6月8日にななななんと私たち夫婦は結婚20年目を迎えた。
奇跡である。
よくもってる。
20年で何を学んだかというと、
1)忍耐・妥協・修行
2)50/50
ということにつきる。
忍耐と妥協、修行というのは誰もが思うことだと思うが、20年かかってやっと学んだことに夫婦50/50というのがある。多分これはアメリカで結婚生活を送ったからだと思うが、私はこの概念を体にしみ込ませるのに20年かかった。1年で体得する人もいるだろうし、50年かかっても体得できない人もいると思う。でも私は20年かかった。
日本で一般家庭に育って、お父さんが家族を養い、母は(たとえ表面だけだったとしても)父を支える役目を担う。それが日本の昭和の家族だ。でも、アメリカの夫婦は、夫も妻も割合が50/50。経済的にも精神的にも。
アメリカの場合、財布を握るのは夫で、夫が妻を養う家庭も多い。夫婦共働きの場合、二人が収入を得て、お金の管理は夫というケースも多い。うちは後者のパターン。
生活費も旅行もすべてが半々。徹底している。このやり方に慣れたのがやっとこさ最近のことだ。逆に私は、そういうちんけな振る舞いが許せないので、夫に後で請求等絶対しない。
それまでは、「妻にこんなにお金を出させるなんて、なんて甲斐性無しの男なんだろう」と思い続けて悪い方悪い方に考えていたが、郷に入りては郷に従え。アメリカはそういうものだと考え方を切り替えたら、とても楽になった。
私も日本の男尊女卑を自分の都合のいいように解釈して、「女はここまでしなくてもいい」「これは男がする仕事」なんて甘えてた。
だいたい、日本人妻がアメリカ人夫(アメリカ育ちの夫)と離婚する場合は、「夫が金を家に入れない」「夫が頑張って働かない」「借金」「暴力を振るう」「浮気した」「思いやりがない」「飽きた」など、さまざまな理由があるけれど、「暴力」「浮気」以外の妻側の根本的な理由は、「日本のお父さん」の価値観と偶像観を引きずっているからではないか。
でも当の本人である配偶者には、妻子を養わなければならない日本の概念を全く持っていないのだ。概念のない人にいくら言っても理解できるわけない。
無条件に自分を愛して育ててくれたお父さん。どうして自分の夫はお父さんみたいにしっかり稼いでその稼ぎを家族にすべて還元して目一杯の愛情を私に注いでくれないの? みたいな。
そんな夫はいませんっっっ
!!!!!!
父親は無条件に娘に無償の愛情を与え続けるし、母親も無条件に無償の愛情を息子に与え続ける。成長した娘は結婚し、父親のような夫を求め、夫は母親のような妻を求める。元々他人同士の妻と夫に、お父さん、お母さんと同じ条件を求めるのはどだい無理な話で、平行線を辿るだけで決して交わり合うことはない。そんなこと考え続けても上手く行く分けないって。
一般的に日本人お父さんはよく働く。アメリカにいるとそこまで家庭を犠牲にしてお父さんは働かない。それが文化だからだ。アメリカ人を見てると「もっと働かんかい!」とか「ぬるい!」と思うことがあるけれど、皆がそうだから罪悪感を感じないだろうし、感じる必要性もない。社会もゆるい。私も在米年数が増えるつれ、「そんなもんか」「こんなもんか」と思うようになった。
その分女性は働くチャンスが多い。大企業内では未だに「ガラスの天井」があるけれど、中小企業なら女性でもばりばり働く人は多い。農家と同じで、可能なのは女性も戦力として考慮されていることもあるし、それを支える家族と社会があるからだ。「あんたも人員の一人に入っとんやで~」みたいな。農作業を家族だからという理由だけでこき使われたら嫌だけど、同じ量の仕事を違う業種で「自分からやります!」と思うと、自ずと働く態度が肯定的になる。
そんでもって、不況ということもあって定時に帰宅できる社会環境が整い、女性でも男性でも同じように働くことができる(自営業は別よ)。
就いた職業で家庭内の役割を分けることもできる。たとえば奥さんが東海岸時間で働く場合、6時には仕事開始になるので、夫が子供を学校に送る。3時に仕事が終わる奥さんが子供のピックアップはする、などなど。もちろん夫婦間だけで都合が付かない場合は、ベビーシッターさんを雇う人もいるし、デイケアに預ける人もいる。
数年前、family lawを専門とするパラリーガルの友達から、
「離婚したら借金があろうが財産があろうが50/50である上、結婚期間が長くて資産があって子供がいる場合、弁護士費用に4-5万ドル(4-500万円)かかる。弁護士を設けさせるだけのシステムだからよっぽどの事がない限り、離婚は踏みとどまった方がいい」
という事を教えてもらい、すーっと冷静になれた。
そもそも、けんかの原因は大抵が些細な事、くだらない事がほとんどなんだが、頭が沸騰していると、すぐ「もう別れてやる」と思ってしまうのが人情だ。が、この話を聞いて以来、ぐっと我慢できるようになった。そんだけかかるんならリモデルするわ。そして、浴室と洗面所3部屋リモデルした(注:喧嘩が原因でリモデルした訳ではないよ)
こっちの方が現実的でどんだけ暮らしに役立つか
もちろんそれぞれの家庭にそれぞれの事情があるから、もう引き返せない所まで行った方々は、さっさと別れて下さい。
自分が働くようになって世のお父さんの気持ちも理解できるようになった。
むしろ今はおっさん化しているので、よーくわかる。
外の世界は外の世界でいろいろ大変だ。
ここまで追い込まれて仕事をしなかったら、今の自分はなかったし、今後力を抜けばすぐ潰れる。いつもぎりぎりまで、自分の限界境界線を少しずつ伸ばしながらやれてこれたのは、夫と家族のおかげかもしれない。父のような夫であったなら、ここまで働く必要もないし、「ええかげんにせえやと」止められただろうし、仕事は趣味の範囲で終わっていたのは間違いない。
そういう意味では、思う存分働ける、働かなければならない状況を計らずとも生み出してくれた夫と結婚して良かったのかもしれない。
随分前だけど、米人男性と日本人男性と結婚歴のある女性も同じ事を言ってくれて、自分の心が軽くなった。
つまり、大雑把に言えば、米人男性は妻に対して何をしても良いという。そのかわり責任は全部お前が取れと。
日本人男性の場合は、ちゃんと囲いを作ってくれてえさも与えてくれて管理してくれるが、俺がやる事にはつべこべ言うな。言う事は聞け。という感じ。
言い方は悪いが、放牧されるのと畜舎に入れられるのとどっちがいい?って感じかな。
選んでも選ばなくてもどっちでもいい。選ぶのは自分だから。どういう人生を赤の他人と家族を作って歩んで行くかは自分自身の判断でしか下せない。始めっからこの差を知っていたら自分はどうしただろうか。とはいえ、正しい答えがある訳はない。
はっきり言えるのは、結婚生活とは修行ということです。寺に行かんでもよろし。
今日は記念日だから大きなお祝いをした!ということは全くなくて、甥っ子の子守りと義父へのごはんを作った(今日1回だけ
)。義母、早く帰って来て~。
こういうのがうちらしくていいし、リモデルしたからこれからは節約節約。
これから10年後20年後一緒にいるかもわからないし、どっちかが病気になって寝たきりになるかもしれないし、ぼけながら100歳まで生きて、お互い訳のわからないことをしゃべってそれなりに通じて笑っているかもしれない。
明日になったらまたむっとしているかもしれない。
この先なるようになるしかないが、とりあえず20年もちました。やっぱり奇跡だわ・・・・・・。