ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

ハーフマラソン完走!

2008-08-31 22:41:31 | Weblog
全然練習してなかったぶっつけ本番のハーフマラソンだったが、一度も歩かずに完走できた。やった~!!!!

前日は仕事も忙しかったからすぐ眠れるかと思ったが、 結局緊張して一睡も出来なかった。
走る緊張も多少はあったが、夜中に一人で運転して現場に到着出来るだろうかという単純な心配。
スタート地点に立てばどうにでもなるとは思ったけれど、そこまでが心配だった。

寝床について娘をハグして、

「ぞな子のパワーをください、ぞな子のバワーをください」

と言うと、

「ママのパワーを下さい、ママのパワーを下さい」

と、逆に吸われてしまった。

そのうち娘は寝てしまった。

起床が2時半予定だったが、どうにもこうにも寝ることができなかったので、そのまま起きる事にして、腹も減ったから午前2時頃鍋焼きうどんを作って、姉が送ってくれた女子ソフトのDVDを観ながら食べた。
試合内容が興奮するものだったので、モーチベーションがかなりあがり、よしっっやるぞって気になった。
夜型の夫はまだ起きていたので、それを観ながら「すげーなー」と言いながら何かを食べていた。この男はマラソンを走る訳ではないのに、夜中にご飯を食べてる場合じゃないだろう。
だからメタボ男は困る。

それはともかく、3時過ぎにはもう家を出なければならないので、寝静まった家族には小さな声で、

「行ってきま~す」

と言って自宅を出た。

当たり前だが道路はすいてて20分でディズニーランドに到着。
普段なら1時間はかかるのになあ。
マラソン選手用の駐車場に停めると午前4時前。
それでも参加者が続々と到着している。
皆早起きだ。

車内で日焼け止めを塗り、走る格好で出た。
何しろ何もかもが初めてで様子がわからないので、スタートまで2時間もあったけれど、車を降りて会場まで出向いた。
集合場所に行くともう人が集まっている。
ストレッチをしたり、周辺を見回したりしているうちにスタート地点に移動。大分待たされたけれど、6時頃から車椅子がスタート。
参加者が多いので、時差をつけながら、私たちも20分遅れでスタートした。

大丈夫かな~、どうにななるさっ

と思いながら走り始めた。

明らかにゴールを目指していない歩きの参加者も多い。
その人たちがランナーの障害になり、最初は走りにくくてしょうがなかった。
参加費が$135(約1万4000円)もするのに、歩くだけでゴールもしない(できない)ってもったいなすぎないかい?!

それはともかく、練習をほとんどしていなかった割にはゆっくりだけど安定した速度で走っている自分にかなりびっくりした。
このまま同じペースで走れるだけ走ろう。
ディズニーランド園内、カリフォルニアアドベンチャー内を走り、外にでると殺風景なビジネス街になる。
道でボランティアの人たちが音楽を奏でたり、DJしたり、ハワイアンを踊ったり、チアリーディングしたり、ランナーを盛り上げてくれる。

しんどくなると、父を車椅子で押していたとき言っていた、
「我慢我慢」
を、繰り返して唱えた。

日曜日は松山では納骨式だったので、これが私の供養。
だから絶対歩く訳には行かなかった。
是が非でも走り続けようと決めていた。

しかし後半になるとしんどくなる。
アナハイム球場くらいからきつくなって来た。
練習不足がたたって、最後2マイルは燃料切れでがたっとペースが落ちた。
最後、他のランナーはとても早く走っていたが、私はもう燃料切れでふらふらになって倒れそうだった。
這々の体でゴール。
2時間36分59秒だった。
途中、インクレラブルのキャラクターをと写真を撮ったこと、水を飲むときに止まったこと意外は走り続けたので、今できる精一杯のランであった。

よかった、完走できて。
それだけで十分だ。
その後、よたよたしながら駐車場に戻り、汗でドロドロになった自分の臭さに辟易しながら運転して帰った。

今回は一人で参加したから、喜びを分かち合う友達がいなくて残念だった。
まあ、私の場合いつも一人参加だからしょうがないんだが。
日本からJALパックやHISのツアーで来られている参加者もいらっしゃった。
楽しいだろうな~。
今度は友達と参加するしかないな。

帰宅すると娘が、

「ママっ、勝った?」

と、聞いてきたので、

「勝ったよ、勝った」

と、言いながら首にメダルをかけてあげた。

娘は大喜びで、

「わーい、ママ勝った、ママ勝った!」

と、万歳してくれた。









突然ハーフ

2008-08-28 21:26:46 | Weblog
ディズニーランドハーフマラソンは年々人気が高まっているイベントだ。
ディズニーランド内を走れること、ここそこでディズニーキャラクターが応援してくれること、完走メダルもミッキーマウス、などなど人気の秘訣がたくさんある。
それゆえ登録開始から数ヶ月で定員一杯になる。

そのハーフマラソンにおととい出ることが決まった。
開催日は今週の日曜日だ。
決まった時点で5日しかない。
ま、事情があっての出場だが、会話の流れとは言え、大丈夫だろうか・・・・

たった5日で猛練習が出来る訳もないので、流れに任せることにした。
練習し過ぎでマラソンを棄権せざるを得なかった日本人選手とは世界が違う。
練習全然してないからスタート地点には楽勝で立てるのだ。
タイムも結果も心配する必要のないおちゃらけランナーだもんね。

たまたま先週から走り始めたが、これは来年3月のLAマラソンに向けての準備だった。
まあ、父の追悼ランといったところか。
最後に走ったのが、父がくも膜下出血を煩った3年前だった。
ちょとでも走って苦しんで父が楽になる訳はないのだが、願掛けのようなものがあった。
お陰でかどうかはわからないが、3年生き延びた。

練習初日は100メートルも走るか走らないうちに、息切れして歩いた。
本当にゼロからのやり直しだ。
2回目は通しで走れた。でも距離は3キロもなかったと思う。
3回目からやっと楽になって来た。
4回目の今日も楽になって来た。

何しろ走る時間帯が限られているので、早朝走るしかない。
私は朝が強いので、全然苦にならない。

ちょっとずつちょっとずる体を慣らして行く感じ。

たまたまご近所のおじさんと会って、彼も走る予定だそうだ。

彼が、

「スタートは、確か6時だったと思うよ」

と、教えてくれてひっくり返りそうになった。

彼は、友人がディズニーランドの数件先に住んでいるから前日から泊まりこんで歩いていくそうだ。
私は自宅から出かけるから泊まる予定はない。
が、スタートが6時なら5時には現場についていなければならない。
っつーことはここを最低でも3時半から、遅くても4時には出てなきゃだめじゃん! 
夜中じゃんか!

我が家の優しい家族がついてくる訳ない。
自分で夜中暗い中、運転しないかん。
帰宅してもおそらくねぼすけの夫と娘は就寝中だろう。

ま、好きで出ることだからいいか。

ミッキー待っててね

でもって、日曜日は父の納骨日だ。

これも必然か。



汚職事件

2008-08-27 08:00:29 | Weblog
「未必の故意」「薬剤師」の他に「汚職事件」もあった。
ニュースで汚職事件と連呼するとき、やっぱこれも小学生のとき、「お食事券」だとばっかり思っていた。
なぜこの問題がお食事券に発展するのかが、全然わからなかった。
政治家は食事をするのが本当に好きな人たちなんだなあと思ったものだ。
どこの食堂のお食事券何だろう?とも思っていた。
給食を食べられるようなところが国会議事堂にあるのかなあ、とか。
でも高級料亭で秘密の会談が数多く繰り広げられていることを思うと、あながちそれも間違ってないのかもしれない。

小6の時は、「灯台下暗し」を「東大モトクラシー」という大正デモクラシーの関係がある出来事かと思っていたことが、「灯台下暗し」だったことがわかっためでたい年であった。
担任の先生の言い回しが、
「東大モトクラシー、東大モトクラシー」
と、「大正デモクラシー」と全く同じ発音でしゃべる人だったので、別物だと思っていたのだ。
「先生それはないでしょ~。発音が違うよ!」
と今なら突っ込めるが、小学生にその知恵はなかった。
地方に住む小学生は先生の発音に大きく左右されるのであった。


未必の故意

2008-08-26 21:44:10 | Weblog
田中森一著「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」は最高に面白い本だ。彼が松山地検に勤務していたということもあるけれど、要は特捜検事の暴露本なので、相当面白い。

本の中で一つ学んだ事が会った。

「殺人事件などの際、未必の故意という言葉をよく聞かれると思う。これは、たとえば必ずしも相手が死ぬと予想できなくても、殺す意思があったと認定される場合、殺人罪に問われる、という法律用語だ。」

というのがあった。

私は「未必の故意」を「密室の行為」だとばかり思い込んでいた。
ニュースで聞いても文と言葉が全く合致しなくて不思議だったんだが、今やっとわかった。
あほやったな~

小さいとき、「薬剤師」のことを「やくざ医師」だと思っていたんだが、これと似たようなもんだ。
これもちゃんとした理由がある。
祖父母が「やくざ」「医者」などという話をしていて、子供ながらに聞いてはいけないような記憶があった。祖父母は薬局を経営していたので、そうつながってしまっていたのだ。しばらく祖父や父が社会的に反する職業についているのではないかと思った時期もあったが、大いなる勘違いである。祖父に至ってはならず者の更生に尽力を尽くした人でもあったので、おそらくそういう会話をたまたま私が聞いてしまったんだろう。

それはともかく「反転」はおススメである。



「忘れていいいよ」

2008-08-11 22:00:43 | Weblog
今日はYMCAのデイケアに行く日であったが、ドロップしてもピックアップする時間がなさそうだったので休ませた。昼過ぎにちょこっと水泳があるだけだったんだが、その時間とてもじゃないけれどオフィスを出ることは不可能だ。

オフィスに親子で出勤して、午前中はちょっと公文をさせて、あとはゲーム。
昼過ぎ友達に水泳に連れて行ってもらって、夕方はお絵描きをしていた。
7時過ぎに仕事が終ったので、ぞな子にも手伝ってもらおうと洗濯物を畳むように頼んだ。
簡単なタオルくらいならたためる。
たくさんあればある程喜んでたたんでくれる。

お手伝いをしてくれたときは25セント(30円くらい)あげることにしている。よくお手伝いをしてくれたので、

「良くお手伝いしてくれたね~。あとで25セントあげるね。お母さん忘れちゃったらいけないから、家に帰ったら言ってね

と、言うと、

「いいよ、忘れちゃっても。」

と、言われた。

そんなセリフを言えるようになったか、ぞな子。
お母さんは嬉しいぞ

オリンピックは始まったようだが・・・

2008-08-08 07:10:12 | Weblog
中国ではオリンピックが始まったようだが、時差のあるアメリカではまだ8日の朝になったばっかりだ。
夜、編集されたものが放映される。
日本のように夜中であろうか、リアルタイムで放映されることは、まずない。
あー、日本のテレビが羨ましい。
姉から送られてくるDVDを待つのが楽しみ

赤塚不二夫

2008-08-06 07:20:51 | Weblog
もう古い記事になってしまったけど、数日前この記事を読んでびっくりした。

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赤塚不二夫さん死去の3日前に前妻が病死

8月3日10時2分配信 日刊スポーツ

<赤塚不二夫さん死去>
 赤塚さんが息を引き取る3日前、前妻登茂子さん(享年68)が病死した。2人の1人娘で、作品や版権を管理するフジオ・プロダクション社長の赤塚りえ子さん(43)が父の容体急変を聞いたのは、母の遺体の前だったという。赤塚さんの葬儀日程は前妻の葬儀終了後に決定するという。
 関係者によると、登茂子さんが病死したのは先月30日。斎場の都合などで、葬儀日程がなかなか決まらなかった。赤塚さんの容体急変が病院から知らされた際、りえ子さんはひつぎのそばで、母子2人の最期の別れを惜しんでいた。母の死から3日後。ショックも覚めやらぬうちに父の死が訪れた。
 登茂子さんは、情が厚く、きっぷのよい“肝っ玉母さん”として知られた。2年前に亡くなった、後妻真知子さんと赤塚さんのキューピッド役だった。腰の重い元夫に代わり、役所から婚姻届の用紙を取り寄せ、「これにサインして」と突きつけた。再婚会見の際にも「保証人」として同席して話題になった。
 以前、そんな型破りな両親をみつめてきたりえ子さんに、赤塚さんの素顔について尋ねると「実はすごい常識的な人なんです」と答えた。数多いキャラクターの中で、「めんたまつながりのお巡りさん」が1番近いという。「意外かもしれないけど、性格は決して天然じゃない。ルールを分かった上で、それをわざと壊しているんです。人を喜ばせよう、楽しませようとするサービス精神が旺盛すぎるだけ。でも、度を超えると人の迷惑になっちゃう。父はいつもお酒を飲んでいたけど、飲まないと人と目を合わせられなかった」と楽しそうに笑った。
 また、98年に赤塚さんが食道がんを患った直後の言葉が忘れられないという。「ある日、酔った父が『最後につじつまがあってりゃ、何やってもいいんだ』とボソッと言ったんです。それを聞いた瞬間、あっ、これがバカボンのパパの名ゼリフ『これでいいのだ』につながっていると分かった」。
 登茂子さんの通夜は3日、葬儀・告別式は4日に決まった。赤塚さんの葬儀はその後、営まれる。

最終更新:8月3日15時40分
日刊スポーツ

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もう葬儀も終ったけれど、読んでびっくりしたのは、娘さんが3日以内にご両親を亡くしたという事実。
彼女は私と年も同じだ。
母の遺体を前にして、父親の訃報を聞くという、これ以上惨い事はないのではないか。
おまけに彼女は一人っ子。
一瞬にして天涯孤独になってしまった。
私が同じ状態だったら、もうぶっ倒れて立ち直れないかもしれない。

合掌。

アラーム恐い

2008-08-05 23:54:43 | Weblog
夏休み中、娘は甥っ子たちと友達で水泳を習っている。
つい先月までは巷の水泳教室に通っていたが、そこは顔を付けられない子供たちや水を怖がる子供たちが通うところで、娘はそのレベルを卒業した。
次のステップはどうしようと思っていたところ、水球をしていた隣の大学生のお姉ちゃんがハワイ大学から帰省中。こりゃーいいや、ということで、個人的に頼む事になった。
もちろん彼女にとっても好都合のアルバイトだ。学生にしたらむしろ高級アルバイトの部類にはいると思う。

その水泳の時間に合わせて、15分くらい前に集合場所の義母の家に行った。
私と娘が一番乗りのようだ。
いつもは夫がドロップしていくれるので、私がドロップするのは始めてのことだ。
ドアが締まっているので、誰も気がつかないのかな~と思いながら合鍵を使って開けたらいきなりアラームが鳴り始めた。
や、やばい!!!!!

暗証番号を知っているようで知っていない。
娘をドロップするだけに来たので、持っているのは運転免許証だけで、手帳も携帯電話も持っていない。
大きなアラーム音が鳴り渡り、娘は大泣きを始めた。

娘がおびえて泣く理由がある。
オフィスでアラームが何度か誤作動したとき、ライフルや拳銃を構えたシェリフがオフィスに大量に来たことがあるのだ。
駐車場も閉鎖された。
事情を知らず、部屋に居た私は、ノックされたドアをあけたとたん、ライフル銃を構えたスキンヘッドのシェリフがいたことに度肝を抜かれ、腰が抜けそうになった。
そして不運にも娘はその場に居合わせた。
だから娘の脳は、アラーム=ライフル銃を持った警官が来る、という公式が出来上がっている。

「大丈夫だからこっちおいで!」

と、呼んでも、

「こわい~! こわい~!」

と、泣きじゃくって外にいたままだ。
お母さんだって泣きたいよ・・・・

と、とにかくわかる番号を打ちまくったが、解除の様子無し。

すぐアラーム会社から電話があり、事情を話したので様子はわかってくれたが、このアラーム音を消すためには、暗証番号とパスワードを言わなければならない。
それらを得るために、片っ端から電話をかけるが、義父母も夫も義妹も全員携帯を消しているか、不通。

頼む、出てくれ~!!!!!!

アラームはひたすら鳴り続けていた。

セキュリティー会社のお兄ちゃんがパトロールに来たが、事情を話すと、

「よくあることだよね。」

と、笑って帰って行った。

そのうち友達もやって来たが、彼がここの暗証番号を知っている訳ではない。

「俺も今日始めて来たんだ。」

と史上最低のメンバーが揃い始めた。

隣のお姉ちゃんも到着。

彼女に至ってはビキニにバスタオルを巻いただけの格好で家から運転してきた。帰りはまたタオルを巻いて帰宅するようだ。

「もう子供たち来てるから先にレッスンやっといて」

と伝えて、私は電話を掴んだまま。

それにしても皆集合が遅い! 

その事に私は腹を立てていた。(日本人だろっ?)

20分後やっとこさ、義妹がつかまり暗証番号を得、騒音が止まった。

疲れた・・・・・・

オフィスにすぐ戻らなければならない時間だ。

子供を友達に託して家を出た。

脂汗がどっと出た。

あとで、夫から電話があり、

「今日大変だったね~。暗証番号はXXXX. パスワードは○×。東京の昔の電話番号なんだ。」

聞いてびっくりっちゅうか納得。

東京に夫が居たのは4歳までだ。
そんな40年前の番号知るかいっ

クライマーズハイ

2008-08-05 22:53:26 | Weblog
横山秀夫の「クライマーズハイ」を読み始めたら止まらなくなった。
娘と同じ部屋で雑魚寝をしているので、この部屋には本を読むような小さなスタンドはない。起こしてはいけないので、娘のバービーちゃんの懐中電灯を照らして布団の中で読んだ。
手が疲れたら懐中電灯をあごに挟んだり。
夜中の3時に読み終えたが、おもろかった~。

あのスクープを発表しなかったのは、かなり日本人的感覚だ。
アメリカだと、ウラが取れなくてもじゃんじゃん発表したに違いない。
だって核施設があるかないかわからない状態なのに、勢いで戦争おっぱじめる国なんだから。
小説の状態だったら当然刷り始めてたと思う。
そしてスクープ!
間違ってても、すました顔して別の事を印刷しているだろう。

いや、待てよ。そうでもないか。
「all the President's men」ダスティンホフマンとロバートレッドフォード主演のニクソン大統領を最終的には辞任に追い込んだウォーターゲートスキャンダルをすっぱ抜いたワシントンポスト紙の二人の記者は、しっかりウラを取ってたもんな。

それを彷彿させる興奮がこの小説にはあった。

それでもって生真面目さが日本人の良い所であり悪い所。

横山秀夫は落ち武者を書かせればぴか一かも。

そしてそのウエットな感情が、日本人の心の襞にぴたっとくるんだろうな~。