ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

ガラスの教会

2010-06-19 06:41:16 | Weblog
6月16日(水)に友達とガラスの教会に行った。
http://www.wayfarerschapel.org/
ここで20年前結婚式をあげた。
ちょっと遠いのでしょっちゅう行かないけれど、天気のいい日はとても美しい場所だ。

結婚式を挙げた当時、ガラスの教会のことを全然知らなかった。当時でも有名だったそうだが、私は全然知らなかった。

義父がここに私を連れて来てくれて、

「ここで結婚式したら?」

と勧めてくれた。

意義を唱えることもないし、結婚式にこだわりがある訳でもなく、地理がわからなくてどこでもよかったので、

「はい、そうします。」

と即答した。

ほんの1秒で決定した。夫はそのときどこにおったんやろ。NYか? LAで仕事しとったんかな。全然覚えてない。
まあ、ええわ。

それはともかく、その日の目的はブロックに名前を入れることだった。
教会の道にはメッセージを入れたブロックが所狭しと埋め込まれている。20年前にはこんなものはなかったが、いつからか始まった。
結婚式をあげた人でもいいし、何の関係のない人でもいい。
友達が他界した家族の名前をそれぞれ入れたという話を聞いて、結婚20周年にこれを入れたらいいなあと思うようになった。
女のくせに記念日や誕生日に無頓着な私であるが、20年というのは夫婦としてやっとスタート地点に立てたような気もするので、一つの区切りとして何かを記しておきたかった。旅行は高いし、何より浴室の改装をしたので金欠状態である。友達がちょっと言ったことが、いいきっかけになった。

そしてこの日実行することにした。
夫にはサプライズなので、まだ言ってない。
友達とガラスの教会に出向き、前もって考えていたことを並べて数えた。というのも文字制限があるからだ。
1行22文字で3行だけ。
まあ、名前と日付と一言メッセージぐらいなもんだが、現場で色々な人のブロックを見ているうちに、ふと思った。

父のも買おうかな・・・

たった一度だけ、私の結婚式に父もここに来てくれたし。
何より命日も近い。

ブロックは1つ200ドル(寄付になるのでtax deductibleだよ)
教会が取り壊されない限り永遠に埋め込まれる。年会費がある訳でもなく、買って埋めておけばそれで終わり。
教会側は資金集めができるし、買う人は美しい教会に自分の家族や夫婦のメッセージを埋め込むことができる。よくお寺や神社の境内や階段に石碑が立っているけれど、あのブロック版と言えばいいか。多分日本人の見識としては、人の名前を埋め込んだブロックの上を歩くことに抵抗を感じるだろうが、アメリカではそういう感覚が全くないようだ。この教会もそうだし、ディズニーランドもそう。
この国には「踏み絵」のような概念がないのかもしれない。

私はそう再々松山に帰って御墓参りが出来ないので、ここに父の名前を彫ったブロックを入れておけばいいなあと思った。ここに骨が埋めてある訳でもないが、名前があれば会えるような気がした。所詮、自己満足でしかないけれど、見渡す限りの太平洋が目前にある。
場所もいいね。
即決。

書くことをその場で考え始めた。
友達に「これはどう?」「あれはどう?」と言いながら、3行にまとめあげた。

ゾナ田ケンゾウ
23AUG1928 - 18JUN2008
FATHER&FUN PHARMACIST

うろ覚えだがこんな感じで申し込んだ。

ブロック二つで400ドル。
ま、いいか。

出来上がるのに6-8週間かかるそうだ。
8月か・・・
出来上がったら見に来よう。お天気がいい日だといいな。






イギリスの国旗

2010-06-19 04:22:04 | Weblog
アメリカではサッカーの試合は一部のファンをのぞき、さほど興味を持たれていない。
小さい子供には人気があるスポーツなのに、プロスポーツが多すぎて大人のレベル(プロレベル)ではぜーんぜん人気がない。
昨日なんてレイカーズの試合の方が100倍盛り上がっていたぐらいだ。
街がそんな感じなので、スポーツチャンネル以外のメディアも日本ほど取り上げない。よって一般市民は何が起こっているかさっぱりわからない。南アフリカで開催されていることすら知らない人も多い。
日本にいれば嫌でもテレビやラジオで聞かされて、否応なく状況を知り、興味もわくというものだが、街がメディアがそんなん感じなので、ぜーんぜん耳に入って来ない。
私もニュースで知る程度。

テレビを何気に付けていて、アメリカとイギリスの試合をニュースで見たとき、あれ~?と思った。
国際試合で使用されるイギリスの国旗は、ユニオンジャックだったけれど、今回サッカーのW杯では違っていた。

http://image.blog.livedoor.jp/yasai_0142/imgs/b/6/b6261799.gif

この絵の左上のSt. George's Cross(白い背景に赤い十字)だったのだ。どこの国と試合してるんだろうと一瞬思ったぐらいだ。
ESPNのニュースでしかと見たので間違いない。
でも何でだろう・・・・何か意味があるのかな。

我が家にある旗の本を見たら、St. George's CrossはEnglandの旗で、ユニオンジャックは北アイルランドの旗だと書いてあった。
これから国際試合の時は白地に赤い十字のに変わるのかな。

今日はオランダと日本戦だ。
西海岸時間では午前4時半から始まる。
夜中3時にトイレに行きたくて目が覚めてしまった(おばあちゃんです・・・
寝ようと努めたけど、眠れなくなったので雑用をすることにした。
そのうち4時半になったので、今、オランダvs日本戦を見ている。
サッカーの国際試合を見るのは生まれて初めてだ。
試合開始前はなんだかぞくぞくするな~。緊張感が伝わってきます。
日本頑張れ! 大和魂を見せてくれ~! (と、にわかファン?!)

PS 後で調べたら同じような質問をしているサイトがあったので貼っておきます。知らんかった~。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2252516.html

superfly

2010-06-17 07:41:23 | Weblog
「情熱大陸」を見ていて、4つ入っている番組のうち1つだけ残して全部見終わった。皿洗いをしながら、娘が「これ見た」「これ見た」と操作をして、1つだけ見ていなかった番組をクリックした。歌手の番組みたいだけど興味がなかったので、見ないでDVDを返却するつもりだったが、皿洗いしてるし、ま、いいか。

するとsuperflyという歌手の女の子のことをやっていた。
しらんな~。ま、ええわ。
ナレーションが「愛媛の山奥で育った」と言ったので、思わず「なぬ?!」と、聞き耳を立ててしまった。
名前が越智志帆ちゃんというのだそうだ。

越智、真鍋、河野、伊賀上、というのは地元では多い名字だから、名字を聞いたときに愛媛の子かなあと思ったら、やっぱりそうだった。

愛媛と言っても実家周辺の地理感覚しか残っていない、と言うより元々実家周辺しか知らない私に、市外で、おまけにどこそこ村だの言われても調べなければわからない。でも彼女の実家周辺の田んぼの風景を見ると、田舎の子やったんやな~と嬉しいような、けなげというか、親しみやすいような感覚にとらわれた。

田舎もんだからって引け目を感じることもなく、ものすごい声量で歌いまくるまくる。
80年代は、地方出身者ということさえ言うことが恥ずかしかった大学時代。一生懸命東京に染まろうと頑張っていた大学時代。ちょうど林真理子が若い頃一生懸命都会に染まろうとしていたエッセイをたくさん書いていたけれど、あれがすべて当てはまった時代。
もうそんな時代じゃないんだね。

かわいいこだなあ~。
若くかわいくした五輪真弓かオノヨーコ。

ウッドストックも来たって。
今治の子がNYまで来て、歌って、えらいなあ。
W杯サッカーの主題歌まで歌ってるんだって。
えらいなあ。嬉しいなあ。

私が渡米した頃は、そんな昔ではないけれど、やっぱり引け目を感じる時代だった。私の渡米以前に渡米した方々はもっともっと引け目を感じたり、日本人というだけで差別を受けたり、仕事もろくになかった時代だ。
でも今は日本人であること、日本の物がクールだと思われる時代。
そんな中、superflyのような女の子が、素のままで伸び伸び活躍できると嬉しいなあ。
とってもいい時代になったような気がする。

お月様

2010-06-15 23:57:45 | Weblog
実家の母が、お月様が見えたら手を合わせているというのを姉が教えてくれた。
生きている幸せに感謝しながら手を合わせているのかと思ったら、
「お金が貯まりますように
だと!

大笑いした。

改装して浴槽が広くなった我が家の窓からもお月様が見える。
これは日本で見えるのと同じお月様かな。

そして、私とぞな子は二人して湯船から手を合わせ、
「お金が貯まりますように
と祈るのであった。

ダウン

2010-06-13 19:36:42 | Weblog
先週、いきなり椅子から立ち上がろうとしたら、左膝の後ろがつってそのまま床に倒れ込んだ。
普段ならすぐ戻るのに、今回はつったまま硬直して全然戻らず、悶絶・・・・
「みず~!!!!! あとくすり~!!!!」
と、夫に絶叫しながら、痛くて泣けて来た。
薬と一緒に水を吐きそうになるぐらいがんがん飲んだら徐々に緩んできた。

ああ・・・・・・・・痛かった・・・・・・・・・。
足がまだ歪んでる。痛いよ~
多分、水分不足。忙しくて食事も水分摂取もうっかりしていたら、こうなった。
あかん、あかん。人にアドバイスしてる場合ちゃうわ。

とにかく意識してたくさん飲まないと再発する。ここは日本と違って砂漠地帯だからうっかりするとすぐ脱水症状になってしまう。
気がつかない症状なのと、回復に時間がかかる。10代20代ならすぐ戻るけど、四捨五入したら50やで~。

この痙攣から体調がおかしくなってきた。
しんどくてしんどくて、水曜日のミーティングはキャンセル。木曜日も午後3時以降はリスケジュールしてもらった。その分、日曜日に振り分けたけれど、自分が体調を崩すとクライアントさんにも自分にも負担が増える。いかんいかん。
こういう時に限ってスタッフが休みをとっている。
土曜日もスタッフが出勤日を忘れていて、えらいことになっていた。途中で電話をして急いで出て来てもらった。本人とても反省。うっかりミスは誰にでもあるから、そのまま仕事を続けた。

日曜日の早朝はランニングを教えてもらう人と6時半から約束していたので、気分転換に行った。
体調は多少戻っているので、1時間ゆっくり走った。
こんな早朝につきあってくれたOさんに感謝。もう私の中ではO(オー)監督である。この人に着いて行けば10月のハーフマラソンもちゃんと完走できるかな。
その後出勤してお昼まで仕事。
帰宅したらそのままバタンキュー。
そのまま寝た。
娘と夫はどこぞに出かけたが、このままずっと家でじっとすることにした。

体力落ちてるなあ。
そのためのランニングであるが、ホント気をつけないと。

結婚20年

2010-06-08 23:33:16 | Weblog
6月8日にななななんと私たち夫婦は結婚20年目を迎えた。
奇跡である。
よくもってる。

20年で何を学んだかというと、

1)忍耐・妥協・修行
2)50/50

ということにつきる。

忍耐と妥協、修行というのは誰もが思うことだと思うが、20年かかってやっと学んだことに夫婦50/50というのがある。多分これはアメリカで結婚生活を送ったからだと思うが、私はこの概念を体にしみ込ませるのに20年かかった。1年で体得する人もいるだろうし、50年かかっても体得できない人もいると思う。でも私は20年かかった。
日本で一般家庭に育って、お父さんが家族を養い、母は(たとえ表面だけだったとしても)父を支える役目を担う。それが日本の昭和の家族だ。でも、アメリカの夫婦は、夫も妻も割合が50/50。経済的にも精神的にも。

アメリカの場合、財布を握るのは夫で、夫が妻を養う家庭も多い。夫婦共働きの場合、二人が収入を得て、お金の管理は夫というケースも多い。うちは後者のパターン。
生活費も旅行もすべてが半々。徹底している。このやり方に慣れたのがやっとこさ最近のことだ。逆に私は、そういうちんけな振る舞いが許せないので、夫に後で請求等絶対しない。
それまでは、「妻にこんなにお金を出させるなんて、なんて甲斐性無しの男なんだろう」と思い続けて悪い方悪い方に考えていたが、郷に入りては郷に従え。アメリカはそういうものだと考え方を切り替えたら、とても楽になった。
私も日本の男尊女卑を自分の都合のいいように解釈して、「女はここまでしなくてもいい」「これは男がする仕事」なんて甘えてた。

だいたい、日本人妻がアメリカ人夫(アメリカ育ちの夫)と離婚する場合は、「夫が金を家に入れない」「夫が頑張って働かない」「借金」「暴力を振るう」「浮気した」「思いやりがない」「飽きた」など、さまざまな理由があるけれど、「暴力」「浮気」以外の妻側の根本的な理由は、「日本のお父さん」の価値観と偶像観を引きずっているからではないか。
でも当の本人である配偶者には、妻子を養わなければならない日本の概念を全く持っていないのだ。概念のない人にいくら言っても理解できるわけない。
無条件に自分を愛して育ててくれたお父さん。どうして自分の夫はお父さんみたいにしっかり稼いでその稼ぎを家族にすべて還元して目一杯の愛情を私に注いでくれないの? みたいな。
そんな夫はいませんっっっ!!!!!!

父親は無条件に娘に無償の愛情を与え続けるし、母親も無条件に無償の愛情を息子に与え続ける。成長した娘は結婚し、父親のような夫を求め、夫は母親のような妻を求める。元々他人同士の妻と夫に、お父さん、お母さんと同じ条件を求めるのはどだい無理な話で、平行線を辿るだけで決して交わり合うことはない。そんなこと考え続けても上手く行く分けないって。

一般的に日本人お父さんはよく働く。アメリカにいるとそこまで家庭を犠牲にしてお父さんは働かない。それが文化だからだ。アメリカ人を見てると「もっと働かんかい!」とか「ぬるい!」と思うことがあるけれど、皆がそうだから罪悪感を感じないだろうし、感じる必要性もない。社会もゆるい。私も在米年数が増えるつれ、「そんなもんか」「こんなもんか」と思うようになった。
その分女性は働くチャンスが多い。大企業内では未だに「ガラスの天井」があるけれど、中小企業なら女性でもばりばり働く人は多い。農家と同じで、可能なのは女性も戦力として考慮されていることもあるし、それを支える家族と社会があるからだ。「あんたも人員の一人に入っとんやで~」みたいな。農作業を家族だからという理由だけでこき使われたら嫌だけど、同じ量の仕事を違う業種で「自分からやります!」と思うと、自ずと働く態度が肯定的になる。
そんでもって、不況ということもあって定時に帰宅できる社会環境が整い、女性でも男性でも同じように働くことができる(自営業は別よ)。
就いた職業で家庭内の役割を分けることもできる。たとえば奥さんが東海岸時間で働く場合、6時には仕事開始になるので、夫が子供を学校に送る。3時に仕事が終わる奥さんが子供のピックアップはする、などなど。もちろん夫婦間だけで都合が付かない場合は、ベビーシッターさんを雇う人もいるし、デイケアに預ける人もいる。

数年前、family lawを専門とするパラリーガルの友達から、
「離婚したら借金があろうが財産があろうが50/50である上、結婚期間が長くて資産があって子供がいる場合、弁護士費用に4-5万ドル(4-500万円)かかる。弁護士を設けさせるだけのシステムだからよっぽどの事がない限り、離婚は踏みとどまった方がいい」
という事を教えてもらい、すーっと冷静になれた。
そもそも、けんかの原因は大抵が些細な事、くだらない事がほとんどなんだが、頭が沸騰していると、すぐ「もう別れてやる」と思ってしまうのが人情だ。が、この話を聞いて以来、ぐっと我慢できるようになった。そんだけかかるんならリモデルするわ。そして、浴室と洗面所3部屋リモデルした(注:喧嘩が原因でリモデルした訳ではないよ)
こっちの方が現実的でどんだけ暮らしに役立つか
もちろんそれぞれの家庭にそれぞれの事情があるから、もう引き返せない所まで行った方々は、さっさと別れて下さい。

自分が働くようになって世のお父さんの気持ちも理解できるようになった。
むしろ今はおっさん化しているので、よーくわかる。
外の世界は外の世界でいろいろ大変だ。
ここまで追い込まれて仕事をしなかったら、今の自分はなかったし、今後力を抜けばすぐ潰れる。いつもぎりぎりまで、自分の限界境界線を少しずつ伸ばしながらやれてこれたのは、夫と家族のおかげかもしれない。父のような夫であったなら、ここまで働く必要もないし、「ええかげんにせえやと」止められただろうし、仕事は趣味の範囲で終わっていたのは間違いない。
そういう意味では、思う存分働ける、働かなければならない状況を計らずとも生み出してくれた夫と結婚して良かったのかもしれない。

随分前だけど、米人男性と日本人男性と結婚歴のある女性も同じ事を言ってくれて、自分の心が軽くなった。
つまり、大雑把に言えば、米人男性は妻に対して何をしても良いという。そのかわり責任は全部お前が取れと。
日本人男性の場合は、ちゃんと囲いを作ってくれてえさも与えてくれて管理してくれるが、俺がやる事にはつべこべ言うな。言う事は聞け。という感じ。
言い方は悪いが、放牧されるのと畜舎に入れられるのとどっちがいい?って感じかな。
選んでも選ばなくてもどっちでもいい。選ぶのは自分だから。どういう人生を赤の他人と家族を作って歩んで行くかは自分自身の判断でしか下せない。始めっからこの差を知っていたら自分はどうしただろうか。とはいえ、正しい答えがある訳はない。

はっきり言えるのは、結婚生活とは修行ということです。寺に行かんでもよろし。

今日は記念日だから大きなお祝いをした!ということは全くなくて、甥っ子の子守りと義父へのごはんを作った(今日1回だけ)。義母、早く帰って来て~。
こういうのがうちらしくていいし、リモデルしたからこれからは節約節約。
これから10年後20年後一緒にいるかもわからないし、どっちかが病気になって寝たきりになるかもしれないし、ぼけながら100歳まで生きて、お互い訳のわからないことをしゃべってそれなりに通じて笑っているかもしれない。
明日になったらまたむっとしているかもしれない。
この先なるようになるしかないが、とりあえず20年もちました。やっぱり奇跡だわ・・・・・・。


運動会

2010-06-06 19:46:36 | Weblog
土曜日は娘の日本語補習校の運動会だった。
生徒が多いので中々の盛況である。
ビーチチェアやピクニックテーブル、キャノピー(テント)、敷物を持参して、それぞれが楽に観戦できるようにしている。いいアイディアだなーと思ったのが、重くて長くて大きいキャノピーをゴルフカート(手で引っ張るやつ)に縛り付けて持ち込んでいた方だ。これは中々良い考えだ。来年やってみよう。あ、その前にキャノピー買わないと。
キャノピーというのはこういうのです↓
http://www.canopycenter.com/

徒競走、玉入れ、など伝統的な競技が続く。
娘は徒競走で1番! あーよかった。1番になる喜びがちっとはわかってくれたかな。

競技は子供が主役。
とはいえ、日本のように毎日予行演習というのはなく、ぶっつけ本番に近い。だからダンスとか集団演技というのはない。そもそもアメリカには運動会がない。こんな楽しいイベントがないなんて、かわいそすぎる。
リレーのバトンパスもわからない子が多いので、バトンを渡すということもなく、持ったまま顔を見合わせている子供もいた。差は広まるばかり・・・。先生が必死で渡させていたが、大変だ、こりゃ・・・・

徒競走やリレーはしっかり見て応援したが、その他はおしゃべり。
親の方は、普段あえない友達に一気に会えるとあって、ピクニック気分だ。
私も例外ではなく、久しぶりに会えた友達とぺっちゃらくっちゃらしゃべくりまくった。
それはそれは楽しいひとときである。

友達の一人Kちゃんとも相当久しぶりに会った。すると平和な運動会の最中、衝撃的な事を言い始めた。
「ぞなさーん、今日会えると思ったから絶対言おうと思ったんだけど・・・・実は私帰国しようと思うんだ。」
「ええええ~?!?!?!?!?!?!? もしかして別れるの?・・・・・・・」
「うん」
と、さっそく離婚話を聞くことになってしまった。
アメリカでは全く珍しくはない、むしろ普通とも言える妻子を養わない夫。
彼女も普通の日本人女子だったが、夫が生活費を全く入れない上、彼が母国に帰った際、浮気をしていた事が発覚し(それも3度)、悩みに悩んだ末、彼女も決断を下した。
あんなに我慢強い女性がここまで思い詰めて決めたんだから、問題は相当深刻だったんだなあ・・・。
もう別居をしているらしく、愛らしい娘さんが気の毒になってしまった。
彼自身不幸な生い立ちをしていたが、同じ事を自分の娘にしている。

「時々、この人知恵遅れかと思うことがあるんだ。」

と、友達は言っていた。もちろん立派な方もいらっしゃるだろうが、多かれ少なかれ夫という生き物は、妻にとってそうでも思わないとやりきれない時がある。
彼女は普通の家庭で育ち、日本で良い大学を出ていたから、彼とあまりにも家庭環境が異なるし、彼女が持つ知性も受けた教育も不釣り合い。彼にはもったいないなあと思っていた。しかし、こんなこと他人が口出しすることではない。結婚当初は彼の負の部分をKちゃんは「私が補ってあげないと」という気構えでいた。しかし10年経つうちに、やっぱりいろんなところで亀裂が入っていたんだね。

外国(ここなら米国)で外国人同士が離婚すると、片方のルーツが完全に断たれる事も大いにあり得る。離婚後、帰国するにも法律的にいろいろ面倒な手続きが必要になってくるだろうが(果たして帰国できるかどうかさえ不明だが)、彼女にはご実家にもご両親が揃っているし、ちょっとでもサポートしてくれるおじいちゃん、おばあちゃんの元で育てる方が、彼女自身にも生活の余裕が出来ると思う。女一人娘一人で生活するには、この土地はきつすぎる。
だいたい家賃さえも払えないよ・・・
10年結婚していて情もある。親(特に母親)がさまざまな困難を乗り越えて未だに結婚し続けている姿を見て、自分も我慢すべきかと悩んでいたそうだ。でも、彼女は最終的には別れる結論に達した。

個人的にはショックな話だったので、二人を知る夫にも話したら、彼もショックを受けていた。

夫が、

「(俺たち)がんばろうね。」

と、言ったので、

「お前はもっと頑張れ。私は十分がんばっとる。」

と、ついつい本音を言ってしまった。

お昼ご飯は皆で楽しくランチを食べ、食後はいよいよお楽しみの教員vs保護者リレーである。
このリレーは毎年楽しみに観覧させていただいている。必ず一人は転倒するかけが人が出てくるのだが、申し訳ないが、面白い。ええおっさんが鬼の形相で必死で走るのだ。こんなに面白いことはない。一昨年は私が走るはめになり、バトンパスでどつかれて海老ぞるくらい転倒した。だからもう走らない。
今年はみんなの期待を裏切り(?)転倒者けが人なしで終了した。
いや、良かった良かった・・・・

その後も相手を変えて、またまたしゃべるしゃべる。
家族で来ているので、見かけはどこも平和そうに見えても、大なり小なり何らかの不満や問題を抱えてるんだよな~。
聖人君子じゃないんだから、当たり前か。

最後の生徒のリレーが終わって、さあ閉会式だ、片付けしようとしたら、生徒にけが人が一人出てしまった。
オフィスに一緒に行って、かつごうと思っても怪我人は全く動けなかった。ご近所の男性がだだーっと外に出てくれて助けてくれた。
結局ER送りになったが、その際もご近所の男性がだだーっと出て来てくれて助けてくれた。
本当にこのモールで仕事をしていて良かった。困ったときにさっと手助けをしてくれる人達がここには大勢いる。
深謝。
とても気持ちが嬉しい。

いろんな意味でとっても充実した1日であった。
そして日焼けをしてまたシミが増えた。