何かのビデオを見ていた時、ふと思った。
「泣ける」ことは、受け皿がないと安心して泣けないもんなんだなあ・・・と。
悔し泣き、嬉し泣き、テレビや映画で自然に出る泣き、感動の涙、などは一人でも泣けることなんだけど、我慢しなければ、あるいは、我慢ができる程度の泣きというのは、誰かがいると、あるいはいなければできない行為のように思った。
ということは或る程度「泣く」意識がないと後者は成り立たぬ。
強烈に覚えている泣くに泣けない状況を2つ思い出した。
一つは現役で大学受験に失敗したとき。
落ちるべくして落ちた高校3年の受験生活を送った私。
合格発表を見に行ったら案の定落ちていた。
帰りの電車の中で、一人、本当にわんわん泣きたかったけど、そこは誰も知り合いがいない東京の電車の中。
喉がじんじんしたけど、ぐーっと腹に力を入れて、泣くのを我慢した。
すると隣に座った親子連れの女の子がしくしく泣き出してしまった。
多分この子も受験に失敗したんだろうな・・・・
お母さんらしき人が励まして、車内は或る意味和やかな雰囲気が流れていた。
同じ立場なんだけど、こうやって親に甘えて泣いている女の子に強烈な嫉妬というか卑下にも似た感情を抱いた。
自分だけ可哀想に思うなっっっ
甘えんなっっっ!!!!
私だって泣きたいんだよ~っっっっっっ!!!!
誰も頼れないという地方出身者の現実を嫌と言う程思い知らされたのであった。
1年後、大学には合格して普通の大学生活を送った。
で、大学の4年間よく病院にお世話になった。西新宿にある大学病院では、当時通っていた大学の学生証を見せれば無料で検診・治療をしてもらったので、それこそそれに甘えてたくさん怪我もした。
大学2年か3年か忘れたけど、高熱が三日続いて夜中にタクシーで例の西新宿の大学病院に行った。
そして点滴をしてもらった。
一人で点滴がポトンポトンと落ちていくのを見ながら、ぼーっとしていた。
カーテンを境にして、隣では恋人同士らしき二人がいて、女の子が病人でしくしく泣いていた。
男の子が一生懸命慰めていた。
お前ら~、いい加減にせえよっっっっ
こっちも高熱で点滴打っとんじゃっっっ
それくらいで泣くなっっっっっっ!!!!
ぶぁか~っっっっっっ!!!!!!!
と、顔は平静ながら心では叫んでいた。
あれからもう20年たった。
今、外国生まれは全員「地方出身者」のアメリカで生きている自分に妙に納得出来るのであった。
「泣ける」ことは、受け皿がないと安心して泣けないもんなんだなあ・・・と。
悔し泣き、嬉し泣き、テレビや映画で自然に出る泣き、感動の涙、などは一人でも泣けることなんだけど、我慢しなければ、あるいは、我慢ができる程度の泣きというのは、誰かがいると、あるいはいなければできない行為のように思った。
ということは或る程度「泣く」意識がないと後者は成り立たぬ。
強烈に覚えている泣くに泣けない状況を2つ思い出した。
一つは現役で大学受験に失敗したとき。
落ちるべくして落ちた高校3年の受験生活を送った私。
合格発表を見に行ったら案の定落ちていた。
帰りの電車の中で、一人、本当にわんわん泣きたかったけど、そこは誰も知り合いがいない東京の電車の中。
喉がじんじんしたけど、ぐーっと腹に力を入れて、泣くのを我慢した。
すると隣に座った親子連れの女の子がしくしく泣き出してしまった。
多分この子も受験に失敗したんだろうな・・・・
お母さんらしき人が励まして、車内は或る意味和やかな雰囲気が流れていた。
同じ立場なんだけど、こうやって親に甘えて泣いている女の子に強烈な嫉妬というか卑下にも似た感情を抱いた。
自分だけ可哀想に思うなっっっ
甘えんなっっっ!!!!
私だって泣きたいんだよ~っっっっっっ!!!!
誰も頼れないという地方出身者の現実を嫌と言う程思い知らされたのであった。
1年後、大学には合格して普通の大学生活を送った。
で、大学の4年間よく病院にお世話になった。西新宿にある大学病院では、当時通っていた大学の学生証を見せれば無料で検診・治療をしてもらったので、それこそそれに甘えてたくさん怪我もした。
大学2年か3年か忘れたけど、高熱が三日続いて夜中にタクシーで例の西新宿の大学病院に行った。
そして点滴をしてもらった。
一人で点滴がポトンポトンと落ちていくのを見ながら、ぼーっとしていた。
カーテンを境にして、隣では恋人同士らしき二人がいて、女の子が病人でしくしく泣いていた。
男の子が一生懸命慰めていた。
お前ら~、いい加減にせえよっっっっ
こっちも高熱で点滴打っとんじゃっっっ
それくらいで泣くなっっっっっっ!!!!
ぶぁか~っっっっっっ!!!!!!!
と、顔は平静ながら心では叫んでいた。
あれからもう20年たった。
今、外国生まれは全員「地方出身者」のアメリカで生きている自分に妙に納得出来るのであった。