ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

車椅子で大冒険

2008-05-27 07:59:46 | Weblog
私がこっちに戻ってくる前日は日中1日看護を担当した。

午前中から、ぶつぶつせん妄なのか、父は文句を言う。

「昔から人間は畳の上で死ぬって決まっとんじゃ。なんでそんな簡単な事を叶えてくれんのぞ。家に帰らせてくれや。」

「夫婦なのにぞな母と離れて暮らしよるとはバカな話じゃ。おかしいとは思わんのか。」

「わしは何のために生きとるんかわからんなった・・・・」

口数の少ない普段の父とは違う、人が変わったようにまともな事をくどくど言う。あまりにも妥当な事を言われると返す言葉がなく、うっとつまることも何度もあった。

こんな会話、いや、一方的な父の話が続いた。

お昼を食べた後、体温も平熱だったので、思い切って散歩に出る事にした。

この変な空気を一新したいという気持ちもあった。

「お父さん、散歩行こか」

「お前どこに行くんぞ」

「散歩や散歩」

外出届けを出して、ベッドから車いすに移動をさせて、毛布を上にひっかけて、まずエレベーターに乗って、病院の外に出た。

雨が降ると言われていたけど、今の所まだお天気。

5月の風が気持ちいい。

「お父さんはぼけてきた。なにがなんやらわからんなってきた。」

「お父さん、本当にぼけとったら自分がぼけとるなんてわからんよ。お父さんはそれがわかるだけまだましよ。」

「そうかのう・・・」

お尻の肉がなくなってお尻が痛い痛いと言っていたので、クッションのない車椅子ではさぞ痛かろうと、

「お尻大丈夫?」

と、聞いたら、

「何事も我慢我慢!」

と、普段我慢をしない父には珍しく殊勝な事を言っていた。

病院の前を通って大通りに出るとすぐ電車通りだ。

もう家まで行っちゃおうか。

路面電車の線路だけ気になったけど、引っかかりながらも一気に渡った。

道路をよたよた、車いすを押しながら、もう一つの線路を渡らなければならない。
今度は後ろ向きで進んだ。
後ろ向きの方が車輪が引っかからなくて楽なのだ。
いざとなったら工事現場のお兄ちゃんに助けを求めればいい。

自宅近所になると、

「おー、懐かしの故郷の道」

と父が言った。

家に着いたはいいけど、はて、どうしよう。

車庫に車いすを停めて、父には待っていてもらった。
家には誰もいない。
母の携帯に電話をすると、私の娘を連れて温泉に連れて行って出た所だと言う。

「危ないから一人で絶対入れないで! 倒れたらそれこそ大変だから」

と、きつく言われた。

私も父をしょって階段を登ってベッドにまで運ぶ自信がなかったので、車庫にいたまま水を飲んでもらった。

「わしを押して来た人にも水をあげてくれや。相当喉が渇いとるはずや」

「押したんは私やがな」

「ほおか」

全然わかってない。

「さ、帰るぞ」

帰ってんけどな~。
今、どこにいるのかわかってないみたい。
これだと部屋に運んだとしても、一瞬はわかってくれても、またどこにいるかわからなくなるかもしれないな。

「お前はなにぐずぐずしよんぞ。早よ帰らんか!」

怒った口調で言うので、こっちも腹が立って、

「ほな、帰るよ!」

と、ぐいぐい車いすを押し始めた。

せっかく家に連れて帰ったのに・・・・

でもしょうがないわな。

同じ道を病院まで戻った。

路面電車の横断歩道では年配の女性が気にかけてくれて、渡り切るまで車を誘導してくれた。

「ありがとうございました」

と、お礼を言ってまた押す。

病院に無事着いた。

往復1時間の小旅行。

病室に戻ると、何だか父の部屋に戻って来たみたいで、父もほっとしたようだった。この部屋が父の部屋になっちゃった。

さすがに疲れた様子で、3時にお相撲が始まる頃には爆睡していた。

5時頃回診があったので、

「今日は引きずり回したのでばてて寝ています」

と伝えた。

「ほお、家に帰れたんですか。よかったですね。」

父はへばって寝ている状態。

「ロバの荷馬車の上に乗ってたみたいですね。よく行ったわ。」

と、先生も笑っておられた。

私たちもげらげら笑った。



飛んだ濡れ衣

2008-05-25 22:09:54 | Weblog
先月4月に帰省したとき、父は支えながらも自力で歩いてトイレに行く事が出来た。
今月5月に帰省した時は、自分で立ち上がることはほぼ不可能だった。
徐々に体力脚力が無くなって来ている。
だから今はおむつをしている。
ご飯を自分で食べることはできる。
支えがあればよっこいしょと体をたてて座ることもできる。
まだ食べられるから良しとしよう。

スイッチもオンの時が少なくなって来ている。

ずっと寝ぼけた会話が続くが、娘とその点そう変わらない。

数日前の夜、巡回していた看護婦さんが、私たちのいる部屋に入ったら、

「あれ、ぶーの臭いがしますね~。お腹はってますしね~」

とおっしゃった。

同室にいると臭いにも鈍感になってくる。

彼女が出てちょっとしたら、父は浮腫で膨らんだ足の痛みが酷いらしく、

「いたたたた~!」

と叫んでいたので、夜中だったこともあり看護婦さんを呼んだ。

こういう場合、だいたい座薬や注射をするとおさまって寝てくれるのだが、その夜看護婦さんは注射をする代わりに、お水の入った容器を持って来た。
なにをするのかな~と思っていたら、詰まった便を出すべく指を入れたりお尻にお湯で刺激をし、 便を出そうと試みた。
さっきの臭いで、注射よりも排便を優先したのであろうか。

横向きに父を寝かせて、私は父を支えた。
看護婦さんは片手でお尻を押さえながら、手際よくお尻を刺激しながら便を出させた。

するとにょろにょろと軟便が出始めた。
たまっていたからすごいすごい。
もうそろそろ終わりかな~、と思うとまた出始める。
そんなことがしばらく続いたら、部屋中臭い臭い。

父は、私がうんちをしていると思い込んで、

「お前、恥ずかしゅうないんか。お父さんは飽きれはてた!」

と、父の体を支えている私の腕を精一杯の力でつねった。
飛んだ濡れ衣よのう・・・

そして、うんちが出切ったところで、看護婦さんが、

「五・つ・子・誕・生・・・・」

と言った。

父は、

「これがほんとの運の尽き。運も尽き果てました。」

と、言った。

一体どこから正気でどこからボケなのか境界線が本当にわからない人だ。

窓を開けて、ファブリーズを部屋中に振りかけて、新聞紙で部屋をあおいで換気した。

看護婦さんのお陰で父のお腹も張りが無くなった。
でも、今白状すると、部屋に入ったときのぶーの臭いは私だったのです

結果オーライとしまひょか。



飛行機

2008-05-24 23:33:25 | Weblog
土曜日午後1時に自宅に着いた。

滞米年数が長い方は、「「『帰って来た』って感じ」とよくおっしゃるけれど、20年住んでも私はいまだに「やって来た」という感じ。安定した感覚が乏しいからなのかも。
いざ出陣って感じに近いから、いまだに緊張を強いられる。

4月も5月も日本に帰った日や移動日は雨だったけど、今回も雨だった。
私たちが松山を出てから土砂降りになったらしい。
東京や成田は曇り。

今回日本に帰った時は台風2号の影響で、成田着陸前3時間は揺れに揺れて珍しく飛行機も進路変更したくらいだった。
私も娘もグロッキーで何も食べられなかった。

私なんて日本に帰る直前、原因不明の下痢に襲われて、LA のターミナルでもトイレ。
機内に入ってまだ乗客が着席する前からトイレ。
ご飯が出る前に4―5回トイレにいって、もしかしたら飛行機を引き返させるのは自分ではないのだろうか、というところまで追いつめられた。
準備のいい夫が下痢薬を持っていてそれを飲んで2度トイレに行ってやっと腹痛がおさまった。
ほんま、きつかった。

その後の飛行機の揺れだったから、わたしゃなんかに呪われておるのかと思ったぞよ。

だからじゃないけど、娘は飛行機に乗るのが好きじゃない。
東京から松山も私はさっさと飛行機で帰ったけど、別行動をとっていた夫と娘は6時間かけて新幹線で松山入りした。
ご苦労さんです。

LAへの帰りは兄が松山空港まで送ってくれたけど、空港には何故は人がたくさんいた。

母が、「空港には蛇口をひねるとポンジュースが出るところがあるから見てみ」

と言っていたので、探したけどそんな魔法の蛇口はなかった。

店員さんに恥を忍んで聞いたら、

「ああ、それはゴールデンウイークに1日だけあったんです。今はありません」

と、笑顔で教えてくれた。

「そんなもんあったらわしは水筒もってくる」

と、兄が笑っていた。

でも母も間違ってなかったよ。

松山からはそのまま羽田、リムジンバスで成田につないで、大した無駄な時間もなく国際線のフライトの時間になるので、お昼を食べる時間がない
母がコンビニのおにぎりを買って来て私たちに持たせてくれた。
それを成田行きのバスの中で食べる。

今回はおにぎりの海苔が口の中にぺたっと張り付いて取れなくなって無理矢理引っ張ったら口内の薄皮がはがれてしまった。

痛いなあ~。

今それが口内炎になってしまった。
どうりで痛いはずだわ。

帰りはスムーズで、国内線も揺れるとは言えかわいいもので、国際線も最初が揺れたけど、全然気にならなかった。
睡眠薬を飲んだら少し眠れたので、フライトも随分短く感じられた。

琴欧州も優勝したみたいだ。
最後の取り組みを診る事が出来なくて残念だけど、入院看護中に3時から毎日楽しんで相撲観戦を父としたのは楽しかった。
父もわかってたのかわかってなかったのかは、わかんないけど、



想定外のプレゼント(2)

2008-05-20 06:36:30 | Weblog
時差ぼけで毎日早朝4時くらいに起きている。
日曜日の早朝、メールをチェックをしていると、夫と私の共通の友達T夫さんからメールが入っていた。
近況メールだったんだが、文章の最後に経済誌の記者をしている奥さんのY子さんがJPの取材のため松山に行きました、とあった。

ええ~?! 今ここにいるの?!?!?!?!

夫は日曜日の4時過ぎに松山入り予定。
まだ東京に居る。
急いで東京にいる夫に電話して、T夫さんご夫妻の携帯連絡先を聞いた。

これってすっごいタイミングでない? 

という訳で急いでメールをくれたT夫さんに電話した。
が、6時半。
当然出ない。
早朝に電話するなんて、迷惑な話だわな。
反省。

病院の公衆電話からY子さんの携帯に電話した。

つながった。

「え~? 松山にいるの~?! 信じられない!」

彼女は今、武道館にいるという。
柔道か剣道の全国大会とかあったっけ・・・・?
それにY子さんって経済記者だったと思うけど、なんで?・・・・?

とにかくこんなタイムリーな偶然なんてないっ。

電話をしたのがお昼頃。

ちょうど彼女もフリーの時間3時間くらいあるという。

4時から記者会見があるからそれまでに武道館に戻っていればいいとのことだった。

私も4時半頃、夫と娘を迎えに行けばいいので、その間時間が取れる。

急遽会ってランチをすることになった。

私も地元の事は疎いし、彼女も地理がわからないので、お互いわかりやすい高島屋で落ち合って、その上にあるレストランで食べる事にした。

時間がもったいないから便利ならどこでもいいのだ。

「こんなことってあるんだね~。びっくりしたよ~!」

Y子さんが松山入りしたのは、 全国特定郵便局長会(全特)の通常総会があったからだ。
全国の郵便局長ら約5000人が松山市市坪西町の県武道館に集合した。
彼女はそのために取材だった。
武道館ってスポーツイベント以外にも使用があるんだ。
知らなかった。

彼女は、小さな努力を積み重ねて経済誌に記事を載せている。

「そのうち本でも出版出来ればいいんだけど、一体いつ実現することやら・・・」

私もビジネスマンを治療する事が多いので裏話を話していると、お互い「面白いね~」の連発。

本当に本を出版出来ればいいね。
あなたなら出来るよ。

メールをくれたT夫さんが4月に部長に昇進したとのことなのでお祝いのお菓子をデパ地下で買ってY子さんに託した。

「昇進したのなんで知ってるの?」

と言われたので、

「メールに書いてあったよ」

というと、

「そんなこと全然家では言わなかったのに、実は嬉しかったんだ。」

と笑っていた。

3時過ぎに彼女はタクシーで武道館に戻った。

T夫さんにY子さんに会えた事を報告すると、

「Y子と会えて良かったですね。なんとなく、偶然がいくつか重なったという感じで実に摩訶不思議な一日でした。朝6時半に携帯電話をならしたのもぞなちゃんだったのですね。

お父様の病状は厳しいようですが、松山のご家族のみなさんの力になってあげるべく、帰国なさるのは大変なことです。そのファイトにはいつも本当に感心します。」

きっと父が連日の出会いを与えてくれたんだと思う。





想定外のプレゼント(1)

2008-05-19 06:00:57 | Weblog
病室に来て下さった父の親友は父と同い年だが、シベリア抑留経験があり、ど根性のあるお方だ。一代で自社を東証一部に上場させ、今も現役でばりばり働いている。
父の事があって、おじさんとはちょこちょこ会ったりする。

おじさんは、

「ぞなちゃんがおる間、おっちゃんがご飯に連れてったろ」

と、優しい言葉を頂いた。

彼の娘さんは私と同級生だ。17、8年会ってないかな。

同日、おばちゃんから

「おっちゃんと一緒にいくより娘と一緒に行った方が楽しいやろ」

という訳で、急遽おじさんたちは、親しい友達二人との夕ご飯をアレンジしてくれたのだ。

二人とも私の結婚式以来会って話をしてないから、かれこれ18年になる。
自分の生活に忙しいので、帰省しても会おうとも思わなかったし会えるとも思わなかった。

暖かい配慮に甘えてさっそく夜出かけた。

7時から始まって別れたのが10時。
3人で食べてしゃべり倒した。

面白かったな~。
嬉しかった。
おじちゃんの配慮に感謝。

スイッチオン!

2008-05-17 17:36:52 | Weblog
父は頭のスイッチが入ったり入ってなかったりしている事が多い。

スイッチが入っている時は、話がまともなんだが、入ってない時は寝ぼけている状態がずっと続いてしゃべっている。

昼間だと周りも明るいからいいけれど、夜間は周りが真っ暗だし二人だけの世界になるので、どつぼに入りがちだ。

昼は母、夜は姉の担当で12時間シフト介護が3月3日から続いている。
私はと言えば、帰省中は夜の担当だったり、昼の担当だったり、とにかく連日病室に詰めている母と姉の疲労を少しでも軽減できるならずっと病室にいるつもりだ。

自宅に帰って仮眠をしていると、電話がなった。

「hello」

というと、相手の反応がなかった。

「hello, hello, hello!!!」

と言っているうちに、覚醒して(あ、松山にいたんだ)と思って

「もしもし」

と言うと、

「お前あほか」

と言われた。

兄だった。

「お前もスイッチ切れとんか」

と言われたが、切れまくりである。
もうどこにいるんだか訳わからんちゃ

高品質おむつ

2008-05-17 15:12:21 | Weblog
父が大人用のおむつをあてているが、それをてきぱきと看護婦さんが取り替えてくれる。
最近のはとても品質がいいそうで、多少長めにつけていても大丈夫なんだそうな。
さすがにパンパンになってたら替えなきゃいけないが。
男の人のおむつはこうやってあてるのか~

姉から聞いた事だが、私のいとこに僧侶がいて、彼らが今、高野山に修行に行っている。
10時間座禅を組まなければならないそうだが、トイレに行く時間がない。
だからおむつをするそうだ。

長時間強いられる外科医もそうらしい。

こうなったら長時間出っぱなしの営業マンもそのうちするんちゃうか。

でも糖尿病のはご注意を。
糖尿病の方の尿は本当にくさいのぢゃ。

17、8年前、内科医のクリニックでアルバイトをした初日、ずらずらずら~と並べられたコップの尿検をさせられて、私はその強烈な臭いに圧倒されて、あとで吐いた。
懐かしい甘ちゃん時代。
でも臭いのはいや





見るだけ

2008-05-06 22:29:54 | Weblog
一昨日、夫が娘にDSを買って来ていた。

日本に行くとき、夫と娘の行動時間が多くなるための対策らしい。

私に一言も言わずに買い与えていたことにちょっとむっとしたので、

「二人とも悪い子!」

と怒鳴ったら、娘が泣き始めた。

追い討ちをかけるように、

「今日は見るだけだよ!」

と、鬼母は言った。

夜、寝る準備をしようと娘を捜しに行ったら、娘は包装されたままのピンクのDSを大切そうにベッドの上に起き、自分も横に寝転んで、ずっと見つめていた。

「ね、見てるだけだよ」

と、真剣に未開封のDSを見続けていた。

さすがにこういうリアクションを期待していなかったので、心の中で笑ってしまった。
でも、顔は真顔で、

「あ、偉いね。ちゃんと見てるね。」

と、たくさん褒めた。