ちなみにイニシアルはH。

夫が私に同じ質問をした。

「ヘンドリック!」

「ちがう」

「ヘンダーソン!!」

「ちがう」

「ひろし!!!!」
・・・・」

「ひみこ!!!!!」

・・・・・・・・・・・・・・」

答えは「フセイン」でした。




箱根駅伝

2009-01-18 18:20:48 | Weblog
姉が送ってくれたDVDの中に楽しみにしていた箱根駅伝が入っていた。さっそく開封して夜から観始めたら、あーら止まらない止まらない。
去年ほどばたばた倒れる選手はなかったが、恐ろしいスピードでお走りになる選手たち。
20km+を1時間前後で走るなんてありえない・・・・
今、自転車漕げと言われても多分その速度で漕げまい。

相変わらず駒大の大八木監督は髪型ばっちり決まってる。
大八木監督を見るたびに、高校の陸上の先生を思い出す。ちょっと雰囲気が似てるかな・・・(似てない?)

私が大学生の頃は、箱根駅伝のテレビ放映はまだなかった。
テレビ放映が始まったら、大学も一気に大学名を売り込めるため、有望選手のセレクションが激しくなった。
明治の陸上部はいまいちだったけれど、力を入れ始めて数年経つ。やっと芽が出始めたのではないか。
こうなったら野球部、ラグビー部の次でいいから花形部にせにゃーならんで。
あんなに全国が連日注目する番組ってないんじゃないかな。

まだ往路しか見てないけれど、中央学院大学の木原君の走りは本当に感動した!
ケニアの選手を相手によー頑張った。本当に根性のある青年だ。見ていて気持ちいい。
思わず月刊陸上競技を定期オーダーしようかと思った。

長距離選手の練習は本当に反吐が出る程きつい。
冬の長距離走、クロカンもインカレなんかのシビアな試合は、よだれだらだら鼻水だらだら状態で走りまくる。
本当に何の為に走るんかい?と問いたくなる程、どろどろになって練習して試合に臨む彼ら。
そういうぐちゃぐちゃになってチャレンジする人が私は好きっ

1日1語

2009-01-13 21:16:16 | Weblog
娘の宿題は,日本語補習校のと現地校のがあるので、毎日夕食後に両方少しずつするようにしている。
一人っ子なので私たち親二人が娘一人に向かって叱ったり指示するのは良くないと感じるようになったので、私たち親同士も1日1語単語を覚えることにした。

夫は、

「よ~し、絶対わからないの言ってやる!!!」

と、張り切っている。

いきなり、

「incriminate!」

と言った。

「discriminate(差別する)の親戚でっか?」

と、聞いたものの、首を振られる。

crime関係だろうなあ・・・・
「(でも)わからん

すると長々と例文を述べ始めた。夫の長ったらしい説明はいつも頭にくるので(こういうとこ本当にばか)、さっさと辞書を持ってきて調べた。

ちなみに

人に罪を負わせる
~を訴える
有罪にする

という意味だそうです。

次は

「indoctrination!」

ニクソン・ドクトリンとかで使うやつか? 
ドクトリンは聞いても、ちゃんとした意味を説明できない。ぐやじい・・・・

と、また長々と説明し始めるので、無視して辞書を調べた。
これは長いので、各自調べて下さい。

私も、負けじと漢字を述べる。
でも彼の場合読んでも書けないので、漢字を書いて読み方を尋ねることにした。

「罪!」

「ばつっ!」

「ばーか。『つみ』じゃ、『つみ』!」

「次! 罪と罰を書け!」

といっても書ける訳ないので、インデックスカードに書いて渡した。

「毎回テストするからね!」

と、お互い戦闘モード。

私から教えたのは、「朝令暮改」
 
1年後には360語くらい覚えているだろうか。



一体どうしたんだ?!

2009-01-05 20:45:36 | Weblog
今日は仕事始め。
もちろん年末年始は地元にいたから、オフィスの出入りはしていたが、仕事は始め。
そしたら、開始から怒濤の勢いで患者さんが来られた。
けが人が多い。
休み明けはけが人が多いけど、普段のうちのペースからすると尋常ではない。

一体どうしちゃったの~?!

結局そのペースは終日続いた。

よく働きました。
寝ます

お葬式ばっかりじゃのう・・・

2009-01-05 20:19:27 | Weblog
日本時間の4日に母方の祖父が亡くなった。97歳だったそうだ。

大往生。

参加は出来ないが、合掌。

本当に人が生きて亡くなるということは、大宇宙の自然のサイクルなんだなあ・・・・・

私がいつまで生きられるかわからないけれど、父が亡くなってから、どうせ死んじゃうんだったら、いい事をして亡くなりたいと思うようになった。

去年、父は亡くなったし、患者さんも亡くなった。
でも、何か得たというか、決してマイナスだけではなかったのも事実だ。
人の優しさとか、生き様とか、出会いとか。
ぼっこり穴が空いただけじゃなかった。

充実したいい年にしないと、生きている者として罰が当たる。

そんな中、たまたま立ち寄ったブックオフでたまたま買ったマンガ、「神々の山領」(作 夢枕獏、画 谷口ジロー)が、どえらい面白かった。面白いというか、生死が常に背中合わせなのに、人が挑戦し続けることがすごい
絵もリアルだし、山のマンガは石塚真一の「岳」に続いて2作目。
偶然だけど、父が亡くなったときは「岳」を、祖父が亡くなる前は「神々の山領」を読んだ。
嫌でも、生きる事を考えてしまう。

山岳は本当に命を懸けた行動だ。
本もあるというから、今度読まなきゃ。
でも、なんでこんなしんどいことやるんだろう・・・・私には出来ん



親子でお風呂

2009-01-04 20:34:34 | Weblog
今日は早朝からオフィスで掃除や後片付けをした。朝10時過ぎに帰宅したら、やっと娘が起きて来た。ちょうど良かった・・。
ブランチを食べさせて、さっそく日本語学校の宿題にとりかかる。大分さぼったからなあ。
娘は繰り上がりの足し算をまだ手を使ってやっている。20以上になったらどうなるんだろうか。
絵日記の作文も2ページは書かなければならない。
おだてておだてておだてまくって、初めて2ページいっぱいいっぱい書く事が出来た。
褒めちぎったら、照れ笑いをしていた。
これで少しは日本語で書くことに自信が持てればいいけど。

昼すぎからちょっと離れた公園に走りにいった。
娘はスクーター(キックボード)で、私はランニング。
最近全然運動をしてなくて、おかきばかり食べていたら、どんどん体がたるみはじめた。

「ママ、太ったね」

と、ずばり指摘をしてくれるのは有り難い。
肝に銘じて10キロくらい走ろうと頑張ったが、しんどくなって3キロくらいで辞めた。

その後、韓国人が経営するお風呂屋さんに行った。
娘はアメリカでお風呂屋さんに行くのは初めてだ。
韓国人ばっかりの女性専門お風呂(サウナやマッサージもある)なので、嬉しい。
娘は深いジャクジーに入って、邪魔にならないように潜っていた。
40分位お風呂で遊んだだろうか、本当に気持ちがいい。

「気持ちがいいねえ~」

と、娘も言っていた。

月1くらいで来れればいいなあ。

その後、スーパーで食材を買い、ブックオフで娘の本を買い、帰宅。
なんて贅沢な日曜日なんだ!

家でお風呂に入らなくてもいい事を思うと、とっても時間を得した気がするのであった。

風のガーデン

2009-01-02 21:58:05 | Weblog
姉が送ってくれたDVDの中に「風のガーデン」があったので、年末の時間を利用して観ることにした。
ドラマは全シリーズ見終わるのに時間がかかるので、最後に通しで観たのは「東京ラブストーリー」だ。
それっていつの話よ
多忙を理由に、テレビは1時間とか2時間で完結するドキュメンタリーとかバラエティーがほとんどだ。
じっくり韓国ドラマも観てみたいが、未だ実現せず。(でも絶対時間を作ってみるわよっ)

「大奥」やNHKの大河ドラマは、チャンバラシーンが出ると娘が異常に怖がって、ちょんまげ=残酷という方程式が出来上がった娘がいると、1回目を全部観れればラッキー。ということで、ほとんど観れてない。最近娘が一人でテレビを観るようになったので、今後私も少しは観れるんじゃなかろうか。
それに今はyoutubeだってあるもんね。
途切れ途切れでもコンピューターがあれば、雑用をしながらでも見れるようになった。
なんて便利な世の中になったんだいっ。

で、「風のガーデン」観始めたら止まらない、止まらない。
中井貴一大好きだし。

父が亡くなったのが膵臓がんというのも一緒だったし、内容がタイムリーだったので、ぼろぼろ泣いてしまった。
ぼろぼろっていうより嗚咽に近い泣き方。
これは一人でしか観れない。
随分前の事のように思えるが、父が亡くなったのはまだ半年前なんだなあ。
緒形拳の遺作と言うこともあって、いろんな人がいろいろな感情を持って観たんだろうな・・・。

ドラマの中で、家族に見守られて亡くなるシーンがあった。
それは本当に理想だけど、見守る体力のある家族がいることが絶対条件だ。
だまっていてもお金は出て行くので、経済的な基盤がないと家で看護も出来ない。
会社勤めだときびしいし、地元に住んでいなければならない。
地元にいたって難しい。
自分の生活をまず守らなければ、他の人の看護なんて不可能だからだ。
今の時代では本当に不可能に近い光景になってしまった。
亡くなったとき家族が小さく拍手をしていたけど、ああいう風に出来たらどれだけ良かったか。

3年前、父がくも膜下出血で倒れて、ずっと頭がおかしい時期が続いた。でもかなり回復して普通の字もかけるようになったし、元の父に戻って、のろのろだが自転車にも乗れるようになった。
一方でずっと父の世話をしていた母がどんどん痩せていった。
そして母も倒れた。
母がステントを入れて、やっと両親がおちついたかな、と思ったところで、父が入院して癌が見つかった。

私は海外にいたから、看病するのはかなり頑張って1ヶ月に1週間。
仕事がなければ子供を連れて長期帰省したかもしれないけど、それも実現したかどうか。
仕事を休める調節が出来るだけラッキーだ。そうできない人の方が圧倒的に多い。

精一杯やってももうちょっと出来たんじゃないか、という思いはいつまでもある。
でも、たった1週間でもずっと病院に寝泊まりするのがきつかったのも事実だ。
妙な緊張感がずっと続いたこともきつかった。
それをずっとずっと文句も言わず、交代でやり遂げた姉と母は偉い。

父がおかしくなって、変な事を言う頻度が増えると、やるせない気持ちにもなった。
それが夜中だったら、もういい加減にしてくれ、と思うこともあった。

でも私は期間限定の看病だし、それだと頑張りがきく。きかないともっと長期間看病している姉たちの罰が当たる。
大変な所は看護婦さんに助けてもらった。

入院する随分前から「腰が痛い、腰が痛い」と言っていたけれど、今思えばあの時からもう膵臓がんは始まっていたんだと思う。だけどあのとき判明していたとしても、処置は同じにしたんじゃなかろうか。
だからこそ、父はあそこまで生きられたのではないか。
抗がん剤でつらい思いをしていたら、もうちょっと長生きしたかもしれないけれど、父自身がもっともっとつらい思いをして、つらそうにする姿を見る時間が多かっただろう。父も含めて家族全員にとってはあれでよかったんじゃなかろうか。
3ヶ月という入院期間は、私たちが心の準備をする期間にはちょうど良かったし。
事故死や他殺、遭難、誘拐や失踪なんかだったら、心の準備なんてする余裕すら与えられない。
私たちなんて比較的幸せな方だった。
それでも、看病する期間としては限界が近づいていた。いっぱいいっぱいだった。あれ以上になっていたら、周りがばたばたと倒れて、家族が崩壊していたかもしれない。
本人は痛みでつらかっただろうが、そんな状況、父はわかっていたのだろうか。

やっぱり苦しむ父をずっと見ていたくなかった。
痛がりだったから、楽になって良かったんじゃなかろうか。

父が亡くなってこっちに戻って、亡くなった事実を払拭するように働いて働きまくった。
そしたら11月くらいから体がしんどくなって来た。
実家にいれば、少しずつ行事をこなして、生きている側の心の整理をしていくものだが、私にはそれがすとーんと抜けている。感情をうまく処理する時間を持ててないのかもしれない。かといって、ゆっくりしていたら鬱になったかもしれない。だから元の状況に戻る仕事を持っていて本当に良かった。

故郷の親の世話について悩むのは、海外に住む人,全員に共通していることだ。
患者さんの何人かが、「お葬式に帰っていた」とか「父が危篤で」ということをおっしゃっていた。
それは、今も今後もいつまでも続く。
私だけが例外じゃなくて、同じ人がたくさんいる。
そうやって人の痛みがわかるようになっただけでも、有り難い事なんだよな。

未だ父が2階の部屋でテレビを見ていて、帰ったらいるような感じ。

亡くなった事実を消化していくにはまだまだ時間がかかりそうだ。





お餅

2009-01-02 15:09:11 | Weblog
年末、28日か29日あたりは色んな方からお餅を頂いた。うちも義父母宅で器械でだけどお餅をついた。
杵と臼を持っているお宅もあるという。
一体どこで手にいれたんだろう。

結構このあたりに住む方々は、日本の習慣をちゃんと守っている。
そのことが日本人として、とても嬉しかった。そして出来上がったお餅を知人に配る。
ちなみに全部丸いお餅だ。

実家のある松山も丸いお餅だ。
お餅が丸いのはお米が白いくらい当たり前のことだったけれど、この常識が覆されたのは、大学1年のときのスキー合宿で長野の野沢温泉に行ったときのことだ。

民宿のおじいさんが、長い木の板に白い物をのべていた。
なんだかさっぱりわからなったので、

「これは何ですか?」

と、聞くと、(この子は一体何を聞いているだろうか)という顔をしながら、

「餅だよ」

と、教えてくれた。
そのとき、どれだけびっくりしたか。
そして、おじいさんはのべた餅を四角く線を入れて、切った。
ぶったまげた。

お餅を切る?????
お餅が四角???????
お餅って皆で集まって,粘土細工よろしくくるくる丸めるもんじゃないの????? 

そのカルチャーショックは、アメリカに来た時の1000倍はあった。
東京のスーパーに角餅が売られていたのも、びっくりした。そして、いつでも買うことができる。
でも、LAのお餅は丸い。
きっと、西日本の人が多いからかな。
それとも、お餅をのべる木の入れ物がないからかな。

とにかく、お餅をあげたり、頂いたり、ちょっと日本の年末を彷彿させるこのごろであった。