ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

余命半年

2011-01-31 21:15:06 | Weblog
ある患者さんがご来院すると、たまたま知人Aさんの知り合いだった。そのため、わざわざAさんが「よろしくお願いします」と電話があった。年始の挨拶もしていなかったので、折り返しAさんに電話をしたら、それはそれは明るい声で、いつものように元気に話始めた。そして、

「それはそうと、私、末期がんなの。」

と、おっしゃった。

あまりにも明るい口調だったので、別の人の話をしてるのかと思って、

「どなたがですか? Aさんがですか?」

と、確認してしまった。

「そう、私。今、キモセラピーをしてて、ちょっと小さくなったんだけど、余命半年って言われてね。でも、周りの人に感謝しているのよ。ぞなさんもそうよ。以前いい先生を紹介して下さったから。そのおかげでその先生にかかるようになったんだし、検査もすべて速くて。元々はぞなさんと知り合ったからだ、と感謝しているのよ。」

と、おっしゃった。

余りにも唐突で重い発言だったので、電話口で絶句してしまった。

Aさんは11月末に腹痛と疲労で医師にかかり、検査結果が分かった途端(それは2日後)即、入院。それはそれは速い対応をしてくれた。宣言されて落ち込んだものの、持ち前のポジティブさで気持ちを克服し、今はキモセラピーをしながら仕事も復帰した。しかしやがて来る自分の死をしっかり見つめている。

父と同じ癌だったので、いろいろな思いが交錯し、電話口で涙が止まらなくなってしまった。

また大切な人がこの世を去って行ってしまう。

「ぞなさん、私は大丈夫なのよ。本当に周りの人に感謝しているのよ。」

悟りきっているAさんは本当に普通の人より元気な声で話し、逆に私を励ましてくれた。

あと数ヶ月の命とわかって、どんな気持ちで生きるのだろうか。

私だったら命の期限がはっきりわかってたら、どんな生き方をしたいのだろうか。

私がぐずぐず泣いているとせっかく病気を治しにきている人に申し訳ない。

鼻をたくさんかんで、(しっかりしよう)と気持ちを入れ替えた。

それにしても最近こういう話多い。
命は有限。
それを痛感する日々である。

所変われば

2011-01-26 20:54:03 | Weblog
テキサスに引っ越した友達Yが数年ぶり、いや、10年ぶりぐらいに電話をくれた。家庭を持つとどうしても日常生活が最優先になり、友達と話す事もままならない。
彼女はアメリカの大学に通っていたとき、まだ渡米してほやほやのとき、そしてまだお互い独身だった頃のルームメイトだ。
彼女は日本で薬剤師をしていたが、大学院留学後帰国し、縁あって幹細胞の研究者と結婚し、日本→LA→オーストラリア→ヒューストン(テキサス)と移り住んでいる。ファンドによって会社のみならず国を変えるご主人を私は「さすらいの研究者」と呼んでいる。

Yは日本、アメリカ、オーストラリアと移り住んだので3カ国の教育状態を知る機会に恵まれた。
今回電話で話したのは、年末もらったクリスマスカードに、娘を日本の大学に進学させるという驚くべき事実が発覚したからだった。
ばりばり外国育ちのお嬢さんだったので、てっきりアメリカの大学に進学するとばかり思っていた。
しかも理系の両親に反して、彼女は文系らしい。
どうして日本の大学に進学することにしたのかを知りたかった所、向こうからいいタイミングで連絡をしてくれた。

親の都合で国を点々とする生活を余儀なくされた子供たちであるが、同じ英語圏内とはいえ、英国圏のオーストラリアとアメリカとは根本的な歴史が違う。オーストラリアで長い間学校に通った子供たちはアメリカの中高で多少違和感を感じた。それだけではないだろうが、SATの成績がいいのに、GPAがぱっとしないと言う。きっと彼女が入りたい大学がとてつもなく高いレベルであることは間違いない。そのレベルにGPAがちと足りないのだと思う。
だから帰国子女枠で日本の大学に入らせようと思っている、と言った。あとは日本人としてのアイデンティティーを確立させたいという希望もあるようだ。
ご存知のように、帰国子女は1-2ランクぐらい上の大学に入学することができる。MARCHレベルの学生なら早慶という具合に。日本でMARCHって大変だと思うけど。だから入学してギャップに苦しむこともあるらしいが、そもそも帰国子女は脳天気というか大らかなので、そのギャップすら感じないかもしれない。まあ、明るい所が取り柄だから憎めないといえば憎めないのだが。

ともかく、そいういう選択もあるんだなあ、と、とても参考になった。
我が家の場合は、大学時代の1-2年に日本に留学という感じかなあ。まだ小3だから大学もくそもないんだが。明日の宿題の方が心配だよ。

それよりびっくりしたのはYのお子さんが通っている日本語補習校のレベルの高さだ。
ヒューストンは宇宙飛行士が多いので、野口さんや古川さんの子弟が通っているというのだ。松井稼頭央がいたときは彼の子弟もいたらしい。そういう賢い方々のお子さんなので、大変出来がよろしいそうだ。
すごいな~。
クラスメートのお父さんが宇宙飛行士なんて、壮大だな~。
日常に宇宙飛行士がいるなんてヒューストンもかなり特殊な町だ。
さすが、アメリカは広い。


ビーチラン

2011-01-24 07:34:58 | Weblog
日曜日はロングランをビーチで行った。
朝7時半から師匠と共にハーモサビーチへ。私の目覚ましは6時にセットしていたが、娘は10時から習い事があるので、9時にセットしなおして家を出た。前夜、
「お母さんは明日早起きして走るから、自分で起きて、お父さんを起こすんだよ。」
と、指示を出しておいた。
出来るお母さんなら朝食を全部揃えておくんだろうが、ぞな夫も家事を少しはやらねばいけない。共稼ぎはどうしても女性に負担が大きくなる。家を離れる時に、無理矢理でもこうしないと。だからといって、「家を出るな」と言う人ではなかったのが幸いである。

ともかく、7時半から走り始めた。
最初は気持ちよくマイル10分ぐらいで1時半北へ向かった。空港も過ぎてサンタモニカがうっすらと見えてきた。
師匠は私の折り返し地点よりまだ15分程先を走って行った。彼は3時間20分ぐらいでマラソンを走れる人なので、私と一緒に練習する日は、前日レースがあった日か、きつい練習をした日のみで、流す練習としてあてがわれる。他の日はもっとレベルの高い人と練習したり、私たちの練習の後、別にメニューを追加して走っておられる。
私も足をひっぱるのは嫌だったので、こういう練習方法の方が助かる。
勝手に決めた折り返し地点を折り返し、またとことこ走り続けた。
でも、いつものことであるが、帰りは本当にきつい。
ストライドが徒歩に近くなってきた。

とぼとぼ・・・・とぼとぼ・・・・・・・

しばらくして、

「追いついた~」

という声がして、さーっと師匠が抜いていった。

「あ~抜かれた~」

と、言ったものの気力体力が消耗してそれ以上走れない。
とぼとぼ、とぼとぼ・・・・・・・・
手持ちの水も飲み干したので、途中で水を追加して走った。
今日は頭がぼーっとする。多分脱水症状だ。
朝、何にも食べて来なかったからなあ・・・・・・・
大失敗だ。何も考えていなかった。

ゴールした師匠が迎えにきてくれた。
最後の1マイル程を一緒に走った。もうよたよただ。
予定では2時半走だったのに、引き返してから相当遅くなったので、計らずとも3時間走になってしまった。
敗因は走る前の栄養補給。課題が見つかったし、やるべき事もよくわかった。
疲れ方が半端じゃなくて、先週のハーフ後とは偉い違いだ。

よたよたしながら帰って、また家の雑用をしたのであった。
午後、子供とお友達を公園に連れて行ったら、知らない間にぐっすり寝ていた。もうおばあちゃんだよ。

英検

2011-01-22 22:51:43 | Weblog
今日は英検だった。
午前中仕事を休んでつきそい。
出る前、いきなりDSを持って来たので、
「今からテストに行くんだよ!」
と言うと、
「車の中だけ」
というのでまあ、いいかと持たせた。
友人のお子さんもピックアップした。
彼女は準1級を受けるとの事で、車に乗った途端ノートを開いて復習し始めた。真面目だな~。

復習するお友達を横に、

「これどっちがいい?」
などと、ゲームのことを質問している。
お前・・・大丈夫か

まあ、また勉強しなくても受かりそうなレベルだからいいけど、ぞな子の欠点はケアレスミスが多いことだ。解答を全部1つずつずらして記入しそうだなあ。

会場は空港近くのホテルだった。
帰国予定のお子さんを持つ親子がたくさん会場に来ていた。知り合いも数人いた。
日本だと英検2級以上は高校生以上のテストであろうが、ここでは小学生、中学生、高校生が多い。娘が受けた準2級なんかちびっこばっかりで、そろばんの試験かなんかと間違えるぐらいだ。係の人が幼稚園の先生に見える。
だいたい、ぞな子、受験票自体がわかっていないし、数字は読めても『受験番号』も読めない。何を書いているのかがわからない。
平成何年生まれというのも親がわかっていなかったので、急いで調べて受験票に和式の生年月日を記入した。

会場についたら、

「記入するときわからないことがあったら、『すみませーん』と手をあげて係の人に聞くんだよ。」

と言い聞かせて送り出した。

友人の子供も連れて行ったが、彼女は日本の雪のため受験票が届かなかった。パスポートで本人確認をして、事なきを得た。

あとは、お昼まで待つだけ。
友達がいたので、試験が終わるまでずっっっとしゃべっていた。楽しいなあ、こういう時間は。

夫は最後の最後まで英検受験を反対していた。
ずっとアメリカで育つ予定なのに無意味だ、と。
それは事実かもしれない。いや、事実だ。
アメリカに住んで働くと、英検なんか何の意味も持たない。本当になんの役にも立たない。もっともっと現場で必要なサバイバル英語が必要になってくる。
あくまでこれは日本用だ。
帰国される方々は、滞在の証、土産物として受験して帰られる方が多い。
長期滞在組は、まあ、腐るもんでもないし、という感覚に近い。
夫は、「これで最後にしてよ!」と怒りながら言った。
日本にぞな子を行かせたくないのかな。娘をそばに置いておきたい頑固親父みたいなところが垣間見える。そうなるとますます反抗したくなる私であった。

必要な時はこっそり受けさせてあげよう。
でも、このテスト以後は高校以降でいいと思ってる。ちょっと日本人ごっこした気分だ。
11時半に終わったので、急いで帰宅し、仕事に向かった。



性犯罪者と銃

2011-01-19 04:59:44 | Weblog
先週、学校から一斉に緊急連絡網がメールで回って来た。

「性犯罪者が20年の服役を終えて出所しました。小学校の近所にある親の家に住んでいます。気をつけて行動してください」という内容だった。

市警が配信した情報は、犯人の写真、住んでいる住所、犯罪歴がすべて公開されていた。
恐ろしい事にその家はうちの近所。学校からも歩いて1分ぐらいの位置。
今回の犯人は、女性の年齢に関係なく人を襲う気違いだ。学校付近にそういう人は住んではならない法律があるので、彼も一時的に親の家に身を寄せているが、後に引っ越さねばならない。性犯罪者は再犯率が多いので、犯罪者の身元が市民にわかるように随時情報公開されている。あとは住民が気をつけろよ、という訳だ。

こんな奴が近所にいると思うと空恐ろしい。
しかし、なぜか近隣の人達は平和に散歩をしたり、生活内容が変わってもいない。ある意味、こんな奴らにはびくともしないぜ、みたいな気概すら感じられる。事件慣れしているというか、狩猟民族のDNAというか、その経験からくる安定感が素晴らしい。

学校の父兄にも市警に勤務する親がいる。彼らの協力を得ながら自己防衛していくしかない。しかし武器を持たない私たちが自己防衛する手段は限られている。

公道で子供を一人で歩かせない。
夜一人で出歩かない。
ライトを消した車や後ろの車に目を光らせる。
スカートをはかない。
公道を歩くときは鍵を外に向けて歩く。

ぐらいだろうか。

このお知らせが先週あったのに、昨日はとある高校で発砲事件があった。この学校は本当に評判が悪くなったが、ここまでひどいとは思わなかった。
http://www.dailybreeze.com/news/ci_17128058?source=pkg

17歳の黒人高校生が教室の机に自分のバックパックを置いたら、中に入っていた拳銃が誤って発砲され、流れ玉が近くにいた女子生徒の頭を打ち、別の男子生徒は首にあたった。両方共病院に搬送されたが、女子学生は重傷だ。
なぜ学校に銃を持っていく?
どうなってんだ、この学校は。
日常茶飯事の事件ではないものの、こういうことがある事自体理解不可能。
アメリカは病んでいる。しかしこの手の事件が国民をタフにさせているのも事実だ。
この前もアリゾナで議員が打たれたばかりだ。
いい加減銃規制をしてほしい。せめて町中では厳しくして欲しい。一般市民の切なる願いである。


去勢

2011-01-19 04:31:49 | Weblog
医療事務に従事しているKさんから聞いた話。彼女はmedical transcriptの仕事をしている。これは医師が録音したことをタイプをして記録として残す仕事だ。契約している派遣会社から仕事の依頼を受け、他州のドクターの録音をコンピューターで聞いてタイプする仕事だ。
仕事上、最新の処方パターン、手術の内容が知ることができる。
仕事としては裏方だが、実は彼女は博識だ。

彼女が驚愕の事実を教えてくれた。
植物人間状態になった子供を抱える親が、子供の卵巣や睾丸を除去する手術を選択をする傾向が出ている、という事実だ。
つまり、子供も成長する一方で親も年老いてくる。日本のように施設が充実しておらず、医療費がメガ級に高いアメリカでは入院も出来ないので、親がそれはそれは苦労しながら子供を保護している。
年老いた親が子供をケアできるように、生殖器を摘出し、成長を止めるという手段だ。
すごい考え方・・・・・・・
しかし、ケアをする人間からすると、ケア対象になる人は小さいに越した事ない。100kg以上ある人を誰がテキパキ介護できるだろうか。
摘出を決めた親は、おそらく医療倫理と現実の狭間で相当悩んだと思うが、現実の厳しさを選択したのであろう。やがて死に行く親は、障害を持った子供の行く末を心配する。少しでも介護側が介護しやすい環境を残してあげようとしているのかもしれない。

「悪い選択ではないと思うのよ。」

と、脳梗塞で瀕死の状態の夫(100kg以上)をずっと支え続けたKさんの言葉は実に現実味があった。
幸いKさんの夫は奇跡的回復を見せ歩く事は出来るが、そうでなかった場合、彼女は臓器摘出を選択しただろうか・・・。
いや、彼はすでに成人していたから寝たきりによる体重減少はあっても成長を止めることはできなかっただろう。老いも止められないし。
「もしそんな子供がいたら私は考える」とKさんは言った。きっとそう言えるのはKさんが医療従事者であることも加味されているだろうが、お互い「問題は患者と医師側の医療倫理と患者の感情にかかるよね」ということで会話は終わった。

けったいなおじさん

2011-01-18 21:26:29 | Weblog
ハーフマラソンを走っていたら、裸足で走っている人が2人いた。
裸足のランナーアベベも真っ青である。
アスファルトの道は決してスムーズではない。雨続きで穴もたくさんあいている。

一人は私のちょっと前を走り続け、靴を履いた私よりちょっと速くゴールした。

あまりの快挙に、ゴール後、

「すごいね~」

と、声をかけて握手をしようと手を差し伸べたら、

「オー、サンキューサンキュー」

と、おじさんは私と握手をした上、手の甲にチューをしてくれた。
そこまでは求めてなかったんですが・・・・・

長距離を走るといろんな人がいて面白いです。

習慣の違い

2011-01-17 07:04:25 | Weblog
先週の日本のニュースで横浜市の中学生教諭が生徒に暴力をふるったとして減給10分の1(3ヶ月)の懲戒処分にしたと発表した。新聞によると、

「本来らならぞうきん掛けは手でするものだが、掃除していた生徒の5-6人のうち男子生徒一人が、床に置いたぞうきんい足を載せてふいたり、ぞうきんの橋をつまんだりしていたため、男性教諭が「真面目に掃除しなさい」などと注意した。
男子生徒は漫才コンビのギャグ「ごめんね、ごめんね~」をおちゃらけで使い、バカにされたと思った教諭が逆上した、という事件だった。

私が「ぎょっ」っと思ったのは、「ぞうきん」くだりである。

「本来らならぞうきん掛けは手でするもの」

私もずっとそう思っていた。
しかし、アメリカに雑巾掛けはないのである。そうじは掃除夫がモップするのである。床に這いつくばって掃除をすることはない。
アメリカで育つ子は自分で学校を掃除するという習慣も概念もない。
よって社会人が自分の会社やオフィス周りを自分たちで掃除する習慣もない。

夫がいつも台所の床を拭く時に、キッチンペーパーを床に置いて足で拭く。
なんちゅー奴だ、といつも思っていたが、しないよりはましだと放っていた。
ある日、学校でアメリカ人のお母さんが教室で落ちた水を拭くのに同じ事をしていたのを見て愕然とした。夫が間違っていた訳ではなく、いい事をアメリカ風にしていただけなんだと。
もし夫が中学生のとき、帰国して日本の中学に編入していたら、そうとう誤解を受けていじめられていただろうなあ。
事実、夫の従兄弟は中学の頃、父親のイギリス駐在を終えて一緒に帰国したが、日本に順応できず今も何をしているかわからない。私も会った事がない。

夫は帰国せずにここで育ってよかったと思うし、彼もよくそういうことを言う。
今帰っても社会には受け入れられないだろう。日本で受け入れられるのは親日家の白人のみだ。
いや、もう変わってるかな。
記事を読んでそんなことを思った。

走るといいこと起こる

2011-01-17 06:18:31 | Weblog
去年5月に帰省した時に人間ドックを受けた。
ちょっとメタボ気味で血液検査もさほどよくない。このままでは時間をかけて病気になると思い、6月頃3ヶ月後にあるハーフのレースに登録することにした。無理矢理でも登録すれば走るからだ。そして自分の中で系統立てたトレーニングをしたことがなかったので、信頼できそうな経験者に師匠になってもらった。
それからこつこつ。出来る日もあるし出来ない日もある。選手じゃないし、仕事や家庭が優先なので空き時間を無理矢理作って走るようにした。

徐々にだが体重も減って来た。とはいえまだまだゴールにはほど遠い。時間はかかるけれど確実に健康体にせねば。特に、仕事柄不健康な体にしていると説得力が全くないから、以前より自分の意識というか志が高くなった。

忙しい中で時間を作ろうとするので、タイムマネジメントが上手くなって来た。無駄な時間を過ごさなくなったし、ちょっとした時間で家事を済ませようと以前よりまめになった。相変わらずお片づけは苦手だが、掃除洗濯皿洗いは格段にスピードアップした。

走る時に髪がだんだんうっとうしくなって来たので、髪をばっさり切った。
これが意外に好評である。自分自身もショートの方が似合うと思う。それより何より手入れが相当楽である。

次に脱毛。夏場は足をさらけ出して走るので、今までは剃っていたが、カミソリ負けして痒くて痒くて足から血が出る始末。かさぶたができて逆に汚らしい。夜中も痒くて寝られないことが何度もあった。だからなるべく避けたかった。でも毛ぼーぼーでは走れない。かゆみと出血の繰り返し。もうこのままでは毎日血まみれになりながら生活しなければならないので、意を決して脱毛をすることにした。追いつめられた決断だ。
友達に紹介してもらった光脱毛というものに挑戦することにした。
ほとんど痛くないしきれいにとれる。これまで3回行ったが順調に減っている。
昔に日本でやった人は何十万円も出して脱毛をしていたそうだが、比較的安くなって私にも手が届くような値段になった。世の女性はこの体毛に悩むのである。ついこの間までは「このままでもいい」とすっかりあきらめていたが、ランニングのおかげで気持ちが変わった。

すると、3回目の施術のとき、そこのオーナー女性Mさんがリースがそろそろ切れる話をし始めた。そして、うちのオフィススペースに興味を持ち始めた。
というのも、私のオフィスの1室を借りているCちゃんは、元々OLで、離婚後手に職をとマッサージセラピストになった。そのきっかけがこのMさんだったのだ。CちゃんはMさんの人柄と仕事ぶりに惚れ込んで、OLを辞めて資格をとり、私のオフィスのスペースで開業をした。そして今やとても順調に仕事がすすんでいる。Cちゃんの話を彼女も聞いていたので、親しみと興味を抱いたのかもしれない。
Mさんが今借りているスペースのリースが数ヶ月後切れ、公私にわたりさまざまな変化があったそうなので、廃業しようか、はたまた別の場所に移そうか思案しているそうだ。
うちは特に募集はしていないけれど1つ2つスペースが余っている。変な人を入れるぐらいなら空けておいた方がいいと思っていたので、特に何もしていなかった。しかし、このオーナーの方は人柄もいいし逆に嬉しいぐらいだ。そして、今度見学に来るという話になった。

きっかけはランニング。
想像だにしなかった変化が訪れている。
今後も続けてその変化を楽しむのだ。




ハーフマラソン13.1

2011-01-16 20:37:39 | Weblog
今日はハーフマラソンだった。
http://www.131marathon.com/13_1_Los_Angeles.htm
近年、アメリカもランニングがビジネス化されており、これも13.1という全米シリーズ化している(儲かるのかな~?)。アメリカはマイルで表示されるので、フルが26マイル、ハーフが13.1マイルとなる。
スタートはベニスビーチ。そこから内陸に向かって走り、折り返し点を引き返してゴールに向かう。フラットなベニスビーチ・ブルバードをひたすら東に走る。10月に走ったロックンローフハーフマラソンはアップダウンが激しくて最後5マイルを残して自分が潰れてしまった。今日はまだましだろうか。

あまり練習をしていなかったので、求める結果もなく、気が楽だ。こんなのでいいのかな~っていうぐらい普通で、気軽にビーチに走りに行くような心境である。前日目いっぱい仕事をしていたし、寝たのも12時過ぎていたから睡眠は十分とは言えないが、現地まで知人が乗っけて行ってくれるので本当に助かった。こんなありがたい話があるだろうか。
結構、スタート地点まで行くのに緊張を要するのだ。
ちゃんと着くかな、パーキングはどこかな、スタート地点には間に合うかな、なんて考えながら緊張して行くのである。でも同伴者がいるとその心配はない。おまけにこの人は前回も参加したことがあるので、現場を良く知っている。おんぶに抱っこでお願いすることにした。

朝5時半に自宅にピックアップに来てくれ、まだ真っ暗な中、ベニスビーチへ向かった。
6時には現地に到着。暗いので何が何だかわからない。
とりあえずストレッチしたりトイレに行ったりしたが、レース会場の簡易トイレはいつも込む。でも行っておかないと大変。7時15分スタートだが、13分頃やっとトイレを済ませてすぐスタートした。あのトイレの列を考えるとスタートに間に合わなかった人も多かったことであろう。

どわーっと選手が走り始めた。参加者がめちゃめちゃ多いという分けでもないのでスタート地点で何分も待たされるということもない。スタートではいろんな人のランニングの格好やシューズを見ることができるが、親子でVibram five fingers shoesを履いている人がいた。(こんなやつ↓)
http://www.rei.com/search?query=shoes+&button.x=0&button.y=0

この手のシューズを最近見かけるようになったけれど、耐久性がどこまでしっかりしているか不明だ。面白いけど不細工。地下足袋感覚であろうか。

ともかく、ひたすら走る。
折り返しがあるレースはそんなに出てないけれど、いいのはトップの選手とすれ違えることだ。今回も45分したら、もうトップの選手がやって来た。ケニア人? 黒人ランナーなら誰でもケニア人、という思考能力自体だ貧困だが、カモシカみたいにあっという間に通り過ぎて行ってしまった。彼は1時間ちょいでゴールしたようだが、箱根駅伝の選手ってあのぐらいのスピードで走ってるんだ。ありえない!

1時間すると知人ともすれ違った。

むこうが「おーい!!!」
と、叫んでくれた。
私は言われなければ全然わからなかった。
知り合いがいるといないではレースの楽しみ方が全然違ってくる。がんばろっっ

私のようなおばさんランナーは怪我のないように走らなければならない。がっついてもしょうがないから、くたばらないように走ろう。
給水所ではちゃんと水を飲んだ。
8マイルぐらいからとてもしんどくなる。
もういやなだ~。なんでこんなことやってんだろうな~。ゴールどこかな~。

11マイルが見えて来たら、ゴールがもうちょっとだ。
目標は2時間半。

最後の曲がり角で和太鼓のグループが応援してくれた。

するとすでにゴールしていた知人が、

「あとちょっと~!」

と応援してくれた。

よーし、頑張るぞ~。

数秒後、すでにゴールしていた別の知人ご夫妻が、

「ぞなさーん、頑張って~!!!!」

と応援してくれた。彼らは50歳過ぎているが4年前にマラソンを始めてすでに4時間を切れるぐらいの実力をつけた。彼らが私のモーチベーションになっている。

俄然元気が出て、最後の力を振り絞ってゴールに向かった。こんなに最後にダッシュできたレースは今までない。それだけでも進歩。

2時間20分。
よかった~!目標タイムを10分下回った。
何よりも途中で潰れなかったのが嬉しい。スピードは落ちたけれど、ちゃんんと走りきれた事が嬉しい。
何だか大きな課題を終えたような気分がした。

お昼何食べようかな~。
帰りの車中は食べ物の事ばかり考えていた